第一話 新たな国-8
「貴女が、あのエテュセさんですか?」
「あの、が何を指しているかはわかりかねますが、西の果てより女王メルディスの使者としてやってまいりましたエテュセと、私の護衛を勤めてくれています二三一です。以後、お見知りおき願います」
エテュセは帽子を取ると、そう言って頭を下げる。
それを見て、二三一も同じように頭を下げる。
「まあ、ご丁寧に。私はラーと申します」
竜の女王と思われる白の強い銀髪の女性が穏やかに微笑んで名乗ると、柔らかい仕草でエテュセと二三一に座るように促す。
美しい女性だった。
人間味に欠けるほどの美しさは、エテュセに『銀の風』を思い出させる。
もっとも『銀の風』の場合、人間味に欠けるどころか生命感をまるで感じさせない、完成された存在だったのに対し、竜の女王ラーは輝くほどの生命力を感じさせる。
竜の女王というより、母親という方がしっくりくる。
エテュセは母親というモノを知らずに育ったが、文献や聞いた話などからイメージ出来るのは、まさにこう言う存在ではないかと思う。
が、女王ラーの左右に控えている者、というより竜の姫セーラムだけがむっつりと険しい表情をしている。
せっかくの美少女が台無しだ、と言いたいところだが、そんな表情でさえ絵になるくらいの美少女である。
竜の女王の慈愛に満ちた笑顔と、露骨にムカついているセーラム。アリアドリも笑顔ではあるが、竜の女王の笑顔と比べると胡散臭く見える。
側頭部から伸びる髪と同色の銀の角は、幾重かに枝分かれしているが、そこに雄大さはあっても物々しさは無い。
これが竜の女王。
メルディスの銀髪と比べると、ラーの髪は白が強い。身に纏うゆったりとしたドレスも白いので、白一色でありながら碧い瞳だけは強く輝いている。
「エテュセさん、貴女の噂は聞いていますが、噂というのはアテにならないならないモノですね。もっと好戦的で高圧的な方かと恐れていたのですが」
「概ねその通りですよ、陛下」
エテュセではなく二三一がそう答えるので、エテュセは二三一の脇腹に肘打ちを入れる。
「うおぐっ。お前、ホント体術上手いよな」
「あんたの弁舌家になれる口の上手さと豪胆さ、空気を読まなさも大したものよ」
小声で言い合うエテュセと二三一を見ながら、ラーとアリアドリは微笑んでいるがセーラムは険しい表情で睨みつけてくる。
「西の果てからここまで勇名を馳せるエテュセさんが、こんなとこまで何しに来たのよ」
セーラムが我慢できずに、口を挟んでくる。
「女王の使者としてやって来ました。女王は竜の方々と末永くよしみを結びたいと考えています」
エテュセはセーラムではなく、ラーに向かって直球で答える。
外交において、直球勝負は必ずしも良策ではない事もあるが、セーラムはともかく、女王であるラーやアリアドリには直球こそ駆け引きに持ち込める。
下手な言葉を連ねても、この二人には効果がないとエテュセは判断した。
「素晴らしい事ですね」
ラーは上品な笑顔で頷く。
セーラムだけでなくアリアドリも口を挟もうとしたが、ラーは二人を手で制する。
「私個人であれば、今すぐこの場で了承するのですが、これは私とメルディス女王の個人的な友誼の話では無いのでしょう? ですので、いかに素晴らしい事であったとしても協議の時間が必要です。そこは分かっていただけますか?」
「勿論です。二つ返事では私が疑ってしまいます」
エテュセが真面目にいうと、ラーは微笑み、アリアドリと二三一は苦笑いを浮かべ、セーラムは眉をひそめている。
「ですが、友誼と言われても、メルディス女王がいらっしゃるのは西の果てでしょう? こことは距離がかなりあると思いますが?」
アリアドリがエテュセに尋ねる。
女王であるラーはあまり気にしていないようだが、執政官であるアリアドリとしては気になったのだろう。
もしエテュセでも無視する事の出来ない疑問だった。
「有事の際に援軍を期待されても、竜の機動力をもってしてもそれなりの日数を必要とするでしょう。そんな我々と同盟関係を築いても、お互いにメリットは少ないのでは?」
「いえいえ、とんでもない。竜と同盟関係にある、という看板だけで他国に睨みを効かせる事が出来ます」
「エテュセさんの看板だけで充分ではありませんか?」
嫌味ではなく、アリアドリの表情や口調は本気でそう思っているのが分かる。
「まあ、それは俺も思いますよ」
やはり味方としての協力関係の薄そうな二三一の発言である。
「何しろ『ナインテイル』ですからね。その脅威たるや、竜など及びも付かないでしょう」
ラーにまで上品に言われ、エテュセとしてはセーラムと同じく眉をひそめるしかなくなってしまった。
想像以上に知名度が高まっていたらしい。
「それは噂が一人歩きして話が大きくなっただけで、私はこんなに可憐な女の子なわけで、とても竜と比べるべくもないと思うんですが」
