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推理小説とは? ~定義をめぐって~ 4


     4


 前段落で、「推理」こそが、推理小説を、そう成らしめている要因だということを述べました。

 それなのに、「推理」に力点をおいていない推理小説がどれほど多いことか。推理なんて気持ち程度しか入っていないのに、推理小説と謳われた作品が続々と出版されているのが現状です。なぜか。簡単です。需要がないからなのです。ああだこうだと、理屈ばかりこねているような小説は、誰も読みたがらないのです。だって、うるさいし、鬱陶しいじゃないですか。読んで役に立つでもなし、煩わしい思いまでして読むものじゃない。読書は気楽に楽しむのが一番。そんな頭が痛くなりそうな本を読む人の気がしれない。

 これが現実です。理屈っぽい人は嫌われます。つまり、それを好む、いや楽しむ人なんて、ごくごく少数、ほんのかぎられた一部の人だけです。趣味で哲学書を読む人の数ほど、と思って間違いないでしょう。経済としては成り立たない数です。純粋な推理小説を好きな人なんてほとんどいないことを、頭に入れておきましょう。


 ここらで、前に出した直観型推理をいま一度振り返ります。密室の謎は合理的に説明するが、どうしてそれがわかったのかは、閃き・直観ですますタイプです。これって要するに、手品の種明かしみたいなものです。不可能犯罪もの、ハウダニットものに、直観型推理が多いのも無関係ではないと思います。推理の過程が説明されないので、その面白みはないのですが、謎が解けた時のカタルシスがあり、そこのところで、推理小説と相通じます。テレビ番組で、手品の種明かしを見た時に推理小説の快感おぼえるのはそのためです。月見も、手品の種明かしを聞いて、感心したり喜びを得ることができる人は、推理小説を楽しめると思っていますが、バカバカしい、くだらないと感じる人は、向かない人だと考えています。そういう点から、直観型推理の作品も推理小説の範疇に入れても差し支えないだろうというのが月見の判断です。ただあまりに安易に直観使ってはダメです。推理小説の要は「推理」です。

 密室殺人の現場に千里眼の持ち主が現れて、千里眼で見抜き、いくら合理的な説明で事件を解決しても、推理小説とは思わないでしょう。千里眼と直観は五十歩百歩です。ですから直観型推理で書くにしても、推理要素を作品に取り込むのが普通です。密室殺人があった場合、A、B、Cの人物を出して、こうでもないああでもないと方法の議論をさせて、Aが大声を出します。「そうかわかった! 密室にする方法は××だったんだ。それができるのは、Cさんあなたしかいない」。Aが真相に辿り着いたのは、閃きか直観なんですね。千里眼とそれほど大差はありません。しかしその前の段階で議論させることによって推理の要素を盛り込んで、推理小説に仕上げているのです。このあたりのテクニックが上手か下手かは、作品の出来に大きく影響します。そのへんを頭に入れて推理小説を読むと、そのテクニックを盗めます。

 ただし、直観型推理によるものはけっきょく「謎解きの話」で、そこに「推理」が入って推理小説になるのだということを肝に銘じてください。推理小説を成立させているのは「推理」なのです。謎が解決されさえすればいいのではないのです。隕石の墜落で恐竜は絶滅に追いやられたとしてしまうのは謎解き、あるいは種明かしの話で、これこれこういう理由で隕石が落ちたことがわかり、そこから恐竜は絶滅に追いやられたと導き出してみせるのが推理小説です。つまり、どうしてそれがわかったのかの推理による道筋がいるのです。直観型推理だなと思ったら、よくよくその点に留意されますように。

 現実には、「推理」と「直観」と、いかにもそれがありそうだという「蓋然性」の三つを組み合わせて推理小説は成り立っているのが事実です。


 *直観型推理の際の注意点です。読者が読んで、「ああ、ちゃんと読んでいれば自分にも謎は解けたはずだ」と思わせることができたら満点です。「こんなのわかるわけないじゃん」の場合は、その度合いによるけど赤点。そう考えていいと思います。わかるわけなくても、面白いのがあるのが難しいとこです。


 ここで先述しておいたトリックについて触れます。月見と乱歩の定義を見てもおわかりの通り、トリックは必須条件ではありません。

 ある店で言い争いが生じ、片方が相手をはずみで殺害して逃げたとします。店の者は犯人は初めての客で誰だか知らない。殺されたほうもどうやら、犯人とは初対面のようだった。つまり行きずり殺人。しかし犯人は逃走の際に、帽子を忘れていった。そこへ名探偵が登場し、その帽子から、推理を展開させて犯人を割り出して見せる。「明日の午後三時に駅に来た、背の高い、人差し指の長い男が犯人だ」

 こんなホームズ張りの小説があったら、間違いなく推理小説です。それも純粋推理によるもの。で、どこにもトリックがないのわかられますよね。犯人は帽子を忘れただけです。つまり、トリックがなくても推理小説は成り立つのです。逆に、トリックを使わないほうが、混じりっけのない推理小説を書ける可能性が高いです。

 しかし、推理小説にとってトリックは重要です。日本では、推理小説とトリックはセットみたいなところあります。「トリックがないから面白くない」。そう言われるのが一番いやだというのは、とあるハードボイルドファンの嘆きです。それぐらい、ミステリや推理小説にはトリックがあるのが当然と思われています。

 そもそもトリックとはなにか? 


