第二話 竜の谷-5
「何だか今すぐ死にそうな顔してるわよ? 大丈夫なの?」
エテュセはにやにやしながら、見るからに顔色の悪い二三一に言う。
「俺は今まで自分のことを戦士だと思ってたし、戦士である事を誇りにしてきたけど、まさか戦うことがこんなに怖いことだとは思わなかった」
「大丈夫だって。即死しない限り女王陛下が回復してくれるはずだから」
そう言うと、エテュセは二三一の胸を拳で突く。
「じゃ、私は女王陛下のご機嫌取りしてくるから、あとはよろしくね」
二三一の大きなため息を聞きながら、エテュセは竜側の迎えを待つ。
御前試合の日、二三一は迷いに迷っていたが結局は使い慣れた剣と盾を選択した。
二三一の方で集めた情報は、主に亜人側からの情報提供で、セーラムはこの竜の谷へやって来た冒険者や自称勇者ではまったく歯が立たないほどの実力者で、その口振りからも分かる通り非常に好戦的。
実際にセーラムが戦っているところを見た事のある亜人もいるが、その時はほとんど動かずに相手を撃退したと言う。
相手が飛び道具や攻撃魔術を使わず、使用する武器が剣などの接近戦用であれば不可能ではないかも知れないが、少なくとも二三一には無理な芸当である。
エテュセも戦い方は似たようなモノだが、エテュセとセーラムでは戦う条件が違う。
「エテュセ様、お迎えに上がりました」
と、老騎士ガルムウィックが迎えに来る。
竜の頭部なので正確な年齢は分からないのだが、何故かこの騎士には老いた印象が強い。
ヒゲかな、とエテュセはガルムウィックを見ながら思う。
この老騎士には、他の竜と違って鼻腔の下辺りから二本の長いヒゲがあり、顎下からもヒゲを思わせる獣毛が生えている。
山羊などとは違いそうだが、さすがに触って確認する事まではエテュセでも出来ていない。
「エテュセ様、少しお尋ねしてよろしいでしょうか?」
エスコート役のガルムウィックが、エテュセに尋ねる。
「どうぞ、私に答えられる事でしたら」
「貴女は本当に竜の力が必要なのですか?」
ガルムウィックの質問に、エテュセは軽く首を傾げる。
「と、言いますと? 質問の意味がよく分かりませんけど」
「こちらも当然、そちらの事を調べさせていただきました。確かに貴女の強引な手法は敵も多いでしょうが、それでも貴女の存在それ自体が抑止力となっている事も事実。また、メルディス女王の寛容な人柄もあり、あえて竜と言う戦力強化の必要は無いのではありませんか?」
ガルムウィックは足を止めて、エテュセの方を向く。
「ここでメルディス女王が貴女以外にも竜と言う暴力を手に入れたと言う事実は、むしろ不必要な火種を周囲に撒き散らす事になると思うのですが?」
本当によく調べているんだな、とエテュセは感心する。
竜と言う生物がこれほどの数が揃っているのだから、ちょっとやそっとの戦力など簡単に蹴散らす事が出来る力があるのは疑いない。
それほどの力を持っている場合、その力のみを頼る傾向が極めて強く、相手の情報収集などが疎かになりやすい。
ラーかアリアドリの指示だろうが、自分達の力を過信していないのだ。
「そのリスクはありますけど、私はそのリスクより貴方達を敵に回す事を恐れたのですよ」
隠すような事ではないので、エテュセは正直に話す。
「先ほど指摘された通り、私の手法は強引で敵を作る事も多いです。でも、そうやって作った敵は計算の内ですけど、自分でも知らない内に竜を敵に回したとあっては計算外にもほどがありますからね。周囲を脅すと受け止められても、私にとっては竜を怒らせる方が怖いんです」
エテュセの言葉に、ガルムウィックは不思議そうにエテュセを見る。
「どうしました?」
「いえ、貴女はもっと策謀家かと思ってましたが、どうにも評判との差を埋めづらい人ですね」
「いや、私としては特別策謀を巡らせてる訳でもなく、分かりやすい言動だと思ってたんですけど、周りはそう思ってくれないんですよね」
エテュセは肩を竦めて言う。
