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紫羅義  作者: 海道 睦月
86/125

その86

「そうだ、皇帝だ。俺の力をもってすれば、青弧城を拠点として、他の城、他の国々を制圧し、服従させるなど簡単なことだ。その先には当然の如く皇帝の座も見えてくる」

 一同は惨霧の言葉に目を丸くし、崔郭霊は「おお~」と感激したような声を出したが、超王元の背筋には冷たい何かが下から上に向かって昇っていった。

「違う、こいつが目指しているのは皇帝などではない、それは結果であって、求めるものは別にある。こいつに同行すれば俺たちは使い捨てにされ、間違いなく命を落とす」

 超王元は惨霧を見つめながら心の中で呟いた。

「どうだ、自分の力で、この世に楽園を作ってみる気はないか、俺様が皇帝になれば、お前たちはやりたい放題だぞ」

 惨霧の暗示をかけるような言葉に皆の目は輝いた。

 体に何本もの剣を突き刺しながら平然と先を語る惨霧の力に魅了され、ついて行けば、良いことがありそうだと皆は思い始めていたが、超王元だけは直ぐにこの場から逃げ出さなければと思っていた。

 惨霧の手下は五百を越え、元城兵の案内により青弧城を目指し進み始め、超王元は進む途中で逃げ出した。

 惨霧の一団が城の南西側の道から出てきて城門に向かおうとしたとき、南東側の道から劉比青と武真郭の率いる桂国軍が姿を現した。

 桂国軍は城門の前まで一気に駆け抜け、城門を背に戦闘体型をとり惨霧軍に向かった。

「ちっ、俺たちを討とうとやって来たこの国の軍か、大事なときに出てきやがって」

 惨霧は右手を上げて自軍を止めると振り返り、桂国軍を指さした。

「城を落とす前に奴等を叩き潰す、行け!」

 ほぼ同数の兵力であったが、惨霧に従う連中は元兵士もいるが盗人や博徒くずれ、風来坊、そんな人間ばかりであり、普通ならば統制のとれた軍に出会えばとても太刀打ちできるはずもなかった。しかし、彼らはすでに暗示にかかり、自分たちを最強の軍だと思い込んでおり、そのまま桂国軍に突っ込んで行った。

 最初こそ桂国軍の優勢であったが、徐々に惨霧の側が押し始めた。

 暗示にかかり、斬っても動けるうちは向かってくる惨霧軍に、桂国軍の兵士は恐怖を覚え、逃げ腰になり始めた。さらに、惨霧という怪物の、相手を寄せ付けない圧倒的な力も加わり、桂国軍は崩れだした。

 自軍が不利と見た劉比青は城の中に入るよう命令を出すとともに、城門に駆け寄り開門を叫んだ。

 桂国軍はなんとか城内に逃げ込み安堵し、劉比青がこれからのことを相談しようと武真郭に近寄ったとき馬の下から赤い影が飛び出した。

 武真郭と向かい合った劉比青は彼の胸から剣の先が飛び出してくるのを目の前で見た。

 赤い影は、馬の腹にしがみつき、城内に入り込んできた惨霧であり、後ろから武真郭を突き刺したのだ。

「お前のことは忘れちゃいねえぜ、俺様を狙った奴は生かしてはおけねえんだよ」

 惨霧は身をひるがえして門を閉めた兵に襲いかかり、再び門を開け放った。

「入って来い!」

 惨霧の一言で、外の手下たちが雄叫びをあげながら飛び込んで来た。

「東門から逃げよ」

 防ぎきれないと判断した劉比青は叫びながら、自らも東門に走った。

 東側には小さな門があり、城の兵も桂国軍もこの門から逃げ出し、しばらく走ったところで集結したが、集まった兵は三百にも満たなかった。

「太守はどうした?」

「遠目に斬られるのが見えました」

 劉比青が青弧の兵に尋ねると、彼は大きく首を振り、力なく答えた。

 惨霧の手下もこの戦いで半数近くに減り、青弧城を奪った惨霧は休息を兼ねて、この城内で力を蓄えることにした。

「暫くここを根城にする、そのうち中央に出てって、皇帝になってやるがな。お前ら、将来は皇帝軍だ。皇帝軍最初の仕事だ。近隣の村に行って、女を拐って来い、俺は他のものはいらん。後は自分たちの食いもんを勝手に調達して来い」

 惨霧の命により、未来の皇帝軍は徒党を組んで城から出陣し、彼らは三十人ほどで一隊となり、あちこちの村で略奪を開始した。

 青弧の町中で二人の若者が歩きながら話をしていた。

「聞いたか、青弧城が何者かに乗っ取られたらしい」

「ああ、大変なことになったな。しかも、その城から出てきたであろう連中が、惨霧皇帝の兵だと言いながら近所の村で略奪行為を始めたらしいぞ」

 二人はそんな話をしながら擦れて文字がはっきり読めなくなった看板が掲げてある家の中に入って行った。

 紫羅義たちは青弧の領内に入り情報を集めながら祖母の墓を捜していた。

 小さな町に行き当たり、宿屋も見えたのでここに滞在し、情報を集めることにした。町に入ってすぐに紫羅義は遠目に見える看板のようなものがなぜか気になり、その家を凝視していた。その家には若者が吸いこまれるように次々と入って行った。

