コーヒーブレイク その2 上
クイズです。
つぎの文章は、とあるエッセイ集二冊からの引用です。では、それを書かれた小説家のかたとは、いったい誰でしょう?
1 私の作品の大部分は、寓話めいた架空の話である。資料や体験は不必要で、その点はいいが、アイデアを思いつくまでの苦労は、なみたいていのものではない。
2 これまで私は、ずいぶん小説を書いてきた。そのなかで最も多いのは、ある人のところへだれかが訪ねてきて、事件がはじまるというタイプのストーリーである。
3 昭和三十四年ごろだったろう。当時、いまはなき宝石社で「宝石」と「ヒッチコックマガジン」の二誌が発行されており、私は、その両誌に毎号、短い作品を書いていた。
どうです、わかりましたか。1と2から作風を、3からは世代を推理できるでしょう。よろしいですか、宝石にヒッチコックマガジンですよ。――はて、この人物は誰か?
賢明な名探偵のみなさんはすでにおわかりでしょうが、もう少し釣ります。
4 時事風俗をあつかった小説を、私はほとんど書いていない。二、三の例外を除いて、ゼロである。(中略)
しかし私は、わが国の小説に時事風俗密着型が多すぎることへの反発があるので、意地でもとそれを貫いている。もっとも、そのため作品の古びるのがおそいという利点はある。
5 しかし、それをやる気にならない。なぜなら、時事風俗や流行は書かない方針だからである。
6 私はアメリカの一齣漫画を収集し、ひまにあかせて分類するという、愚にもつかないことを趣味としている。(中略)ようするにアメリカ漫画の大部分はウイット的なのである。
もう誰かわかりましたよね。ダメ押しをあと二つ。
7 日本SF作家の第一世代、私はもちろんそれに含まれるわけだが、シェクリイやブラッドベリによって大きな影響を受けた。
8 「おーいでてこーい」について、公害問題ですねという感想を聞いたこともある。それらを書いたころは、そんな問題などどんな新聞雑誌にものっていなかった時期である。
ハイ、答えは、ショートショートの神様、星新一氏であります。
ほとんどのかたが正解されたことでしょう。そうあって欲しいです。
1、2、4、6、8は「きまぐれ暦」。3、5、7は「できそこない博物館」からです。
先日テレビで放映された土曜プレミアム「星新一ミステリーSP」を見ました。なかでは、檀蜜さんと遠藤さん共演のものが一番よかったですが、全体のできとしては、以前NHKで映像化されたほうが、もっとよかったという感想です。
ま、それはさておくとして、星新一とはなつかしい限りです。こういう企画は、じつに嬉しい。テレビ東京で現在放映中の、ドラマ24岩井俊二監修の「なぞの転校生」も、これまた嬉しい。テレ東のほうはできもかなりのもので、NHK少年ドラマシリーズを知っているオールドボーイの僕も、満足のいくものです。眉村卓氏のジュブナイルを、損なうことなく現代に甦らせてくれています。「なぞの転校生」「ねらわれた学園」、そして筒井康隆氏の「時をかける少女」は、タイトルを見ただけで僕はときめきをおぼえます。なんて素敵なタイトルなんだ! 嗚呼、なつかしき少年時代よ!
