その9
魏嵐が皇帝の座についてから十年の歳月が流れた。
志芭国からはるか西の辺境とも呼べる地に桂という小国があり、青弧と呼ばれる地域があった。そこに伯柳禅という人が開く塾があった。
士官する口を求め、あちらこちらの国を流れ歩く者も多く、ある者は剣の腕で自分を売り込み、ある者は独自の外交政策で、そして、ある者は口先だけで、自分を少しでも高く買ってもらうために諸国を渡り歩いていた。
これから世に出て、良い士官口を探そうとする若者のために多くの塾が開かれており、兵法や外交術などを教えていて、伯柳禅先生の塾もそういったものの一つであった。
その塾で学ぶ者の中に紫羅義という二十歳になる若者がいた。
父はなく、八歳のときに母も亡くし、李玄朴というものに育てられたが、その李玄朴も一昨年に他界し、天涯孤独の身であった。近所で塾を開いていた伯柳禅がその才に惚れ込み、塾に居候させて、自分の後継者にしようと思い教え育てていた。
紫羅義は他の塾生とは少し違っており、いつも遠くを見るような目で窓の外ばかりを見ていて、他の者が世の中の情勢や士官先を論じているときも興味を示さなかった。
「紫羅義よ、君はこの先どうするつもりなんだ、この塾を継いでここで生涯を終わらせるつもりなのか」
塾生の一人が尋ねた。
「さあなあ、オレは森羅万象を見極めたいと思っているだけさ」
紫羅義は遠くを見つめたまま答えた。
「森羅万象、それを極めれば士官先で重く用いられ、国の行く末を左右するような要職につけるのかい」
さらに塾生が尋ねると、紫羅義は声を出して笑った。
「さあね、どうかな、俺は政治というものには興味はないんでね、天命に従い生きていくだけさ、天意が王を目指せと言うなら王になるがね」
そう言うと、また大きな声を出して笑った。
その数日後、紫羅義は伯柳禅先生に呼ばれた。
「紫羅義よ、お前に教えることはもう何もない、全て教えた。お前をわたしの後継者にと思い、教えてきたが、それは間違いであることに気づいた。お前が纏う気は凡人のそれではない、塾の先生などとはとんでもないことだ、世に出て自分の力を試してみるがいい、きっとお前は世の中を変える人間となる、ここを出て思うままに力を発揮してみよ」
伯柳禅は目を細め、強い口調で紫羅義の顔を見つめながら言った。
天涯孤独の紫羅義は青弧の地に特に執着があるわけでもなかったので、伯柳禅先生の意見に従い自分に何ができるのか、それを試すための旅に出発することにした。そして、出発する前日、先生に挨拶をしにいった。
「これを餞別としてお前にあげよう」
伯柳禅は上質の絹で織り上げた青を基調とした服と、一冊の兵法所を紫羅義に手渡した。
「達者でな、わしのことを忘れんでくれよ」
伯柳禅は紫羅義の肩を掴んで揺すった。




