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紫羅義  作者: 海道 睦月
99/125

その99

「あ、いや、よいのです、仕方ないことですから。あなたが史蘭さんですね、村長の家で名前と、だいたいのことは聞きました」

 羽皇雅はいきなり人格が変わったような口調になった。

「見た目は女ですが中身は男です。しかし、紫羅義という立派な許嫁がいるので、手出し無用です」

 初対面の者がいては史蘭も手を出さないと考えたのか、羽玖蓮は大いに吹いた。

「それは残念だ。残念と言えば、家が燃えたのは仕方ないとしても、親父が彫った仏も燃えてしまったのが痛い。墓に一緒に入れてくれとの遺言で、それを取りにきたのだが」

 羽皇雅はため息をつきながら首を横にふった。

「これのことかな?」

 羽玖蓮は馬に下げた袋から一体を取り出した。

「おお! それが親父の彫った仏なのか?」

 羽皇雅が驚くと、羽玖蓮は残る二体も取り出した。

「ほの暗い中で夜襲を受け、この三体を持ち出すのがやっとだった」

 羽玖蓮は馬を止め、仏を羽皇雅に手渡した。

「いや、ありがたい、三体あれば、あの世の親父も許してくれるだろう」

 羽皇雅は自分の馬に下げてある袋に三体の仏をしまった。

 その姿を見ていた羽玖蓮がいきなり声をあげた。

「思い出した! 羽皇雅という名。うちの親父が朱浬の都を目指していたとき、羽容淑(はようしゅく)という身重の女人が難儀をしていて助けたと。もし男の子が生まれたら、うちの親父のような人間になってほしいと願い、親父は名付け親になってほしいと頼まれたらしい。うちの親父は羽皇雅という名前を送って彼女と別れたと。そんな話を子どもの頃に聞いた。もし男の子が生まれていれば、お前の兄貴分がどこかにいるかもしれないぞと言っていた。」

 羽玖蓮の言葉に羽皇雅は驚いた様子だった。

「羽容淑とは母の名だ。俺も母から聞かされた、羽宮亜という人物に助けられなかったら、お前は生まれてはいなかったと。なんという巡り会わせだ、恩人の子息に出会えるとは。あの家が燃え落ちていなければ、ここに来ることも会うこともなかったのか」

 羽玖蓮と羽皇雅は不思議な巡りあわせにしばし言葉を失った。

 紫羅義と緋備輝だけでなく、ここにも天意により巡り合った者同士がいた。

 道々、紫羅義が皇帝の兄であること、羽玖蓮と神澪は重臣の子息、史蘭は天下にその名が響いた史瑛夏将軍の娘と聞いて羽皇雅は驚き、そんな中で三人は村に到着した。

 神澪も戻り、六人は改めてここに兄弟の契りを交わした。

「我らは上も下も立場の違いもない。五分の兄弟だ」

 紫羅義の言葉に五人は力強く頷いた。

「ところで、さっき敵兵を倒した技だがあれはいったい何だ、何を飛ばしたんだ?」

 羽玖蓮が羽皇雅に尋ねると、彼は手の平に小指の先ほどの鋼の玉を乗せて見せた。

「これを握って相手の額に向かって親指の力だけで飛ばす、常人には何が起きているかわからないだろう、親父の考えたものだ。(れっ)()(こう)()という技だ」

「これを親指だけの力で飛ばし、相手を倒すだって?」

 五人は羽皇雅の掌に乗っている鋼の玉を覗き込んだ。

「俺の親父は刺客を生業としていた。剣を持たず裸同然のかっこなら相手も油断する、そして、これで相手を倒すのさ。おそらく数十人もあの世に送っただろう、失敗したことは一度もないと言っていた。身重の母を放って刺客家業に精を出していたわけさ、そんなときに母は羽宮亜殿に助けられたのだ。俺が親父の顔をまともに見たのは三歳のときだった。そして親父は俺にもこの技を叩き込んだ。幼い頃から来る日も来る日も十数年間、家の近くの木を相手にこの技を練習した。何本の木が倒れたかわからんほどに。だが、親父は五年ほど前に突然この家業をやめて何処かに行ってしまった。そして、なぜかまたふらりと家に戻ってきた。なぜ急に心変わりをしたのかは知らないが、邦信村というところに家を作り、亡き者にした人たちのために仏を彫っていたと言った。体の具合が悪くなり戻ってきたらしいが、そのまま床に伏せ、彫った仏様を自分の墓に一緒に埋めてくれと言い残してあっけなく天に昇っていってしまった。まったく勝手なもんだ。しかし、遺言は遺言だ。だから、俺は仏を回収しに来たんだ」