 1 人の目をくらますためのからくり。策略。

 2 人を騙すためのはかりごと。ごまかし。詭計。


 辞書ってほんと便利。みなさん引く癖つけましょうね。それはさておき、推理小説においては、これとは違ったニュアンスを含んではいますが、大意としては1・2でいいと思います。クイズやなぞなぞとは違うことに注意してくださいね。え? という人は辞書を引いてね。「くらますためのからくり」「騙すためのはかりごと」なのです。読者を騙すために、犯人が使うこともあれば、作者が使うこともあるもの。

 日本はこのトリックに、欧米などと比べて特化したところあります。海外のミステリの書き方の本とか読むと、項目を設けてまでトリックに言及したものはほとんどありません。アイディアのひとつとして考えられているみたいです。つまり、日本でいうところのトリックという概念は、あまり重要視されていません。そこに、海外と日本の推理小説の発展の仕方のちがいがあります。ほかのアジア諸国の事情まで把握できていませんが、なぜ日本でトリックがこうまで重要視されているのかと考えると、ひとつは乱歩の影響ですね。乱歩がトリック好きで、それに合わせて日本の推理小説が発展していったところあります。それと本来の国民性が、トリック好きにできているのだろうと思っています。技術好きなんですよ、日本って。プロジェクトXの国なんです。

 そういうこともあって、必須条件でないのにも関わらず、トリックはもてはやされます。読者はトリックがあることを求めていますし、出版社もそれを知っています。いいトリックがあれば高評価を与えてもらいます。ですから、あなたがデビューしたいのであれば、トリックは重要条件のひとつとして考えていいと思います。

 具体的なトリックがある作品は、推理小説としてわかりやすいんですよね。読者は推理を楽しもうというより、トリックを見破ろうとして読んできますから。それがいいことかというと、月見は疑問です。すでに述べたように「推理」が要です。トリック偏重主義になると、その「推理」部分を見失いがちになります。

 例を挙げると、作者が読者に仕掛ける「記述トリック」というのがあります。登場人物の一人が男なのに、それを女と思わせるように書き、最後に男でしたとするような手法です。作者は一度も××が女とは書いていません。地の文で嘘も書いていません。あなたが勝手に××を女だと思い込んでいただけです。このトリックは嫌いではありません。そういう試みは好きと言ってもいいです。ただ、それが推理できないのはわかられますよね。女だと書いてはいませんし、嘘も書いていないけど、男だとはっきり推理できる手がかりもないんですよね。なかには手がかりを配している優れものもありますが、大半はない。つまり肝心の「推理」の楽しみを得ることができないんです。それなのに、それが推理小説だと思っている人のなんと多いことか。「推理」がないのに。

 基本的に「記述トリック」は、意外性を出すためのものです。推理を楽しませるものでなく、「意外な結末」を導くためのもので、つまり、「意外な結末」という、推理小説を面白くするための要素です。トリック偏重主義になると、トリックばかりに目がいってしまい、トリックさえあればいいとなり、「推理」を見失いがちになることに用心のほどを。

 また、密室トリックの解明を読んでバカらしく思う人が、けっこうな人数であることも知っておきましょう。子供だましだ、になるんです。記述トリックは、インチキ・ペテンと評される可能性も高いです。


 *「記述トリック」に興味のある方は、ぜひとも中町信氏の作品を手に取ってみてください。氏は「記述トリック」の名手です。「記述トリック」が新本格の十八番と思っては大間違いです。新本格派の書き手たちが、中町氏に刺激されたのです。


 ここまでのまとめをします。まず月見の定義です。


「推理小説とは、推理による論理的な謎解きの面白さを主眼とした小説」


 これを満たした、もしくは満たそうとするのが本来の推理小説の在り方だと考えます。「推理」が肝心な点であるのは、くどいほど説明しました。

 そして、そういう純粋な推理小説が、理屈っぽくて一般受けしないことを述べました。つまり、面白いものではないんですね。だから、トリックや「発端の不可思議性」「中途のサスペンス」「結末の意外性」といった三項目で面白くしようとしています。べつな言いかたをすれば、面白い推理小説を書こうと思ったら、それらに重点をおいた創作が大事です。モミの木があって、それに飾り付けをすればクリスマスツリーになるようなものです。モミの木が定義で、飾り付けが面白さです。または、モミの木が面白さで、飾り付けが定義の場合もありうるでしょう。ただ、推理する楽しみを失ってしまえば、もはやジャンルとしての存在意義がなくなってしまうことはお忘れなく。


つづく

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