彼女自身は冷静沈着神算鬼謀の軍師と言う訳ではなく、女王の協力者を募る外交官の立ち位置だと思って行動しているのだが、周囲の目はそう言う風に見ていない。
なので、という訳では無いのだが、エテュセはそれほど嘘が上手い訳でも相手を騙すのが上手い訳でもない。
むしろ直球勝負でダメなら暴力で解決、という恐ろしく短絡的な行動である事の方が圧倒的に多い。
「まあ、世の中信じる事より疑う事から始めた方がリスクも少ないワケですし、それはそれで当然だとも思うんですけどね」
「貴女はそれで良いと?」
「良いも悪いも、そこは私がどうこうと言うより、私を見る人が考えるべきところですからね、私にはどうにも出来ないですよ」
人の考え方を誘導する事は出来ても、支配し、統一する事など出来ない。
エテュセはその事を知っているので、支配と言う方法は非効率だと思っている。
だからこそ、相手の心をへし折る強力極まる一撃で勝負を決め、その後は女王の統治や自治に全て任せている。
それによって恨みを積み重ねていく事も分かっている。
それでも西の大地での亜人の待遇は良くなりつつあるし、この二年ほどで人との共存も広い範囲で行われつつあるのだから、悪い事ばかりではない。
「しかし、それは貴女が招いている誤解でもあるのではありませんか?」
「その方が女王の為になるのであれば、私は悪逆非道の虐殺者でも構わないんですよ」
笑顔でエテュセは答える。
光と影があるように、名君であるメルディスと殺戮者であるエテュセはバランスを取る為にも必要な役割分担でもあるのだ。
「貴女は相当に強いヒトです。ただ、その強さは評価されない強さですね」
「私はすでに十分過ぎる評価を得ました。これ以上の評価は必要ありませんよ」
生きて欲しい、と言われたのだ。
だが、エテュセには生きると言う事の意味が解らずにいた。
彼等と生活していたごく僅かな期間は、エテュセの中で貴重な、宝石のように輝く思い出となっていたが、それ以降の生活では生の実感を持てずにいた。
持て余す力を振りかざして戦場を血の海に染めたとしても、エテュセの中で生き甲斐を感じる事は無かった。
元々読書家だったエテュセとしては、国土を広めていくという行為に実はさほど魅力を感じている訳ではない。
政治の勉強も多少はしてきたが、歴史上の政治家達の足元にも及ばないし、それこそ神算鬼謀の軍師達の物語を面白いと思いはするが、自分がそうなりたいとは思っていない。
ただ、東の国フラウロスの侵攻と言う懸念材料を食い止めてからでないと安心出来ないと言う理由から、今は行動しているのだ。
「ガルムウィックさん、強さって何でしょうか」
「おや、誰よりも強い貴女が『強さ』を分かっていないのですか?」
「いえ、『強さ』はヒトによって形を変える不定形なモノだと言われましたので。だからこそ、正体の無い言葉ではないかと考えているんです」
「なるほど、それはそうかも知れません」
ガルムウィックはそう言うと、自身のヒゲを撫でる。
様になってるな、と感心しながら老騎士の仕草にエテュセは見入ってしまう。
「私は『打ち克つ事が出来る事』こそが、強さの証明だと考えています」
ガルムウィックは目を細めて言う。
「それは敵を打ち砕く事でもありますし、自らの困難に打ち克つ事でもあります。ただ相手を叩きのめす事が強さではない、と私は考えていますし、そのような答えを貴女も期待していないでしょう」
「いや、私の期待は関係ないと思いますよ」
「ふむ、確かにそれはその通りでした。これは失礼しました」
ガルムウィックはそういうと、頭を下げる。
見るからに頑固ジジイな雰囲気のあるガルムウィックではあるが、それも見た目だけで案外柔軟なようだ。
「その質問は陛下にもしましたか?」
移動を再開して、ガルムウィックがエテュセに問う。
「はい。女王陛下が、強さはヒトによって形を変える、とおっしゃっていました。まさにその通りだと思いましたので」
