その67
波邪斗たちが山を降り始めた頃、趙子雲を総大将とする千八百の討伐軍は悸昌の地に向かってゆっくりと進軍していた。
駆け抜ければ半日ほどで到着する距離を三日ほどかけて、決戦の場は悸昌の地であると、話が広まるのを待ちながら進んでいたのだ。
広大な見通しのきく地、お互いに伏兵も置くこともできなければ、仕掛けもできない、そこが戦いの場だとわかれば、相手は必ず総員で出てくると趙子雲は考えていた。
「相手が出てくれば、こちらは選びに選んだ腕におぼえのある者ばかり、叩き伏せてやる」
趙子雲以下、兵を率いる将軍たちは意気盛んであった。
話を広めながら進軍していた討伐軍は悸昌に到着し、布陣した。
見張りの報告を受けた玄祥は考え込んでいた。
相手の意図するところはわかる。しかし、伏兵は見えなくとも、半日あれば都から援軍が到着することは明白なのだ。
「玄祥殿、都からの援軍を心配されているのでしょうが、報告では相手は千八百ほど、それに続く後続軍も城からは出てきてはいないと。我らが本気で戦えば、半日も経たず敵を殲滅することなど容易いこと、行きましょう。相手の威信を地に落とす絶好の機会です」
月伽にそう言われて玄祥は決断した。
「よし、行こう。相手も腕におぼえはあるのだろうが、ずっと戦いらしい戦いは起こってはいないらしい。腕もなまっているであろう、我らの力を見せてやろうぞ」
司鬼軍も悸昌に向けて出発した。
玄祥だけでなく、両軍がともに相手の力量を侮っていた。
討伐軍の見張りの兵が司鬼軍を発見し、報告に戻ると、趙子雲はその様子をすぐに朝廷に知らせよと命じ、早馬は一気に都まで駆け抜け、それを聞いた隆徹は直ちに軽装騎馬部隊五千を悸昌に向かわせた。
司鬼軍はゆっくりと前進し、お互いに顔がはっきりと見える距離で止まり、両軍は遠くに山が霞んで見える荒涼たる地の中央で相対した。
司鬼軍がゆっくりと進み、相手の前まで行くのは彼らの戦術の一つであった。
向かい合ったところで奇策を用い、相手の腰を引かせ、戦いを有利に導く。これが司鬼軍の戦い方の基本であった。
全速で向かえば、相手もまた全速で向かってくる。だが、腕に自信のある者は、相手がゆっくり進めば、自分たちもゆっくりと敵を見定めながら進むという心理を玄祥は知っていた。
司鬼軍としてはお互いが全速でぶつかって、混戦になってはまずいのだ。引き分けは、すなわち負けを意味する。両軍ともに壊滅的打撃を受ければ、二千しかいない司鬼軍はそれで終わり、朝廷側の勝利となる。
司鬼軍はこの戦いを圧倒的と呼べる勝利で切り抜けなければならなかった。
両軍が睨み合いながら徐々に距離を縮めたとき、司鬼軍から数騎が前に進み出てきた。
「俺の名は牙風、お前たちに我らの力を見せてやろう」
中央にいた者がそう叫ぶと両手を前に出し、力を込めて、目に見えない丸い大きな物を唸りながら掴むような仕草をした。すると、風が巻き起こり、周囲の砂塵が舞い上がり、趙子雲たちに襲い掛った。それと同時に兵たちの間から「うっ」という呻き声があちこちからあがった。
風に乗って何十本という数の草が飛び、短剣のように兵たちに突き刺さっていた。
「俺様の名は厳雷、これを受けてみよ!」
右手側では、いかつい大男が長い竹を振り回し始めた。
「俺は飛禅!」
その隣では、驚くほど身軽な男が討伐軍の中に飛び込んだ。
「俺は双竜、我が双剣を受けてみよ!」
左手側では双竜の操る二本の白剣が光を反射して舞い、舞う度に兵たちが倒れてった。