閑話休題。話を戻します。
そんなこんなで、今回、星新一氏は、これからも読み続けられるすごい作家さんの一人なんだと、あらためて感慨をおぼえました。で、エッセイなどを読み返しているうちに、ますます感慨は深くなり、星氏は、僕にとって特別な作家で、その思い出などを書いてみようかとなった次第です。
ですから、ここから先は、まったくもって個人的な内容でミステリとは無関係のうえ、あまつさえ自慢話になると思いますので、そういうのがお嫌いな方、そんなの興味ないと言われる方は、読まないほうがいいです。自慢話や思い出話につき合わされることほど、迷惑千万なことはありません。うんざりします。今回文中で僕というのは、月見でなく愛理です。
今は昔の昭和、講談社で、文庫のPR企画として、星新一ショートショートコンクールの募集がありました。僕が大学生のころです。ワープロがない、手書きの時代です。学園紛争はすでに終焉し、フォークソングが流れていた時代です。「神田川」に「赤ちょうちん」。マクドやミスドはなく喫茶店で、吸っているタバコは120円のハイライト。そんな時代。
400字詰原稿用紙10枚以内の作品というのが募集要領でした。その募集をなにによって見たのかは思い出せませんが、10枚ぐらいの話なら、自分でもできるんじゃないかと思い、試しにやってみようとなったわけです。 それまで小説というものを書いたことはなく、賞に応募してみようという気もありませんでした。本好きだったので、いずれは書いてみたいなと思っていた程度です。そのころの時代は、小説なぞは四十歳を越えないと書けるものではないと考えるのがあたりまえで、実際僕もそう思っていました。人生経験が必要ということですね。そんなふうなので、ノートに、想像のおもむくままに文章を書いたりするぐらいと、高校生の時に異性の友人に頼まれて、ガリ版刷りの校内誌に、探偵小説のパロディみたいなものを書いたことがあったぐらいでした。四十歳越えないと無理は、金言でした。
それがショートショートの募集を目にして、10枚なら応募してみようかと思ったわけです。星新一氏はすでにネームバリューのある存在で、氏が、たった一人で選考委員をつとめるというのにも魅力を感じました。だからといって、当時の僕は星新一のファンというわけではありません。名前を知っていて、適当に何冊か読んでいるだけ。
星新一を初めて読んだのは高校生のときで、友人からの借り物でした。ぜったいに面白いから読んでみなよと、熱く言われて読んだのですが、軽いという印象で、これといって感心しませんでした。その後も別な友人が、これ面白いぞとくれたり、本嫌いの妹がなぜか星新一を読んでいるみたいなことがあり、つまり人気のある作家さんだったわけで、僕もその流れで読んでいるという感じでした。氏には失礼ですけど、暇をつぶすのにはちょうどいい文庫本でした。そのころの僕はミステリ重視で、氏がSF作家であることや、あとで知ったのですけど、氏が影響を受けたとされる、早川書房の異色作家シリーズのブラッドベリやマシスンやコリアやボーモントあたりを読むほうに力を入れていて、氏をそこまで重要視してなかったのがほんとうです。ただ、異色作家の影響もあって、ショートショートという形式には興味がありました。
小説は無理だろうけど、人生経験なくても10枚程度のショートショートなら書けるんじゃないかと、いま考えると、ショートショートをなめた気持ちが、僕にはあったみたいです。若いというのは、バカですね。
講義中にシャープペンでノートに、あれやこれやと書いては案をねり、けっきょく「穴」という題ので応募しました。いくつか書いたのですが、ショートショートは短いほうがいいだろうと、200字ほどのそれを選びました。短いから清書するのも楽です。余談ですが、「穴」は、なろうサイトで公開している「眠れぬ夜」の雛型となっています。
そして、数ヶ月後に発表のあった新聞紙上に僕の名はなく、当然の如く落選しました。やっぱりね、才能も運もないほうだし、当然だよで、落胆はほとんどなかったです。これといって気にすることもなく、また数ヶ月経ったころ、夏前あたりでしたか、講談社から手紙がきました。開封すると、コンクールが好評だったので、今年も開催するから応募のほうをよろしくみたいな内容の手紙です。落選者にもこんな通知してくれるのか、親切なんだなあと、なにやら嬉しくなりました。わざわざ連絡してくれたんだから、こりゃ応募しなくてはいけないなと、そんな気になったわけです。入選なんて頭になく、参加することに意義があるような気持ちが強かったです。このとき講談社から手紙もらっていなかったら、二度目の応募はしていなかったかもしれません。
