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紫羅義  作者: 海道 睦月
30/125

その30

 紫羅義たちの義勇軍は大厳の地を後にし、途中、伯淳桂老人と親交がある富豪の屋敷に立ち寄って、物資の補給を済ませ、情報の収集をしながら(はん)の国の領内に入っていた。そして()()という地にさしかかった。

「柚羅か、う~む」

 感情をあまり出さない叙崇国が首を振りながら唸った。

「どうした、君がそんな顔をして唸るとは」

 黒雲臥が怪訝そうな表情で、叙崇国の顔を覗き込むようにしながら尋ねた。

「いや、この柚羅という地には苦い思い出があってね、ある者と腕比べをしたのだが、軽くあしらわれたのさ」

 叙崇国は何かを思い出すような顔をして、空を見上げた。

 黒雲臥を含め、周囲の者がそれを聞いて驚いて口々に尋ねた。

「叙崇国ほどの者が軽くあしらわれただって? いったいそいつは何者なんだ?」

 紫羅義や趙子雲たちもその話には興味津々で、休憩して叙崇国の話を聞くことにし、皆は彼の話に耳を傾けた。

「洸伯昌殿の屋敷に世話になる前、私は各地を放浪しながら名のある武術家を訪ね、技を磨いていたのです。そして、洸伯昌殿の名を知り、多くの武術を目指すものが集まっていると聞き、その屋敷に向かう途中、この柚羅の地を通りがかりました」

 叙崇国は腕を組んでそのときのことを話し始めた。

 彼の話によると、この近辺で同じく腕を磨くために放浪していた武術家と知り合い、その者が山道で迷ったときに、山奥の小さな村に辿りつき、そこで、()()一族と呼ばれる者たちと出会ったと言うのだ。今でこそ平和に暮らしているのだが、以前は、金で雇われ、各地に潜入し、情報収集、暗殺を生業としていた集団らしく、たまたま鍛錬している姿をみかけたその武術家は、彼らの使う体術に目を見張り、どうしても手合わせをしたと頼み込んだ。戦ってみると、その技は他の武術とは異質のものであり、まったく相手にならないほど強かったという。

 その話を聞いて叙崇国が黙っているわけはなかった。この頃の彼は各地で強いと言われていた名のある武術家を倒し続け、まさしく天狗そのものになっていて、すぐにその場所を聞いて山の中に入って行った。なんとかその村を探し当て、村の中に入ろうとすると、一人の黒装束の男が前に現れた。

「何の御用かな、道に迷ったとも思えぬが。ここはよそ者が来るところではない、即刻立ち去られよ」

 黒装束の男は叙崇国を追い返そうとした。

「この村の話は聞いている、この村で一番強い者と戦いたい、戦うまでは帰らぬ」

 血気盛んで天狗そのものになっていた叙崇国は横柄な態度で言い放った。

「では、わしだな」

 黒装束の男は半ば呆れた顔で言った。

「なんだと! では、手合わせ願おう、まさか逃げはしまいな」

 叙崇国が身構えると、その男は、やれやれという表情でため息をついた。

 叙崇国がいくら突いても蹴っても相手は軽くかわし、まるで実体のない幻と戦っているかのようだった。一瞬、男の姿が見えなくなると、周囲の空気が渦を巻くように叙崇国めがけて襲いかかり、そして、体が大地から離れ、天地左右が入り混じり、気がつくと叙崇国は大の字になって倒れ、天を見上げていた。

「何だ、今のは?」

 叙崇国が身を起こすと、黒装束の男はすぐそばで腕を組んで立っていた。

「お前さんは悪い人間ではなさそうだな。力を極めるのは悪いことではない、しかし、上には上がいるのだ。それに、いくら強くなっても、千人を相手に戦っても勝てはしないだろう。自分が強くなるより、千人の気持ちを結束させ、うまく戦う方法を学んだほうが賢いというものだ、わしはこの村の長で、()()()と言う、いつかお前さんが、そういう人間になって覇を目指すことにでもなったら、力を貸してやらんでもないがな、ははははは」

 男はそう言うと、背を向けて歩き去った。

 叙崇国は自分が天狗になっていたことを恥じながら山を降りてきたという。

 黙って聞いていた黒雲臥は唸りながら腕を組み、他の者も驚きの表情を見せた。

「そのような者たちがいるとは。那岐一族、私の耳にもそのような者たちの情報は入ってきておりません、しかし、気になりますね、その長の言った言葉、覇を目指すときが来たら、力を貸してやらんでもないとは」

 羽宮亜は食い入るように紫羅義の顔を見た。

「力を貸してくれると言うのなら行くしかないな」

 相変わらず紫羅義はあっさりと答えた。

「行くにしても少人数がいいだろう、大勢で行っても相手を刺激するだけで、良い結果になるとは思えない、しかし、本当に力を貸す気などあるんだろうか」

 趙子雲は参謀役のような口ぶりで話した。

 以前だったら全員で行って、村を囲み、言うことを聞かせてやる、そんな言葉を真っ先に吐く人物であったが、紫羅義や羽宮亜と時間をともにするようになってから彼はずいぶんと人間的に変わってきていた。

「行く価値はあります。那岐一族がもし本当に依頼されて刺客家業を生業としていたのなら、彼らに仕事を頼んだ者はいつ秘密が漏れるのではないかと口封じを考えるはずです。もし、その者たちが今の朝廷に、皇帝暗殺の刺客が送り込まれる恐れがありますと、那岐一族のことを訴え出れば、どうなるか。一族を討伐する軍勢が差し向けられることは間違いありません。彼らも魏嵐の朝廷がどういうものかくらいは把握しているはずです。自分らが後押しした者が帝位につけば安泰という考えがあるのでしょう、利害は一致します」

 神羅威の意見は聞いているもの全てが納得するものであった。

「よし、俺一人で行く、叙崇国よ、村の入り口まで案内を頼む」

 紫羅義は簡単に言い放った。

「えっ、一人で、それはあまりに危険では」

 周囲の者はそこまで言ったが、後の言葉が続かなかった。

 先の戦いでの紫羅義の圧倒的な力は皆が認めるところであったし、彼が口に出した言葉は誰が何を言おうと変えるとは思えなかったからだ。


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