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紫羅義  作者: 海道 睦月
77/125

その77新章

 志芭の国から遥か西方に(けい)という小国があった。

 この国の山奥深く、ある洞窟の中で、圧倒的な力を持つ魔物が千二百年の永き眠りから目覚めようとしていた。

 魔物の名は、(ざん)()。千二百年前、突如として現れ、村々を襲い、村人たちの生き血をすすっていた。

 辺境の地にまだ人の少なかった時代、惨霧のために小さな集落がいくつも無人と化し、彼自身もこのままでは自分の食料となるべき相手がいなくなると思い、山奥に入り込み、仮死となって時が経つのを待つことにした。

 彼は時が経てば、食料となる人間の数が十分に増えるだろうと考えたのだ。

 その魔物が、今まさに目覚めようとしていた。

 隆徹が志芭王朝を復活させてから二十二年、司鬼一族との戦いからは十五年の時が経ち、世の中は天下太平であり、人々は平和に暮らしていた。

 志芭の朝廷は隆徹の次男である超流堅が即位し、志芭王朝の第十四代皇帝として天下を治めていた。

 波流伽は健在であったが、隆徹は重い病に倒れ、すでに他界しており、羽宮亜は宰相に、叙崇国は副宰相に、神羅威は軍を一手に掌握する国防大臣となっていた。 軍では馬元譚が大将軍となって、睨みをきかせており、趙士雲は一線を退き、志芭王朝の元老として、最高位の飛竜将軍という名誉将軍に封じられていた。

 隆徹が病に倒れたとき、長男である隆斗が皇太子として指名されており、次期皇帝となるはずであったが、隆斗は父親である隆徹の物事に固執しないという性格を強く受け継いでおり、玉座に座ることを望まなかった。

 隆斗は小さい頃から自由奔放で、森羅万象と対話する能力は父をも凌ぎ、隆徹が体得していた風狼天翔の剣技を十八歳にしてすでに自分のものとしていた。そして、人を惹き付ける力も父から受け継いでいた。

 次男の流堅も隆徹の資質を強く受け継ぎ、その懐の深さや洞察力により若くして家臣たちから慕われ、まさしく皇帝になるべく生まれてきたような人間であった。

 隆徹と波流伽もこの二人の資質の違いにはずっと気づいていたが、慣例として長男である隆斗を次期皇帝として指名するのが筋であり、それに従った。

 隆徹は自分の命は長くないと予感したとき、病の床から二人の息子と羽宮亜、神羅威、叙崇国たちの重臣、そして波流伽を呼んだ。

「……似ている」

 波流伽は病に伏せる隆徹と、枕元に座る隆斗を見比べながら呟いた。

 二人を見比べ、波流伽は今更ながら二人がよく似ていると感じていた。

「隆斗よ、お前は皇帝になる運命を背負って、この世に生を受けた。その運命に従い志芭王朝の皇帝となるのだ。しかし、もし、お前に何か思うものがあるのなら、わしの命があるうちに聞いておこう」

 隆徹は隆斗の顔を病の床から見上げた。

「わたしの天命は皇帝になることではありません」

 隆斗ははっきりした口調で答えた。

 一同は隆斗の顔を見たが、驚く者はいなかった。彼がそう答えるであろうことは誰もがすでにわかっていたのだ。それは隆徹でさえ予想していた答えだった。

「私は天下万民のために役に立ちたいと思っています。己の身一つで城の外に出て、世の中のことをこの目に収め、見識を広め、それがいつか朝廷の役に立てばと思っています、どうか私の我儘をお許し下さい。玉座に座るのは流堅がまさしく適任、王朝の明日のために後継者は流堅がなるべきです」

 隆斗が話し終わると、厳しい表情だった隆徹は、ふっと笑った。

「そうか」

 隆徹が波流伽を見ると、彼女は微笑みながら下を向いていた。

「皆の者はどう思う?」

 隆徹は一同を見回した。

「隆斗様は多くのものに縛られる皇帝という立場は不向きかもそれません。ご本人のためにも、そして先程、ご自身がおっしゃったように、志芭国の明日のためにも、外に出て見識を広められた方がよいと思われます。長男が後継者となるのは筋でありますが、お二方のことは家臣一同よくわかっています。反対する者はいないでしょう。我らも流堅様を全力で補佐いたします」