 羽皇雅は自分が邦信村に行った経緯を皆に説明した。

 羽皇雅の生いたちを皆が聞いている頃、巴錘碧は腕を組んで考えていた。

「これからの行動を円滑に進めるためになんとしても外にいる連中を叩き潰しておかねばならない、討伐に向かった連中が簡単に追い返されてくるとは。奴らは只者ではない、なんとしても取り除いておかなければ」

 そんなとき、南里村周辺を探っていた者から怪しい一行がいるとの報告が入ってきた。

「陛下の手を煩わせるまでもない、いや、失態を繰り返せば宝徳賢殿の二の舞になる、なんとかしなければ」

 巴錘碧がそう呟いたとき、孟崔申が声を掛けてきた。

「俺が行こう」

 城内の兵はすでに百を超えるほどになっており、巴錘碧は(せっ)(かい)(しょう)という者を筆頭に、腕に自信があり、逃げ出さない覚悟の者三十名を選ばせ、猛崔申にその一群に同行するように頼んだ。

「村に向かってゆっくりと進め、村人に気がつかせるように。村の外れで馬を降りて進むのだ。馬で飛び込めば、村人も交えた混乱が起き、奴らを逃がす畏れが大きい。歩いて進み、もし村人を見捨てて逃げる程度の連中なら放っておけ、追う価値はない。だが、もし前に出てくるようならなんとしても斬れ。そこで斬らねば我が軍は奴らのために窮地に立たされることになるかもしれぬ」

 巴錘碧は彼らにそんな策を与え、惨霧軍の精鋭たちは城を後にした。

 三十余名の兵は邦信村が見えると速度を落としてゆっくりと村に近づいた。

「騎馬の一団が近づいています」

 村人の知らせに、紫羅義たちは剣を掴み外へ出た。

「惨霧の兵に間違いなかろう。この村に物取りに来たという様子ではないな。我らの居場所を探り当てたということか。別動隊が緋備輝のいる場所に来るかもしれん、神澪、彼のそばに付いていてくれ。我らは出て行く」

 紫羅義は神澪にそう指示すると惨霧軍に向かった。

 紫羅義、羽玖蓮、羽皇雅、史蘭の四人は惨霧軍の前に立った。

「出てきたか、巴錘碧殿の言われた通り、ここで斬らねばならんようだ」

 薜戒蒋は険しい顔で姿を現した四人を見据えた。

 双方はそのまま進み相対した。

「お主らに恨みはないが、ここで死んでもらう、俺たちは今まで連中とは違うぞ」

 薜戒蒋が戦う前の口上らしきものを言ったが紫羅義たちは無言であった。

 彼らも目の前の兵が今までとは違うと感じ、相手を見極めようとしていたが、惨霧軍の後方からも相手を見極めようと睨んでいる者がいた。それは猛崔申であった。

「俺が斬るのはあいつだ」

 猛崔申は紫羅義を見て呟いた。

「一人残らず斬れ!」

 薜戒蒋の号令とともに惨霧軍は一斉に剣を抜き、四人に詰め寄った。

 羽皇雅が裂指鋼牙を打ち込み相手の一人が倒れると、それが合図であったかのように双方が斬り結んだ。

 今度の兵は形だけの盗賊兵と違い、紫羅義と羽玖蓮に気を集中する隙を与えず、二人はそれぞれの奥義を使うことができず、戦いは混戦となった。

 そんな中で史蘭は猛崔申を見つけ挑みかかった。

「こんな若い娘がこれほどの剣を使うとは」

 猛崔申は史蘭の剣圧に驚きながらも、まだ本気を出している様子ではなかった。

 戦いの中で紫羅義は史蘭が戦っている相手を一目見て青ざめた。

「あいつは何だ? 史蘭では無理だ」

 紫羅義は二人に向かって走り出した。

 何人かの敵が遮ったが、紫羅義は一瞬にしてそれらを倒して走り、二人に近づいたとき、史蘭は剣を叩き落とされてしまった。間一髪、史蘭は猛崔申の振り下ろした剣を後方に跳んで避けたが、そのまま転倒し、猛崔申は剣を上段に構え、史蘭に近づいた。

