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果たして待つ身は長いというが、ただ人形のごとく座して待つのは本当に長かった。祝言からいまだ二日しか経ってないないなど『ふざけろ!』と言いたくなる。

けれど、ここの牢番は恐ろしいほど老獪、囚人を見逃すことなどけしてない。

それでも幾度か牢番の隙を見て、術により封じ込められている身体を指の先でもと動かそうとするのだが、その都度、尋常でない頭痛に襲われる。

けれど、けして諦めるものか。

諦めたらここで終わりではないか。

桔乃は今にも意識が飛びそうになるほどのひどい頭痛と戦いながら必死で身体を動かそうと試み続けた。


そんな桔乃の耳に聞こえてきたのは建てつけの悪い戸がきしみながら開く音。

続いて慌てて階段を駆け上がってくるドタドタと言う足音がする。

十中八九一太郎だろうが、何をそんなに焦っているというのか?

とはいえ、奴の不幸は桔乃の幸運に違いない。

桔乃は心の中でにんまりとした。


「おい、ここを引き払うぞ!」


階段上の襖を乱暴に開け放ち、一太郎が叫んだ。

それでも桔乃が座ったままなのを見てとると、眉間に幾筋も皺を寄せ、「さっさと支度しろ!」と怒鳴りつけてくる。

けれど、すぐに桔乃が動けないのを思い出したのだろう、ちっと舌打ちをする。


「術を解くとお前はすぐに逃げ出すだろうしな。

 かといって、俺に抱かれると怖気がたつってんだからほとほと厄介な女だぜ」


(なら置いていけよ。

 誰も連れて行ってくれなんて頼んでないだろが!)


 桔乃はそう目で訴えた。

 すると、一太郎がふんと大きく鼻を鳴らす。


「お前の言いたいことはわかるぜ。

 でもな、どんなことをしてもお前だけは連れていく。

 だが、その前に……」


 一太郎は意味深長に笑うと、桔乃の肩をトンと押して畳の上に押し倒した。

そして、発情した熊のように息荒くのしかかってくる。

桔乃の身体が恐ろしいほどの密着にわなわなと震えだし、見開かれた双眸が恐怖に染まっていった。


「その前にお前を俺のものにする。

 そうじゃねえと安心して連れていけないんでな!」


そう言い終えた途端、ただただ性急に事を運ぶ一太郎。

右手がささやかな胸のあたりを彷徨いだせば、左手ははや着物の裾を捲っているといった具合に。

 


(痛いっ……!)


 着物の上から少しの容赦もなくわし掴まれる乳房。まるで初めて交合をする少年のように。だが、その粗野な手からは労わりも甘さもまったく感じられない。

いかなる顔で自分を犯そうとてか。その欲に塗れた顔を見てやりたいのに。

幾度、犯されようとお前のものになどならないと罵ってやりたいのに。

 その度、炎のごとき熱い手が胸乳を探り、不快な舌が首筋を這いまわる。

どれほど焦っているというのか、黄檗(きはだ)色の小袖が力任せにびりっと引き裂かれる。

 まるで声を出せない桔乃の悲鳴のよう……。

 まろびでた双乳が男の手によって面白いほど形を変え、痛みで潤んだ双眸が限界まで見開かれる。

 いやだ、こんなことは。

 わたしは……わたしは……。


「佐久夜ぁああああっ…………!」


パリン ―――――― ッ!

刹那、脳裏に陶磁器の割れる音。

桔乃は乳房を弄んでいた男の右手を捻りあげると、両足を振り上げ、男の膝を思いっきり蹴り飛ばした。

一太郎の身体が違い棚の端に転がって止まる。

不意を突かれたのに、それでもきれいに受け身を取った男は立ち上がり、薄い口唇を歪めてにんまり笑った。


「やっぱり長く持たなかったみたいだな」

「そのようだな」


 桔乃の手にはすでに一太郎の脇差が握られている。

 それを何のためらいもなく鞘から抜き放ち、男の喉元に突き付ける。


「お前のは道場剣術だ。

人なんか殺せねえだろう?」

「ああ、人はな。

 だが、お前は人じゃない。殺すのに何の躊躇いもいらないさ」

 

 桔乃は自分を馬鹿にした男の肌に怒りを刻みこむように両手に持ち替えた獲物で喉元を浅く切り裂いていく。

 一太郎の足元にぴしゃりと血が飛び散った。

 その畳に零れ落ちた血は人と同じ緋色。

だというのに少しも躊躇いがない。

 それどころか、ふふと楽しそうに笑んでいる。

 一太郎は娶ったばかりの妻が少しの逡巡なく己を切り捨てられることに金槌で地面へ打ち込まれるような深い寂寥を感じた。


「そこまで俺が嫌いかよ?」

「なんだ? わたしに好かれたかったのか?

