その98
「私は熱冷ましの薬草を探してきます」
神澪は呆れた顔で入り口を見ていたが、薬草を探しにいくためにと立ち上った。
「俺も城の周辺を調べに行く」
紫羅義も立ち上がった。
「紫羅義よ、君にだけ話しておきたいことがある」
緋備輝が紫羅義を引き止めた。
「では、私と羽玖蓮殿で城の周辺を探ってまいります」
史蘭が言うと、紫羅義、神澪、緋備輝は同時に口を開いた。
「大丈夫か?」
三人は声を揃えて言った。
「何がです? 城から離れた周辺を探ってくるだけです」
史蘭はキョトンとした顔で言葉を返した。
「あ、いや、そういう意味ではなくて、羽玖蓮が大丈夫かと。口を塞がれるんではなかろうかと思ってな」
紫羅義は困ったような口ぶりで言った。
「あはははは、三人ともなにをそんなに真剣になっているんです。さっきのは冗談です」
史蘭は声を出して笑った。
「嘘だ!」
史蘭を見る三人の瞳に、そんな文字がはっきりと浮かび上がっていた。
神澪は薬草を探しに、羽玖蓮と史蘭は城へ向かってそれぞれ出て行き、紫羅義は緋備輝の隣に座った。
「で、話っていうのは何だ?」
紫羅義が緋備輝の顔を見ると、彼は目を泳がせて落ち着かない様子だった。
「……もし、君と俺が血の繋がりがあると言ったらどうする?」
「血の繋がり?」
紫羅義は首を傾け、床を見て、そのまま目だけを動かして、再び緋備輝の顔を見た。
「血の繋がりがあるとすれば、母に隠し子がいたか、その母の父、波邪斗殿に隠し子がいたことになる。母に隠し子とは考えにくい、となると母には知られていない兄弟姉妹がいて、緋備輝はその子どもということになる。つまり、波邪斗殿を祖父とする者同士ということか」
紫羅義は緋備輝の顔を見下ろした。
「そうなんだ、前の長である波邪斗様には隠し子がいたんだ。それが俺の母だ」
緋備輝の言葉に紫羅義は大きく息を吸い込むと天井を見上げ、は~と息を吐き出し、そのまましばらく天井を見つめていた。
母である波流伽皇后はそこいらの女人と違い度量の大きい人物であることは間違いないのだが、妾、隠し子と、その辺りのことに関しては、どんな反応をみせるのか紫羅義にも全く予測がつかなかった。
「俺は那岐の村を放り出され行く宛てはない。惨霧を倒せたならば一緒に朱浬の都に行きたい。城で何か役に立てることはあるかな? ただ、そのときに皇后様を欺いているのも気が引ける。だから君にだけは本当のことを話しておこうと思ってな」
緋備輝は負け犬のような目つきで紫羅義を見上げた。
「大丈夫だ、波流伽皇后はそんな了見の狭い人間ではない。俺も間に立つ。君ほどの洞察力と能力のある者なら皇帝の警固の任についてもいいだろう。緋備輝よ、俺達はもう兄弟だ、我らは兄弟のためなら命さえ賭ける。何も心配することはない」
紫羅義は緋備輝の肩を掴んだ。
「俺を兄弟と言ってくれるのか?」
緋備輝は腕で目を覆い隠した。
「そうだ、俺たち五人はもう義兄弟なのだ」
「……義兄弟四人と、許婚だろ?」
緋備輝は目を覆い隠したまま呟いた。
「こいつは余計なことを。今、言わんでもいいだろ」
紫羅義は小さく言いながら、腕で目を覆い隠している緋備輝をしかめっ面で見下ろした。
「今は早く体を元通りにして惨霧との戦いに備えるのが先だ。俺はここにいる、安心してしばらく眠れ」
紫羅義に言われ、緋備輝は目の上に腕を乗せたまま頷いた。
紫羅義は立ち上がり、腕を組んで窓の外から周囲を見回した。
「北玲はこれからどうなるのか? 劉比青将軍もここに来るとは限らない、時間が経てば経つほど、敵の兵力は増え、農民に被害が出る。我らだけで城に討ち込むか」
崩れかけた城の中に入るのは容易いことだが、内部の構造がわからない場所に飛び込んで多数と戦うのは圧倒的に不利なのだ。
紫羅義と羽玖蓮の使う風狼天翔と雲竜天舞の剣は広い場所で、自然の中に溢れる力を取り込んでこそ力を発揮することができる。建屋の中の狭い場所ではその威力は半減してしまい、それが二本の剣の弱点であった。
紫羅義は北玲の城の外観を思い出してながら何か方法はないかと考えていた。
その北玲の城には宝徳賢が町で撒き散らした噂を聞きつけ、何処にも受け入れられない兵たちが続々と集まりだしていた。
士官らしき者に率いられた数十の騎馬隊が入城して行くこともあり、惨霧軍はその数を瞬く間に増やしていった。
新王朝樹立の中核となる者を必要としている。この話を餌として、噂を広めた宝徳賢の策は成功したと言えた。
「兵の集まり方は予想以上に早い、ここに半年ほど留まるつもりだったが、夏遼甫たちが上手く姜費興の率いる兵を連れてきたらすぐにでも瑞の国に向けて軍を動かすか」
巴錘碧がこの先どう動くかと考えていたいたとき、報告が入ってきた。
「城の様子を伺っている者がいます」
巴錘碧は城の周囲を警戒するためにかなり遠くまで物見の者を放ち、潜ませていた。
