第二話 竜の谷-6
「逃げなかった事は、とりあえず褒めてやるわ」
槍を肩に担ぐセーラムにそう言われ、二三一は苦笑いして肩を竦める。
一応今日は実戦ではなく、実力を見せる演習であるので、セーラムの担ぐ槍も鍛錬用に穂先の無い、槍と言うより棍のような武器であり、二三一の持つ剣も木剣である。
盾だけは実戦で使うモノではあるが、これは二三一が選んだと言うより渡された物だ。
二三一も立場上、女王の前での天覧試合の経験が無い訳ではない。
西の大地での亜人の立場を確立する為に、人間の実力者を蹴散らし実力を示さなければならない事は数回あった。
しかし、今回のように一大イベントとして注目される事は少なく、さらに相手がこれほど可憐な美少女であった事は皆無である。
たとえ訓練用の木剣であったとしても、二三一の腕力であれば命に関わる事もあるし、一生残る怪我を負わせる恐れもある。
「よろしくお願いします」
二三一は頭を下げて言う。
「言っておくけど、私は一切手を抜く気は無いわよ。まさかとは思うけど、ここで手を抜いたりその実力に偽り有りと分かったら、そちらとの同盟は無いのも分かってるわよね?」
「十分存じております。今も黒づくめで金色の目をした怖いヒトから脅されましたから、精一杯努力させていただきます」
セーラムが槍を伸ばしてきたので、二三一は木剣を槍に合わせる。
戦いを始める合図であり、一斉に歓声が上がる。
それに合わせて、二三一とセーラムはバックステップで距離を空ける。
本当はここで前に詰める方が、剣を持つ二三一としては有効な手段であったのだが、不意打ちに思われるのも面白くない。
と、甘い事を考えたのが大きな間違いだった。
お互いに距離を取った場合、いかに体格に優れているといえ二三一の腕の長さでは、槍とのリーチの差は埋められない。
先手を取るのはセーラムになる。
二三一は盾で半身を隠し、相手の出方を見る。
少しずつ間合いを詰め、セーラムの攻撃範囲を見定めようとした二三一だったが、凄まじい衝撃に盾を弾き飛ばされる。
セーラムは槍を構えたまま動いた様子は無いが、表情は笑顔になっている。
盾で半身を隠していたせいで視界は悪かったと言えるが、セーラムの攻撃は視認する事が出来なかった。
「ふふっ、驚いた表情になってるわよ?」
セーラムが余裕を見せるのだが、二三一はそれを隠す事すら出来なかった。
正直、言葉も出ないほど驚いているのだ。
これまで槍使いと戦った事はある。
リーチの差を埋めるのは実力差以上に厳しいところもあったが、モーションが読めれば武器を払う事が出来る。
長柄の武器は材質にもよるが、武器を傷めるか、腕を痛めやすい。
しかし拳での戦闘でもそうだが、予備モーションの無い突きと言うのは最速の攻撃であると共に極端に見切りづらい攻撃である。
それはもっとも基本的な攻撃であるのだが、踏み込みの動作も基本の構えからの突き、さらにその戻りさえも見せないで盾を弾くほどの攻撃を繰り出す事は、達人の技と言える。
見た目には可憐な美少女であるが、少なくとも武器戦闘の技量だけを比べるとすれば、セーラムは二三一より数倍優れた戦士だった。
武器戦闘の技術が上手な槍使いに、槍の間合いで戦われては剣では勝負にならない。
二三一は弾かれた盾を拾うと、もう一度間合いを取って構え直す。
モーションが見えなかった理由は、セーラムの技量の高さだけではない事も、盾を拾った時に分かった。
盾の中心に槍で突いた跡があった。
セーラムは最初から二三一ではなく、盾を狙って攻撃してきたと言う事で、二三一からセーラムの攻撃は盾の陰に隠れて見えなかったと言うわけだ。
が、それも言うほど簡単な事ではない。
それでも様子見していたところで、事態は悪くなっても良くはならない。
良い情報もある。
セーラムが最初に狙ったのが盾だったと言う事は、彼女もまだ様子見であると言う事。それは強引に勝とうとはしていないだけではなく、戦闘を楽しもうとしている行動である。
二三一はもう一度盾を構え、正面からセーラムに向かう。
その行動にセーラムは一瞬眉を寄せるが、それでも彼女は逃げたり躱そうとせず、正面から迎え撃とうと構える。
