小説作法の本について 5
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この章での最後の段落です。小説作法の本として紹介するのは、
「スティーヴン・キング小説作法」スティーヴン・キング著 アーティストハウス
小説作法の本として役に立つかは、月見としては疑問です。いろいろ教えてくれます。が、これ読んだからって、ぜったいキングみたいには書けない。それに、なれない。じゃあ、どうしてそんな本をここで取り上げるのかというと、月見がキングの小説を好きだからです。
キングの話をします。と言っても、もうみなさんご存じでしょう。読んでなくても、名前ぐらいは耳にしたことがあるはずです。ですから、解説めいたことはやめて、ファンの一人としてキングを語ってみます。
キングのどこがすごいかというと、この人バーカじゃないかと思うからです。ネタがくだらないんです。子供でも思いつきそうなネタ。そのうえ、ほとんどそのネタ一本で勝負してくる。月見に言わせると、バーカじゃないの、です。それなのに――。小説の紹介文読むと、どうしてもバカとしか思えないのに――。あれだけの長さの話を、あれよあれよと読ませてしまう。しかもやめられない面白さ。キングって、まじスゲェーです。いったいどうすりゃ、こんなの書けるの?
ほんとネタ自体はバカじゃないかと思えるものばかり。十三日の金曜日と同じレベル。超能力少女、吸血鬼、狂犬病の犬、幽霊屋敷、悪魔の車、死者の甦り……。主軸となるのはそんなネタ一本だけ。長編を支えきれるネタじゃない。でも、それで書いちゃうんですよね。唖然とするほかない。どうしてそんな離れ技ができるのかというと、キングは人物と世界の造形が抜群にうまいんですね。そこが半端じゃない。読者はそれによって、物語世界にどっぷりと浸かってしまい、我がことのように、この先どうなるんだと読まされてしまう。小説の面白さここに在りです。
それを成し得ているのが、キングの筆力。これでもかというぐらいにキングは書いてきます。微に入り細に入り、どうでもいいだろうと思えるとこまで。常識では許されることじゃない。できることじゃない。ぜったいに書きすぎ。おまえはヴィクトリア朝時代の人間か。それなのにキングはそれやっちゃって、すごいもの作ってくる。ある意味、キングって筆力の作家。アイディアも大したことないし、人物の性格付けにも特異なことしていない。変人なんてまずでない。超能力者も、性格異常者も、悪魔も、子供も、大人も、みんな普通の人として描いている。それだけに、あたりまえみたいに、そこにいる人として迫ってくる。いかにも作ったという感じがしないの。
キングをホラー作家としてだけ見ている人は間違い。ホラー作家なんだけど、「スタンド・バイ・ミー」「グリーンマイル」を映画でしか見たことのない人でもわかるように、ホラーでない小説も書ける人なのね。小説の腕が確かなの。逆に、古典的な怪奇小説のファンには、キングは評判がよくないくらい。月見もその観点から言うと、キングはいまいちかなと思うこと多々ある。怪奇的な怖さはない(「呪われた町」はべつ。古典の怪奇小説を現代に甦らせている)モダンホラーはうまいけどね。
しかし、キングと合わない人もいます。キングの小説は鬱陶しいんです。書き込みすぎで読むのに体力がいるし、面白いんだけど疲れる。月見の知人でも同じ意見の人が多い。厚切りのビーフステーキみたいなもの。あっさりしたものが好きな人には口に合わない。評判になっているからだけで読んだらひどい目に遭います。しかし、一度キングの味を覚えたらやめられませんって。頑張るだけの価値はある。最初の百ページは我慢が必要。いや、上巻は辛抱か。
キングの影響を受けている作家さん、称賛している作家さんは日本にもたくさんいます。宮部みゆきさんの小説は、キング読むとわかるけど、かなりの影響受けています。小野不由美さんの「屍鬼」は、「呪われた町」のオマージュなのはご本人も書かれていますし、「呪われた町」の日本版といってもおかしくない。小池真理子さんは「ペットセマタリー」を読んで、あまりのおぞましさに、表から見えないように本棚の奥へ入れたと書かれていたのを読んだ記憶があります。月見も同感です。キングの弱点は、小説に新しいものがないということです。これまでに書かれた先行作品を、どこかなぞっているところがある。しかしそれが、キングが世界で売れている理由でもあります。
キングにも、これはどうもという首を傾げたくなる小説もあり、これからキングを読もうかと思う人には、最初のほうの作品をお勧めします。それと怖さを求めてはダメ。
「キャリー」――若書きです。しかしそのせいで、接しやすいのではないかと思います。ダークな青春小説としてよく出来ていて、「みにくいアヒルの子」や「シンデレラ」のような普遍的なテーマが根底にあり、いまでも十分面白く読めます。絶版らしいけど、秋にリメイクの映画が公開予定になっているので、その時きっと本屋さんに並ぶでしょう。ぜひその機会に。
「呪われた町」――吸血鬼小説を現代に甦らせた名作。
「ファイアースタータ」――超能力少女の悲劇。初めての人はこれがお勧め。最初から面白い。
