推理小説の仕分け 1
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前章で、推理小説、本格推理、本格ミステリ、探偵小説の分類をしました。この章では、それらの解説をしてみたいと思います。
まず推理小説ですが、これについてはすでにさんざん述べましたので、もう解説の必要はないでしょう。前章でした定義通りのものです。月見の考えでは、これの代表作家は、アガサ・クリスティです。作品の出来、知名度、売り上げ、世界で二番目に有名な名探偵ポワロの創造……などなど、すべてを総合して考えても、好みを言わなければ、世界最高の推理作家だとしても、誰も異議は唱えられないでしょう。
推理小説は、謎の設定の仕方から、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット、の三つに大まかに分かれ、それぞれ、誰が? どういう方法で? なぜそれをしなければならなかったのか? となります。作品内においてこの三つは不可欠ですが、そのうちのどれかひとつか、あるいは二つが謎のメインディッシュになっているものが多いです。またこの三つはあくまで基本で、それ以外の謎の設定も考えられます(凶器は? 場所はどこか? などなど)
この場で少し触れておきたいのは、名探偵型と凡人型についてです。探偵役で分けると、推理小説はその二つに分けられます。凡人型というのは、名探偵型以外の作品すべてだと考えてください。
名探偵型は、説明する必要もないことですが、叡智にたけた天才級の探偵が快刀乱麻に謎を解明するというものです。デュパン、ホームズ、ポワロ、明智小五郎、といったような錚々(そうそう)たる探偵が主役です。
凡人型は、刑事を初めとした市井の人物が探偵役を務めます。足での推理という感じで、徐々に謎が解かれていきます。ですから地味で、クロフツのフレンチ警部あたりが知名度が高いくらいでしょう。刑事型の探偵が主役となりますが、職業は警察官とは決まっていません。普通のサラリーマンの場合もありえます。
どうしてこの探偵役による分類を挙げておくかというと、読んだ印象や、構造がかなりちがい、分けておいたほうがいいと考えるからです。書こうとする際にも、キャラクターの造形方法、手がかりの張り方などかなりちがうところがあります。それぞれ特色があり、それにともなって長所と短所があります。
名探偵型は、デュパンの直系でもあることから、これを継承すれば推理小説の設定はたやすく作れます。推理小説として、多くの方がイメージされるのもこの型です。黄金律と称してもかまわないほどです。キャラクター小説としても抜きん出ているので、シリーズにするのも便利な型です。ゲーム性もピカイチ。ただし完成された型でもあるので、制約は多いし、新味を出すのがむずかしいところでもあります。事件が生じ、探偵が登場して解決というパターンになりがちで、ゲーム性が高いがゆえに、登場人物が人でなくコマになりやすいとこもあります。またこれで長編書こうとすると、起承転結の承の部分がむずかしい。なぜ天才である名探偵に謎が解けないのかという疑問を、読者に感じさせてはいけないからです。プロ作家の方もそこで苦労しています。連続殺人なんて扱うと、天才なのになぜ止めることができなかったのかなんて非難くらいます。ひどい時には、名探偵も犯人の共犯者ではないかと疑念すら抱かれる始末です。すれっからしの読者になると、ま、そこは推理小説のお約束ごとだからと許してくれますが、ほかの部分がよく出来ているという条件のもとにだと思っておかれたほうがいいでしょう。短編を引き伸ばしている、あるいは水増ししていると思われてしまうと、もう致命的です。
それでも、この名探偵型が推理小説の黄金の基本形であることに変わりはなく、書かれようと思う方は、一度は研究されてみられるべきです。短編で一度はこの形式に挑戦されてみるのを勧めます。出来栄えはどうでもいいんです。それすることによって、推理小説の書き方のいろんなこと学べます。難しい点や、基本的な構成の点など、たくさんのことをです。高村薫さんの小説が推理小説としてはちっとも面白くないのは、それをされていないせいだと、月見は勝手に、独断で邪推しています。高村さん自身に推理小説を書いているつもりがおありになられないだろうとは思っていますが、その高村さんが大ファン、影響を受けたミステリ作家のジョン・ル・カレが、推理小説ファンにも人気が高いのは、ル・カレが初期に書いていたのが古典的推理小説の形式なものだからです。つまりル・カレは、推理小説を知っているんです。そこが高村女史とル・カレの大きな差だと、月見は考えています。