エテュセはそう言うと二三一を見るが、二三一は笑いを堪えるので手一杯なようだ。
「確かに噂ほど好戦的な方では無さそうですが、怒ると怖そうですね」
「それは保証します。手がつけられません」
アリアドリの言葉に、二三一が不必要な保証を付け加える。
「あんた、味方する気は無いの?」
「正直かつ誠実こそ、相手にもっとも訴えかける手段だろ?」
エテュセは睨むが、二三一は平然と答える。
その様子をラーは微笑みながら見ていたし、アリアドリも肩をすくめて苦笑いしていたが、セーラムは馬鹿にされていると思ったのか、テーブルを叩く。
「あんた達、馬鹿にしてるの?」
「してる?」
「してないよ?」
睨みつけてくるセーラムに、エテュセと二三一は首をかしげて答える。
エテュセはまったく無自覚だが、挑発行為と受け取ったセーラムは我慢ならなかった。
「陛下、羽虫程度に竜の力を貸す必要などありません。連中が同盟というのであれば、同等の、対等の関係のはず。弱者が都合よく竜の力を利用しようとしているのは、同盟関係ではありません」
「そこはその通りですね」
ラーではなく、アリアドリが頷く。
「提案ですが、ここは実力を示す事も兼ねて御前試合というのはいかがでしょう。姫の言う通り、相手が弱小で竜を顎で使おうと考える者もいるでしょう。庇護を求める弱者なのか、対等の能力と立場で結ぶ友誼なのか、それははっきりと分かる形で見せていただくと言うのは、そう悪い事では無いと思います」
「あまり意味があるとは思えませんが……」
ラーはそう呟くと、エテュセを見る。
「いかがですか? こちらからの提案で、いささかフェアとは言えない状況だと思いますが」
「望むところです。ウチの二三一は、その程度の事で実力が出せなくなるような人物ではありません」
ラーの提案に、エテュセが即答する。
「え? 俺?」
「だって戦士でしょ? 私、戦士じゃないから、ここは本職の出番だし」
二三一はまだ何か言おうとしたが、言葉を飲み込み苦笑いしながら頷く。
エテュセの戦い方や戦力と言うのを考えた場合、彼女の戦いは勝つ為に特化したモノであり、実力を見せると修復不能な溝を築く恐れがある。
その事にエテュセも気付いていたし、二三一も思い至った。
「では、最低限呆れられないよう、微力を尽くします」
二三一はそう言うと頭を下げる。
「日時はいかがいたしましょう? 私は今すぐでも構いませんが」
「待てエテュセ。戦うのはお前じゃないだろう?」
「戦士たるもの、心は常に常在戦場。いついかなる時でも実力を発揮出来るモノなんでしょう?」
「いやいや、俺はその領域には至ってないから」
「こちらも今すぐ、とは言いません。貴女方がお急ぎでないのなら、しばらくここに逗留されてはいかがですか? 近日中にお答えしますから」
アリアドリの提案ではあったが、これはラーの言葉を代弁した形だった。
「行動の自由は約束されるんでしょうか」
エテュセがアリアドリに尋ねる。
竜の高い知能から考えると、体良く軟禁状態に持っていき、こちらを無力化する事も充分考えられる。
竜がそこまで警戒しているとも思えないが、エテュセの知名度が本人の想像以上に高まっていた事実から考えると、有り得ない事も無い。
「それは……」
「エテュセさん、貴女の行動には自由を約束出来ません」
アリアドリの言葉を遮るように、ラーが笑顔で言う。
そう言うセリフが出てくる事は想定内だったが、アリアドリが言ってくるモノだと思っていたので、エテュセは少し驚いた。
「貴女には私の話し相手になっていただきたいので、私に付き合って頂けませんか? 二三一さんも、ここで自由に、と言われてもどう行動して良いものか分からないでしょう。セーラム、貴女が案内してあげなさい」
「え? 陛下、私、御前試合があって、その相手がその二三一ですよね?」
「そうですよ。ですが、二三一さんは、ここで鍛錬などは出来ないのです。貴女だけ日々の鍛錬を続けるのは、さすがにフェアでは無いでしょう」
戸惑うセーラムに、ラーは笑顔で諭す。
「俺からも質問、良いですか」
二三一が挙手してラーに言う。
「いかがなさいましたか?」
「一応俺は男で、姫君は美しい女性な訳ですが、エスコートは姫君で良いのですか? どなたか別の竜の方が適任なのでは?」
「なるほど、人の倫理に照らし合わせると、それは確かにその方が良いかも知れませんね」
アリアドリも頷いている。
「自分の身くらい自分で守れます。何か無礼があったのなら、御前試合を待たずに切って捨てても、それは非礼の対価という事です。そんなゲスと同盟など望むべくも無いでしょう」
「そうですね。セーラムの言葉にも一理あると思います。アリアドリ、ここはセーラムに任せても良いと思いますが」
「そうですね。では姫君、お客人に無礼の無いように。コチラの品位を疑われますから」
