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紫羅義  作者: 海道 睦月
91/125

その91

「陛下、我が軍は四百足らず、城にて迎え撃ちましょう」

「いや、城に籠って戦えば皇帝の名に傷が付く。出て行って叩き潰せ」

 惨霧は宝徳賢の進言を再び却下した。

「今度は俺様も出よう、そろそろ血を浴びたくなってきた」

 惨霧は目をギラつかせた。

「おお! 陛下が軍を率いるならば勝利は間違いないもの。奴らを誘い込み、伏兵を用いて今度は一人残らず叩き潰してやりましょう」

 宝徳賢は軍を三つに分け、惨霧を正面に、他の部隊を林の両側に置き、三方から敵を囲む策を進言した。

 惨霧軍は出陣し、その中の一騎が桂国軍に使者として向かった。

「劉比青将軍、惨霧の配下と思われる者が単騎で向かってきます」

 部下の報告を聞いて劉比青は陣の前面に向かった。

「惨霧の手下が何の用だ? 口上を述べろ」

 劉比青の言葉に使者は馬を降り、頭を垂れると顔の前で両手を握り合わせ挨拶をした。

「我らの軍は桂国軍の半分にも満たないでしょう、籠城して戦うは容易きこと。しかし、惨霧様は将来において皇帝になられるお方。威信を損なわないために、城から撃って出て戦うと申しております」

「将来の皇帝だと?」

 劉比青は顔を歪めた。

「私は正々堂々と戦うことを伝えてこいと命を受けただけですので。では、これにて」

 使者は馬に飛び乗ると馬頭を返し、逃げるように駆けて行った。

「ふざけおって、お望みなら正面から叩き潰してくれる!」

 劉比青は拳を握り締め、険しい顔で使者の後ろ姿を睨みながら叫んだ。

「ふふふっ」

「はははは」

 紫羅義が吹き出すように笑うと、それに続くように神澪たちも笑いだした。

「何がそんなに可笑しいのだ?」

 劉比青は不思議そうな顔をして尋ねた。

「あなた方は国軍の誇りにかけて正面から戦ってください。自分たちは正々堂々と伏兵を置かせてもらいます。彼はそう言いに来たのです。これが笑わずにいられましょうか」

 紫羅義は笑いながらも呆れ顔であった。

 劉比青たちは国軍であることに誇りをもっている。相手から「正面から」「正々堂々と」そんな言葉を投げかけられれば、たとえ自分たちが不利になると理解していても、それに応じようとする。宝徳賢はそこを突いてきたのだ。

「彼らの軍勢はおそらく三百から四百、好きなように伏兵を置いてもらいましょう。ただ、こんどの戦いには惨霧が出てくると思われます」

 神澪の言葉に兵たちがざわついた。

「今度は出てくるか……奴が」

 劉比青は体を震わせ剣を握り締めた。

「神澪殿、惨霧を含む敵と、その伏兵にどう対抗するか意見をお聞かせ願いたい。先ほどの戦術においては惨霧が含まれていることは想定されていなかった。貴殿はどう戦うつもりなのか」

 神澪の才を認めた劉比青は彼に意見を求めた。

「これから戦おうとしている敵が、平坦な荒れ地に整列しているのと、林の中に整列しているのと、戦い方に何か違いがありますか?」

 神澪の問いに、劉比青は少し考えて笑いだした。

「はっはっは、なるほど、それは伏兵とは呼べんな」

 神澪は六百余名の軍を前軍と後軍に分け、後軍を更に左右二つの軍に分けた。

 後軍は両側の林の中に隠されるであろう敵の伏兵にのみ相対し、これを殲滅するための軍であり、後軍の左右にはそれぞれ三名づつの指揮官を置き、敵がその姿を見せたのなら、できるだけ引き付けて、この指揮官の指示の元、敵を三方から囲むようにして一気に叩くという作戦だった。そして、神澪は皆に戦い方を説明した。

「紫羅義と羽玖蓮は惨霧に当たってください。緋備輝と史蘭は二人が惨霧との戦いに集中できるように支援してください。私と劉比青将軍は先行軍の後ろにいて全体の動きを追います」

「な、なに! 私が先行軍の後ろだと?」

 神澪の説明に劉比青は不満丸出しの顔で声を張り上げた。

 彼は将軍として、軍の指揮官として、いかなる時でも先頭に立ち、戦いになれば全軍に号令をかけ、真っ先に敵に駆けて行った。後方で見ているなど、到底納得できるものではなかったのだ。

