その88
「敵が近付いています、ここに火を放つつもりです。直ぐ逃げなさい」
史蘭はうなされるように何度か首を振ると目を醒まして飛び起き、辺りを見回した。
「今のは……夢? いや違う!」
史蘭は窓に向かい、まだ薄暗い外を凝視した。
遠くにいくつもの火が見え、それが近づいて来ていた。
「みんな、起きて!」
史蘭は四人をたたき起こした。
「敵よ、ここに火を放つつもりだわ」
史蘭の言葉に四人は窓から外を覗き見た。
「夜明け前に火を持った者たちとは確かに怪しい。怪しいが、なぜあれが敵と断言できるんだ?」
紫羅義が史蘭に尋ねた。
「説明してる暇はありません、しかし、彼らがここに火を放つのは間違いありません」
史蘭は遠くにみえる火を険しい表情で見ながら言った。
「わかった、史蘭の言うことを信じよう。火を持った多勢に向かう我らが圧倒的に不利だ、ここは引こう」
紫羅義の言葉に皆は小屋から出て馬に向かおうとしたが、神澪がそれを止めた。
「馬は置いてゆきましょう」
逃げるのに馬を置いてゆくとは、四人は神澪を驚きの顔で見た。
「敵は昨日の連中に間違いありません。我らの強さを知り、剣を交えたくないから夜明けに火を持って現れたのです。馬があれば家の中を確かめる危険をおかさず、我らが中にいると判断して火を放つはずです。ここで我らの存在を消しておいた方が後々動きやすい、馬は林に沿って逃げるはずです、後は頼心が先導してくれるでしょう」
神澪は頼心ならやってくれますね、という表情で緋備輝を見た。
敵に目立たぬよう、緋備輝に馬の手綱を直ぐにほどけるようにと頼み、他の者は裏手にある林に向かって走った。
そのとき羽玖蓮は慌てながらも何体かの仏を懐に入れて持ち出した。
「わかるな、頼心、後で迎えに行く」
緋備輝は馬たちの手綱を緩め、頼心に話し終わると、四人が潜む林の中に駆け込んだ。
紫羅義たちが林の中で息を殺し様子を伺っていると、惨霧の手下たちは辺りを警戒しながら小屋に近づいて来た。
「馬が五頭あります、奴らが家に入るときに繋いだままです」
見張りに残っていた者が言うと、頭は無言で頷き、皆に手で合図をした。
手下たちは物音をたてないように家の周囲に枯れ草を置き、油を撒いて頭の元に戻り、頭がもう一度合図をすると、今度は手に火を持った者たちが小屋に駆け寄り火を放った。そして、火を放つと同時に小屋の唯一の出入口に向かって弓を構えた。
木で作られた家とも呼べないような小屋は瞬く間に燃え上がり、繋がれた馬たちは暴れ、手綱がほどけると、林に沿って逃げだした。
小屋はあっという間に全体が炎に包まれ、しばらくすると音をたてて崩れ落ちた。
「逃げ出す間もなく炎に呑み込まれたか。ふん、我らに逆らう者はこういう目に遭うのだ、引きあげるぞ」
頭が合図をすると、出入口に向かって弓を構えていた者たちはその弓を下ろし、盗賊たちは燃え落ちた小屋に背を向けて歩き出した。
その後ろ姿を五人は林の中から見ていた。
「上手くいったようですね。しかし、史蘭がいなければ我らは今頃、あの小屋の下敷きになっていたか、矢の餌食になっていたでしょうね」
神澪は燃え落ちた家を見ながら呟いた。
逃げた馬を捕まえ、五人は青弧城を目指し進み始めた。
荒地を抜け、田畑を見渡し、川に沿い、青弧城に向かう道の入り口に立った。
両側に山が迫る一本道、その先に目指す城がある。
「止まれ!」
ふいに緋備輝が叫び、道の先を凝視した。
「誰か来る」
緋備輝の言葉に四人は顔を見合わせ、お互いに首を横に振った。彼らには何も見えてはいないし、聞こえてもいなかったのだ。
「俺たちは木々や闇の中に潜む者の気配を感じ取る修練をしてきた、この先からかなりの数がこちらに向かって来る」
緋備輝の言葉に一行は林の中に馬を進め、隠れて様子をみることにした。
隠れるとすぐに蹄の音が聞こえだした。その音は段々と大きくなり、その姿を見せ始め、二十騎ほどの一団が五人の前を通過していった。
「若い娘がたくさんいるような村が何処かにないか」
「食料をたっぷりと貯えているような家はないか」
一団は口々にそんなことを話していた。
「逆らう者がいたら斬ってもかまわん」
「じゃあ、全部斬ることになりそうだな」
頭らしい男と、隣に馬を並べていた男がそんな話をすると、後に続いた者たちから笑い声があがった。
林の中で隠れながらそのやりとりを聞いていた五人は、言いようのない怒りに体を震わせていた。
一団の姿がみえなくなり、五人は林の中から出てきた。
「奴らは魔物に魂を売り渡した、もはや人に非ず。人でない者と戦う我らも鬼とならねば奴らを全て倒すことはできない。鬼になれるか?」
「なる!」
紫羅義が問いかけると、四人は一団が消えていった方を険しい顔で見つめながら同時に答えた。
一団の後を追いかけ、城からかなり離れたところで五人は一団に近付き、後ろから声を掛けた。
「何だお前たちは、どこから現れた?」
振り返った一団の一人が威嚇するように言った。
「人でない者を地獄に送り返すために来た鬼だよ」
羽玖蓮が答え終わるのと同時に、史蘭は「はっ!」と掛け声とともに馬を一団に突っ込ませ、馬の前脚を高々と上げさせると、そのまま馬上の一人を蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた男は数回ほど転がり、泡を吹いた。
