その49
その影は二つ、三つ、五、十と、紫羅義たちを囲むように増えていった。
「ここで朽ち果てた者の怨霊か、ここから抜けられんのはお前たちの仕業だな!」
全員が立ち上がって剣を抜いた。
「お待ちください、あなたたちに危害を加えるつもりはありません」
凛とした女の言葉が林の中に響いた。
揺らぐように一つの白い影が近づき、それはやがて女の姿に変わり、後ろにあった多くの影も農民らしき者たちへと姿を変えた。
紫羅義たちの一行は身を固くして身構えた。森の中を散々に彷徨った上に、今度は亡霊では気が動転するのも無理からぬことであった。
「私の名は翅苑、魏嵐の略奪に遇い、命を奪われた者です。私たちは魏嵐に復讐するために怨霊となり現世に留まっているのです、私どもの願いは、魏嵐が絶望の中で紅蓮の炎に焼かれ、朽ち果てる様を見届けること。あなた方に魏嵐への報復を託したいのです」
翅苑は悲しげに語った。
「あなた方をここへ閉じ込めたのは、姜国の朱遼貴と言う者です。私たちに付いてきてください、ここから出してあげましょう」
翅苑の言葉に皆は顔を見合わせた。
「亡霊の後に付いていっても良いものなのか?」
叙崇国が言うと、皆は無言で首を傾げた。
「行こう」
紫羅義の言葉に皆は、はっと我にかえり、剣を納め、進み始めた。
夜明け時の、まだ薄暗い林の中を白い影たちと馬が一団となって進み、やがて周囲の傾斜が上向きになり、前が開けた。
「ここが、この森の切れ目です、敵はその先に居ます」
翅苑は止まり、前方を指差した。
紫羅義たちが木々の間から覗くと、敵の陣が眼下に見えた。
「この木の境に沿って行けば、あなたたちのお仲間がいます、私たちが案内するのはここまでです」
翅苑がそう言うと、彼女の後ろにいた白い姿は次々と消えていった。
「御武運を」
翅苑の姿も薄明かりの中に吸い込まれるように消えていった。
「あの陣立てからすると、彼らの兵力は五千以上だろう。朱遼貴の軍はまだ眠りから醒めてはいないし、油断もしているとは言え、この人数ではどうしようもない。一旦、皆のところに戻ろう」
暫く眼下の陣を見ていた紫羅義は馬を返し、皆に戻るよう命じた。
日も高く昇りきった頃に一行はやっと趙子雲たちと合流し、彼らに事情を話し、敵軍の背後に回り込むために別の道を探すことにした。
付近の農民から、やっとのことで大回りの迂回路を聞き出し、紫羅義たちが朱遼貴軍の背後に到着したのは次の日の昼過ぎであった。
朱遼貴は腕を組んで森を見ながら笑っていた。
「奴らが中に入ったと報告を受けてから六日経ったか。そろそろ疲労と空腹でまともに進めなくなくなっている頃だろう、明日の朝にでも、ここへ誘い出す道でも作ってやるか。青息吐息で森から出てきた奴らが最初に見るのは我らの五千騎よ、こりゃ愉快だ」
朱遼貴は部下たちとともに手を叩いて笑っていたが、その背後には紫羅義たち八千の兵が迫り、すでに、姜国軍の動きを悸翠と那岐一族の者、数名が見張っていた。
戻った悸翠から報告を受けた紫羅義は、日が落ちる前に全軍で朱遼貴軍に突入することを決め、隊列を整えると、一気に敵軍に向けて駆けて行った。
朱遼貴軍の兵たちは森から出てくるであろう敵のことしか頭になく、だらけきっていた。剣を外し、森の木を的に石投げをしている者、寝転がっている者、居眠りをしている者、そこへ後方から騎馬部隊が近づいてきた。
「朝廷からの命を受けて助っ人に来た隣国の軍か、余計なことを!」
朱遼貴は渋い顔をして、近づく騎馬の部隊を睨み付けた。
後方から敵が現われるなどとは夢にも思っていなかった兵たちは、近づいてきた軍が目の前まで来て剣を抜いたのを見て青ざめた。
戦いらしい戦いにもならず、朱遼貴軍の兵たちは逃げ惑い、朱遼貴は森に走ったが、逃げ込む手前で斬られ、姜国軍は雲慶の地で崩壊した。
羽宮亜は捕らえた兵から直ぐに姜国の状況と、城にどのような報告をしていたかを聞き出し、そのまま城に進軍することを提案した。
「敵将を含む百騎が森に迷い込み、出てきたところを五千騎で包囲する準備が整ったと、城にはそう報告したそうです。急ぎましょう、森へ逃げ込んだ者たちが城に戻る前に、我々が先に着かなければ」
羽宮亜の言葉を聞くと、紫羅義はその意味をすぐに理解し、朱遼貴軍の旗を集めさせた。
姜国の城には朱遼貴がほぼ全軍を率いて出陣したので、兵はほとんど残っていなかったが、大陸が平定されてから長く、今は魏嵐の朝廷がそれを引き継いでいるので、その属国を攻める者などいないという慢心が城内を包んでいた。さらに、朱遼貴から歩くこともままならない反乱軍の百騎を連れて帰るとの言葉を持った使者が来ていたので、城内の者たちは城の防衛を怠り、ただ、ただ、朱遼貴軍が凱旋してくるのを待っていた。
国王の元に、城門の上の守備兵から報告が入った。
「数千の軍が近づいてきます。朱遼貴将軍の旗が見えます」
「おお、戻ったか、これで我が国も朝廷の憶えめでたく、先行きは安泰ぞ」
国王は喜び、城門を開けて総出で出迎えよと命じた。
だが、大きく開け放たれた城門から入ってきたのは、朱遼貴ではなく、朱遼貴軍の旗を持った知らない者たちであった。喜び勇んで出迎えた国王や城の者たちは誰が入ってきたのかさえわからず、紫羅義の名を聞いても、まだ事の成り行きが飲み込めずに、そのまま牢内に閉じ込められてしまった。