「私は今までいかなるときも!」

「将軍! お聞きください!」

 神澪は劉比青の言葉を遮った。

「将軍は個人の戦いに参戦するわけではないのです。冷静に軍の優劣を見極め、戦いの采配を振るわなければなりません。白刃が交わる中に身を置き、冷静に全軍を見渡すことができるのですか?」

「む、それは。確かにそうだが」

 神澪の言葉に劉比青は反論しようとしたが、口を結んだ。

 神澪の言葉にも人を暗示にかける力があった。しかし、彼のそれは惨霧のように己のために人を従わせるような魔力ではなく、人の本質を呼び覚まし、己を冷静に見極めさせ力を呼び起こす言葉であり、惨霧の力とは異質のものであった。

 神澪ではなく、他の者の意見であれば劉比青は聞く耳をもたなかっただろう。

「……わかった、後方で軍の指揮にあたろう」

 憮然とした表情だった劉比青は、大きく息を吸うと、少し穏やかな顔になった。

「よし、作戦内容を全員に周知徹底させよう」

 劉比青は各部隊ごとに集まるようそれぞれの指揮官に命じた。

 桂国軍は全員が作戦内容を理解し、戦いの準備を整え、敵を待つばかりとなった。

 惨霧の勢力は三百五十ほどであり、宝徳賢は五十を城に残し、惨霧が正面から二百を率い、左右の林には各五十づつを配置する策を立案し、進言した。

「俺は何でもいいぞ、お前の好きなようにやれ」

 惨霧の言葉に宝徳賢は平伏して返事をすると、全員を集め作戦の説明をした。そして、林の中に潜ませる百名にさらに細かい指示を出した。

「敵はこちらからの使者の口上で正面から一団で来るはすだ。国軍というのは自分たちに高い誇りを持っているからな。だが、油断はするなよ。林の中に身を潜めた後も、周囲の警戒は怠るな。進軍せよの太鼓が鳴ったら、左右から一斉に飛び出して真っ直ぐに敵軍の脇腹に突っ込み、蹴散らすのだ」

 宝徳賢は林に潜ませる兵に作戦内容を伝えたが、伏兵たちの動きが何の意味も成さないことに彼はまだ気がついてはいなかった。

 伏兵とは予期せぬ場所から兵が姿を現すことによって、指揮命令系統が乱れ、軍勢内に混乱が生じるのであって、伏兵の存在が相手に知られていれば、それはもはや伏兵ではなく、ただの兵なのである。宝徳賢は両側面からいきなり兵が現れ、敵を囲めば策は成功すると思い込んでいた。

 桂国軍と惨霧軍は森林が両側に迫る場所で対峙した。

「進め!」

 劉比青は進軍の太鼓を打ち鳴らすよう命じた。

 惨霧軍はまだ動かない、伏兵が潜む場所で相対するように時を見計らっていた。

「お前の策は成功するかな」

 惨霧はニヤニヤと笑っていた。

 彼にとっては伏兵や策など、どうでもよいことなのだ。戦って血を見れば、それで満足だった。

「そろそろ前進しましょう」

 宝徳賢の言葉に惨霧軍は進軍を開始した。

「私は後方に下がります。進軍の太鼓が鳴ったら、左右の伏兵が飛び出します。後は手筈通りに。存分に戦ってください」

 宝徳賢は後方に向かって馬を走らせた。

 惨霧が馬から降りて歩き始めると、他の者も馬を降りてその後に続いた。

「馬から降りて戦うつもりなのか?」

 劉比青は自軍に向かってくる敵を無表情で見ていた。

「林に潜む伏兵のために我らを馬から降ろしたいのでしょうね。自分たちが歩にて進めば、こちらも歩にて相対するとの考えでしょう。将軍、我らは馬を降りる必要はありません」

「そうはいかん、我らにも面子がある。全員、馬から降りよ」

 劉比青は神澪の意見を却下して、部下に馬から降りるように命じた。

「言っても無駄であろうとは思っていました」

 神澪は小さく首を振りながら呟いた。

 武人は己の誇りのために命をかける。乱戦になれば話は別だが、最初に相対したとき、馬を降り、歩にて戦いを挑んできた者たちに対して馬で蹴散らしたとなれば、たとえ戦いに勝ったとしても自分たちの誇りは地に落ちると考えるのだ。

