その97
「それはいい、そんな兵が傘下に入るなど願ってもないことだ。町にも行って無頼者たちを取り込み、彼らから情報を得るとともに、話を広めさせよう」
巴錘碧は興奮したように言った。
「町には私が行こう、久しぶりに町の雰囲気に触れたいし、欲しいものもある」
宝徳賢は何かを思い巡らせるような表情で皆の顔を見た。
北玲の城から馬で半日足らずのところに是元という町があった。
是元の町は商人たちが利用する東西に延びる街道の交差する宿場町で、ここは、辺境の町であるにもかかわらず人も多く、賑わっていた。
宝徳賢は町に出向き、数日の間、町に滞在し、野心のある者は城に集まれと説くとともに、何処かに強力な武力集団はいないかと情報の収集に努めた。そして、彼は滞在している間にある物を作らせていた。
宝徳賢が町で無頼の者を捜し歩いているとき、邦信村で焼け落ちた家を見ていた若者は、李志の村に到着し、村人に紫羅義一行のことを聞いていた。
「ああ、彼ら五人のことなら村の長の家に行ってみるといい。彼らはそこに世話になっていたからね」
村人に聞いて、彼は長の家に向かった。
家に着くと姚秀麗が出てきて、その後に彼女の両親が姿を現した。
「どんな御用でしょうか?」
父親は彼を険しい顔で見ながら言った。
盗賊集団に父を殺害され、娘も怪我を負ったばかりであり、両親が訪ねてきた知らない者を警戒するのは当然であった。
「私は羽皇雅という者です。紫羅義殿のことをお聞きしたい、彼らが何処にいるかご存知ですか?」
姚秀麗の見上げる顔と、その両親の怪訝そうに自分を警戒しながら見る表情に、これは何かあると思った彼は胸の前で両手を結び、頭を下げ丁寧な話し方をした。その姿に姚秀麗は安心したように微笑み、両親も彼を家の中に招き入れた。
「紫羅義殿の一行は北玲という城に向かいました」
父親は今までの経緯と紫羅義たちが何ために城に向かったのかを羽皇雅に話して聞かせた。
「そうか、そんなことが。紫羅義とはそういう男なのか。どうしても彼らに会わなければならない……なぜかそう思う」
羽皇雅は腕を組んで目を閉じた。
「お兄さんも同じだね」
姚秀麗の言葉に羽皇雅は目を開けた。
「同じ?」
「そう、同じ。心の中に大きな魔を持っている、でも、それ以上に正しい心がその魔を抑えつけて、悪しき者と戦おうとしている。あの人たちもそうだった。盗賊たちと戦うように、みんな自分の心の中でもう一人の自分と戦っていた」
姚秀麗は羽皇雅の顔を真っ直ぐに見て言った。
羽皇雅は驚いた。幼さを残す少女に自分の心の中を見透かされ、唸った。
「そうか、心の中の魔物か。確かにある、俺もその魔と戦うことにしよう」
羽皇雅が姚秀麗に手を伸ばすと、彼女はその手を掴んで振りながら嬉しそうに笑った。
「お邪魔しました。色々と話を聞けて、お陰で途切れ途切れだった糸が繋がりました。北玲の城に行ってみます」
羽皇雅は姚秀麗とその両親に礼を言い、李志村を後にした。
「紫羅義、神澪、羽玖蓮、緋備輝、そして史蘭か、いったい何者なのだ。しかし、羽玖蓮とは何処かで聞いたことのある名だ」
彼はそんなことを考えながら馬に揺られ、北玲の城に向かった。
城にはすでに宝徳賢が十数人を引き連れ戻ってきていた。
「手ごたえは十分にあった、今度は盗賊団ではなく世の中からはじき出された兵たちを集めるように噂話を広めてきた。それと、ここから北東方向に瑞というの国があるのだが、そこの国王である蘆錘苑が朝廷打倒を画策しているとの情報も得られた。奴のことは以前聞いたことがある、野心家で、あの手この手で領土を広げようとしていると、朝廷まで話が入ってきたことがある。兵力は三千ほどだが、これは利用できるぞ。ここで力を蓄え、瑞の国に向かい、国王を取り込もう。手向かうのなら国王を殺し、兵を貰い受ければいい」
宝徳賢は巴錘碧たちを集めて情勢を報告した。
「私は陛下に手渡すものがある、また後で今後の策を検討しよう」
宝徳賢はそう言って部屋を出て行ったが、巴錘碧たちが彼の姿を見るのはそれが最後であった。
宝徳賢は惨霧のところへ行き、服を差し出した。
彼は町へ行くと直ぐに服を探し、急いで服に加工を施すようにと大金を払っていた。
「陛下、これから人が集まってきます。今度は盗賊たちではなく兵たちです。未来の皇帝として彼らに威厳を示さなければなりません、重厚な服とは言いませんが、せめて、これにおめしかえください」
宝徳賢の差し出したのは燃えるように赤く、胸と背中に龍の刺繍がしてある上質の絹で作られた服だった。
宝徳賢が部屋に行ったとき、惨霧は短剣を眺めていた。
「なかなかの剣とは思わないか? 外に落ちていた。巴錘碧たちに威かされて逃げた者が落としていったのだろう」
「さあ、私は剣の良し悪しはわからないもので。とにかくこの服をどうぞ」
宝徳賢は惨霧に近づき服を手渡した。
「ん、なんだ、これは?」
服を羽織った惨霧は首に当たる固い部分を触れながら宝徳賢に尋ねた。
