大人と子供
9章 「大人と子供」
『ヨシッ、これでおしまい。』
美里の朝は早い。
いつも、シュウが起きる前に家事をこなす。
シュウはもっと、子供らしくしろ!何て言うけど、子供時代を過ごしたことのない美里にとって、これが日常だ。
『シュウは今日学校?』
不安そうな言葉を発している美里。
白河と川瀬は同棲している恋人だ、と学校では周知の事実だ。
美里が突如として学校を休学してしまったから、下世話なことを考える人間も居るかもしれない。
そして、それがシュウの将来に影響したら…。
『大丈夫。ミサトは家の都合で休学してるってことになってる。』
美里が心配しないように努めて笑う。
本当は、シュウがやらかしたんじゃないかと何人かの友人がからかい半分で聞いてきたけど。
その都度、ミサトは病で1年の宣告を受けた祖母の世話をしているのだとごまかしている。
雷鳴が轟き、大きな雨粒が窓を叩く音がする。
時刻はちょうど、短針が真下を向く頃。
『やぁだ、シュウったら、傘持っていってないじゃない。』
シュウに傘を届けて一緒に帰るために一人で外に出る。
傘が思った以上に重くて、一つしか持てない。
我ながら、不甲斐ない。
『すみません、カッパってどこですか?』
うわぁっ。すごい子供っぽい声。
悲しくなってくる。
『子供用でいいのかな?』
子供扱いですか…。
いいんですよ。子供用って、付け加えなかったあたしも悪い。
でも、小学生に言う台詞じゃない。
見た目年齢いくつに見えてます?
聞きたい、けど、むなしくなりそうだから、聞かない。
『うーん。幼稚園生?』
というか、引っ越し先の山の神様と仲良くなっちゃう、5月の月の異名を持った姉妹の妹の方じゃん。
明らか、そうじゃん。
猫のバスとか乗っていそうだよ。
『シュウまだかな?』
恋人を待つ女性の台詞…なのに。
舌っ足らずでムードなんて、まるでない。
哀しいかな、小学校低学年(見た目年齢)。
『お嬢ちゃん、一人かな?』
酔っ払ったおじさんが声をかけてくる。
こんな時間からいい大人が出来上がって子供に声を掛けるとは、いかがなものでしょうか?
本音9割、ほか1割。
『いいえ、人を待っていますので。』
ませた子供っぽく言ってみた。
一回やってみたかったんだ。これ。
『いけないなぁ。
こんなところに子供が一人でいちゃ。』
えーと、人の話を聞いていらっしゃるのでしょうか?
あたし、人を待ってるって、言いましたよね?
多分。
『あんたなんかに付いてかない。』
たたんっ。
小気味良い靴音を響かせ、走り出す。
『はぁっ。』
一息ついたのは、いつも、シュウと散歩する、水面の夕日がきれいな川縁。
『あの日も、こんなだったな。』
シュウを知った日を思い出す。
あの日、もこんな風に雨の降る日だった。
『うーっ、やっぱり寒いよぅ。
尚一さん、早く帰ってこないかな?』
家の前で待つのが恥ずかしいから、ここに来たのに…。急な雨って、ついてない。
『どうしたんだ?
こんなとこで。ずぶ濡れだ。
その制服西高のだろう?』
突然、不意に声をかけられる。
振り返れば、歳がタメぐらいの男が立っていた。
男は心配そうな顔をして、美里を覗きこんでいる。
『し…、兄を、兄が帰るの待ってるんです。
朝、鍵を持つの忘れたから。
兄、大学生で、連絡したらいつもの場所でって。』
危うく、尚一さんなんて呼びそうになった。
家では、お兄様だし。
他人として線を引けない。だって、川瀬の祖父母と尚一さんはあの頃のあたしの命の恩人だから。
『そっか。じゃあ、お兄さん来るまで傘に入れてあげる。
その代わり、西高の事教えて。』
周也と名乗る彼は西高の転入生だという。
来週から転入で、引っ越して間もない彼はこの時間散歩しているらしい。
この時間だと、学校帰りの西高生と友達になれるかもしれないから。
屈託なく笑う彼をうらやましいと思ってしまう。
きっと、彼だから、笑える。
あたしは子供のとき感情を忘れ、心を持たないまま育った人形。
大人になっても、同じ顔しかできない――――。




