自己不確立の傍観者
"美懸森の美恋歌"。
他の作品などと比べると、性的表現は少ないものの、重量過多な文章と無駄に入れ込んだサウンドやグラフィックにより、非常に人気を博したエロゲーである。
共通世界観での舞台を元に描かれており、風呂敷広げまくってもちゃんと話が回ってしまう原作シナリオライターへの畏怖と感動と、こいつ馬鹿なんじゃねーの?、という敬意と共に愛される作品の一つでもある。
現代世界と神々の世界が密かに共存している、学園ファンタジー物の王道を突っ走った設定だ。
そこに登場人物達のバックボーンも絡み合っているので、全ての設定を紙媒体で見ると物凄い量になるとかならないとか。
関係者でもないただの一ファンでしかなかった"俺"の知識以外にも、想像もつかない設定が存在しても不思議ではないのだ。
なんせ、キャラデザなどの細かい設定まで原作者が練っていたらしい。ぶっちゃけ収集不可能だ。
それでも"私"は、"俺"の知識を最大限に利用して、この世界の根本へと近づかなくてはならない。
何故、"私"は、この作品のヒロインである"姫嶋 綯"として生まれたのか。
何故、死した筈である"俺"の記憶を有しているのか。
"私"でも、"俺"でもない、この世界に置ける姫嶋 綯は、一体何処へ行ってしまったのか。
使命とか、興味本位とか、深くて浅いような理由ではない。
奮えない心の中で、どうしようもなく燻っている、強迫観念のように求めずには要られない。
ジュクジュクと、内側を腐らせていく熱が伴うソレは、衝動的という意味では興味本位と言っていいかもしれない。
だけど、この身体を掻き抱かなければ、今にもドロドロとした抑え難い感情が、今にも吹き出してしまいそうだ。
見て見ない振りでどうにかなる物ではない。"私"が、"俺"の記憶を自覚してから、頭の隅にへばり付いて成長を続けた衝動なのだから。
そう、これを敢えて例えるなら、
「粘着系モンスターに身体の隅々を凌辱されてる気分だ……」
「ッ!?」
ん? 今、私を中心にして引き下がるような物音が聞こえた気がする……、ま、いいっか。周りの事を気にしている余裕なんて、“私”にも、姫嶋 綯にも、ゲームの設定的にも有りはしないんだ。
“私”が、誰で、一体何処から来たのか、その答えを見つける。この17年間は、その為だけに生きてきたのだ。
「お、おい、聞いたか今の? この学園の標記にして表記、文字って評姫様がなんか偉いこと言わなかったか……?」
「馬鹿っ、俺は何も聞いちゃいねーよ! お前のいやらしい妄想野と一緒に済んな、――――俺には“凌辱”の部分しか聞こえなかったぜ」
「ちょっと、私絶対今の夜のオカズにするわ。大丈夫! 脳内再生余裕だもの!」
「馬鹿ね、――――私なんて昼食前の休み時間に処理するわ、生物は鮮度が大事なのよ」
「順番割を決めましょう。このクラスの人数だと休み時間中に処理しきれないわ」
少々、いや、クラスに響き渡るざわめきが大きい気がする。
まったく、集中したい時に限って、このクラスは騒がしい。この世界の舞台である、美懸森学園の五学科中で、一番に人気が無い筈の進学科を選んだというのに。
“宗像三女神”を迎え入れ、それを祝ったとされるこの地では、事“美容”に関する熱意が凄まじい。懸森市の推進校である美懸森学園が、美容科やそれに付随する学科を備えている事から、どれだけ綺麗好きか想像に難くない。
しかも、エロゲーに限らず物語にありがちな、“主人公の周りに美少女が集まる”法則も、懸森市における顔面偏差値の高さで説明できてしまうのだから恐ろしい。
この世界に関わる根幹の設定として、神や妖物などの超常は存在して“居る”。
一般の方は関わり合いになる事はないが、今ものほほんと、この世界で彼らは人間と共存している。