史蘭は連れ去られた娘の末路を聞いて怒り心頭に達していた。
「お前たちのような者を許すわけにはいかない。一人残らず斬る!」
史蘭が剣を抜くと、敵の一団も全員が剣を抜いた。
紫羅義たちも彼らの中に突っ込み、激しい戦いになったが、盗賊集団の剣では五人に対抗できるわけもなく、賊たちは逃げる間もなく瞬く間に全員が倒された。
五人は再び城に向かい村を襲うために出てくる惨霧の手下たちを叩き潰し、城に向かおうとする者は追い返した。
数日間で五人が斬った敵の数は百を超え、五人は村を探して食料を調達するために、一旦そこから離れることにした。
盗賊たちを百人以上斬ったが、五人が離れている間にも青弧城には噂を聞き付けた無頼の者や、世の中のはみ出し者たちが集まり、惨霧の手下は再びその数を増していった。その中には士官先に受け入れられなかった参謀格の宝徳賢や、戦いの中に身を置きたい孟崔申などという者たちもいた。
村を探して青弧城から離れた五人は小さい村を見つけ、中に入って行った。
「村長の家はどこですか?」
通りがかった村人に尋ねると、彼は長の家まで案内してくれた。長に会って今の事情と自分たちの使命を説明すると、彼は驚きながらも五人を歓迎してくれた。
「お若いのに人々を救うためにそのような邪悪な者たちとの戦いに身を投じるとは。我が家で良ければここに留まり、ゆっくり休息してください」
長の言葉に甘え、五人は彼の家に世話になることにした。
青弧城から馬で半日ほどの圏内には大小合わせて三十を超える村々が存在し、そこは李志村という村民が二百人にも満たない小さな村の一つだったが、村人は素朴で優しく、誰もが五人を笑顔で迎えてくれた。
長の家には農民の家には不釣合いな一頭の白馬がいた。
「見事な馬ですね」
紫羅義が馬を褒めると、長は嬉しそうに語った。
「はい、この国の王から賜った一日に千里を走ると言われる名馬です。数年前、国王が領地を見回るためにこの地にやってきたとき、腹痛を起こし苦しんでおられたので、我が家に伝わる秘薬を献上したところ一晩で回復し、喜ばれた国王はその時に乗っていたこの白馬を私に与えられたのです。ただ、そのときに、馬の名を聞くのを忘れてしまい、勝手に名を付けるのもどうかと思いまして……ところで、こちらの方が乗られてきた馬も並みの馬ではありませんね」
長は緋備輝の乗ってきた頼心のことを尋ねた。
「わかりますか? この馬の素晴らしさが」
緋備輝は得意げに言った。
「わかりますとも、私は馬が大好きでね、馬を見る目は誰にも負けないつもりです」
酒を振舞われ、馬談義が白熱し、近所の農民も集まってきて、いつしか宴会のように酒を飲みだした。
久しぶりに大酒を飲み、戦いの中で神経を磨り減らしていた紫羅義たちは、安心感も手伝って、早々に深い眠りの淵に落ちていった。
日が昇ると、神澪はまだ寝ている四人を起こさないように外へ出た。
遠くに見える山々の間から太陽が顔を出したところであり、彼は両手を広げ、大地の声や草木の息吹きを感じとりながら、それらの気を体内に取り込んでいた。
後ろから近づく足音に振り返ると、そこにはまだ幼さの残る少女が立っていた。
「やあ、おはよう。君は、長のお孫さんかい? 昨日、顔だけは見えたけど」
「はい、出ていく姿が見えたので、なんとなく後をついてきてしまいました」
少女は恥ずかしそうに神澪を見上げた。
彼女は姚秀麗という十二歳になる村長の孫娘だった。
「お兄さんたちは魔物と戦っているの?」
「そう、魔物ではなくて、魔物に取り込まれてしまった者たちですね」
姚秀麗の問いに、神澪は優しい笑顔で答えた。
「魔物はどこにでもいるの? 私の中にも、お祖父様の中にも、お兄さんの中にも」
彼女の言葉が神澪の心に突き刺さった。
惨霧の手下たちとの戦いは、人の心を無くした「魔」との戦いでもあった。その「魔」が自分の中にもある、それは確かなことであり、誰の心の中にもそれはある。いつ発動してその人間を魔物に変えるかはわからない。己を見失えば、自分もその「魔」に取り込まれてしまうことを神澪は十分に理解していた。
まだ幼さを残す少女に言われ、神澪は切なそうな表情で彼女の顔を見て、寂しそうに笑った。その時から彼女は神澪の後を付いて回るようになった。
長は村の者たちを集め、今、青弧で起こっていることを説明した。
笑顔が多かった村人たちも話を聞いて、さすがにその顔から笑顔は消え去った。
「いつ来るか、あるいは来ないかもしれない盗賊のために先祖代々の村を捨てるわけにはいかない」
大半がそんな意見であり、村の外れに見張りを置き、いつでも逃げられる体勢だけはとることにした。
剣を持たず、村から離れたくない人々には、こんな防衛策しかなかったのである。
紫羅義たちはこの村にずっと留まるわけにはいかない、今、こうしている間にも、他の村を襲うために惨霧の手下が青弧城から出てきているかもしれないのだ。
五人は、あと一晩この村で休息し、次の日の朝には再び城に向かうことを決めた。
戦いとは無縁の平和な村の中で、五人は心と体の疲れを癒し、自分を取り戻していった。そんな中で、姚秀麗は片時も神澪のそばを離れようとはせず、短い時間ではあったが、神澪は姚秀麗を実の妹のように感じていた。
別れの朝、村人は総出で見送ってくれた。姚秀麗は五人の背に向かって、いつまでも手を振っていた。




