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紫羅義  作者: 海道 睦月
43/125

その43

 追撃してきた簾国軍は半数近い兵を失い、ついに総崩れとなって逃げ出した。

「敵の全軍を追撃軍に投入させ、城から引きずり出すためだったのか。こちらの兵力が四千と知れば敵は全軍を投入してくる、そして、それを叩けば、二度と追撃してくることはないという考えだったんだな」

 戦いが終わり、神羅威がこちらの数を敵に教えた意味が、羽宮亜にもわかった。

「うん、軍の背後を突かれるというのは致命的な損害を受ける可能性が高い、なんとしても後方の危険を取り除いておかねばならなかったんだ」

 神羅威は逃げていく追撃軍の背を冷めた目で見ていた。

 相手を叩く作戦は成功したが、まだ、戦いが終わったわけではない。劉賢誠たちの無念を晴らさねば、彼らは前には進まない、城に戻り、宰相である孫夏亮をなんとしても斬らねばならなかった。

「城に引き返す!」

 紫羅義が叫んだ。

「おお! 宰相の孫夏亮だけは許すわけにはいかん」

 紫羅義の言葉に劉賢誠たちより先に趙子雲が雄叫びをあげた。

 彼もまた己の利権しか頭にない者たちに陥れられた将軍であり、劉健皇大将軍とその息子である劉賢誠の無念はよくわかるのだ。

 紫羅義たちは簾国の城まで戻ってきた。だが、城内には敗走して戻った兵と、残っていた兵、合わせて一万余の兵がいる、迂闊に攻撃することはできない。

「正面から戦う必要はありません、劉賢誠のため、簾国の民のため、宰相である孫夏亮だけを斬れば良いのです、那岐一族の力を借りましょう」

 羽宮亜が進言した。

 斬ると言っても、人知れずその命を絶っても意味はない、他の者たちにも、私利私欲に走り、人を陥れればこのような目に遇うと、刻み込ませるために、場面を作らなければならない。

 羽宮亜は炎頼に城に忍び込み、夜明けとともに火を放つように頼んだ。

 炎頼は那岐一族の中で油と火を用い、敵を撹乱する役目についていた。

 夜明け前、炎頼と悸翠に率いられた者たちは城内に忍び込み、時を待っていた。

 日の出とともに城内の十数ヵ所に火の手が上がり、城門が開け放たれた。悸翠は気配の一切を消し、闇から闇に移動し、任務を遂行する。火の手が上がるのを見ると、城門の見張りの兵を闇の中から現れ一瞬にして倒し、門を開け放った。

 あちこちから火の手が上がり城の中は大騒ぎとなった。

 城内の者は火を消し止めるために奔走し、国王や宰相、重臣たちも集まってきた。

 騒ぎの中で城門が開いていることに気付いた者がいた。門に近づくと、門は見知らぬ兵に守られており、さらに外を見て、慌てて国王たちのいる部屋に走り込み報告した。

「大変です、城門の外に兵が集結しています」

 国王は最上階に上がり外を見て仰天した。

 そこには昇る朝日を背にした黒い影のような軍勢が整列していた。

 口を開けて、唖然としている間に、開け放たれた門から一団が入ってきた。

「俺の名は劉賢誠、見知っている者もいよう、俺の父である劉健皇大将軍はそいつに陥れられたのだ」

 劉賢誠は孫夏亮を指差した。

「劉健皇大将軍が邪魔だった孫夏亮は俺と国王の末娘の婚礼を画策し、当家がその婚礼を国王の前で断るように仕向けたのだ。そのために父は引退を勧告され、俺は国境警備の名目で遠ざけられた」

 劉賢誠は孫夏亮を指差したまま、陰謀の真相を話した。

「孫夏亮よ、どういうことだ。大将軍を陥れたとは、断るように画策したとは」

 国王は孫夏亮を問い詰めたが、国王様、という呼び掛けに再び劉賢誠の方を向いた。

「我らはこれ以上戦いたいとは思わない、ここは私が元いた城だ、顔を知っている者もいる。戦いたくはないのだ。孫夏亮を引き渡せば、我らは戦わず引き上げる。私が反乱軍に加わったのは孫夏亮のせいなのだ。その孫夏亮を成敗したと朝廷に報告すれば、国王も重臣の方々も罪を被らず安泰ですぞ」

 劉賢誠の言葉に孫夏亮は震え上がった。

「国王と孫夏亮の間に亀裂を入れて、さらに孫夏亮を見捨てれば、自分の身は安泰だと国王を納得させてください。そうすればあなたの願いは成就するでしょう」

 劉賢誠は羽宮亜にそう言われていた。

「大王様、奴は嘘を並べ立てているのです、こちらにはまだ万余の兵がいるのですぞ、ここで反乱軍を全て叩き潰しましょう」

 孫夏亮は必死に説得したが、しばらく下の様子を見ていた国王は冷たく言い放った。

「誰が指揮をとるのだ?」

 いくら暗愚な王でもこの状況が呑み込めないほど馬鹿ではなかった。

 あちこちから火の手が上がり、黒煙が立ち込め、先の戦いから軍を指揮する将軍たちは誰も戻ってきてはいない。敵の一団を兵は取り囲んではいたが、上から見てもその兵たちが逃げ腰なのは一目で判る。劉賢誠を見て逃げ出した者がいたのも国王は見ていた。剣を交えて敗走してきた兵たちはその強さに恐れおののき、最初に逃げ出したのだろう。この状態で城外の軍に突入されればどうなるのか、誰でもその結果は予測できた。

「孫夏亮を捕らえよ」

 国王は劉賢誠を見据えたまま命じた。

 孫夏亮は引き出され、劉賢誠によって斬られた。

「己の利権のために人を裏切る者はこうなるのだ、よく覚えておけ」

 劉賢誠は剣を高々と掲げ、国王の両隣にいた重臣たちに向かって怒鳴ると、背を向け門から出ていった。それを見送った城内の兵たちは、倒れるようにその場に座りこんだ。

 紫羅義たち一行は簾の城を後にし、再び志芭の国を目指し東へ進み始めた。

 それから数日後、今度は十万はいるであろう蘆震石の軍勢が城に押し寄せた。人数が多い分、紫羅義たちよりも進む速度は遅かったのだ。紫羅義たちに散々に叩かれた上に、指揮官たちを失っていた簾の城内では周囲の状況を確認することさえ怠っており、気がつくと城の周囲には雲渦の如く兵が満ち溢れていた。

 城の兵たちは戦う気力もなくさっさと逃げ出し、国王も重臣たちも捕まり、あっさりと斬られてしまった。

 民を無視し、私腹と利権に固執して国策を誤った者たちの哀れな末路であった。


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