「貴女と陛下はさぞかし話が合うのでしょうね。陛下は竜に収まらない考えの持ち主ですゆえ、知恵者であるアリアドリでも女王を理解する事は難しいようですから」
その言葉にエテュセは僅かに眉を寄せる。
ガルムウィックは、アリアドリをあまり良く思っていないらしい。
例えるならエテュセと自称親衛隊長シェルのようなモノか。
もしくは勇敢な戦士である竜にとって、知恵者は狡猾な卑怯者に見えるのかも知れない。
それだとアリアドリでも考えが及ばないと言うラーの考えは、竜全体から支持されていない恐れもある。
亜人からは絶大な支持を集めるラーではあるが、竜の中では孤立しているのだろうか。
ガルムウィックや、竜ではないがセーラムなどはラーに翻意を持っているようには見えない。
「そういえば、アリアドリは今日も政務?」
「いえ、本日はさすがに会場にいらっしゃいますよ。今回の御前試合は、貴女達の実力を測り同盟を模索するもの。今後の方針の為にも自分の目で見たいと言われていましたので」
いかにもアリアドリらしい。
エテュセだったらガルムウィックの調査内容を精査する方に時間をかけたいと思うだろうし、御前試合自体にはなんの興味も持たなかったと思うが、そこは知恵者といってもアリアドリも竜である、というわけだ。
「陛下は危惧されていましたよ。貴女の連れの二三一様が、本気で姫君と戦う事が出来るかどうか」
「そこは本人も悩んでました」
と言うか、それに関しては現在進行形で悩み継続中である。
最初こそ本人もやる気ではあったが、日が経つにつれて徐々に戦意を失っていく二三一を見ているのは、ちょっと楽しかった。
エテュセは二三一に限らず、戦士と言う生き方が理解出来ないでいる。
二三一は一戦士ではなく、軍を率いる将として政治面を強化して欲しいとエテュセは思っているので、腕自慢に悩むのは悪い傾向ではないと考えていた。
二三一は自分の変化に戸惑い、それを悩んでいる。
対戦相手が美しい少女、と言うのもそれを手伝っているのは間違い無い。
これで対戦相手がガルムウィックだったとしたら、二三一も戦う事、勝つ事に集中して戦士のままでいられたのだろう。
「手加減をされるのは、姫君としては望んでいないでしょうね」
「まあ、さすがに戦いが始まればそこに悩んでいる余裕は無くなると思いますよ。私の方からも脅しておきましたから」
エテュセが笑顔で言うと、ガルムウィックは竜の頭部であるにも関わらず、苦笑いと分かる表情を浮かべる。
「貴女からの脅しであれば、それはさぞかし効果的でしょう」
「案外そうでもないですよ。二三一とは付き合いが長い方ですから」
と言ってみるが、エテュセにとって付き合いのある人物と言うのが、収容所に入れられていた時の亜人達くらいしかいない。
しかも付き合いが長いと言ってもせいぜい三年そこそこしかない上に、その条件を満たしているのは女王メルディスくらいで、かつて同室だったシェルとシャオ、強制労働組だった二三一などは亜人の反乱の後くらいからの付き合いとも言える。
それでも豪胆な二三一はよくエテュセと話ていたし、元収容所内でもエテュセと近しい人物であるのは間違い無い。
目的地に着くとガルムウィックは頭を下げて、エテュセから離れ、その代わりと言うわけではないがラーがエテュセを迎える。
「今日はお手柔にお願いしますよ」
「それは私ではなく、二三一にお願いします」
ラーの言葉に、エテュセはそう答え、闘技場の来賓席と思われる女王の隣に座る。
女王の向こうにはアリアドリもすでにいて、エテュセに笑顔で頭を下げる。
色々な情報を得ているため、アリアドリを見る目も変わってきそうになるのだが、エテュセにはアリアドリにそこまで怪しいところを見い出せない。
知恵者であり切れ者であるが、女王に対しては忠実な感じがするのだが、周囲にはそう見えない人物がアリアドリである。
そう言うところも、エテュセと似ているのかも知れない。