凡人型ですが、これは名探偵型から派生してきたものではないかと月見は思います。名探偵型で述べた弱点を、補うべくして生まれてきたものとしてです。「論理的な推理」の面白さを継承しつつ、小説としての不備を克服しようとしています。平均的な常識のある人物が探偵ですから、快刀乱麻という具合にはいかず、苦労して少しずつ謎は解かれていきます。「推理による論理的な謎の解明の面白さ」という点では、月見としては、こちらの型のほうが優れているのではないかという気もしています。クライマックスに一気にではなく、小説全体に渡って推理の過程が楽しめます。この型の代表例は、事件が起こり、犯人もわかっているのだが、その犯人には鉄壁のアリバイがあったというものです。探偵役は、読者と足並みを揃えて、それを徐々に推理によって解き崩していきます。前記したように、クロフツがこの型の大家です。ただ事件の舞台が海外ということもあって、クロフツは日本では損している作家さんです。で、日本のこの手の代表作ということで、松本清張の「点と線」を挙げておきます。「点と線」以後の日本の推理小説は、ひと昔前までは、それを追従するものばかりになったほどですから、「点と線」、やっぱ名作です。トリックはいまとなっては目新しさはありませんが、西鉄香椎駅と国鉄香椎駅の二つの駅の件なんてところは、いま読んでもぞくぞくします。清張作品というのは、そういった細部に、いまでも光るところがあります。古びないんですね。それと清張の作品に限らず、凡人型の推理小説は人間を描くのに適しています。それが小説としての強みです。名探偵型と比較すると、その差は一目瞭然です。また、アリバイ崩しのようなハウダニットだけでなく、フーダニットなどいろんなパターンがあります。応用が利くという点でも、凡人型のほうに長があります。長編に向いているところもあります。
ただし、謎が解き明かされた時のカタルシスという点で、凡人型は名探偵型に及びません。それを目当てに推理小説を読んでいる読者は多数います。騙された時の快感ですね。凡人型は読者と足並みを揃えるがゆえに、「さあ、この謎をあなたは解くことができるか」という読者に対する挑戦性が弱くなるのです。作者対読者のゲームとしての面白さですね。本来推理小説は、推理の面白さを楽しむためのものですから、必ずしもゲーム性がいるはずはないし、それに推理小説は、小説であってゲームではないのです。しかし、ゲーム性、パズル性を強化することで発展したのは事実であり、そこに独自性を見い出しているのもこれまた事実で、ゲーム小説、パズル小説として広く認知されているのを無視することはできません。そういう点に関して、凡人型は名探偵型に見劣りしてしまいます。
さて、名探偵型と凡人型を見てきましたが、どちらがいいということではありません。ただ凡人型を書くにしても、デュパンの直系である名探偵型を熟読吟味の必要はあるなとは思います。また実際のところ、多くの作品が名探偵型と凡人型の折衷型が大半です。犯人にアリバイがあり、凡人型の刑事がそれを崩そうとするが肝心のところで行き詰ってしまい、それを名探偵型の警部が解き明かすとか、名探偵とまではいかないが凡人よりは頭のいい探偵役を設定するとか、多種多様あります。そうやってみなさん、いろいろ工夫をこらしています。どうして工夫をこらすかはわかられますよね。弱点をカバーするためでもありますが、ストレートな名探偵型と凡人型を書くのが、いまでは難しいからだということもおぼえておきましょう。
つぎに、本格推理と本格ミステリに移りたいのですが、その前に「本格」のことについて述べてみます。ここでの「本格」とは、国語辞典での本格の意でなく、探偵小説を分類する際の日本独自の言い方を指します。中島河太郎氏の「推理小説辞典」によると、甲賀三郎氏が提唱者のようです。
「さらに大正十五年、同じく甲賀は異常心理や病的なことを扱いながら探偵小説と呼ばれているものを、「変格」と呼んだのに対し、純粋な論理的興味を重んずるものを「本格」と名づけた」
曖昧な表現ですが、ポーの「モルグ街の殺人」を継承した「純粋な論理的興味を重んずる」ものを「本格」と呼び、それ以外のものを「変格」と呼ぶことにしましょうと解釈していいと思います。つまり、月見の言っている推理小説も「本格」と呼んで差し障りがないわけです。「本格」とそれ以外の作品という、二つだけに分けるのはわかりやすいです。むかしはそれですんでいました。
その後、探偵小説が推理小説という名称に変わり、社会派推理小説なるものが台頭してきて、横溝正史と赤川次郎氏のブームが起こり、新本格派と称された若手の書き手が出現してくるわけですが、平成元年に島田荘司氏の「本格ミステリー宣言」が発刊されます。
で、それをもとに、つぎの段落で本格推理と本格ミステリーを考えてみたいと思います。




