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紫羅義  作者: 海道 睦月
78/125

その78

 隆斗は中庭で草花たちと同化するように立っていた。

 その草花たちを揺らすように緩やかな風が吹き始めると、隆斗はその風に押されるようにして池に架かる橋に昇り、中央で歩みを止め水面を見下ろした。

 彼は西の地に向かう方法を思案していた。

 皇帝の玉座に座ることはなくなったはいえ、その皇帝の兄であることに変わりはない、単身で城から離れ、旅に出るなどとは許されない立場であった。まして、魔物を討伐するために軍を率いて青弧の地に向かうなど、とても言えることではなかった。

「どうすればよいか。う~む……」

 隆斗は橋の上で腕組みをして、目を閉じ唸っていた。

「知恵を貸しましょうか?」

 その声に振り向くと二人の青年が立っていた。

「貸してくれるか、お前たちの知恵を」

 隆斗は二人を見て、ふっと笑った。

 二人の若者のうち一人は羽宮亜の息子で()()(れん)、そして、もう一人は神羅威の息子の(しん)(れい)であり、三人は同じ年に生まれ、皇帝の息子と家臣の息子という垣根を越えて義兄弟の契りを交わした仲であった。

 羽玖蓮は父の羽宮亜には似ず、剣に魅せられ、隆斗が極めた風狼天翔の剣技と同じ、王朝に伝わる門外不出の秘剣、(うん)(りゅう)(てん)()の剣技を極めていた。

 二百年以上前、志芭王朝の創始者である(ちょう)(げっ)(たん)の時代に(こう)(しょう)(うん)という将軍がいた。彼は剣の達人であるばかりでなく、霊感とも呼べる力を持っており、超月誕と共に戦い、大基慈大陸を平定するにあたって大きく貢献した。

 そんな黄昌雲将軍も一度だけ負け戦で逃げたことがあった。味方とはぐれ、単身山の中に迷い込んだとき、彼は何かに導かれるように山の中を進み小さな洞窟を見つけた。

 中に入ると、奥に祠があり、そこには「風狼天翔」「雲竜天舞」と彫られた二本の剣が置かれ、それぞれの剣の横には「風」「雲」と書かれた剣の極意書が置かれてあった。

 いつ、誰がそこに置いたのか、誰が書き記したものなのか、黄昌雲が調べていると「持ってゆけ」と声がした。

 彼は窟内を見回したが、周囲には人どころか、ネズミ一匹見当たらなかった。

 黄昌雲はそれらを持ち帰り、極意を修得しようと試み、実戦でもその剣を使った。

 完全には極意を得ることはできなかったが、彼はその剣の威力に驚くと同時に、剣が悪意を持った者に使われることを恐れた。

 志芭の王朝が樹立され、戦いに終止符がうたれると、黄昌雲将軍は二振りの秘剣を、超月誕に進言して城の奥の宝物殿に収めて封印した。そして、その剣と極意書のことは伝説のように王朝の中で語り継がれていった。

 時は流れ、(ちょう)(たい)(げん)皇帝の時代に、剣の申し子と呼ばれた男がその話を聞き、宝物殿の扉を開け、剣と極意書を手にした。その男こそ、幼い隆撤を守りながら朱浬の都を脱出し、青弧の地に逃げ、そこで風狼天翔の剣技を教えた()(げん)(ぼく)であった。

 李玄朴は二つの剣技を修得しようとしたが、彼ほどの達人でさえ、風狼天翔の剣技を極めるのがやっとであり、雲竜天舞の剣を修得するのは断念し、再びその剣と極意書を宝物殿に戻した。

 李玄朴から受け継がれた風狼天翔の剣は隆撤とともに朱浬の都に上り、魏嵐との戦いが終わったとき、再び宝物殿に納められていた。

 隆斗と羽玖蓮は幼い頃より剣の修行に励み、己の腕に自信がついた時、隆撤に願い出て宝物殿の扉を開け、隆斗は風狼天翔の剣と「風」の極意書を、羽玖蓮は雲竜天舞の剣と「雲」の極意書をそれぞれが手にし、その剣を極めようとした。

