Farewell
ドア越しに聞こえたひそひそ声に、勢いよくドアを開け放つ。
「こらっ、お前ら。消灯時間は過ぎただろうが!」
「うわ、やべ」
薄暗い部屋のそこここで、布団へと飛び込むようもぐる人影。
それらを目で追いながら、一つ二つ、と数えて。
全員が布団に入ったことを確認してから、手にした名簿にチェックをつける。
この部屋は……六人部屋、と。
「しっかり寝とかないと、明日、怪我するぞ」
「はぁーい」
おやすみなさーい、という野太い声の合唱を背に、ドアを閉める。
勤め先の中学校で毎年、二年生を対象に行われている四泊五日の信州でのスキー教室の初日。
僕は、消灯後の見回りを終えて、自室へと引き返す。
「原口先生、お疲れ様」
同室の数学の吉永先生の労いに、軽く会釈で応えて。
入浴の前にと、端末の着信を軽くチェックすると、父さんの仕事仲間からの着信があった。
吉永先生の前でかけ直すのも抵抗があるけど。
廊下でかけていて、生徒に見られるのも、まずいよな。
どうしたものかと、端末を手に思案している僕の背後から
「俺、風呂行ってくるわ」
と、吉永先生の声がする。
あ、”留守番”という、一人で部屋に残る大義ができた。
タオルを肩に引っ掛けるようにして部屋を出ていく同僚を見送って、履歴からかけ直す。
ツーコールくらいで、通話がつながって。
[こんばんは。遅くにすみません、暁です]
[ああ。こっちこそ、すまない]
ハスキーな低音が、耳元でささやく。
その特徴ある声に、ふっと、息を吸い込んで。
[なにか、ありましたか?]
と尋ねた僕に、電話の相手は、言葉を選ぶようにした後で
[SAKUと連絡が取れない]
と、言った。
”SAKU”は、父さんの仕事上の名前、だ。
父さんは、大学卒業と当時にデビューした”織音籠”というバンドで、かれこれ五十年以上、ベースを弾いてきた。電話の相手はボーカルのJINさんで、父さんとは中学以来の友人、らしい。
その人からの『連絡が取れない』の、一言に、体中の血がこめかみに集まった気がした。
[暁、明日、仕事の後にでも、実家を覗きに行けるか?]
と尋ねられて。
[ごめん、今、信州で……]
[信州!?]
[嫁さんも今、身重でさ]
ちょっと、長い時間の移動は……と言った僕の言葉に、低いうなり声が返事として返ってくる。
[千晴ちゃんも、四国だっていうし……]
[そうなの?]
[お前にかけた後で、あっちにもかけてみたら、学会だとか]
看護師をしている下の妹は、結婚しないまま仕事に没頭している。学会とか勉強会とかの職員教育に力を入れている病院だとは、就職してすぐに聞いていたけど。
タイミングの悪い。
上の妹、明海はそもそも関西に住んでいるし。
[合鍵、使わせてもらってもいいか?]
[頼んでも、いいですか?]
[一番近いのが、俺だろ?]
心配するな、と言ってくれるその声に、電話のこちら側で頭を下げる。
[よろしくお願いします]
と。
僕自身も入浴を済ませて、他の先生と明日の打ち合わせを軽くして。
夜中の見回りに出た吉永先生の帰室を待ちながら、右手の親指の爪を噛む。
『爪、噛んじゃダメよ。おてて、痛い痛いになるからね』
部屋のどこかから、母さんの声が聞こえた気がした。
母さん。
父さんを……。
翌日、午前中のカリキュラムを終えて宿舎に戻ると、フロントで電話があったことを伝えられた。
「今田さま、とおっしゃる方からで、『お父様が亡くなられた』と」
沈痛な面持ちでそう伝えるフロントスタッフの男性から、メモを受け取る。
JINさん、行ってくれたのに。間に合わなかったのか。
端を握ったメモ用紙に、皺が寄る。
昨晩噛んだ、爪の鈍い痛みが現実だと告げていた。
そのまま学校に電話を入れて。留守番の教頭先生と相談して。
代わりの先生の到着を待って、翌日の昼前、僕は電車に乗った。
電車に揺られながら、眺めるともなく窓の外を眺めて。
半年前にこの世を去った、母さんのことを思う。
医療技術の進歩で、僕が生まれた頃には”死病”だった疾患にも、治療法が確立されつつあったけど。
母さんが体の不調に気付いた時にはすでに、取り返しのつかないところまで病は進行していた。
『もって、あと一年』
そう、医師から告げられた時、まだ、僕や父さんは治ると信じていた。
だって、昨日と母さんは何も変わっていなかったから。
明日も、変わらないと思ったから。
そして、兄妹の中で一番、母さんのことを好きだった千晴が、大したことではないような顔で病室を見舞っていたから。
それが千晴にとって精一杯の、努力の表情だとは気付かないまま。
甘えん坊の末っ子が、僕たちには想像もつかない経験を積んで身に着けたスキルだとは気付かないまま。
母さんがある時を境に、急激に弱るまで。
僕は、治ると信じていた。
母さんの葬儀の前、ひっそりと僕を呼び止めたのは父さんのバンド仲間のYUKIさんだった。そのまま、織音籠のメンバー四人に取り囲まれた僕は、YUKIさんから頼むような口調で言われた。
「あんな、暁。SAKUから、目ぇ離したらんとってな」
「はぁ」
「アイツ、知美さんがおらんようになったら、飯食わんようになるかもしれん」
「父さんが?」
「若いころ、いっぺんあってん。消えてしまいそうなほど、壊れかけた事」