「城からかなり離れていますが、二人連れが周囲の様子を伺っているようです」
物見の者の報告を聞いて、巴理無と巴呂無が立ち上がった。
「この前ここに忍び込んだ奴の仲間かもしれない。俺たちは奴らの顔を見ている、確かめに行ってくる」
「わかった、だが、確かめるだけにしろよ、奴の仲間ならかなりの腕を持っているはずだ、兵で囲む準備をしておく、確認したらすぐに戻って来い」
巴錘碧は二人の息子にそう指示すると、五十人ほどの兵を三隊に分け、率いる者に敵を取り囲む策を授けた。
兄弟が戻り、以前に侵入した者の仲間との報告を受け、巴錘碧は三隊に出撃を命じた。
羽玖蓮と史蘭は遠目に見える城に沿って様子を見ながら進んでいた。
「何かおかしい、何とも言えない違和感のようなものを感じる。引き返そう」
羽玖蓮が言い終わったとき、後方から騎馬の一団が駆けてきた。
「見つかったようだ、史蘭、奴らを振り切るぞ」
二騎は騎馬の一団から逃げたが、前の林の陰から別の一団が姿を現し、さらに逃げようとした方向からも別の一団が駆けてきた。
二人は三隊に追われ、馬の入れない岩場に追い詰められてしまった。
「戦うしかないようですね」
史蘭の言葉に頷いたものの、羽玖蓮はかなりやばい状況だと感じていた。
「気をつけろ、史蘭。こいつらは盗賊じゃない、練兵経験のある元はどこかの国軍にいた連中のようだ」
そう言いながら羽玖蓮は敵を端から端まで見回した。
自分一人なら敵をなぎ倒して血路を開き、逃げることはできる、だが史蘭を見ながら囲みを破るのはかなりの難しいことであり、史蘭もそれなりの腕を持ってはいるが、これだけの人数を相手にするのはかなり無理があった。
敵が剣を抜き、包囲を狭めてきたのを見て羽玖蓮は覚悟を決め、剣を抜いた。そのときだった、少し離れた大きな岩の陰から馬に乗った男が姿を現した。
「まだ、隠れていたぞ、そいつも逃がすな!」
隊長らしき男が命令すると、その男も囲むように兵は広がった。
「おいおいおい、城からこいつらが出てきたのを見て隠れたのに、わざわざここに引き連れてくるとは、ありがたいことだな。城から出てきたということは、こいつらは惨霧とやらの手下か」
男はふてぶてしい態度で二人に近づいてきた。
兵たちは巴錘碧から敵は相当の腕を持っていると聞かされていたし、中には緋備輝の水龍を喰らった者もいる、迂闊には手が出せないと、彼らの様子を伺っていた。
「惨霧を知っているのか?」
「ああ、知っているさ、お前たちのこともな。だが、そっちの話は後回しだ。今はこの連中を叩き潰す方が先だ」
男は羽玖蓮の問いにそう答えると前に出た。
「かまわん、この男から斬れ!」
惨霧軍の隊長はへたに近づけば大きな被害が出ると感じ、捕らえることを諦めた。
二人の兵が剣を構え男に近づいたが、一瞬、体が硬直したように震え、二人とも馬から崩れるように落ちた。
「なんだ、何が起きた?」
隊長や兵たちにも、羽玖蓮や史蘭にも何が起きたのかわからなかった。
男から何かが飛ばされたことを羽玖蓮は見ていたが、何処から何が飛んだのか、まったくわからなかった。
「俺には悪鬼が憑いている。俺の命はそいつのものだ、他の者が俺の命を奪おうと近づけば、悪鬼は容赦無くそいつを殺す。命が惜しければ俺に近づくな」
男はそう言いながらさらに前に進み出た。
兵たちは顔を見合わせ、今度は四人の男が剣を構え、出てきたが、やはり一瞬、体を硬直させたと思ったとたんに次々と馬から落ちて動かなくなった。
「だから言っただろう。隊長さん、今度はあんたが来てみたらどうだ?」
男は隊長に近づいて行った。
「引け! 引け!」
隊長が馬を返すと兵たちも大慌てで反転し、逃げていった。
「助かった、礼を言う」
羽玖蓮と史蘭は男に頭を下げた。
「別にお前たちを助けたわけではない、自分の身を守っただけだ」
男は礼など照れくさいと言わんばかりであった。
「しかし、あの技は何だ、何をどうやって飛ばしたのだ」
「見えていたのか、あれが?」
羽玖蓮が尋ねると男は驚いた様子だった。
「とにかく、ここから離れましょう、我らの仲間のところにご案内します」
史蘭に言われて、男は頷き、三人は南里の村を目指した。
「我らのことを知っている様子だったが、貴殿は何者なのだ?」
羽玖蓮は隣に並んだ男に尋ねた。
「俺の名は羽皇雅、お前たちのお陰で燃えてしまった邦信村の家は俺の親父が作ったものだ、その責任をとって貰おうと追いかけて李志村に行き、長の家で色々と聞いた」
「羽皇雅……聞いたことのある名だ。あの小屋、いや、あの家は惨霧の手下によって焼かれたものだ、俺たちが火をつけたわけではない」
羽皇雅に言われ羽玖蓮は必死に弁明したが、お前たちが泊まらなければ焼かれなかったと言われると返す言葉がなかった。
「私たちのためにお父様の建てた家を焼かれてしまいました。お詫び申し上げます」
史蘭は申し訳なさそうに頭をさげた。




