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小屋の住人となって四日。左足の痛みもだいぶ和らいだ。

 しかも、持参した食料もそろそろ底をつき始めている。いい加減、武州川越へ出発しなくてはと思う。思うのだが、なぜか躊躇っていた。一人の生活がことのほか楽だったせいで。

 いいや、この生活で今まで自分がいかに気を張って生きてきたのか気付いたと言った方が正しい。

 そんなことを考えつつ、ごろごろと野原に寝転がっていた桔乃の上に突然の雨。

 ずいぶん風が強くなってきたなとは思っていたのだが、どうやら嵐到来の様子。桔乃はどしゃぶりに背中を押されるように小屋へ走った。


「やれやれ……」


 すっかりびしょぬれだ。

濡れそぼった小袖を手ぬぐいで大雑把に拭くと、囲炉裏の残り火をかき立て、薪を数本放り込んでおく。


「まるで野分(のわき)だな」 


風が轟々と唸りを上げ、ざわざわと周囲の森を揺らしている。

夕方近くから降り始めた豪雨も少しも衰える様子がない。たぶん明朝までこんな調子なのだろう。

桔乃は早めに夕食を済ませると、自家製のヨモギ茶をちびちびと飲みながら採取した薬草の仕分けを始めた。

夜半、嵐は一層激しさを増し、大粒の雨を含んだ突風が板戸を間断なく叩いた。

それ故、初めは風だと思った。

けれど、どんどんと規則的に叩く音が人によるものと気付いた時、強い口調で誰何していた。


「誰だ!?」


 人物を確かめずに家へ招き入れるのは一太郎の時で懲りている。

 桔乃は耳を澄まし、訪問者の返事を待ったのだが、しばらく待っても返事は返らない。

やはり風の仕業だったのか。

そう結論づけ、再び作業に戻ろうとした桔乃の耳に聞こえてきたのは大きなものが板戸に倒れこむ音だった。


「おい、誰かいるのか?」

「はい……一夜の宿を……」


 その声に慌ててつっかい棒を外し、板戸を開いた途端、人が倒れこんで来た。

 体形からいっておそらく男。

 全身ぐしょぬれの訪問者は土間に倒れこみ、ぴくりとも動かなくなった。


「おい、しっかりしろ!」


 男の菅笠を外してやり、頬をぺちぺちと叩いても意識は戻らない。それどころか触れた頬が恐ろしいほど熱かった。


「これは……!」


 もしかしたら肺炎か!?

 桔乃は蓑笠を引き千切るように脱がせると、男の背中側から脇に両手を差し込んで、土間をずりずりと引きずっていく。

 ようやく男の身体を温かな囲炉裏前に横たえた時には桔乃の方が疲労困憊のあまり倒れそうなほどだった。

だが休んでいる暇はない。容体は一刻を争う。

 男の衣服を下帯に至るまではぎ取ってから、びしょぬれの髪と身体を丁寧に拭い、自分の小袖を着せかけてやる。

 途端、ぶるぶると震えだす男。


竹瀝(ちくれき)(竹の油)でも飲ませてみるか」


 桔乃は解熱効果のある竹瀝と酒を椀に入れ、飲ませようとしたのだが、どうしても口元から零れていってしまう。仕方なく口移しで飲ませてやったものの、それでも男の震えは治まらない。桔乃は男の隣にもぐりこみ、熱の高い身体をぎゅっと抱きこんでやった。

 

「こりゃまたずいぶんといい男だな」


しかもずいぶんと若い。

ここまで運ぶのにたいそう苦労したから随分上背のある男だと思ってはいたが、この美貌には少しも気付かなかった。熱を帯びて真っ赤な顔と目の下の隈が大きな減点となっていても男は桔乃の父と対を張るほど美しい。

けれど女人のごとき繊細さを持っていた父に対し、この男は少しも女性的なところがない。息苦しさから顰められた眉も、すっきりと通った鼻筋も、少し浅黒い肌も、彼が備えているのはすべからく男性の美。