可愛い顔はしているが、セーラムは正真正銘の戦士だ。ここで二三一との戦闘に躱すと言う手段は卑怯と思っているのだろう。
エテュセと行動するようになってから、昔の事を思い出す事も多くなっていたし、戦士としてのあり方をいろいろ考える時間も増えていたが、セーラムのような純粋な戦士と対峙していると、こちらの戦士としての本能が刺激されていく。
それでも二三一とセーラムは同じタイプの戦士ではない。
特に二三一は多くの挫折を味わってきているので、身体能力に優れただけで勝利する事は出来ない事は思い知らされている。
真正面から突っ込むのも、血気にはやったと相手に思わせる事と、情報収集の必要もあったからだ。
さっき攻撃された時より半歩近くまで近付けたのだが、そこで強烈な突きが二三一の盾を襲う。
引き付けられたと言う事は分かるが、その分セーラムの攻撃範囲も分かった。
彼女も二三一が集中し始めた事に気付いて、より重い攻撃で二三一を止める必要があったのだから、そこがセーラムの有効攻撃範囲と言う事だ。
見た目には可憐な美少女ではあるものの、その見た目からは想像も出来ないほど重い攻撃は魔力によって強化したものではなく、鋭い踏み込みとそれを槍の先端に伝える卓越した技術の賜物だ。
さらに恐ろしい事に、その鋭い突きを最速で繰り出すだけではなく、驚く程正確に同じところへ同じ速度、同じ強度で繰り出し続ける事が出来ると言う事である。
凄い技量だ。西の大地でこれほどの槍使いは五人もいないだろう。
一方の二三一は身体能力こそ極めて高いものの、戦闘技術は素人戦法なので戦闘能力に関しては中の上程度だ。
地力の勝負で太刀打ち出来ないのだから、考えるしかない。
と思っているところに、セーラムの容赦の無い突きが二三一の盾を襲い、後方に押し戻される。
体重差もかなりなるはずなのに、二三一の身体強度をもってしてもその場でセーラムの攻撃を耐える事が出来ない。
「どうしたの? 西の新興国の戦闘能力はその程度? 竜の力を借りないと、自国の領土も守れないの?」
「言ってくれるね、姫様」
二三一は苦笑いして答えるが、笑っている場合ではない。
このままでは完封されて、セーラムの実力だけ見せつけられて終わりになってしまう。
正直に言えば、それでもエテュセなら何とかするだろうし、先ほどセーラムが口にした通り守備隊を率いる二三一だけでは心許無いから竜の庇護が必要だ、という交渉も出来る。
それが出来れば二三一の御前試合での役割も終わりなのだが、二三一はエテュセのように結果さえ得られればそれで良しと、割り切る事は出来ない。
槍を構える金髪の美少女を見ていると、二三一も悪い事をしている気もするが、彼女との戦いは二三一の戦士としての誇りを取り戻せそうな気もしてきた。
間合いの外まで押し戻された二三一だが、木剣を掲げる。
「次で姫様の懐に入る。槍の間合いは見切った。懐に入ってしまえば、槍も怖くない」
二三一の宣言に、周りから歓声が上がる。
セーラムも少し驚いた表情になったが、その後には挑発的な笑顔を浮かべる。
「まったく手も足も出ていない中での大言壮語は、恥をかくだけよ?」
「生憎とその程度の恥はこれまでに十分過ぎるくらいかいてきた。この程度で萎縮するような恥じゃないって事さ」
「言ってる事はカッコ良く聞こえるけど、それって言った事を実現出来なかったって宣言している事だけど?」
「細かいとこまでツッコミ入れるんだな」
二三一はそう言うと、盾を構えてこれまで通りに正面から突進する。
「意外と芸が無いのね。これ以上ネタが無いなら終わらせるわよ」
セーラムはこれまでの構えより、若干腰を落として構える。
戦士である彼女はよく分かっている。
相手がやる気になっている時こそ、心をへし折る絶好の機会であり、そこで心を折られればその戦闘は終わりだ。
その人物も折られた心を立て直すのには、かなりの時間が必要になる。
純粋な戦士であるセーラムはその高過ぎる実力から、それを隠そうともしない。
一撃で勝負を決めるつもりだ。
それが出来る実力差でもあるし、もし二三一でもそうするが、そこが分かれば打てる手もある。
セーラムの持っている武器がエテュセの『ナインテイル』などであれば、分かったところで打つ手も出せる手も無いのだが、セーラムが持っているのは練習用の槍と言う事ははっきりしているのだ。