 二人とも李玄朴に勝るとも劣らない剣の天性があり、それぞれに剣の極意を極めたが、このときはまだ、この二本の剣が交わるとき、どれほどの力を発揮するのかを二人は理解してはいなかった。

 もう一人の若者、神澪は父である神羅威の資質を強く受け継ぎ、幼い頃より兵法書を読みあさり、その才は父である神羅威さえも驚かせるほどであった。そして、神澪は隆斗と羽玖蓮と共に森羅万象と対話する修行もしていた。

 隆斗の使う風狼天翔の剣も、羽玖蓮の使う雲竜天舞の剣も、森羅万象を我が物にしなければ威力は半減する。三人で修行したが、皮肉なことに一番深くその力を己の中に取り込むことができたのは秘剣を持たない神澪であった。

 彼は風、雲、星たちの動きを読み、木々と対話し、鳥や動物たちの心を理解するばかりでなく、彼らを操ることさえできるほどになっていた。

 この二人が隆斗の後ろから声を掛けたのだ。

「千年以上の命と、不死の体を持ち、人の生き血を吸う魔物が青弧の地に現れ人々を苦しめている。その魔物を倒しに行こうと思う」

 隆斗は水面を見下ろしながら語った。

「では、我らも同行しましょう」

 羽玖蓮と神澪は声を揃えて答えた。

「信じるのかこの話を」

 隆斗は水面を見下ろしたまま尋ねた。

「事実はわかりません、しかし、隆斗様がそう言うのならそうなのでしょう」

 神澪は静かに、そして、はっきりとした口調で答えた。

「不思議な老人と出会って話をした」

 隆斗は老人の言葉を二人に聞かせた。

「その御老人は空か大地が遣わした人かもしれない。行くべきです」

 神澪は目を見開き、燃えるような瞳で隆斗を見た。

「俺もそう思います。隆斗様に危機を伝えにきたのでしょう。行くべきです」

 羽玖蓮も力強く言葉を吐き出した。

「お前たちがそう言ってくれるのは心強いが、問題はどうやって城から出るかだ、こんな話をしたところで誰も信じないだろう、それを考えていたのだ」

 隆斗は空を見上げ、流れる雲を見ながらため息をついた。

 いつの時代も、息子が困り事を最初に相談する相手は決まっていた。

 次の日、隆斗は波流伽の前に座っていた。

「世を知り、己を磨き高めるために、旅に出たいと思います。我が父が東進してきた道を逆に辿り、西の地、青弧を目指したいのです」

 隆斗は波流伽の目を真っ直ぐに見た。

 名目はあくまで己を磨く旅である、いくら母が那岐一族の出身で、恐ろしい敵を多く見てきたとはいえ、千年以上の命を持つ不死の吸血魔の話を信じるとは思えないし、たとえ母が信じたとしても、他の重臣たちは誰も信じないであろう。

 隆斗は吸血魔の話は一切出さなかった。

 波流伽は「隆撤によく似ている」と、先日そう思ったばかりの息子を前に、もうすでに決めたことに何を言っても聞かないだろうと思っていたし、息子の母としては笑顔で送り出してやりたいとも思っていた。しかし、皇后という立場上、それを許すわけにはいかなかったのである。

「単身で旅をしなければ意味がないと言うのですね。兵を率いてゆくのならいざ知らず、皇帝の兄が単身で旅をするなど聞いたことはないし、前例がありません。そのようなことは許すわけにはいきません」

 波流伽は隆斗の申し出を却下した。

「前例はあります。我が父が皇帝となるのは天意だったはず、つまり皇帝となるのを約束されていたはずです。しかし、父は一人で青弧の地から旅立ちました。それに、誰でも最初にやろうとしたときには前例などはないはずです。前例がないと恐れていては何もできません」