「その部分は特別注文でして」
宝徳賢はにこやかに、それでいて自信に満ちた顔で答えた。
その服の襟は異常に高く、さらに高い襟は薄い鋼を包み込んでいた。
「陛下は不死身ではありますが、首が弱点でございましょう、その弱点を防御するための服を特別に作らせたのでございます」
「ほ~首が弱点だと思うのか?」
宝徳賢の話を聞いた惨霧は虚ろな目で彼を見た。
「はい、いかなる者でも、首と胴が離れれば命を繋ぐことは無理なこと。しかし、これでもう、戦う際に陛下は首を気にせず存分に戦うことができます」
宝徳賢は拳を握り、力強く言った。
「そうか、良い服を作ってくれた。礼にこの短剣をお前にやろう、その腰の剣は俺がもらおう」
惨霧は腕を伸ばした。
宝徳賢は形だけの短剣を腰に帯びており、惨霧はその短剣に向かって手を伸ばした。
「勿体無いお言葉」
宝徳賢は腰の剣を両手で持ち、頭を下げながら、惨霧に手渡した。
惨霧は受け取った剣を抜くと宝徳賢の胸を一刺しにした。
「な、何を?」
宝徳賢は自分の胸に刺さった剣を見ながら床に膝を着いた。
「俺の弱点を口に出す奴は誰であろうと口を封じなければならん。それにお前は、青弧での敗戦の責任をとってないからな」
惨霧は宝徳賢を冷たい顔で見下ろした。
「そんな……」
宝徳賢はそのまま崩れるように倒れ、息絶えた。
圧倒的な力を持つ魔物を操り、権力の中枢に我が身を置くことを夢みた男の生涯は、ここにあっけなく閉じた。
宝徳賢は死の間際まで惨霧には人の心が通じないことを理解してはいなかった。
惨霧に呼ばれ、皆が集まってきた。
惨霧の前に血を流し倒れている宝徳賢を見て、誰もがその意味がわからず声さえ出すことができなかった。
「こいつは敵と通じていたようだ。服を献上しに来て、着替える隙をついて俺を刺そうとした、だから剣を奪い取り、俺が刺し殺した」
惨霧の話を聞いて皆、目だけを動かし、お互いの顔色を伺った。
狡猾な惨霧は自分の弱点をさらけ出す者の口を封じるとともに、自分に逆らう者は誰であろうとこのような姿になると、見せしめに宝徳賢を利用したのだ。
「宝徳賢殿がなあ、人はわからんもんだ」
皆は口々にそんなことを話していたが、巴錘碧や洪殻宝たちは彼が殺された理由は他にあると思っていた。とても彼が敵と通じているとは思えなかったし、部屋を出て行ったときの彼は、惨霧を倒してやろうと息巻いて出ていく者の姿ではなかったのだ。
「宝徳賢の才は私より劣っていた。私の出現で彼はお払い箱になったのか、ならば私より才が上の者が現れれば、次は私がこうなるということか」
巴錘碧は感情のない目で宝徳賢の遺骸を見下ろしながらそんなことを考えていたが、惨霧に呼ばれ我にかえった。
「巴錘碧よ、これからはお前が総参謀長として全軍の指揮をとれ」
「はっ!」
惨霧の言葉に巴錘碧は大きく歯切れのよい返事を返した。
彼を参謀長として北冷を根城にした惨霧軍は本格的に動き始めた。
巴錘碧が進言した策は、この城で五百の人数を集め北玲から東にある瑞国の城に向かい、三千の兵を有する瑞の城を乗っ取り、そこで、惨霧を皇帝に即位させるというものだった。
人を集め、兵を養成し、そこからさらに東進して、皇帝軍として志芭の朝廷に軍を進め、これを打ち砕き、瑞王朝を樹立させることを最終目的とした。
傀儡とする村を選定した物見の者たちが戻り、村を取り込む具体的な案が検討され、さらに、夏遼甫と洪殻宝は姜費興を取り込むために寧の国に向かい、惨霧軍は巴錘碧を中心に大きく動き始めた。
惨霧軍内部の動きが慌しくなり始めた頃、紫羅義たちは城からほど近い南里という村にいた。緋備輝が高熱を出し、この村で休息をしていたのだ。
「水に入って熱を出すとは情けない」
緋備輝は熱が出たこと自体よりも、水にはいって高熱を出してしまったことに落ち込んでいる様子だった。
「無理をしても仕方ない、とにかく今は休んで早く治すことだ」
紫羅義に諭されて緋備輝は力なく頷いた。
史蘭が馬に下げてあった袋を持ってきた。
「止血の布や傷に塗る薬、腹痛用の薬はあるのですが、熱を下げるような物はやはりありませんでした」
史蘭は袋から中身を全部出して確認した。
「お~、流石だ、そんなものを持っていたのか」
羽玖蓮は感心して袋から出された物を見ていた。
「戦場に赴く者は、これくらいは持ってないと」
史蘭はチラッと紫羅義を見た。
その一瞬を羽玖蓮が見逃すはずはなかった。
「そりゃ、やっぱり紫羅義のために持ってきたんですね、愛する人の手当てをすれば距離も一気に縮まりますから、考えてますねぇ史蘭さんは」
羽玖蓮は愉快でたまらんという表情で話した。
史蘭は止血用の長い布を掴むとゆらりと立ち上がった。
「ほんとによく回る口だこと。そのよく回る口を塞いで差し上げましょうね」
史蘭が両手で長い布をグルグルと捻りながら羽玖蓮に近づくと、彼は脱兎の如く入り口まで逃げ、そのまま外に飛び出した。