そして、日本神話で美の女神とされた、“宗像三女神”の加護を受けたこの土地では、美男美女が生まれやすい。
何もイケメンは主人公だけではない。顔が良いだけの男なら、この土地にはゴロゴロしている。中身も整った奴は全国平均なのだが。
そんな美懸森の地で、“美容”という言葉は結構特別な意味を持つ。
そして、古くから美懸森で“美容”に付いて教育し続けてきた美容学科は、生徒数の10分の7を占める人気があるのだ。
物語の中心となる原作主人公達も、そこに所属している。
私は、彼らと接触するよりも、身を引いた位置からの傍観を選んだ。
なぜなら、神霊妖物が存在するこの世界には、当然それと敵対する敵役の存在がある。この敵役こそがネックだった。
物語を動かす原作主人公やヒロインも、それに関わるようなバックボーンがある。下手に動けばどうなるか解らない、というのが本音だ。
原作ゲーム以外の展開も、十分起こり得る。ただでさえ極悪難易度ルートが乱立するゲームだ、“俺”の記憶には頭使わないと死ぬ展開の数々に、甘いシーンの「あ!? 和んでてもげろっていうの忘れてた!?」、と言ったものも存在している。
“俺”の記憶を所有していても予測不能なストーリー、現実の“私”が御し切れるのか、そんな不安があった。
原作ゲームの序盤が終わり、フラグ管理のデスマーチが始まる前に、今後への考えを纏めて置きたかった。
“俺”の記憶的にも“私”の主観的にも、頭がおかしい外道な主要人物達から遠ざかっている進学科なら、静かに思考できると思ったのだが…………
「少し、黙ろうか」
「ッ!?」
騒がしかった生徒達の声が、静止に苦心していた教師と一緒にピタリ、と固まった。
「皆さん、今は授業中なので、学生としては授業に集中すべきかと思うのですが」
生徒達の表情が引き攣った。
“思いも寄らず母親からお怒りの言葉を受ける幼児”、の図だった。
別に苛々している訳ではない。ただ静かにして欲しい、それだけだ。だから、苛々なんてしてないと何度言えば……
「やべっ、突然猛烈に板書取りたくなって来たぜ!」
「はぁ!? 俺なんて予習までこなしてっし…………、誰が童貞だてめえ!?」
「落ち着け! 溜まった物を吐き出す場所は自室の中だけにしとけ!」
「誰かティッシュ持ってない? 身体が火照って来ちゃった……」
かと思えば、再び爆発するような騒ぎが巻き起こる。
今朝の出来事と相まって思い出す。“美懸森の美恋歌”などの舞台となる作品共通世界観が、一つあるのを、
「み、皆さん落ち着いて下さい! 姫嶋さんが怒ると、何故か私も一緒に正座させられるんですよ!? ――――落ち着いて、もっと騒ぎましょう!」
「おお!? 担任教師から、まさかのもっとやれ宣言が出たぞ!」
「私達も大概だけど、先生達も姫様に完全に開発されちゃってるよねえ……」
――――原作著者が書く登場人物って、皆何処か変人だったんでした……。
当然、モブだろうとなんだろうと、頭が心配される程度の奇行は日常茶判事。
そこら辺、“俺”の記憶を有した“私”は、――――まともだと言う事なのだろう。
全く、これでは集中も何も在った物ではない。ちょっと説教して、まともな人間の道徳を彼らに叩き込まねば。
「解りました。少しお説教が必要なようですね、――――廊下に出なさい」
「廊下に出なさいキターーーー!!」
「キャー! ミス評姫≪マーク≫がご降臨なさったわー!!」
「みなさーん、素早く廊下に並んで下さーい、…………うへへ」
“私”には時間が無い。
だが、今後の静かな思考時間の確保的にも、“私”の性格的にも、この騒がしい問題を見過ごす訳にはいかない。
なので――――
「正座しなさい、貴方の不正を断たせます」
実は主人公も頭おかしいという罠。