 隆斗の言葉を聞き、波流伽は険しい表情をしながらも目を輝かせた。

「どうしても行きたいのですか?」

「どうしても行きます」

 波流伽の問いに、隆斗は強い口調で答えを返した。

 波流伽は目を伏せ、寂しそうな顔をした。

「あなたはもう私の手を離れてしまうのですね。嬉しいような寂しいような。二十年なんてあっという間」

 波流伽は目を閉じて大きなため息をつき、そんな母を息子は申し訳なさそうに見ていた。

「隆撤! あなただったら、誰が止めても、城を抜け出して旅立つでしょう。この子も同じことをする」

 波流伽はいきなり天井を見上げ、そう言うと、燃えるような目で隆斗を真っ直ぐに見た。

「青弧の地には隆撤前皇帝の母、皇太后様が眠っています。あなたの父の母君は青弧の地で亡くなり、皇太后様として祀る廟は朱浬の都にありますが、お墓はそのまま青弧の地にあるのです。皇帝の名代として訪れるとなれば物々しい巡行となるでしょう、しかし、孫が祖母の墓参りをするということなら話は通り易いはずです。私からも皆に話をしておきます。それでも反対されるでしょうが、後はお前次第です。行きなさい、自分の思うままに進むのです。お前の本当の目的が他にあるのはわかりますが、今は何も聞きません。いつか戻ってきたら話しておくれ」

 隆斗を見る波流伽は母親の顔になっていた。

 波流伽は隆斗を頼もしく思うと同時に羨ましくもあった。自分も野山を駆け回り修行をし、波邪斗に厳しく育てられたが心はいつも自由であり、怖いものなど何もなかった。馬に跨がり隆撤と共に都を目指したときのように、今度は隆斗とともに旅に出たかった。しかし、それは叶わぬ夢であり、強い意思を持ち、旅立とうとする隆斗が羨ましかった。

「ありがとうございます、いつか、全てお話します」

 隆斗はもうそれ以上何も言うことができなくなり、頭を下げ、早々に部屋を出た。

「さすがは母上だ、俺の本当の目的が他にあることを見抜いていたか」

 隆斗は母に感謝しながら、長い回廊を歩き出した。

 数日後、羽宮亜と神羅威がそれぞれの息子を伴って隆斗を訪ねた。

「波流伽様から聞きました。皇太后様の眠る青弧の地に墓参りに行きたいと。そして本当の目的が他にあるであろうことまで話してくれました」

 羽宮亜はそう言うと、ため息をつき無言になった。

 隆斗は羽宮亜が情に脆いことを知っており、そこを突くべく、涙の一つも見せようかと思いながら、次の言葉を待っていた。しかし、羽宮亜は無言のままだった。

 そんな羽宮亜を見て今度は神羅威が話し出した。

「行くのでしょうね、私どもが何を言っても」

 神羅威は隆斗の顔をジッと見つめた。

「すまん」

 隆斗は首を折るように頭を下げた。

「私たちがあなたのお父上と出会ったのは、今のあなたの年頃です。それからずっと共に歩んできました。そして、あなたのことも幼少の頃よりずっと見てきました」

 神羅威は頭を垂れる隆斗を見た後に、遠く懐かしいものを追うように窓の外を見た。

「振り回されましたなあ、あなたの御父上には。はっはっは」

 神羅威が笑うと、羽宮亜も楽しそうな顔をして頷いた。

「司鬼一族との最後の戦いのときも、我が儘を言われて、本当に困った。あの時に比べれば、青弧の地にあなたが向かうことなどたいしたことではないでしょうな」

「では重臣の方々を説得してくれるのか?」

 神羅威の言葉に隆斗は身を乗り出した。

 今度は黙っていた羽宮亜が口を開いた。

「あなたは、あの頃の紫羅義殿によく似ている。だから、我らには、あなたの心の中がよくわかるのです。話を聞いた時、我らの立場としては身を呈して止めなければならないと思いました。しかし、神羅威と話しているうちに止めても出ていくだろうと思い、それなら、我らが責任を負うからと皆を説得し、送り出そうということで意見が一致したのです」

「すまん、本当にすまんと思う」

 羽宮亜の言葉に隆斗は頭を下げるしかなかった。

 責任を負うとは、もし、隆斗に何かあった場合、二人は厳しく処罰されるということなのだ。

 隆斗にはそれがよくわかっていた。


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