「クージョ」――狂犬病にかかったセントバーナード犬の恐怖。
「シャイニング」――雪で閉ざされた幽霊屋敷。続編を現在執筆中。
「ペット・セマタリー」――恐ろしい。初読者はこれは避けたほうがいい。つらくて、読めなくなるおそれあります。
「IT~イット~」と「スタンド」は代表作ですけど、ほかのを読んで、面白かったら挑戦するのがいいと思います。
キングの小説を勧める文となっていますが、その通りです。今回取り上げた「スティーヴン・キング小説作法」は、キングの小説のファンでないと、読んでも役に立たないだろうと思っているからです。まずは小説を読んでから。それがイヤなら、ディーン・R・クーンツの「ベストセラー小説の書き方」を読むほうが参考になります。
それを前提に、キングの小説作法に分け入ります。どうやったらあんな小説が書けるのか、たとえ真似できなくても、片鱗だけでも覗いてみたいものではありませんか。
本を開くと、まずはキングの断片的な生い立ちが最初に述べられています。本全体の三分の一ほどを占めています。ここからして、なんじゃこれは? となります。作法を知りたいのに生い立ちかよ。そうなんです。この本は、指南書というよりキングを研究するための本ですね。だからキングの小説を読んでいないと、やはり意味がない。ただ、あなたがキングの愛読者であったなら、この稀有な作家が、どうやって稀有な存在になっていったのか、ベストセラー作家になってなにがあったのかは、じつに興味深いものです。「キャリー」を書いた時のキングはどういう状況だったのか、「シャイニング」はじつはキング自身の話で、本人がアルコールと薬物依存症だったこと。などなど……。
生い立ちを経て、ようやく小説作法の本らしくなってきます。それでも、文章とは何かは、「もちろん、テレパシーである」と書いてくるのですから、は? となります。キング流です。読むと、ほんとにテレパシーと思っているみたいです。その後もキングは、読み本としては面白いのだが、教本としては遠まわしな表現で作法を述べていきます。やはりこれって、誰でも読んだらわかる形式でなく、キング印の小説作法の本ですね。キングは率直に、ユーモアを交えながら、自分の創作方法を打ち明けてくれます。ただそれは万人に通じるものでなく、キングの遣り方なのです。参考になるかどうかは、うううん、人によるとしか言いようがない。それに、米語と日本語の違いもあります。ですからこの本は、小説の創作方法を得ようと思って読むのでなく、キングの創作の秘密を知るために読むものだと言っていいと思います。そう考えたら、この本はなかなかです。読んでいて、キングが横からアドバイスしてくれているような気にすらなってきます。キングみたいな小説を書いてみたいと目論んでいる人は、ぜひとも読まれたほうがよろしいでしょう。今回これを書くにあたって読み返したのですが、月見は楽しいひとときを楽しませてもらいました。
キングの創作方法で、月見が重要だなと思ったことに言及してみます。
「私の場合、短編であれ、長編であれ、小説の要素は三つである。話をA地点からB地点、そして大団円のZ地点へ運ぶ叙述。読者に実感を与える描写。登場人物を血の通った存在にする会話。この三つで小説は成り立っている。
構想はそのどこに位置するかと問われれば、私としては、そんなものに用はないと答えるしかない。構想など考えたこともない、と大きく出るわけではない。嘘を吐いたことはないなどと口が裂けても言えないのと同じである。それでも、なるだけ考えないことにしている」
「私は構想よりも直感に頼る流儀である。私の作品は筋立て以前の情況に基づくものが多いから、何とかこれでやってきた。(中略)
はじめに情況ありきである。そこへ、まだ個性も陰翳もない人物が登場する。こうして設定が固まったところから、私は叙述にとりかかる」
これですね。キングの遣り方、見ッけです。つまり、危機的な情況を設定して、血肉の通った登場人物を放り込んで、あとは彼らの出方を見る。それだけなんですね。キングって、その手法に長けているんですね。で、この方法って、坪内逍遥先生の「小説神髄」にどこか通じていると思われませんか。人物の心理を描くのが小説の主眼、その方法として写実をするべしが「神髄」で書かれていた手法でしたよね。キングって、月見に言わせると、坪内先生の「神髄」を実跡した作家に思えます。情況設定が荒唐無稽なもののせいでそう見えないけど、それを除けば、「神髄」そのもの。
人物設定は現実を借りたものだし、その描き方は写実です。キングの作品に登場する人物は、前記したようにみんな普通の人です。ごくありふれた人たちという意味ではありませんよ。たとえば性格異常者を例にとると、その異常者を、ほらほらこんなに悪い奴なんですよ、みたいにキングは書かないんです。その異常者がなにを考えどう行動するかを、じっとキングは写実するんです。その異常者の立場になってですね。それがゆえに、異常者が普通の人になってきます。「神髄」にあった、将棋の差し手を横から見て、いらぬ口出しをせず、駒をどう動かすかを写すのみ。まさにそれです。それをすることによって、キングの描く人物たちは精彩を帯びてきます。展開もそうで、キングが構想を重視しないのは、人物たちを小説内で殺さないようにするためなんです。人物たちに展開を任せている。血肉の通った人間を描こうとしているから、生きた人間のようにして登場人物たちを扱っている。「小説の主脳は人情にあり」ここに極まりです。