お前は自分を厭う女を嫁にするのが大好きな変態だろうが!」

 

 凪いだ水面のように何の表情も浮かべず桔乃が吐き捨てる。


「そこまで変態じゃねえよ。

共に暮らせばいつか添ってくれるのじゃねえかって思っていたさ」

「ははっ、お前は馬鹿みたいに甘いな。

 その上、嫁に取った女のことを露ほども知らないとはな。

 わたしはな、お前のようにちょっと様子がいいからって『強引に押せば女なんかいくらでも手に入る』と考えてる傲慢男が大嫌いなんだよ! よっく覚えておけ!」


 胸のすくような啖呵だった。

 それに襖の向こうからパチパチと拍手が送られる。


「さすがわたくしの桔乃ちゃん。

 めちゃくちゃ素敵ですわ!」


 えっ?その声は美代ちゃん?

けれど、襖を開けて入って来たのは従姉ばかりではなかった。

 お園、そして……狐の面を被った胡散臭い男。

何で狐の面?

桔乃はにわかに頭を抱えたくなった。

この男はそんなもので己の正体を隠せると思っているのだろうか?

もしどうしても隠したいというなら、二人の後ろに隠れ、ちらちら自分を盗み見るのはやめたらどうだろう?

 けれどこの男には真っ先に言ってやりたいことがあった。

  

「遅い! 遅すぎるぞ、佐久夜殿!」

「なんでわたしだとわかっちゃうんですか!?」

「そりゃあ、木花佐久夜姫はわたしの女神だからだろう?」


 とにんまり笑って見せる桔乃。

 

「それではわたしの瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。ともに高天原に戻りましょうか。

 ですが、その前にこの妖怪をちゃちゃっと退治しませんとね」


 そううれしそうに戯れ言を言って佐久夜はするりと面紐を解いた。

 その白皙の(おもて)は少し青白いが、変わらず息をのむほど美しい。

「ああ。だが、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は持っていないぞ」


桔乃は脇差をぶんぶん振りまわしながらそう答え、けれども一太郎からけして視線を外さない。切っ先は隙あらば一突きにせんと喉元を狙い続けている。


「桔乃、何だその男は?」


 しばし蚊帳の外に置かれた一太郎が吼え立ててくる。


「まったく鈍い妖怪ですね。

 木花佐久夜姫の夫は天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)です。(*1)

いいですか、 桔乃殿はわたしをわたしの女神と呼んだ。

それはわたしを夫と認めたも同然なのですよ!」


憮然と返事をしたのは佐久夜だった。

その白皙の面に浮かぶのは憎悪と悋気を遥かに超える冷たい視線。

それをさすが妖怪王と言うべきか一太郎は真っ向から受け止める。


「世迷言をいうんじゃねえ!

 桔乃は一昨日祝言を上げた俺の女だ!」


 一太郎が頭から火を噴かんばかりにがなり立てる。

けれど、一太郎の言い分は佐久夜の後からひょいと顔を出した美代によって全否定される。 


「いい加減になさって。

あなたがなんとおっしゃったところで妖怪を庭橋家の婿に迎えたり致しませんわ!」

「だが、もう祝言はあげちまったんだぜ。

 桔乃は間違いなく俺のもんだ!」

「だから無効だって言ってますの。

 実父も後見人も認めない祝言に何の意味がありますかしら。

まったくこれだから妖怪は……」

「馬鹿をいうな!

 桔乃の後見人は大家だし、父親なんぞとうに死んでるじゃねえか!」


 美代はなおも吼え立ててくる一太郎にわざとらしくため息をついてから、隣の佐久夜にすいと手を差し出した。

そして、阿吽の呼吸で渡された書状を一太郎の目前にパラパラと広げてみせる。


「これは亮衛叔父様が、桔乃ちゃんのお父様が書いた遺言状ですわ。

 ほら、ここに書いてあるでしょ! あなたを絶対に庭橋家の婿と認めないって。

 それから桔乃ちゃんの後見人はずーっとうちの父ですの。ご免遊ばせ」


「ほほほ」とどこぞの悪役のように声を立てて美代が笑った。

まさに絶好調である。

 

「ああ、そうかい。よっくわかったよ。問答は無用だってことがな。

 こうなったら俺の実力で桔乃を連れ帰ってやるぜ!」


 その刹那、一太郎の遊び人然とした風貌がそぎ落とされた。

両手を大きく胸の前で広げ、「ふん!」と気合一閃。

一太郎の身体は縦に横に大きく膨らみ始める。

緋色の傾き者めいた小袖は主の膨張に耐えきれずびりびりと裂け、粋と持て囃された本田髷は今や蓬髪の中に隠れてしまった。いいや、隠れてしまったというより、全身毛むくじゃらなためどこらへんが頭髪なのかわからない。

一太郎はいまや、本所深川一の色男の面影などかけらもない、六尺近い大猿に変じていた。 

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