この攻撃で討伐軍の前衛は大混乱に陥いり、目論み通り、司鬼軍の作戦は成功したように見えた。
だが、趙子雲は戦う前に兵たちに命じていた。
「奴らはどんな技、どんな術を使ってくるかわからぬ。だが、よいか、最初に身を引いた者が負ける、初手でどんな攻撃を受けようとも前に進め、それ以外に勝つ道はないと思え」
通常の兵であれば、最初の攻撃で浮き足だち、そのまま押し切られていたかもしれないが、この討伐軍は違っていた。一瞬は怯んだが、趙子雲の命じた通り、すぐに体勢を立て直し反乱軍に向かって進み始めた。
両軍は入り乱れ、戦いは混戦となり、黒雲臥は戦いの中で双竜を見つけ、馬元譚は厳雷に向かって行った。
黒雲臥は双竜と対峙し、両者は何合か打ち合うと離れ、双竜は剣を真っ直ぐ黒雲臥に向けた。
「やるな。朝廷軍の中にも貴様のような奴がいたのか、名は何という」
双竜は不敵な笑いを浮かべながら黒雲臥に名を聞いた。
「俺の名は黒雲臥、この軍を率いる将軍の一人だ」
黒雲臥も剣を双竜に向かって真っ直ぐに伸ばした。
「面白い、俺の剣を受けてみよ」
双竜は黒雲臥に飛び掛って行き、激しい打ち合いになったが、双剣を自在に操る双竜の攻撃は凄まじく、受けた傷は黒雲臥の方がはるかに多かった。
「こんな奴がいたとは。この男を生かしておけば、後々、朝廷軍は窮地に陥る、何としてもこの男だけは討ち取らねば。しかし、このままでは間違いなくやられる」
黒雲臥がそう呟いたとき、一瞬の隙を突いて、双竜の剣が黒雲臥の左肩を貫いた。
黒雲臥は後ろに飛び退き、距離をとって身構えたが、彼の受けた傷はもう剣をまともには振るえないほど、致命的なものであった。
黒雲臥は剣を片手に持ち、鮮血が流れ出る左肩を庇おうともせずに上段に剣を構え続け、双竜が仕かけてくるのを待った。
黒雲臥がよろけたとき、その隙を見逃さず双竜は「ハッ」という掛け声とともに一瞬で間合いを詰め、右の剣を黒雲臥の胸めがけて突きだした。
双竜の右剣は黒雲臥の胸に深く突き刺ささったが、同時に双竜も「グッ」と呻き声を上げ動きを止めた。
黒雲臥の剣は双竜の喉を貫いていた。
「貴様!」
叫んだ双竜の口から鮮血がほとばしった。
黒雲臥はわざと致命的な傷を受けて双竜を誘い、相手が飛び込んで来たとき、迷うことなく自分も前に飛び出して、上段に振り上げていた剣をそのまま双竜の首めがけ突き出して貫いた。
双竜は左の剣で自分を防御し、右の剣で、黒雲臥の胸を貫くつもりではあったが、深く刺す気はなかった。剣の先が心臓まで届けばよいのであって、刺して一瞬で身を引くつもりであった。
相手が剣を振り下ろしても、突いてきても、左の剣で身を守りながら、すぐに身を引けば、十分にかわせると双竜は踏んでいた。そして、たとえ剣が触れても致命傷にはならないと思っていた。ところが、黒雲臥は双竜が突く 瞬間に自らも前に飛び出て、剣を突き出した。
黒雲臥が相打ちを狙っているとわかっていれば、双竜は違う攻撃を仕かけたかもしれない、しかし、黒雲臥の気迫はとても相打ちを狙っている者の姿ではなかった。
いくら致命的であろう傷を負わせたとはいえ、戦いが長引けば、いつ隙をつかれて自分が倒されるかもしれない、そう思う心の中にこそ隙が生まれ、双竜は相手の動きを見誤り、体をかわすことができなかったのだ。
「二人して、天から戦いの結末を見ようではないか」
黒雲臥が言い終わると同時に、二つの体はもつれるように崩れ落ち、そのまま二人とも息絶えた。
馬元譚は厳雷の振り回す長い竹を押さえ込み力比べをしている最中だった。
