小説作法の本について 3 下
さてさて、だらだらとわけのわからんことを長々と述べてきました。慣れないムズ講釈はするもんじゃないと、月見も疲れています。で、ほんとうはなにが言いたいかをぐっちゃべちゃいます。「それでも作家になりたい人のブッグガイド」と「本気で作家になりたいのなら漱石に学べ!」の二冊の本は、小説を書くための本というより、評論家になるために読む本じゃないかと思っています。なにしろ著者のお二人は、現役作家でなく評論家さんですから。で、この本をここで紹介したのは、ズバリ、その評論家さんになってもらいたいがためです。小説を書くためには、書く技術だけでなく、評論眼も備わっている必要があるんです。これはプロの作家さんも同じですが、じつは一番難しいのは、自分が書いた小説をどう評価するかということなんですね。面白いのかつまらないのか、うまく書けているのか書けていないのか。それを見極めるのが、ほんとに難しい。そしてそれができなかったら、上達なんてまず望めない。欠点がわからなかったら直しようないし、長所がわからなかったら伸ばしようもない。第三者の意見を聞くしかないわけですが、プロの人がしてくれるわけないし、友人知人に頼ってもいまひとつ踏み込んだ感想がもらえない。もしくは、周囲にそんな奇特な人はいない。それが実情でしょう。小説書くって、ほんとうに孤独な戦いなんですよ。ではどうしたらいいかというと、けっきょく自分でするしかないんですね。その際に評論家の眼が必要とされるわけです。厳しく冷徹に、情け容赦なく自分の書いた小説を読む能力。「それでも」と「本気で」を推奨している理由は、そういう眼力を養うためです。月見の場合は、自作をチェックするツールとしてこの二冊の本を使ったりしています。
書く技術と評論眼、この二つが小説を書いていくための二本柱です。このエッセイでは、書く技術の本としては久美先生の「新人賞の獲り方」シリーズ、評論眼としては「それでも」と「本気で」の二冊を取り上げた次第です。
*このエッセイでの、ブックガイドを装いながら自分の考えを述べるという形式は、「それでも」のパクリです。
プロになりたいと思われている方に、ここでちょっとご自分の作品の評価軸の想定の仕方について、一言月見の考えを述べておきます。あなたの好きな小説、気に入っている小説を、評価の基準にされるのがいいと思います。それと比較して、自分の小説の出来映えはどうだろうかと評価するのです。ええっ、そんなの出来るわけないじゃん。負けてるに決まっているよ。いずれはそこにまで達したいと思っているけど、いまは無理だよ。そんな声が聞こえてきそうです。その気持ちわかります。月見だって、クリスティの作品と比べられたらお手上げだよと思っていますから。ただですね。いやしくもプロになりたいと思うなら、それはあなたの小説が出版社に認めてもらい、単行本として書店に並べられる状態を指すわけです。書店の棚において、宮部みゆきさん、東野圭吾さんの著作と、比較されても文句は言えないのです。それがどれくらい厳しいかわかりますよね。ベストセラー作家と、まがりなりにも、売れる売れないはべつにして、同じものとして扱われるのですから。一冊の本として出版してもらいたいのなら、それくらいの覚悟がいります。そうなっても見劣りしないぞという覚悟です。また、それぐらいの作品でないと出版社は採用してくれません。ですから、プロになりたいと思われているなら、そのことを考えて、自分の書いた小説を評価しなくてはいけません。泣き言、言い訳は許してもらえません。あなたが目標とされている作家さんの小説の隣に並べられたとしても、遜色のない出来映えであることを心がけないといけないわけです。評価軸をそこにしておくほうがいいというのは、そういう理由からです。これがいわゆる「志を高く持ってください」です。ひとりでも多くの人に読んでもらえる作品にしたいです、何度も読み返しのできる愛される小説を目指しました、などというのはあなたの夢で、志とは違うことを認識しましょう。志って、シビアなんですよ。公募に応募されるときは、それぐらいの気概があったほうがいいと思います。
あ、夢も大事ですから。夢があっての志ね。
かなり厳しいこと書いていますけど、じつはですね。初心者だから、アマチュアだからという考えは、ご自分の作品を甘えさせてしまうだけです、を言いたいのです。そういう気持ちがついつい、これぐらいは許されるだろうや、ま、こんなものでいいさや、初めてだから仕方ないよ、という気持ちを助長させてしまい、いつまで経ってもそこから抜け出せない状態に導いてしまっていることに気づいて欲しいんです。永遠の小説サイト投稿家を目指しているのならそれでもかまわないのですが、プロになりたいのでしたら、自分を甘やかすのは禁物です。自分に厳しくしてさえも、プロになれないケースであるほうが、当然至極であることを忘れないようにしたいものです。もちろんこれは、プロでもない月見からの、自戒を込めた助言です。
ここまでで、月見の「小説作法」のお勧め本の紹介は終わりです。参考にされて、月見の考えに捉われることなく、自分に合った本を探してみてください。
しかし、小説に関する話はもう少し続きます。次回は、副読本・参考書にでもなるかなという本を紹介してみようと思っています。
つづく
文学に関するエッセイは、高橋源一郎氏のも、癖があるけど読みやすいです。「文学がこんなにわかっていいかしら」を挙げておきます。
小説の読み方の本として、筑摩書房の「高校生のための文章読本」も推奨品です。教科書臭がしますけど、わかりやすくて良本です。