勢いに任せて突進する振りをして、二三一は最初にセーラムが攻撃を仕掛けてきたところの少し手前で急停止してみせるが、セーラムはそれには釣られずピクリとも動かない。
その集中力は大したモノだ。
油断は無い訳ではないだろうが、隙は無い。
「今の釣りが、最後の手段?」
「まさか、ここからが本番だよ」
本当はこれで釣り上げ、中途半端な攻撃を引き出して槍を横になぎ払って懐に飛び込む事が理想だったが、さすがにこの安手ではセーラムを釣る事は出来なかった。
次の一手が、本当に最後の手段になる。
完全に手の内を見せているセーラムではあるが、それが本当に彼女の手の内である事が前提の方法だ。
セーラムが実は剣や体術の専門家ではない事を祈るしかないが、ここまで実力差がある場合に勝つには賭けに出るしかない。
それは向かい合うセーラムだけではなく、離れたところから観戦しているエテュセ達にも伝わってくる緊張感だった。
「集中力が出てきましたね」
ラーがその様子を見て、エテュセに言う。
「ちょっとばかり遅過ぎましたけど。残念ながらこの差はどうしようもないですね」
「あら、随分と諦めの良い事ですね。戦っている二三一さんが少し可哀想になります」
エテュセの言葉に対し、ラーは笑いながら言う。
「貴方はどう思いますか、アリアドリ」
ラーに話を振られ、アリアドリは眉を寄せる。
「正直、驚いています。姫様もそうですが、あの方も桁外れの実力者ですから。確かに姫様が先手を取りましたが、遅過ぎると言う事は無さそうですよ」
「桁外れの実力者? 今のところ何も出来てないですよ、ウチのアレ」
アリアドリの言葉に、エテュセは首を傾げる。
今のところ二三一がやった事と言えば、セーラムに盾を吹っ飛ばされたり、突進を簡単に止められたりしたくらいだ。
「姫様が同じように考えているとしたら勝負はまだ付いていませんが、アレで姫様は勘も鋭く容赦の無い方ですから。一度取った先手を手放すとは思えませんよ」
アリアドリはそう評したが、エテュセは小さく笑う。
「どうしました?」
「いや、私は戦士じゃありませんので、正直に言うとその辺りの技術的な話や駆け引きの話は私には分かりません。ですが、戦士としては優秀でしょうけど容赦の無い強さとは程遠いですね」
エテュセは闘技場に目を向ける。
「姫様は勝つ事を求めているのではなく、戦う事を求めている。一撃で勝負を決める事ではなく、互角の勝負を楽しんでいる」
「これは説明しづらいでしょうね。アリアドリに見えているモノと、エテュセさんの目に映るモノはまったく違うみたいですからね」
ラーは楽しそうに言う。
「ですがエテュセさん、元々の趣旨を思い出してください。セーラムは実力を見たいと言っていたのに、手段を選ばず勝ちに行ったとして、相手の実力を測れますか? また、二三一さんが騙し討ちに近い勝ち方をして、それで西の実力を示せますか?」
そう言う言われ方をすると、エテュセとしても返す言葉も無い。
「エテュセさん、結果を求める事は悪い事ではありませんが、それを強く望みすぎるあまり視野が狭くなっていませんか?」
ラーは責めるのではなく、諭す様に言う。
二三一との会話でアリアドリを必要以上に警戒していたせいか、ついつい熱くなってしまったところはあるが、ラーの信頼は得ているようだし、何よりラー自身がこちらとの同盟に乗り気なので、ここで二三一が勝っても負けても話の進めようはある。
だとすると、純粋に楽しむ事もそう悪くない。
「それにアリアドリ、こちらの常識が相手の常識とは限らないのですよ?」
「はい、失念していました」
アリアドリは素直に頭を下げる。
「優秀な戦士と言うのは、圧倒的な攻撃力ではなく、卓越した防御能力を備えた者なのです。その点で言えば、そちらの騎士は姫様に劣らない優れた能力をお持ちなのですよ」
アリアドリが改めてエテュセに説明する。
無意味におだてているわけではなさそうなので、二三一は何かしら竜側から見ても素晴らしい事をやったのだろう。
種明かしをしてもらえなかったので何がすごいのか理解出来なかったが、せっかくなので盛り上げて欲しいものだ、とエテュセは考えていた