双方に斬りかかって来るお互いの敵を片手の剣で振り払いながら、もう片方の手で竹を持ち、意地の張り合いをしていたが、そこへ、郭斯錘が現れた。
彼は根なし草となった部隊を率いて傭兵となり、戦いを生業としていただけあって、戦いの駆け引きにおいては右に出る者はいなかった。
馬元譚の状況を見ると、走り寄って竹の上に飛び乗り、次の瞬間には厳雷の体を袈裟に斬り、すぐにまた竹の上から飛び降りていた。
深い傷ではあったが、大男の厳雷には致命的な深手にはならず、郭斯錘はもう一撃を加えようとしたが、その郭斯錘に向かって何かが飛んできて首に刺さった。
「おお、羽震か、こいつを倒せ!」
厳雷が叫んだ。
叫んだ先には片手に剣を持ち、片手に鳥の羽を持つ男が立っていた。
「あの男を斬れ!」
郭斯錘は首に刺さった羽を抜きながら部下に命じた。
郭斯錘は厳雷にさらに一撃を加えようとしたが、周りにいた司鬼兵に阻まれ、思うように近づくことができなかった。
なんとか敵を払って厳雷に近づこうとしたとき、郭斯錘は動きを止め、突然向きを変えて羽震に向かって走り出し、上段からの渾身の一撃を浴びせかけた。
羽震は斬られ、その場に倒れたが、斬った郭斯錘もよろけるようにしてその場に倒れ込んだ。
「郭斯錘!」
馬元譚は叫び、隙を見て、剣を前に持ち、厳雷に体当たりを食らわせた。
厳雷の胸には剣が深く刺さり、竹を脇に抱えたまま倒れた。
馬元譚は郭斯錘の元に走り、彼を抱き起こした。
「どうしたのだ、致命傷らしき傷はないではないか」
「斬られたのではない、あの羽には毒が塗ってあった。奴だけは倒さなければならないと思ったのだ。だから、最後の力を振り絞って斬りかかった。馬元譚……後は頼む」
郭斯錘は喘ぎながらそう言うと、空を見上げたまま、体から力が抜けていった。
「郭斯錘、うおおおおお!」
馬元譚の咆哮は辺りに響き渡った。
その頃、趙子雲の元に黒雲臥の部下が走り寄っていた。
「黒雲臥将軍が討たれました」
「なんだと、何処だ?」
黒雲臥の部下による報告に趙子雲は驚き、報告に来た者の後に付いて行き、倒れている黒雲臥を見つけた。
趙子雲が国を捨てたときから、黒雲臥と馬元譚は行動をともにしてきた。野盗にまで身を落としたが、その後は義勇軍として、ずっと一緒に戦ってきた部下だった。
趙子雲は黒雲臥の亡骸を抱え、声を出すこともできなかった。だが、総大将として悲しんでいるときではない、趙子雲は黒雲臥の亡骸を部下に渡すと、馬に乗り、戦いの状況を冷静に見極めようとした。
「反乱軍がこれほどの力を持っていようとは」
明らかに討伐軍の方が押されている。趙子雲は自分の判断の甘さを悔やみ、撤退することを決断した。
「引くぞ!」
趙子雲は軍の後方に走り、引けの合図である太鼓を打ち鳴らさせた。
「引け! 引け!」
兵たちは口々に叫びながら、撤退を開始し、混戦する戦いの中で、討伐軍は潮が引くように自陣に向かって駆け出した。
討伐軍が布陣した場所には簡易的とは言え、柵が張り巡らされている。趙子雲はその中に入り込み、体勢を立て直し、敵を迎え撃とうとした。
「敵は逃げ出したぞ。追え、追って全て討ち取れ」
玄祥は後方から叫ぶとともに、突撃の太鼓を激しく打ち鳴らさせた。
司鬼軍が体勢を立て直し、一丸となって討伐軍を追い始めたそのとき、朱浬の都の方向から土煙を巻き上げ向かってくる軍勢があった。それは、隆徹が報告を受けたと同時に出陣を命じた軽装騎馬部隊の五千騎であった。




