第一話 収容所 2
少女の質問に対し、メルディスもルーディールも驚いて少女を見ている。
「何?」
「あ、ご、ごめんなさい。話せるのね。初めて声を聞かせてもらったから」
メルディスが慌てて謝る。
この地域の亜人は学校などで教育を受ける事が出来ないので、読み書きが出来ない、また言葉さえも詳しく知らないと言う事は珍しくない。
この少女は読書家であるように見えるが、内容もわからずただ記号として文字を見ている可能性は低いなりにもあったのだが、本当に読書家らしい。
しかし、独学で読み書きを覚えると言うのは至難と言えるのだが、それをこの少女は身に付けているのだから、並外れた知能の高さと言えるだろう。
苛烈な意思と、常人離れした身体能力。常識では考えられない回復能力と、卓越した頭脳を持つ亜人の少女と言う事になる。性格が従順ではない事を考えると、危険極まりない存在だろう。
「思ってたより低くて良い声してるのね」
治療に当たっていたルーディールも少女の声は初めて聞く。ルーディールも少女は文字が読めても会話は出来ないと思っていたので、少女が言葉を話そうとしない事にも大した疑問を持っていなかったのである。
また、少女の受けていたダメージや衰弱の程度から、すでに喉を痛めて声を出す事が出来ない可能性もあったので、無理に相手に話させる事をしなかったため、少女の声を聞く機会が無かった。
少女は華奢で小柄なので幼く見えるが、その声は低音で落ち着いた重みがあり、実年齢は分かりにくい。
「こう言うとなんだけど、貴女って本当に珍しいわよね」
ルーディールは六の少女を見て言う。
「私は所長の次にここで多くの亜人種を見てきたと思うけど、貴女みたいな人は初めて見たわ」
収容所に入れられる時に一度は確認する所長は、収容所の亜人全てを一度以上は見ている事になるが、治療などを行うルーディールもほぼ全ての入所者を見ている。
延べ人数であれば所長の数倍の数を見ている事になるが、そのルーディールでも見た事の無い奇妙な特徴を持つ少女だった。
見えない部分である身体能力や回復能力、明晰な頭脳も極めて異例な存在ではあるのだが、それは目で見てわかるモノでは無い。しかし六の少女は、所長が見ても珍しいという特徴があった。
少女の目である。
少女の目は金色なのだ。しかも瞳が金色というわけではなく、眼球そのものが黄金で出来ているかの様に、瞼を開くと金色の光りに満ちている。
時折その金色の瞳が異様な光りを放つ事があり、それは見る者を不安にさせるのに十分な雰囲気を作っていた。
伸び放題のボサボサの髪のせいもあるのだが、六の少女は全身から圧倒的な存在感を放っているので、余計に周囲を不安にさせるのだ。
亜人の特徴といえば、一目見て分かるモノが多い。一般的にはメルディスの大きな耳などが有名だが、六の少女の様に目のみ異様な特徴が出ている場合、それが亜人なのか人間の特異体質なのかが分からない。
(珍しい? ここに来た時にも誰かが似た様な事を言ってたな)
六の少女はふとそう思う。
(あの、声の冷たい男がそんな事言ってた様な気がする。一ヶ月後に見せるとかも。それってつまり私には『商品価値』があるって事かな?)
「笑ってる?」
ルーディールは少女の表情に気付いて尋ねる。
確かに六の少女は笑っていた。しかし理由は話さない。
(なるほど、私はそんなに珍しいのか。だとすると、私より珍しいのが入ってこない限り私は守られている様なモノってわけね。期間限定とはいえ、売られるまでは私に危害を加える者は、罰せられる事になるんじゃないかな?)
奇妙な笑顔を浮かべる六の少女に、メルディスとルーディールは不吉なものを感じていた。
翌日、予定通りにメルディスと六の少女、長身の男性所員スパードの三人で施設内を歩いていた。
ルーディールは、医師の観点から全治数ヶ月の怪我や衰弱が僅か二週間で治るとは思えないと主張したが、それは却下されて今日から他の亜人と同じ生活になる。
スパードは他のすれ違う所員達とは違い、制服をきっちりと着ている上に帽子を目深に被っている。口数も少ない為に堅苦しく近寄り難い印象があり、見た目だけで言えば他の所員より怖そうな雰囲気はある。
しかし、彼もここの所員である以上亜人に対する命令と教育の権限は与えられているが、担当する亜人ではないと言う理由で、ルールを守らせる事には厳しいが、この収容所内で使われる意味での『教育』は行わない。
そのため、冷たい外見の割に収容所に残る亜人達からは、その見た目程恐れられている訳では無い。所長の身辺警護を任せられる程の実力も信頼もあるため、所長からメルディスの事を任せられているので、実質ではメルディスの担当官も兼ねている。
そのせいで、他の所員からは良く思われていない。
実力の高さから所長の身辺警護を優先的に頼まれるスパードだが、本人は並外れた本の虫で、放っておけば図書室から出てこない人物であり、性格もさほど好戦的とは言えないので、その高い実力というのを見た者はいない。
誰しもが彼の実力を疑問視しているにも関わらず、所長は移動や来客の際に側に置く身辺警護にはスパードを置きたがるので、実力者だろうと言われている。
また、彼は他の所員の様に警棒では無く、帯剣を許されている。
この収容所で帯剣を許されているのは、所長を除くとスパード一人しかいない。