「待て! お前の相手は俺だ」

 紫羅義の叫ぶ声に猛崔申は体を反転させ紫羅義と向かい合った。

 すかさず羽玖蓮が史蘭に近づき彼女を守り、史蘭は剣を掴み、他の兵と戦い始めた。

「待っていたぞ。女を斬っても自慢にはならん、俺が戦いたかったのはお主だ」

 猛崔申は紫羅義に向かって剣を伸ばし、両者は間合いを詰め打ち合った。

 猛崔申が剣を振りおろしたとき、間合いの外であったが、紫羅義が本能的に危険を感じ、切っ先から体をずらした。異様な風切音が横をすり抜け、紫羅義が立っていた足元の地面が衝撃を受け、土が飛び散った。

「俺たちと同じ技なのか?」

 紫羅義は驚きの表情を隠せなかった。

「桂国軍との戦いのときにお前の剣を見ていた、俺たちの剣の力は同じとみた。だからお前と戦ってみたかったのだ」

 猛崔申は上段に構え、紫羅義はそれを受けるように左下段に構えた。

 お互いに相手の剣を知った二人は次の一撃で勝負が決まることを確信し、己の気を最高にまで高めようとした。

 得体の知れぬ異質の空気が集まり始め、二人の間に陽炎のようなものがいくつも立ち上ぼり、それが自分の意思でも持っているかのように動き回った。惨霧の兵も羽玖蓮たちもその異様な波動に戦う意識を削がれ、戦いを止め、遠巻きにして二人を見ていた。

 惨霧の軍はすでに半数以上を失い、薜戒蒋は猛崔申が負ければ引こうと考えていた。

 猛崔申は地獄の鬼の顔に、紫羅義は冷血な修羅の顔になり、お互いに正面から渾身の一撃を加えようとしていた。二人の間にはかなりの間合いがあったが、己の剣の数倍の長さまで切り裂く技を持つ二人にとって、それはむしろ近いと呼べる距離だった。

 猛崔申が雄叫びとともに大上段から剣を振り下ろすと、紫羅義は左下段から剣を跳ね上げ、同時に左手を剣から離し、体を開いて右手一本で剣に弧を描かせた。

 猛崔申の剣圧で紫羅義の髪と左袖は切り裂かれ、後方の地面が大きく裂けた。しかし、猛崔申に対して体を反身にした紫羅義は危ういところで致命的な傷を負わずに済んだ。

 紫羅義の剣は下段から大きく弧を描いて相手の頭上から振り下ろされており、猛崔申は左の首から左胸の下部まで、大きく切り裂かれていた。

「体を開いて、剣を合わせずに右手一本で……円を描かせ振り下ろしてくるとは、不覚」

 猛崔申は崩れるように両膝をついた。

 紫羅義は上段から振り下ろされる剣を払い、返す剣で猛崔申を斬ろうと考えていた。

 猛崔申ほどの者を相手にし、相打ちもやむ無しと思っていたが、もし、上段からの剣を払らう策を実行していたら、紫羅義は間違いなく片腕を斬り落とされていた。相打ち覚悟だった紫羅義の心を揺るがせ、剣の軌道を変えさせるものがあった。

 左下段に構え、猛崔申の剣を払おうとした瞬間、紫羅義の脳裏に史蘭の姿が浮かんだ。

 唯の国で話をしたときは社交辞令的要素が多分にあった、だが、史蘭と時間を共有するうちに紫羅義の心の中で、彼女の存在が日に日に大きくなっていた。

 史蘭が紫羅義の後を追ってきたのは自分の意思なのだ。

 国王と父である史瑛夏に命じられたとはいえ、頑なに拒否することもできた。だが、彼女は紫羅義の後を追ってきた。それは惨霧と戦うというより、紫羅義の力になりたいという思いがあったからだった。

「俺がここで倒れたら史蘭は」

 そう思う心が紫羅義の覚悟を揺るがせた。しかし、その思いが、紫羅義の命を救う結果ともなった。


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