そのうえでキングは、根っこがB級作家なので、ドラマが盛り上がって、クライマックスのカタルシスへとなだれこみます。つまり、アリストテレスの「詩学」も導入されているんです。出来事組み立てる(筋)のがうまい。「詩学」に書かれていた筋におけるテクニックが活用されています。危機的情況によって登場人物たちがどう動き、見えざる糸によって翻弄されてしまうさまが、見事に作りだされています。どうやってそれをしているのかというと、世界の作り込みに秘訣があるのではないかと思います。キング自身が言っているように、構想は練り込まず、ただ世界観は、これでもかと言いたいほど十分に練り込んでいる。そこに登場人物を放り込み、話の展開自体は彼らに任せているような気がします。それを成し遂げさせている要因が、キングの人並みはずれた想像力だというのが月見の考えです。想像力。坪内先生もアリストテレスもそのことについては触れていませんが、想像力は創作を志す者にとって重要な資質です。これのあるなしで大きな差がつきます。
キングは、坪内先生の大好きだった「八犬伝」を、写実で仕上げるような作家なんですね。坪内先生がご存命だったら、キングを読んでどう思ったか、ぜひとも月見は聞いてみたいものです。
で、なぜこの章の最後の段落でキングを取り上げたのかと言うと、もうおわかりと思いますが、「小説神髄」と「詩学」の両方を兼ね添えた、ひとつの見本としてです。キングの小説は、それの到達点のひとつであると月見は思っています。間違ってもノーベル賞取ることもないし、文学として称賛されることもない。しかし、月見の考える、小説の理想の形のひとつがここにあります。
キングの小説を熟読吟味し、その創作方法に触れてみることを勧める次第であります。
しかし。しかしです。キングの創作方法では推理小説は書けません。このことをお忘れなく。「ワトスン博士の事件」という、シャーロック・ホームズのパロディ短編があるのですが、それがひどい出来です。つまんないもいいとこ。推理小説を書くには、キングと違った、べつな方法が必要なのです。レイ・ブラッドベリでさえ、推理小説は難しいと言っています。さてどうしてか? それについては、いずれ先で述べる機会があるかもしれません。(なんとかそこまでは連載を続けたいのですが、さてさてどうなりますことやら)
「小説作法の本について」の章のまとめをします。
大まかに分けて二部となっています。一部のほうでは、「新人賞の獲り方教えます」シリーズと、「それでも作家になりたい人のためのガイドブック」「本気で作家になりたいのなら漱石に学べ!」を紹介して、小説を書くには、書く技術の習得と評論眼の二本柱が必要なことを述べました。二部では、「小説神髄」と「詩学」をテキストにし、「小説の主脳は人情と筋の二つにあり」という、月見流の小説観と写実の重要性を説き、最後に、その理想の小説のひとつとしてキングを挙げさせてもらいました。以上がこの章のすべてです。少しは参考になっていればいいのですが、はなはだ心もとないです。
小説を書くことをすすめる本に、「あなたには、あなたにしか書けない物語があるのです」という言葉がよく使われています。それさえあればオッケーみたいな感じですが、その「あなたにしか書けない物語」が、いい作品なのかダメなのか、面白いかつまらないのかは、べつなことという側面があることを、くれぐれもお忘れなきよう。小説を向上させるためには、学びが必要なのです。義務教育さえ受ければ文章は誰でも書けるので見失いがちですが、上達するには、あなたが天才でないかぎり、学ぶことが必須なのです。ピアノを習うのや、大工さんになるのと同じで、技術の習得がいるのです。でないと、うまくはならない。くれぐれもこのことだけは、みなさま、心に刻み込まれますようにお願いします。
では、最後にもう一冊だけ本を紹介して終わりたいと思います。
「売れる作家の全技術」大沢在昌著 角川
近刊なので、内容に触れることは控えます。最近の作法本では、充実した内容でかなりのインパクトがあること、ある程度小説を書いたことがある人向きの本であることだけを指摘するにとどめます。で、一箇所だけ引用を。
大沢さんは、作家になってから二年目ぐらいのときに、川端康成の「雪国」を、この小説は「すげぇな」と思ったそうです。で、書き出しの「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」のところについて書かれています。
「自分が小説を書くまでは、正直言って『伊豆の踊子』も『雪国』もそれほど感心してはいなかったんです。でも、自分で文章を書くようになると、<夜の底が白くなった。>なんて文章、オレは一生のうちに書けるのかなと初めて思った」
ここ読んで月見は心が震えました。一度に大沢さん好きになりました。
月見と同じように感動してくれる人が、一人でも多いことを願います。
小説作法の本についての章了