「わかりました、将軍。では、後は説明した通りに」

 神澪の言葉に劉比青は力強く頷いた。

 惨霧軍二百と桂国軍六百が対峙し、惨霧軍の進軍太鼓が鳴り響いた。

 太鼓の音とともに左右の林の中から惨霧軍の伏兵が飛び出したが、本隊は進軍の合図があったにもかかわらず、進んではこなかった。先頭にいた惨霧がニヤニヤと笑ったまま動かなかったからだ。

 惨霧がゆっくりと歩き始めると、他の者も彼に続いて歩き始め、剣を抜いた。それに合わせるように紫羅義、羽玖蓮、緋備輝、史蘭も前に進みだした。そして、彼らの後に続く桂国軍も一斉に剣を抜いて戦闘態勢に入った。

「ん? なんだ、この感じは?」

 紫羅義と羽玖蓮は同時に言葉を発して顔を見合わせた。

 二人が剣を抜くと、手に持つ風狼天翔の剣と雲竜天舞の剣が、反応し合い、二本の剣が共鳴し合っているかのように細かく振動した。

「なんだ?」

「わからん、しかし、今は、これに気をとられてる暇はない!」

 紫羅義と羽玖蓮はそう言葉を交わすと、惨霧軍に向かって斬り込んでいった。

 側面から突撃した惨霧の伏兵たちは桂国軍の手前で足を止めた。

「おかしいぞ、なんだこいつらは?」

 桂国軍は見向きもせずに前を見据えたまま動かない。敵がすぐ側面に迫っているにもかかわらず、彼らは横を向こうともしない。

 惨霧軍の伏兵たちもさすがにこれは変だと足を止めた。だが、彼らが足を止めると同時に桂国の後軍は一斉に横を向き、左右それぞれが三つに分かれ、惨霧軍を取り囲んだ。

 剣においても、命令系統の確立においても、正面から戦えば惨霧軍は桂国軍にはとても太刀打ちはできない。三方から囲まれた惨霧伏兵軍は散々に蹴散らされ、やっとの思いで逃げ出した者は左右合わせて十数名ほどであった。

 左右の伏兵と戦った後軍は、そのまま本体にそって駆け抜け、惨霧軍主力の側面を叩くべく軍を展開させ、惨霧軍は伏兵を失い、逆に三方から囲まれてしまった。

 そんな状況の中で惨霧は紫羅義と羽玖蓮の両名と戦っていた。

「何者だ、こいつらは? この剣はなんだ?」

 二人の若者と、二本の剣に翻弄される惨霧の顔から笑いは完全に消えていた。

 三方から囲まれてしまった惨霧軍は、思うように動けないでいる惨霧の力をあてにすることもできず、敗走を始めた。

 紫羅義と羽玖蓮の振るう風狼天翔の剣と雲竜天舞の剣は風を切り裂き、雲を呼び、惨霧に容赦無い攻撃を仕掛けたが、二人の剣をもってしても惨霧の体に致命傷を与えることはできなかった。

 紫羅義が一瞬の隙をつき惨霧の首を捉えようとしたが、すんでのところで惨霧は刃を手で押さえて防御し、攻撃に転じようとした。しかし、手下たちは既に逃げ始め、桂国軍に囲まれ、周囲を見回したとき、羽玖蓮が斬りかかった。惨霧は後ろに飛び退くと、全力で自分の馬に向かって走りだした。

「逃がすか!」

 紫羅義と羽玖蓮が追ったが、惨霧は風のように走り、馬に飛び乗った。

「邪魔が多すぎる。いつか必ず勝負をつけてやる、それまで待ってろ!」

 惨霧は馬頭をひるがえし去って行った。

 劉比青は前衛軍の後方でその様子を見ていた。彼は戦いの中、全軍を見回しながら采配をふるっていた。各部隊と敵軍の動き、各部の優劣を確認しながら、それぞれの指揮官に的確な伝令を次々と送っていた。

「確かに軍の動きがよくわかる、戦いの中に身を置いていたら、とてもここまでは全体の把握など無理なことだ。あの戦いのとき、俺が勇んで敵に飛び込まずに後方から冷静に全体を見ていたら……」

 劉比青は先の戦いで敵の策により多くの兵を失ったことを悔やんでいた。

 表には出さないようにしていたが、彼の胸にはそれがずっと憂いとなり、棘となって突き刺さっていた。

「神澪殿の言う通りだ。先頭に立って敵に斬り込むことが誇りであると思っていたが、将軍の任務とは、戦いの行方を冷静に見極め、軍を的確に動かすことであった。俺は己の武を過信していたのか」

 劉比青は前方の戦いを見据えながら将軍という立場についてずっと考えていた。


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