 羽宮亜の言葉に一同は頷いた。

 次男である流堅が後継者となり、その数ヶ月後、隆徹は息をひきとり、流堅が志芭王朝の第十四代皇帝となった。

 皇帝となった流堅が十八歳、そして兄である隆斗が二十歳の時であった。

 隆斗は城の外へ出てと言ったが、彼にはある目的があった。それは父である隆徹が、志芭の国を目指して旅立つ時まで住んでいた(せい)()の地を訪ねことであった。

 隆徹が病に伏せる前、隆斗が城内で市が開かれている場所にふらっとでかけたとき、木陰に座り込んでいた老人に気がついた。その老人は白髪に白い長い髭をはやし、石の上に座り、何やらブツブツと呟いていた。

「魔物を撃ち破る力を持つ者はいないか」

 老人の前を通り過ぎようとしたときに、そんな言葉が聞こえてきた。

 隆斗は立ち止まり尋ねた。

「ご老人、魔とは誰のことですか、今は争いもなく大平の世、盗賊もその姿を消し、魔物などというものがいるとは思えませんが」

 老人は顔を上げ、隆斗を見ながらゆっくりと首を横に振った。

「お若いの、あなたは世の中を知らない、確かに都の周りは天下大平じゃろう、だが、辺境の地では今でも盗賊は現れるし、魔物も蠢き、人々に禍をもたらしているのじゃよ」

「そうなのですか、して、その辺境の地とは何処なのですか」

 隆斗は老人の顔を覗き込むように見た。

「青弧じゃよ」

 老人の言葉に隆斗は首を傾げた。

「青弧だって? 青弧というのは確か、父が都を追われ、流れついた地、父の母が眠る地ではないか」

 隆斗は以前、父から青弧での暮らしを聞かされたことがあった。

「ご老人、その話、詳しく聞かせてはもらえまいか」

 隆斗は老人に近づき彼の正面に立った。

「ふむ、いいだろう、ところで、お主はなかなかの人相をしておる。多くの人の上に立つ者の相じゃ、お主は何者じゃな、名は何という?」

「ああ~、紫羅義という風来坊です」

 老人に聞かれ、隆斗は思わずそう答えた。

 適当な理由をつけて外に出てきているので、皇帝の長男がこんなところを一人で歩いていると周囲に知られれば大騒ぎになり、警備兵が飛んでくるのは間違いない。本当の名前も、素性も明かすわけにはいかなかった。

「紫羅義か、遠い昔、何処かで聞いたことがあるような気がするが……」

 老人は長い顎髭を撫でながら空を見上げ、目を泳がせた。

「いや、それはご老人の思い過ごしでしょう、で、魔物の話ですが」

 隆斗は話をそらせ、老人の前に座り込んだ。

「うむ、そうであったな、青弧の地で、惨霧という千数百年もの命を持つ者が長き眠りから目覚めようとしておるじゃ」

 老人の言葉に、隆斗は身を乗り出して彼の顔を見た。

「え、千数百年ですって……ご老人、気は確かですか、それとも私を騙そうとしているのですか?」

 老人は無言のまま隆斗の目をしばし見ていた。

「そう思うか、そう思うのなら、お主もその程度の男だということだな」

 老人は身動ぎもせずに隆斗の目をそのまま正視していた。

 その目は人を陥れようとする者の目ではなく、深く吸い込まれそうな、それでいて何か安らぎを感じさせるようなものであった。

「失礼なことを言って申し訳ありませんでした、ご老人の話を信じます」

 隆斗は頭を下げた。

 老人はそんな隆斗に、まるで自分の孫にでも対するかのような微笑みを見せ、満足そうな表情をし、話を続けた。

「惨霧がどこでどうやって生まれたのかはわからん、だが、彼は不死の体を持ち、その体を維持するために村人たちの生き血を求めるのだ。このままでは多くの者が犠牲になるだろう」

 老人は悲痛な顔をして目を閉じた。

「しかし、青弧の地にもそこを治める太守がおり、兵もいるはずです、そんな魔物が村人を襲えば黙ってはいないはずですが」

 隆斗は力を込めて言葉を発し、老人の反応を確かめるようにその顔を見た。

「あいつは頭が良く狡猾なのだ。そう簡単に人々の前にその姿を現すことはないだろう、行方不明の村人が増えるだけだ。太守の耳に届き、兵が動くまでにどれほどの者が犠牲になるか」

 老人は大きくため息をついた。

「それに、千年以上も生きて、不死の体を持ち、人の生き血を吸う魔物の話など、 誰も信じぬであろう。お前さんも信じなかった」

 老人にそう言われ、隆斗は返す言葉がなかった。

「では、犠牲者が増えるのを黙って見ているだけなのですか?」

 隆斗が尋ねると老人は首を横に振った。

「事はそんな単純ではない。お前さんがもしその吸血魔だとしたら、頭が良く、強い力を持っていたとしたら何を考える? お主たちは日々の食べる物をどうやって手に入れているのだ?」