しかし応募を決めたものの、いいアイデアも浮かばず、なにもできないままに日数だけが過ぎていく。もうすぐ締め切りだというころになって、こりゃダメだと追いつまり、前回のときにノートに書いていたもので応募することにしました。が、それを原稿用紙に書き写すと、枚数オーバー。何度も書き直すが、それでも枚数超過。言っときますけど、ワープロなしの手書きなんですね、書き直すのがどれだけ大変かって。悪戦苦闘。いまとなっては笑うしかなんいですけど、そのころの僕は、ほんと技術不足だったんです。削るということができなかった。八ミリ映画作りなんかもやっていて、フイルムを短くカットすることは、作品の密度を高める効果があるなんて理屈も知っていたし、文章を削るという技術も知識としてもっていました。しかしそれをやろうとすると、どうしたらいいのかわからない。若いというのは、頭でかっちなばかりで、技術力が伴わないものです。ずるずるとそれを引きずって、締め切りの一日前になってようやく、もういいやっていう感じで、話のなかの挿話のひとつをバッサリ削除し、10枚に納まるようにしました。清書を終えるのに深夜までかかり、翌日郵便局に出しに行ったときに、局員さんに、これ今日の消印をもらえますよねと確認したのをおぼえています。出し終わったあとは、やれやれこれで義務は果たしたという気持ちでした。
講談社から手紙がきたのは、新聞発表予定の二ヶ月ほど前じゃなかったかと思います。発表はまだ先だし、なんだろうと思いました。入選者には事前に連絡があるなんて知りませんでした。だから、入選したと知った時、びっくりです。しかし間違いなくそこに、応募したショートショートのタイトル名と僕の名前が、手書きで書かれていました。最優秀作2編、優秀作10編、入選作48編の、合計60篇。僕は入選作の48人のうちの一人で、格下の、その他大勢の一人みたいなものですが、それでも入選は入選。一冊の本として出版され、そこに僕の書いたショートショートと名前が掲載されるのです。星新一が僕のを読んで、しかも選んでくれたのです。舞い上がりました。これを喜ばずにおれるものかってもんです。ちなみにその時の応募総数は6831篇。ね、格下でもスゴイでしょう。二回目で入選なんて、僕、才能あるんじゃないの。天狗でした。いま考えると――ハハハです。二十代の若い僕がそこにいます。甘酸っぱさをともなって、なつかしくて恥ずかしいです。そのときの自分がうらやましくもあります。
本が書店にならんだのは春ごろです。六十分の一なのに、ふたたび天狗。周囲にいる人がバカで、自分だけがかしこく思える。それって、傲慢てんこ盛りだけど、じつに気分のいいものですよ。僕は吹聴するタイプでなく、心の中で天狗になるほうだったので、親しい人にしか教えてない。このあとなーもなしだったら、みっともないからなという計算があるんですね。いやらしい人間なんです。ここでみなさんにご忠告申し上げたい。謙虚は大切です。そのままトントン拍子でいけばいいんだけど、天狗になったらあとが苦しいです。自分の愚かさを、まざまざと痛感することになります。
ついでに書いときますけど、謝礼として二万円いただきました。しっかり税引きで、手元には一万八千円です。原稿用紙一枚二千円の計算で、素人にしてはいい金額だったと思います。ただし、著作権を譲渡しています。
僕が小説を書くようになった、事始めがこれです。星新一氏が、僕にとって特別な作家であるのもこのためです。勝手にそうさせてもらってますけど、僕には、星新一氏でなく星先生なんですね。
先生の著作を本腰入れて読むようになったのも、それからです。ゲンキンなものです。長い間ショートショートばかり書いてもいました。そしていま現在の僕があるのですが、ドラマをきっかけに、久しぶりに先生のエッセイやショートショートをいくつか読み返して、すごい作家なんだとあらためて深く感じています。若い時には見えてなくて、いまになって気づいた点もあり、そのことを書いてみます。