桔乃は額の手ぬぐいを替えてやりながら男に見入っていたが、どんな優れた美貌であっても眠さには勝てないもの。とうとううつらうつらしてしまった。

再び目を覚ましたのは日が差し込み始めた早朝。

 あわてて男の額に触れるといまだ熱は高いが、どうやら肺炎にはならず済んだらしい。昨夜よりずっと緩やかに呼吸をしている。

 ああ、よかった。

昨日はどうなる事かと思ったが、男は元来丈夫なたちらしい。

それにしてもひどい寝汗だ。

乾いた着物に着替えさせてやりたいところだが、もう着物の持ち合わせがない。取りあえず水を飲ませて身体を拭いてやることにする。

けれど意識のない人間に水を飲ませるのは存外難しく、またもや口移しで水を飲ませる羽目になった。

まったくこの美貌でなかったら口移しするくらい何の躊躇いもないものを。男の度を過ぎた美貌が腹立たしい。


おそるおそる小屋の入口を開ければ台風一過の空。

まぶしい陽光に眩んだ目をパチパチさせれば、どこまで澄んだ青空には一つの雲もない。

湧水が流れる小川では先住の小鳥が二羽、浅瀬でばちゃばちゃ水浴びをしていた。けれど人の足音に驚き、空へ舞い上がってしまった。

桔乃は貸し切りになった小川でもくもくと洗濯を始める。


「問題はこいつらだよなぁ~」


 幾度も転んだらしい男の着物は元の色がわからないほどに泥まみれ。

小川の中で泥が落ちるまで振り洗いしてから、囲炉裏の灰を入れた水でごしごしと洗う。


「こんなもんか」


 ようやく元の色を取り戻した着物たちをぎゅっと絞り、木の間にかけた紐にぱんぱんと叩きながら干していく。


「あれっ、この着物は?」


 ふと手を止める。

あまりの汚さに形など気にとめてなかったが、これは神職の装束ではないだろうか。

 ならば、あの若い男はどこぞの神社の神主か、その見習いなのか。

 もし神職だとするなら、あの嵐の中でも旅を続けた理由は一体何だったのだろう?

けれど、どんな仔細があっても自分にしてやれるのは医者としての務めだけ。すでに過ぎるほど厄介事を抱えているのだから。

桔乃はひょっこり顔を出したおせっかいな気持ちを振り払うようにぶんぶんと頭を振った。

 

「それより食料だ!」


 食料の残りは干し柿がふたつ。

男の道中籠に二日分ほどあったとはいえ、彼が再び歩けるようになるまで一週間はかかるだろう。

仕方ない、明日は食料を求めに人里に下りよう。少し、いいや、だいぶ自分の方向音痴が心配ではあるけれど。


「んじゃ今日は近場で何か探すか」


そう決めて野原をうろつきまわったが、雑草がおい茂る初夏のこと。食べられる野草や野苺を見つけられたのはかなり時間が経ってからだった。

桔乃は慌てて小屋へ駆け戻り、男の容体をつぶさに診た。

額に手を当てれば、いまだ熱は高いものの、息苦しさはだいぶ取れて来ている。

けれど相変わらず寝汗がひどい。

桔乃は丁寧に汗を拭い、着替えさせてやってから、竹筒でゆっくり水を飲ませていった。すると、余程喉が渇いていたのか、男は喉を鳴らして水を飲んだ。


「すまない。もっと早く帰るべきだったな」


 本当に悪いことをしてしまった。

 これだけ熱を出しているのだ、ひどく喉が渇くことはわかっていたのに。

桔乃は罪滅ぼしにと採って来たばかりの野苺を水で洗い、男の口に放り込んでやった。

すると、熱のある身体に熟した野苺はおいしかったのだろう、男はうれしそうに頬を緩めた。

 なんと可愛いのだろう。

自分より三つか四つ年上だろうに、果物を喜ぶ男の様子はまるで子供のよう。胸の奥がほんのり温かくなる。

桔乃は興に乗り、雛に餌を与える親鳥のごとく男の口元にせっせと野苺を運んでやった。

三十個ほども食べてようやく満足したらしい男の顔をじいっと見つめる。そうして穴があくほど見つめて桔乃は考えていた。

もし、彼が目を開けたらどんな顔で自分を見るのだろう?