アリアドリに念を押され、セーラムは不満そうな表情で二三一を睨む。
「なんか、すでに色んな品位を疑っていいレベルじゃないか?」
「嫌われる事くらい、慣れてるでしょ?」
「あんたほど慣れてないし、メンタルも強くないんだよ」
「ま、せっかく行動の自由を認めてもらったんだから、観光してきなさい。帰ったら土産話をせがまれるんだから、しっかりネタを集めておく事ね」
困っている二三一に対し、エテュセは冷たく言う。
出来る事なら紳士的な二三一に女王の話し相手をしてもらって、エテュセが竜の谷の探索をしたかったところだが、それはアリアドリが認めてくれないだろう。
「それではアリアドリ、貴方は仕事に戻ってください。セーラムも失礼の無いように」
「女王陛下、単身で『ナインテイル』と向き合われるのですか? それはさすがに危険ではありませんか?」
アリアドリは立場的なモノもあるだろうが、当然の心配をする。
もしエテュセでも、メルディスが単身で刺客にもなり得る使者と話がしたい、と言いだしたら認めないし、同席する事を譲らないだろう。
しかしラーは笑顔で、アリアドリを手で制する。
「竜の存在に利用価値がある以上、いかに単身で好機と言っても、今私に危害を加える事に政治的なメリットはありませんよ。そうですよね、エテュセさん?」
「……はあ、まあ、そうなのですが」
エテュセに対する周囲の警戒が異常にも感じるのだが、ラーの警戒心の無さも、それはそれで異常に感じてしまう。
だが、ラーの態度には思い当たる事がある。
かつて『銀の風』と呼ばれる人知を超えた存在と行動を共にしていた事もあるので、常識では想像する事すら出来ない圧倒的な戦闘能力を有する存在がいる事を、エテュセは知っている。
ラーの優雅さには、その絶対的な自信による裏付けがあるのだ。
口振りから察するに、ラーは単身でこの竜の谷を壊滅させる事が出来るくらいの実力を感じさせる。
アリアドリがどれほどの実力者か分からないが、いかに『ナインテイル』と恐れられるエテュセであっても、単身で暴れても返り討ちにあいかねない。
それにラー自身が指摘した通り、ここでラーに危害を加える、場合によっては討ち取った事が出来たとしても、エテュセにはなんのメリットも無い。
エテュセの計画では、穏健派で竜をまとめあげているラーが女王でいてくれた方が有難いのも間違い無い事なのだ。
「分かりました。それでは席を外します」
アリアドリはそう言うと席を立ち、セーラムと二三一も一礼して部屋を出て行く。
「申し訳ありませんね、私のワガママに付き合わせてしまって」
二人きりになると、ラーは謝罪の言葉を口にする。
「いえ、それは構いませんが、あまり評判の良くない私と話と言われましても」
エテュセは頭をかいて困っているが、ラーは上品に笑う。
「本当に貴女は評判とは違う方なのですね。実を言うと、貴女には監視が必要だと思ったのですよ。それであれば、他の者に任せて刺激するような危険を侵さず、私自らが囮も兼ねて行動を制限した方が良いかと考えたのですが、貴女はもっと理知的で計算の出来る方でしたので安心しました」
「……参考までに、私ってどう言う風に伝わっているんですか?」
不安になって、エテュセは思わずラーに質問していた。
「そうですね、先ほどから貴女が『ナインテイル』と例えられているように、現れるところには問答無用の災厄を振りまく存在として語られる事が多いですね。破壊行為に理由は無く、命を奪う事に躊躇いは無い。ただそこにあると言う理由で国を滅ぼし、暴威を持って自身の存在を知らしめるとか」
「……そんなに、ですか?」
それは真実ではない、と言えないところが痛いところではあるが、いくらなんでも歪み方がひどい事になっている。
語っているラーが少しは言葉を選んでくれている事が分かるので、実際にはもっとひどい言葉で悪意に満ちた伝わり方をしているのも、簡単に予想出来た。
おそらくその噂は、メルディスや二三一も知っているのだろう。
メルディスの元へ戻る度に、自身の行動を見つめ直せと言われ続けていた理由もそこにあったのか、とエテュセは今更思い至る。
「ただ、本人を前にして分かった事があります」
ラーはエテュセを見ながら言う。
「貴女には確かに力がある。ただそこにあると言う理由で国を滅ぼす事も出来るのでしょう。ですが不思議なことに、貴女はその力に酔っていない。今この場で私が貴女に牙を剥いても、おそらく貴女は私を一蹴するでしょう。それなのに、貴女はそれを振りかざそうとしない。暴力と言うものを身に宿し、それを肯定しても行使しない。とても興味深い方です」
「それは、褒めていただいているのでしょうか?」
「フフッ、率直な感想ですよ」
眉を寄せるエテュセに、ラーは笑顔のまま答えた。




