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推理小説の仕分け 2-1

     2―1


「本格ミステリー宣言」島田荘司著 講談社。


 平成元年発刊のものなので、いまとなってはいささか古いのですが、月見の記憶では、島田氏のこの本から、本格推理、本格ミステリという分類が普及し始めたような気がしています。その言葉がなかったということでなく、分類の指針のひとつとして使われ始めたということですね。

 分類する必要があるのかと言われると、ま、それはおいておきましょう。「本格」という言葉で一括りにし、甲賀三郎氏の解釈で使用するのが一番わかりやすいのではないかとも思うんですけど、「本格」という括り方が、現在では甲賀氏の使ったような意味で使われていなくなっているということもあり、また、推理小説の特質を細かに考えるうえでは、島田氏が本格推理と本格ミステリを分けることにも、一義があります。で、その考えで話を進めさせてもらいます。


 まず島田氏は小説を、乱暴であることを承知としながら、二つに分けられます。私小説を頂上とする「リアリズムの小説」と、もうひとつは「神話の系譜」です。そしてポーを「神話の系譜」の作家だとし(幻想作家という解釈でかまわないでしょう)、「モルグ街の殺人」をその観点から見られます。


「これまでの幻想小説のありようが伏線となり、読者は、犯人は煙となって煙突から部屋に侵入し、出ていった存在に違いないと予想した。

 ところがこの小説の結末はまったく違っていた。ポーは完全にリアルで、現実的な謎解きを、そこに用意していたのである。

 衝撃は決定的だった。ここに、幻想小説を母胎としたまったく新しい形式の小説が生まれた」


「ポーが、幻想小説の幹からミステリーを枝分かれさせた創始者であることには異論は少ないはずである」


 島田氏は、「ミステリー」は幻想小説から誕生したものであると説かれているわけです。月見流に極端に解釈させてもらうと、幻想がなければ「ミステリー」はそもそも生まれないとなります。母胎である幻想があってこそのもの。ここが島田氏の考えのポイントです。ユニークなところでもあります。

 島田氏の考えを続けさせてもらうと、ポーの短編を経て、コリンズの「月長石」で長編が出、ドイルの「シャーロック・ホームズ」によってスタイルは完成し、爆発的な人気をよび仲間を生み出していった。


「ポー、コリンズ、ドイル、そしてこの直後のギルバート・キース・チェスタトンまでも含めて、これら新生ミステリー作家たちは、同時にまた、まだ幻想小説家でもあったのである」


 時代が下がり、クリスティ、カー、クイーンなどの時代に入ると、


「幻想小説、ミステリー両者の間には、はっきりとした隔壁が立ち、それぞれの作家はほぼ専業となっていく」


  ハイ、月見の勝手な解釈です。ドイルたちの時代は幻想小説とミステリーは双子の兄弟(ん、シャム双生児ぐらい?)みたいだったのに、クリスティあたりのころから両者は、独立した別な家に住む人になっていった。

 島田氏の説はさらにこう続きます。その一方で、「ミステリー」が人気を博し、一般小説の主流になることによって、別な流れが出現した。


「先述したリアリズムの系譜に属する作家にも、顕著な影響が生じた。この系列の作家たちも、自身の信じるやり方で、ミステリーに似た小説を書きはじめたのである」


「ここにどうやら、ポー流のミステリーとはルーツを異にする、現実型のミステリーともいうべき犯罪小説が、もう一筋の流れを発生したのである」


 この別物とされている作品の特徴として、現実性を重んじること、幻想的な謎よりも現実的な難事件であること、天才型の探偵でなく、平凡な現職の警官を好むこと、などなどを挙げ、クロフツの「フレンチ警部」、シムノンの「メグレ警視」、フリーマンの「ソーンダイク博士」などが、この系列の作品とされています。

 どうやら、月見が凡人型としたものは、島田氏の考えではみんなここに入るようです。


「以上のように今日推理小説と総称されるもののうちには、幻想小説から新芽を出し、枝分かれしてきたポーの流れをくむ探偵小説と、これの影響で、リアリズムの系譜のうちから産まれ落ちた犯罪推理小説と、ルーツを異にする二つの平行した流れがあるというのが筆者の考えである」


 ハハーン。島田氏は、推理小説には別物の二つのラインがあるとされているわけです。「神話の系譜」と「リアリズムの小説」のどちらかをルーツとしたものがですね。そして両者は、区別されないといけないと考えられています。どうしてかというと、そもそもルーツが違うし、創作の段階において、自分の書こうとしているものがどちらに属するものかを判断しておかないと、失敗する可能性が高いからです。ここのところは月見も同感です。分類なんて、そのためにあるものと思っています。読むだけだったら、分析・分類なんて無用の長物でしょう。月見がこの七面倒くさい文章を綴っているのも、そう考えるからです。書こうと思ったら、自分の書きたいものにどういう特徴があるかを把握しておいたほうが便利です。

 月見の考えはいいとして、島田氏の説を続けます。氏は、二つの流れが一緒くたにされてしまっているがゆえに、日本では混迷化している傾向があることを指摘し、


「これは、神話から幻想小説にと流れてきた系譜にあったはずのミステリー作家が、百年の時の流れのうちに、やや原点を忘れる傾向があったためではあるまいか。(中略)この二つの流れは、ルーツを異にするまったくの別物で、抜本的なものであるならともかく、両者は中途半端に歩み寄ってはならないのである」