もし、この野苺のように赤い口唇が開いたらどんな声を紡ぐのだろう?と。

桔乃はなぜか焦がれるほど知りたくなっていた。その気持ちがどんな想いから来るのか知らないまま ―――――― 。



*****



「ん……?」


 強い視線を感じて目を開けると、ごく近くで自分を見つめる双眸。

 きつく目蓋を閉じていた時分にはあれほど冷たい印象だったのに目を覚ました今、そんな印象などどこにもない。どこか途方に暮れた顔は子供っぽくすらある。


「おはよう。

起きていたのか、身体の具合はどうだ?」


 言いしな、汗ばんだ額に手を当てるといまだ熱は高かった。


「窓の方を向いて口を大きく開けてみろ!」


 青年はわずかに首を傾げたものの生来素直を性質なのか、あーんと大きく口を開ける。

 木さじで舌を下げさせると扁桃腺がひどく腫れている。やはり風邪だったらしい。


「風邪だな。

まだ熱が高いから三、四日は大人しくここで養生するように」


 そう診立てた桔乃に何か言いたげに口をパクパクと動かす男。どうやら先ほどからうんともすんとも言わないのは喉が乾き切っているせいらしい。

 

「気が付かなくて済まなかったな」


 どうも自分は医者のくせに今ひとつ気遣いが足りない。

そう反省しつつ水の入った椀を手渡してやると、渡したそばからあっという間に飲み干してしまう。もう一杯も渡すと同時に飲み干して男は桔乃にぺこりと頭を下げた。


「助けてくれてありがとうございました」


 男の口唇から出たのは思い描いていたよりずっと低い声。

まだ掠れていたから余計にそう思うのかもしれない。けれどこの声はお腹の奥にずんと響く心地がする。


「医者として当然のことだ。

 それよりずいぶんと汗をかいているな。すぐに身体を拭いて着替えをしよう」


 そう言うと桔乃はさっさと男の着物を脱がせようとしたのだが、思いがけない抵抗にあった。男が脱がされまいと必死で自分の襟を押さえていた。


「自分で出来ますから!」

「あなたは患者でわたしは医者だ。気にすることはない」

「でも……。

 あなたは女人ではありませんか?」


 ぽつりと言った男の言葉に帯を掴んだ桔乃の手が止まった。


「なぜわかった?」


 自分の男装は美代の折り紙つき。彼女は裸にならない限り男とばれることはないと請け負った。それなのになぜこの男にはわかったのだろう?


「えっとその……。

昨日の朝、あなたが着替えているところを見てしまって」

  

わずかに口籠った男は次の瞬間、口を押さえ耳の先まで真っ赤になる。

 桔乃はそんな男の様子をめずらしいものを見るような目で見てから、それはばれて当たり前だなと思った。


「ろくでもないものを見せてしまって申し訳ない」

「へっ……?」

 

 ぺこりと頭を下げ、心から申し訳ないといった様子の桔乃に男は瞠目した。

 裸を見られて怒りもせず、ろくでもないものを見せたと謝る女人がこの世にいると思わなかったせいで。だから出たのはいつもの彼では考えられないほど素直な言葉。


「そこは怒るべきところです!

 それに……あなたはとても綺麗でした」


 そう言うなりそっぽを向いてしまった彼の耳が異様に赤い。

 その再びの態度に本当にこの男は年上なのかと笑いがこみ上げてくる。でも、さすがにここで笑っては怒るだろうと桔乃は懸命に笑いを堪えた。

堪えたのだが、ついに堪え切れずにぷっと吹き出してしまった。

 途端、男の肩がピクリと上がる。

 ああ、これは怒らせてしまったかもしれない。


「すまない。

 生まれてこの方、面と向かって綺麗だと言われたことがなくてな。

 だからつい……」

 

 桔乃がそう謝ると、男は仕方なく桔乃の方を向き、それでもまだ腹立ちが収まらないのか、返した言葉は恐ろしいほど早口だった。


「いいですよ!

