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紫羅義  作者: 海道 睦月
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52/125

その52

 後軍にいたほとんどの兵は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、中軍は炎と後方の騒ぎの中、どう動いていいかわからず、ただオロオロするばかりであった。そして、その中軍を挟むように左右から義勇軍の兵が現れた。

 中軍の前に現れた紫羅義たちは、ある程度の距離をおいて突撃の隊列のまま馬を止めると、史瑛夏と約束した通り、手は出さずに成り行きを静観していた。

 迫る危機の中でさらに、突撃の体勢のまま止まっている紫羅義たちを見て、苑国軍の中軍はその異様な姿に恐怖をおぼえ、誰一人として戦いを仕掛けようとする者はなく、勝負はあっけなくついた。

 重騎兵と先頭の軍が林の中で壊滅したのは誰の目から見ても明らかであったし、指揮する将軍たちを失い、巨大な炎に腰を抜かした軍がまともに戦えるわけもなく、苑国軍の兵たちは次々に剣を捨て投降した。

 紫羅義が史瑛夏の部隊だけに攻撃を任せたのは、できるだけ多くの苑国軍の兵を投降させる目的があったのだ。好戦的で残忍な重騎兵と、一部の将軍に牛耳られていた兵たちはその呪縛から解放されれば、無駄な戦いはしないだろうと予測していた。もし、三方から退路を絶つように攻撃を仕掛ければ、混戦になり、敵味方ともに多くの兵が死傷する、それを避けるために紫羅義は後方から史瑛夏の部隊だけを突撃させた。

 剣を捨て、戦闘意欲をなくした苑国軍の兵たちの前に紫羅義は馬を進めた。

「皆を恐怖で縛っていた重騎兵と将軍たちはもういない、新たな重騎兵団を作るか、それとも、天下万民のために正しい姿の志芭王朝の臣となり生きるか、貴殿たちが決めよ」

 紫羅義は苑国軍の兵たちに問いかけた。

 兵たちはお互いに顔を見合せ、暫くの間ざわついていたが、そのうち一人の上級士官らしき男が進み出てきた。

「我らも人として、臣として生きてゆきたい、できるでしょうか?」

 その男は曇った表情で紫羅義に問いかけた。

「できる、我らも力を貸そう」

 沈んだ表情で見上げる男に向かって紫羅義が言うと、男の表情は一転して晴れやかになり、後ろの兵たちからも歓声が上がった。

 敗残の苑国兵を引き連れ、義勇軍は峨諒の城に向かったが、全ての兵が同意して城を目指したわけではない。紫羅義は強制しなかった、離れる者は自由にせよ、と宣言していたので、仲間を失って、それを恨みに思う者や、現体制を支持していた者は次々と離反し、峨諒の城に到着したとき、一万二千ほどいた苑国兵は一万にも満たない数となっていた。

 太守の呂厳辰は義勇軍とそれに従う自国の軍を見て驚き、すぐに城門を開け、恭順の意を表した。紫羅義は城に二千の苑国軍の兵を残し、己の力で城を再建せよと言い残すと、八千の苑国兵を引き連れ、呂鐘殻国王の居城へと向かった。

 苑国の城に近づきつつある義勇軍八千と苑国軍八千を、城門の上から周囲を監視していた見張りの兵が発見し、城門警備の士官に報告した。

 士官は自国の軍が凱旋してきたものと思い、迫る軍勢を凝視した。そして、重騎兵の姿が見えないことに気がついた。彼らが戦闘から戻るときは、恩賞を貰うためにいつも必ず先頭に立ってやって来るはずなのだ。

 近づいて来た軍勢を見て士官は慌てて国王の元に報告に走った。

「反乱軍らしき軍勢が、我が国の軍を引き連れて近づいてまいります、重騎兵の姿は見えません」

 士官が報告すると、国王は慌てて城門に向かった。

 城門の上に登った国王が見たのは、一騎の武将とその後ろに従う自国の軍勢であった。

「貴様は何者だ、重騎兵はどうした?」

 城門の上から国王が叫んだ。

「俺の名は紫羅義、義勇軍の頭目だ。重騎兵団も将軍たちも、一足先に旅立ったぞ」

 紫羅義が答えると、城門の上に集まった兵たちからどよめきが起こった。

「ぬぬ、なんたることだ。お前たち、義勇軍に従って戻ってくるとはどういうことだ、恥を知れ!」

 国王が紫羅義の後ろに従う自国軍にそう叫ぶと、一騎が前に出て紫羅義の横に並んだ。「我らは恥を知ったから、義勇軍とともに戻ってきたのです。あなたも恥を知るべきです、いや、他の者も、知るべきだ」