 島田先生、月見は怖いです。歩み寄ってはならないとまで仰られるのですか。

 で、


「こういう先人の轍を踏まないため、筆者はここに、幻想小説から枝分かれし、神話の系譜にある探偵小説を「ミステリー」、これの影響で、リアリズムの系譜から分派した犯罪探偵小説を「推理小説」、日本では便宜的にこう呼び分けて、特に「本格」に属する作家は、その創作時において発想を区別することを提唱する」


 そういう考えを踏まえて氏は「本格」を、ポーのスピリットを宿したものとして限定し、「本格ミステリー」と呼び、それ以外のものを「推理小説」と呼ぶとされます。月見が前章で紹介した乱歩の定義を、卓見であり異論の余地はないとされたうえで、クイーン、クリスティなどは同意見だろうと思う、しかしポーやドイルはどうだろうかと疑問を呈し、幻想味・詩美性が、その定義に加えられなければいけないと考えたに違いないとされます。


「つまり乱歩の先の定義は、筆者の主張するところの、「推理小説」の定義となる。「本格ミステリー」の定義については、これでは充分ではないというのが筆者の考えである」


「本格ミステリー」には、幻想味・詩美性がいるのだと、氏は考えられているのです。ここで誤解してもらいたくないのは、密室・人間消失などの不可能興味さえあればいいというのではないことです。氏が主張されているのは、幻想味・詩美性です。それを忘れてしまったがゆえに、密室などの形式ばかりが一人歩きしてしまい、子供じみた馬鹿げたものというイメージが生まれてしまったとされています。ここはぜひとも誤解なきよう。卓見です。


 で、「本格ミステリー」の条件は「幻想味・詩美性」と「論理」の二つとし、推理小説のほうにも「本格」はあるのかいうと、原則的に「本格はない」と結論づけられます。ええっと驚きつつも、島田氏のルーツ二つ説では、ま、そうなって当然です。

 しかし。そうは言うものの、高度な論理性に重きをおいたものは、「ミステリー発生期のスピリットに大きくクロスものであることは認め得る」とし、「したがってこういうものを「本格推理」と呼ぶことは、筆者の許容の範囲である」とされています。


 ハイ、やっとこれで、「本格ミステリー」と「本格推理」が出揃いました。みなさん、お疲れさまです。長講釈でご迷惑をおかけしております。「本格ミステリー」と「本格推理」の違いがおわかりいただけましたでしょうか。(「本格ミステリー」は月見の表記では「本格ミステリ」となります)


 島田氏の説に従って、本格ミステリと本格推理を言い表すとつぎのようなものになります。


 本格ミステリ――「幻想的な謎と、高度な論理性の二つを有する(形式の)小説」


 本格推理――「高度な論理性を有する(形式の)小説」(学術論文などは除外)


 推理小説は「本格ミステリ」と「推理小説」の二つに分かれ、「推理小説」の中に「本格推理」と呼べるものがある、ということですね。そのことと関連して、「本格推理」を容認した以上、倒叙小説やサスペンス小説にも「本格」はあり得るとし、「本格」をつぎのように説明されています。


「「本格」とは、したがって純粋な形式名ではない。複数の分野のミステリー小説に跨り、その「より原点の純粋性に対する傾斜度の高い一部分」を示す」


 以上のことは、「本格ミステリー宣言」の「本格ミステリー論」の章を、月見流でまとめたものです。島田氏は、本格推理を「許容の範囲である」なんてことを書いたりしたものですから、さっそく反論を受けます。「本格ミステリー宣言Ⅱ」に入っている「本格探偵小説論」で、精いっぱい挑発的な書き方をしたことを述べ、また、大いなる誤解があるとされ、簡略に自分の考えを、もう一度整理されています。そこに「本格ミステリー」と「本格推理」の違いのわかる実例を提示されていて、わかりやすい例だと思いますので、紹介させてもらいます。


 バレエ「白鳥の湖」のプリマが舞台裏で殺された。それがなんと、調べてみると、死亡した時刻には、大勢の観客が舞台の上で彼女が踊るのを観ていたことがわかる。つまり、死んでいたはずのプリマが、みんなの前で踊っていた。彼女の舞台への想いがそうさせたのだで物語が閉じれば、それは「幻想小説」。

 しかしそれが、彼女には双子の妹がいて、犯人をかばうために、姉のフリをして舞台で踊っていたということが、後半で判明するのが「本格ミステリー」。

 死者のバレエダンスみたいな状況はなにもなく、プリマの遺体が発見された時点で公演は中止、警察官がやってきて、事件の捜査が始まるのが「推理小説」。その解決方法が高度な論理によるものだったら「本格推理」。


 月見流の改変をいささか加えてのものですが、そうやって説明されています。

 島田氏の考えはなかなか興味深いもので、月見の分類は、島田氏の考えをたっぷり参照させてもらっています。で、月見の考えをつぎに少しばかり述べます。


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