もう怒ってなどいませんから」

「そうか、よかった……」


そう言って満面の笑顔を見せる桔乃。

そんな曇りのない笑顔を見せられて青年は桔乃の育ってきた環境を考えないではいられなかった。

 彼女は医者だという。ならば普通の女人よりたくさんの人と関わって来ただろう。それなのになぜ自分の美貌に気付かないのだろう?

その上、いくら医者だとはいえ、異性への恥らいがかけらもないとは。

けれど、生き馬の目を抜くような世界で生きて来た男にはその裏表のなさがかえって心地よかった。例え、彼女が隙あらば自分の着物をひんむこうとしていてもだ。


「わたしは江戸の生まれで、庭橋桔乃という。

 あなたの名前を教えてくれないか?」

「名字は訳あって言えませんが、名は佐久夜と言います」


 そう言いながら佐久夜は空中に「佐久夜」と己の名を綴っていく。

 それを見た桔乃が急に顔を輝かせる。


「ああ、木花佐久夜姫(このはなのさくやひめ)の佐久夜か。

 あなたに相応しい美しい名前だな!」


 桔乃が佐久夜の名を寿いだ。

今まで女のような名だとからかわれてずいぶん嫌な思いをしたのに桔乃が名を嘉した途端、素晴らしい名前のような気がしてくるから不思議だ。


「女のようだと思わないのですか?」


 思わず聞いた佐久夜に桔乃の答えはにべもない。


「なぜだ? 素晴らしいものに男女は関係あるまい」


 次に吹き出すのは佐久夜の番だった。

 ぷっと盛大に吹き出すと桔乃は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。


「なぜ笑う?

木花佐久夜姫は美しさと苛烈さを併せ持つ見事な女神ではないか!

 わたしは彼女を大御祖(おおみおや)として尊崇している。だからここに来る前、下練馬宿の浅間神社に詣でてきたのだ!」


「そのおかげで迷ったがな」と付け加えた桔乃はどうだと言わんばかり。

 

「迷ったのですか? 一本道の川越街道を?」

「ああ、浅間神社に参った後、近道しようとしたのがどうも仇になったらしい」


 だとしてもここは川越とは反対方向の成増。どこをどう迷ったらここに辿りつくのか。そのせいで自分はとんでもない目にあったではないか。

 けれど、今は桔乃の方向音痴ぶりに頭を痛めるより、佐久夜の着物を引っ剥がそうとする彼女の手を止めるほうがずっと火急の問題だった。



 *****



「恥ずかしがることはない。わたしは医者だ、男の裸なんぞ見慣れている。

 それに佐久夜殿を着替えさせるのはこれで三度目だぞ」


 そう言われてしまっては佐久夜に勝ち目などあるわけもない。

『えっ?』と思っている間にどこにそんな力が?と突っ込みたいほどの馬鹿力で小袖を脱がされてしまった。それなのに自分の身体を拭き清める手は優しく丁寧、その落差に佐久夜は戸惑ってしまう。