痛ましそうな顔で、祭壇の前に座る父さんを眺めたYUKIさん。
その横で、RYOさんが
「できたら、でいいけどよ。SAKUの家の合鍵、預からせてもらえないか?」
と、言いだした。
「合鍵、ですか」
「暁と明海ちゃんは、家が遠いし。千晴ちゃんは、仕事が不規則だろ?」
そう言ったのは、奥さんが長年、看護師をしてきたMASAさん。
YUKIさんのまねをして、父さんの姿を見つめる。
僕以上に背の高い長身を屈めて。
右の握りこぶしを口元に当てて。
ずっと嗚咽を堪えるようにしている父さん。
確かに、いつ、ふっと煙のように消えてもおかしくない。
そんな予感に、身を震わせる。
妹たちと相談して。
「じゃぁ、私が一番遠いから。私のカギを使って」
と、明海が言って、黒いバッグからキーホルダーを取り出す。
外された鍵を、一番近くに住んでいるJINさんに預けて。僕たち兄妹と連絡先を交換した。
「勝手に入ることは、しないから」
そう言ったJINさんに頭を下げながら。
生活の拠点が、親と離れた事を初めて後悔した。
それから、事あるごとに実家に顔を出すようにした。
「なんだ、また来たのかよ」
そんなことを言いながらも、いつものようにお茶を淹れてくれる父さん。
母さんの好物だったお菓子を持って行った日には、母さんとの思い出を語り。
連れて行った二歳の娘のたどたどしいおしゃべりを、目を細めるようにして聞いて。
毎年恒例にしている織音籠のクリスマスコンサートには、ステージに立てるまで元気になった、父さん。
年明けには、明海の住む街でコンサートも開いて。
その翌日、明海の一家とご飯も食べたと、聞いていたのに。
まだ
母さんを失くした哀しみは
癒えてなかったのだろうか。
目の前から消えてしまったような父さんの、『暁』と僕を呼ぶ時の声を思い出して。
雪景色が、ぼやける。
父さんの死因は、心臓病、だったらしい。
JINさんが家を訪ねた時、合鍵でドアは開けられたものの、ドアチェーンが掛かっていて。救急隊に来てもらったという。
そして、家の中では。
仏壇の置いてある居間に延べた布団の中で、父さんが冷たくなっていた。
コンセントの入っていない電気毛布を抱きしめるようにして。
「多分、寝ている間に発作を起こして……苦しんだのは一瞬だったんじゃないか、って。”診察”をした先生が」
すぐには身動きが取れなかった僕たち家族の代わりに、もろもろの手続きをしてくれたJINさんが、そう教えてくれた。
何度もうなずきながら、父さんが最期に触れていたという毛布を撫でる。
これは、母さんの毛布だ。
寒がりの母さんは、冬になると『足が冷えて、眠れない』と言って、電気毛布を愛用していた。
毛布に残る母さんの香りに包まれて逝った父さんの死に顔は、眠っているように安らかだった。
葬儀を終えて、納骨を済ませて。
住む人のいなくなった家の片づけを少しずつ行う。
昔、父方のお祖母さんが亡くなった時。父さんがお位牌を引き取って、仏壇をしつらえたように、僕の家へと仏壇とお位牌を引き取る。
水とご飯を供えること、お花を絶やさないこと。
そんな毎日の”お勤め”は、兄妹で唯一、仏壇と暮らしたことのある千晴が手ほどきしてくれた。
それに倣って、仏壇との生活が始まる。
そして。
父さんの部屋から大量に出てきた、”詩”の処分に頭を悩ませる。
織音籠の作詞の一部を父さんが担当していたとはいえ。
これ以上”作詞 SAKU”で、曲は作られないだろうし。
そもそも、この先、織音籠はどうなるのだろう。
悩んでも仕方ないし、捨てるのはいつでもできると、とりあえずJINさんに”詩”の存在を伝えて。
他の物。例えば、食器とか、本とかの処分を先にする。
RYOさんから『詩を譲ってほしい』と連絡がある頃には、僕は、その存在を忘れかけていた。
[僕たちが持っていても仕方ないですし、いいですけど……]
[仕方なくは、ねぇだろうけどよ。俺たちも、アイツを偲ぶ縁っつうか、な?]
そう、電話越しに言ったRYOさんに二つ返事で、父さんの”遺作”を引き渡す。
そして翌年の春先。
一枚のCDが、僕の手元に送られてきた。
ジャケットには、晩年の父さんが愛用していたベース。
そして、織音籠としては異色の、全収録曲が”作詞 SAKU”のアルバムCD。
PLAYボタンを押さえると、ハスキーなJINさんの歌声が流れだす。
その声のバックに流れるベースは、もう父さんの音じゃないと思うと、涙で歌詞カードが読めなくなる。
鼻水をすすりながら、ページをめくる。
ラストページに書かれたクレジットは
BASS:SAKU、と。
どうして?
疑問に思いながら、一緒に届いた便箋を開く。
中学生でも書かないような悪筆で書かれた手紙には、RYOさんに渡した詩に何も手を入れずに曲を作ったこと、データとして残っていた父さんの”音”を使って演奏していること、が書かれていた。
理屈、とか、原理、とかは、門外漢の僕には理解できないけど。
これが、父さんの”遺作”。
*****
原口 朔矢 享年七十六歳。
彼の七十八回目の誕生日を数日後に控えた桜の季節。
一枚のCDを発表して、織音籠は五十五年にわたる活動に終止符を打つ。
ラストアルバムは、
”Farewell”。 ごきげんよう。
END.