 彼は国王と城門の上の兵を見回した。

「この裏切り者め! かまわん、矢を放て、こいつらを蹴散らせ」

 国王は周囲の兵に命じたが、皆、お互いに顔を見合せ、自国の兵に向かって、矢を構える者はいなかった。

「何をしている、わしの命令が聞けんのか!」

 国王は左右を見ながら叫んだ。

 紫羅義は城門の上の様子を無言で見ていた。

 国王の左右にいた将軍らしき二人が剣を抜くと、国王の首の前で十字に交差させた。

「なにをする!」

 国王は剣を見たまま首を引いた。

「国王、もはやここまでです。我らは志芭王朝の臣に戻り、そして、今まで多くの民を苦しめ、その命を奪った罪を償わねばなりません」

 剣を突きつけた将軍らしき一人がそう言うと、もう一人がその言葉を引き取った。

「ただし、志芭王朝というのは魏嵐の王朝ではありません。現王朝の元、あなたは悪政を続け、それを諌めた多くの忠臣を処刑してきました。我らも重騎兵を恐れ、心ならずもそれを黙認してきました。これからは罪を償い、国の再建のために生きなければなりません」

 彼は剣を下ろすと、城門の前にいる紫羅義に向かって、自分たちでけじめをつけたいとの旨を申し出て、姿を消した。

 暫く待つと城門が開かれ、紫羅義たちが入ると、中にいた苑の国の兵は整列して彼らを迎え入れたが、そこに国王の姿は見当たらなかった。

 長男と次男も城内にいたが、この二人は父である呂鐘殻の資質を強く受け継ぎ、民を苦しめ、忠臣を遠ざける悪しき過去に加担しており、国王や王の一族とともに牢の中に閉じ込められた。

 紫羅義一行は数日の間、城に滞在し、休息と補給をしたが、その間に呂鐘殻の三男が新しい国王に選ばれた。

 三男の()(こう)(せん)は一六歳であったが、魏嵐王朝や国王である父の所業、そして重騎兵の存在をあからさまに批判したために幽閉されていた。しかし、呂晃宣の才は他の兄弟たちのはるか上であり、性格も温和で家臣たちからも慕われており、彼が新しい国王となった。

 紫羅義一行が城を後にするとき、新国王は城門の外まで見送りに出てきた。

「これからは苑の国の民のため、いや天下万民のためにこの身を捧げます。あなたたちが窮地にたったときには軍を率いて駆け付けます」

 そう言って呂晃宣は両手で紫羅義の手を握りしめた。

 義勇軍を送るその姿は堂々として凛々しく、新国王の名に恥じないものであった。

 紫羅義一行は再び志芭国を目指し進み出した。

「新国王には、これから辛い試練が待ち受けているだろう、一六歳でその選択を余儀なくされ、その試練を乗り越えなければならない」

 東へ向かう馬上で紫羅義はそう呟いた。

「その通りです、親と兄弟、そして親族一同を処刑しなければならない」

 羽宮亜と神羅威も、ため息をついた。

「幽閉だけでは駄目なのですか?」

 波流伽が紫羅義の横顔を見つめながら尋ねた。

「残された将軍や家臣たちは新国王に詰め寄るだろう。呂鐘殻国王とその一族には今までの罪を償わなければならないと。しかし、心の中にある本音は、一族を処刑しなければ安心して眠れないという不安なのだ。前国王を再び担ぎ出そうとする者がいて、もし、力を盛り返すようなことがあれば、今の将軍と臣たちは間違いなく処刑される。その不安を取り除かない限り、呂晃宣は新国王として認められることはないのだ。人の子として生きるか、国王として親子の情を断ち切って、親と兄弟を処刑せよと命じるか、選択を迫られるのだ、呂晃宣は国王としての道を選ぶだろうな」

 紫羅義は力なく波流伽の顔を見た。

 そして、皆、言葉をなくした。

「我らも大義のために多くの命を奪ってきました。そして、これからも多くの命を奪うのでしょう、その多くの命を踏み台にして我らは志芭国を再建しようとしているのです。もう後戻りも、振り返えることもできないのです。進むしかない、呂晃宣新国王も我らと同じです、自分でその選択をしたのです。己の信念に従って、辛くても悲しくても前を見て進むしかないのです」

 黒雲臥が前を見据えながら言うと、皆、無言のまま強く頷いた。

 人々の希望と、己の信念、多くの無念を背負いながら紫羅義たちの義勇軍は東を目指して馬を進めた。

 彼らもまた、これから幾多の困難と辛い試練を乗り越えて志芭国を目指さなければならないのだ。


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