 けれど、それを言うなら自分はここに来てから何かが、どこかが、おかしかった。


 佐久夜は女人に裸を見られたとて恥ずかしがるような玉ではない。

自分が稀な美貌の持ち主だとよっく理解しているから、それを仕事や日常生活にうまく利用してきた。

 それ故、気のあるふりで女人を見つめることも、意味ありげに手を握ることも、床を共にすることさえもごく当然のこと。

佐久夜の住む世界で己のすべてを活用しない者は脱落する、すなわち死ぬことになるから。

にも関わらず、桔乃の前では異性を意識する少年のよう。

昨朝、うっすらとした意識の中、藁布団からはい出た桔乃を見、自分を助けたのは元服前の若者と思った。

けれど、その若者が着替え始めた時、白い鎖骨の先にふたつの乳房があるではないか。佐久夜はそれを見た途端、ひどく落ち着かない気持ちになった。

凛々しい若者と思えたのは颯爽とした若い女人で、背筋をぴんと伸ばし、脱いだ着物の片付けなどしている。

彼女はそれを終えると猫のように近寄って来て佐久夜の額に手を置いた。

その時、自分はたぶんどうにかしてしまったのかもしれない。いや、どうにかされてしまったのかもしれない。


『まだ熱が高いな』


 ひどく心配そうな声で彼女は言って、その声は女人としては少し低かったけれど、甘い毒のように佐久夜を侵食する。

 その毒の名を世間では恋と言う。

 一目ぼれで、しかも初恋。

けれど、心よりも先に身体を繋げてしまった、ひん曲がった性格の佐久夜は自分を落ち着かなくさせるものの正体に気付いていない。


そんな佐久夜の葛藤をちらとも知らず、手際よく洗濯を済ませた桔乃は近隣の村に食料調達に出かけていった。佐久夜に粥と大量の木苺を用意して。

 佐久夜は桔乃が出かけた後、一刻ばかりウトウトしていたのだが、あの方向音痴がうまく村に着いたかどうにも心配になってきた。

 紙にも書いてやったし、目印なども細かく説明してやった。だから大丈夫だと何度も己にいい聞かせるのだが、時を追うごとに大きくなる焦燥は佐久夜を追いたてた。

 また迷っているのではないか。

またどこぞから転げ落ちて足を痛めているのではないか。

 そんなこと考えていたら、ふと気付いた時には野原だった。

 佐久夜は小半時あまりの道を夢中で歩き、成増宿近くの村へ辿りついた。

身体は熱でふらふらだったが、村人への挨拶もそこそこに桔乃の姿を探した。

最初に出会った年配の婦人が「目も覚めるような若衆が村へやって来た」と言っていたからもう心配はないと思う。思うのに姿を見ないうちは落ち着かない自分がいて、うろうろと桔乃の姿を求め、ほうぼうを探し回ってしまった。

ようやく井戸前で村長らしき老人と談笑している彼女を見つけた。


「桔乃殿……!」


 彼女が男装しているのもついぞ忘れ、その名を呼んだ。

 振り返った桔乃は佐久夜を認めると、一瞬きょとんとし、その後、「どうして来た!?」と詰め寄って来る。

 理由などと言えるわけがない。「あなたが心配で仕方なかった」と返したらまるで好きだと告白しているようではないか。

 だから、口をへの字に結んだまま黙っていた。

桔乃はそんな佐久夜の態度にあからさまなため息を吐いてから、村長が用意してくれた食料を背負子(しょいご)に背負って村を出た。もちろん村長や村人に丁寧に挨拶をした後でのことだが。

 桔乃のずんずん歩く背中は怒り心頭といった様子。それなのにその歩みはひどくゆっくりで自分を気遣ってくれているのがよくわかる。

 桔乃と佐久夜の二人はお互い黙ったまま、行きとは倍の時間をかけて小屋に戻った。

途端、桔乃が佐久夜の額に手を当てる。


「また熱が上がっているではないか。すぐ寝ろ!」

  

 怒鳴られて仕方なく藁の上に横になったものの、佐久夜は囲炉裏端で自分のための薬を煎じている桔乃をじっと見つめていた。

 その面にすでに怒りはない。

けれど小屋に青臭い妙な香りが漂い始めると、桔乃はにいと笑った。そして出来上がった不気味な深緑の液体をずいと差し出してくる。


「うんと苦くしておいたからな!」


 暗黙の脅迫に負け、ふうふうと煎じ薬を飲むと、それは案の定口が曲がるほど苦かった。

 盛大に眉を顰めた佐久夜に「ざまあみろ!」と桔乃は笑ったが、なぜ佐久夜が村まで追いかけてきたのか訊いてこなかった。桔乃なら「わたしの方向音痴を馬鹿にしたのか?」と言ってきそうなものなのに。

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