 老人に言われ、隆斗は「あっ」と声をあげた。

「吸血魔は一人一人の血を求めるのではなく、その力により王のように君臨し、手下を作り、その者たちの手により人を集めさせると?」

 隆斗の言葉に老人は頷いた。

「そうだ、その力は太守の持つ兵にも及ぶだろう、魔物を捕らえるはずの者が、魔物の手下となって働くのだ、人間を捕らえるために。どうする、誰もこのような話は信じないぞ。気づいた時には手遅れであろうな」

 隆斗は恐る恐るさらに老人に尋ねた。

「そのまま魔物の思う通りに事が進むと……どうなるのですか?」

 老人は隆斗の顔をジッと見て呟いた。

「西の果てに皇帝が誕生する、吸血魔のな。そして人々はやつの家畜となる。青弧を有する桂の国は辺境の小国、兵の数は千にも満たない。蹂躙されるのは時間の問題じゃろう」

 隆斗は息を呑んで老人の顔を見つめ、暫く考えていた。

「私が行ってみましょう、誰も信じないのなら私が行って止めてみせます」

 隆斗が力強く答えると、厳しい顔をしていた老人は優しい表情になった。

「そうか、お前さんの人を惹き付ける力は天性のものだ、力を貸してくれる者が多く現れるであろう、己の力を信じ、青弧の地に向かうがよい」

 老人の言葉に頷き、隆斗は立ち上がった。

「これにて失礼します」

 老人に頭をさげ、十歩も歩かないうちに名を聞くのを忘れた隆斗が振り返った時には、老人の姿はもうそこにはなかった。

 二人が話をしていたまさにこのとき、惨霧が長い眠りから目覚めるための胎動を開始していた。

 隆斗は城に戻り考えていた。青弧の地に行くとは言ったものの、次期皇帝となるこの身では自由気ままな旅などできるわけがない。

 そんなときに隆撤が病に倒れた。

 そのまま引退し、自分を皇帝に指名するかもしれない、そうなればもう身動きはできなくなる。隆斗はことさらに自分は皇帝になる気がないと重臣たちに言葉ではなく態度で示した。

 そして、隆撤の枕元に呼ばれた。

 隆斗の思惑通りに話は進み、弟である流堅が次期皇帝に指命された。

「この身が拘束されることは避けられた」

 隆撤の元から戻った隆斗は胸を撫で下ろした。

 だが、皇帝の第一候補から外れたというだけで、自分の身が自由になるわけではない。いつまた話が蒸し返されるかわからなし、皇帝の兄という立場は、朝廷の中で重臣の筆頭に位置するものであり、気ままにどうにかなる、などというものではなかった。

「どうやってこの国を出て青弧に向かうか」

 隆斗は日々、そんな言葉を口にしながら遠い空を眺めていた。

 隆撤の病状は悪化する一方であり、皇帝の死期が近いことは重臣の誰もが感じていることだった。そんなある日、重臣たちが集められ、後事を託された。

 その後に、二人の息子と波流伽が呼ばれた。

「波流伽よ、あの時、俺を選んでくれたことをずっと感謝していた、このような立派な息子も生み育ててくれた。私は先に旅立つが、お前はずっとこの二人と、そして、この志芭の国を見守ってやってくれ」

 隆撤の言葉を聞くと、波流伽は無言で彼の手を両手でしっかりと握り締めて頷いた。

「流堅よ、立派な皇帝になれ、隆斗よ、自分の信念に従い進むのだ」

「はい」

 二人はその返事以外何も答えることはできなかった。

 最後に羽宮亜と神羅威の二名だけが再び呼ばれた。

「お前たちのお陰で良い人生を歩めた。お前たちがいなければ悲願は成就することはできなかった。共に志芭の国を目指した日がまるで昨日のことのように思い出される、二人には感謝の言葉もない、礼を言う」

 隆撤は微笑みながら二人を見た。

「とんでもありません。我らこそ、紫羅義殿と出会えたおかげで良い人生を送ることができました、言葉では言い表せないほど感謝しております」

「そうか、そう言ってくれるか……紫羅義か、懐かしい名だ。最後にその名を聞かせてくれて嬉しいぞ」

 隆撤は目を閉じた。

 そして、次の日、隆撤は息をひきとり、喪が開けると、次男である流堅が第十四代の志芭王朝の皇帝に即位した。


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