「すまん、どうしてもあの看板のある家が気になる」

 紫羅義は横路に入って行き、皆も、何事だ、という顔をしながら後に続いた。

 朽ち果てる寸前と思うような木の看板には墨で何やら書かれているが、それは擦れて読めるような代物ではなかった。

 馬を降り、その文字をなんとか読もうとしていると中から老人が出てきた。

「何かご用かな?」

 一同を見回すその老人はもう七十歳を過ぎているだろうと思われたが、しっかりと背筋は伸び、長い白髪を後ろに束ね、これまた長い白髭を風に流す仙人のような風貌であった。

「いえ、用というほどのことではありません、この看板を見たらなぜか懐かしいような気がして」

 紫羅義が答えると、老人は彼に近寄り、顔を食い入るように見た。

「お主、名は何と言う?」

 隆斗は紫羅義と言う名で通してきたので何も考えずに名乗った。

「紫羅義と言います」

「紫羅義じゃと!」

 老人は一同が驚くほどの大声をあげた。

 老人はさらに紫羅義に近づき、顔を覗き込んだ。

「似ている、あの頃の紫羅義にそっくりじゃ、お前さん、息子じゃな」

 老人は目を細め紫羅義の顔を見た。

 紫羅義は以前に父である隆徹から聞いたことを思い出していた。

 隆徹がまだ青弧の地で暮らしていた頃、伯柳禅という塾の先生にずいぶんと面倒を見てもらったと、そんな話を聞いたことがあった。

「もしや、伯柳禅先生ではありませんか?」

「おお! お父上から聞いておられたか、やはり貴殿は彼の息子であったか、そうか」

 老人は今にも踊りだすのではなかろうかと思うほど喜んだ。

 中へ案内され、隆徹の若い頃の話を散々聞かされた。その後で紫羅義は旅の目的を伯柳禅に全て語った。

「これも天意じゃな」

 伯柳禅は何かを思い起こすように庭の方を向き、話しだした。

「紫羅義はここから朱浬に向けて天下万民を救うために旅立った。そして、今度はその息子が世の中を救うために青弧に戻ってきた。しかも、お主は引き寄せられるようにここに来た。情報を得るのにここは一番良いところなのじゃ」

「では惨霧という者をご存知ですか?」

 紫羅義は身を乗り出した。

「ここは将来、国を担おうと志す者たちが通う塾じゃ、塾生はいつも天下国家を論じている。彼らは生きた情報を日々求めており、手に入れた情報はここに集まるのじゃよ、惨霧の話も入ってきておる」

 伯柳禅は惨霧に関する情報や、他の役立つ話を彼らに伝えた。

 惨霧が青弧城を奪い多くの手下がいるであろうこと、自分たちを皇帝軍と呼び村々を襲い略奪をしていること、祖母の墓と青弧城の場所、そして、町や村の位置など、伯柳禅は知っている限りの情報を教えてくれた。

 一晩泊めてもらい、次の日の朝、五人は伯柳禅に見送られ、青弧の城に向かうべく先生の家を後にした。

 城に向かって西へと馬を進め、途中いくつかの村を通り過ぎ、ある村まで来たとき、村人たちが集まっているのが見えた。五人に気付くと村人たちは慌てたように散り、家の中に飛び込んで行った。

「我らは怪しい者ではありません、旅の途中、この村に立ち寄っただけです」

 紫羅義が家の中から怯えるように外を覗く村人たちに声を掛けると、一人が辺りを警戒しながら外へ出てきた。

「何かあったのですか?」

 神澪が優しい口調で彼らに尋ねた。

「隣村が盗賊に襲われたらしいのです、あなた方は盗賊の仲間ではないのでしょうね」

 村人の一人が怯えるような目付きで五人を見上げた。

「こんな美しい盗賊がいると思いますか?」

 真顔で答えた史蘭を見て、他の四人は意味もなく空を見上げた。

「この女は……紫羅義、なんとか言ってやれ」

 羽玖蓮は流れる雲を目で追いながら心の中で呟いた。

 だが、史蘭の言葉で村人たちは安心したのか、家の中から出て姿を現し始めた。

「盗賊とはどんな連中なのか、詳しく話を聞きましたか?」

 史蘭が尋ねると、男は一人の村人を呼んだ。

「こいつが、隣村に用事があって行ったんだそうで。そこに盗賊が現れて逃げ帰ってきて、その話を聞いていたところです」

 呼ばれた男が隣村の出来事を話し始めると、再び村人たちが集まってきた。

「恐ろしい連中でした。隣村まで行って外で話をしていたとき、突然、馬に乗った 男たちが駆け込んできたのです。我らは皇帝軍である、食料と娘を差し出せと叫び、いきなり食べ物と娘を捜し始め、止めようとした者は容赦なく斬られました。だからみんな逃げたんです。私も必死で逃げてきました」

 男は「皇帝」と、聞き捨てならない言葉を口にした。


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