六の少女が気になったのは、そのスパードの実力より態度である。
自身が担当する亜人の少女に対して、余りにも無関心なのだ。
身振り手振りを交えて分かりやすく説明しようとしているメルディスに対し、担当官になるスパードはアイサツもそこそこに、それ以降は口を開こうともしない。
自分が担当する事になった亜人の少女に、何の興味も無いらしい。
その希少さで言えば、群を抜いた美少女メルディスにも劣らない珍しい種の亜人であるはずなのだが、スパードにとっては珍しくもない亜人の一人と言う事なのだろう。
それは正にその通りなのだが、そう割り切れると言うのも大したモノである。
メルディスの説明で分かった事は、この収容所は元々はやはり学校だったが廃校になったモノを初代所長が買い取って収容所にしたモノだという事。
また、この収容所に常時残る亜人は百名程度なので、所員全員を含めても教室の大半は使われていないと言う事だった。
収容されている亜人達の総数は五百名近くになるが、その内の四百名は朝早くから収容所から強制労働現場へ連れ出され、夜遅くまで帰ってこない。
場合によっては二桁に及ぶ人数が帰ってこない事もある。
帰ってこない理由はメルディスにも詳しくは分からないが、さすがに詳しく知りたいと思える事でも無いので、そのままにしている。
収容所に残る亜人は四クラスに分けられ、それぞれのクラスで授業が行われている。授業の内容は言葉遣いや礼儀作法、家事や料理などが主であり使用人として身に付けるべき事を教え込まれる。
ここに残る亜人は『商品価値』を持っているため、出荷先の望むモノを身に付けさせられる。それが不死王の研究機関であれば健康である事くらいの条件で、必要な知識や技術などが求められるのはそれ以外の出荷先である。
そこがこの収容所にとっては上得意に当たるところで、場合によってはこの収容所より良い生活になる可能性もあるが、人権が無い事には変わらないので、長生き出来るかは分からない。
それでも収容所に残る亜人は強制労働の亜人よりマシな待遇ではあるが、ここでの成績が悪くなれば『商品価値』が落ち、出荷を待たずに生きる意味を奪われる事になる。
六の少女はそこに残った。が、他の亜人と違い彼女にはタイムリミットがある事は自覚している。
意識は朦朧としていたが、確かに初日に所長と思われる男が少女を見て、一ヶ月後に見せるなどと言っていた。そして、会話の内容からまともなところでは無いのも予想は出来た。
あの時「珍しければ喜ばれる」という旨の発言もあった。
正確にどこに売られるのかは分からないが、まともな生活はもちろん、そう長くは生きていられないだろう事も簡単に予想出来た。
「ここまでは分かった?」
メルディスは六の少女に確認する。
(一ヶ月、か。何か行動を起こすにしても短過ぎる。準備も出来ていないのに行動なんか起こせない。何とかしてこのリミットを伸ばさないと、私には何も出来ない。でも、リミットを伸ばすなんて、どうやって)
少女が考え込んでいると、後ろから強く肩を押される。
「聞いていたのか?」
「え? 何を?」
スパードの質問に対して六の少女は質問で返してしまったが、これでは何も聞いていませんでした、と答えた様なものだ。
それでもメルディスは気を悪くした様子は無い。
「まあ、使われているところなんて、一週間もあればすぐに覚えられるから」
メルディスはそう言うが、それだと一日使ってまで施設内を回る必要も無い。理由があるとすれば、一つには立入禁止区画の存在。
この区画は所員用の区画であり、亜人が入ってしまった場合、問答無用の暴力で排除される事になりかねない。その危険性の説明は必要不可欠だと、六の少女も納得する。
しかし案内の目的は、少女に施設内を説明していると言うより、施設内に少女を紹介しているのだ。捕らえられる際に衰弱しながらも、しかも五人の追手から逃げ切ろうとした驚異的な身体能力と反抗心の塊の様な亜人。その正体を施設内に見せて回っているのだ。
「深く考えない方が良いわよ」
メルディスは六の少女が事実に気付いた事を知っているかの様に、優しく柔らかく言うが、それに対して六の少女は苦笑しながら肩をすくめるくらいの反応しか見せなかった。
六の少女自身は自分の事なので分からないが、六の少女の黄金の瞳には感情が浮かびにくいはずなのだが、それでも狂気さえ含む苛烈な意思が見て取れる。
基本的には黙って聞き手に回っている六の少女だが、頭の回転の速さは分かるのだから、周りは尋常じゃない存在である事を嫌でも感じさせられる。
「これで今日の話は終わりだ」
スパードは短く言うと、二人の亜人の少女を置いていく様に歩いて行く。
「私達もついて行きましょう」
メルディスに言われて六の少女もついて行く。メルディスが小声で言っていたスパードの特徴である本の虫と言う事を証明するかの様に、スパードが一人さっさと歩いて来たのは、本館と言われている校舎だった建物の三階にある図書室だった。
この図書室は驚く程広く、特殊な作りになっている。
広さだけでも三階の半分は図書室として使われているくらいに広く、四階へ上がる階段も図書室の中にある。そこから上がると、四階は全て図書室と言うくらいに本を詰め込んである。
びっしりと所狭しと並べられている本棚も大きく、長身のスパードであっても届かない所に本が置いてあるため、所々に踏み台や脚立などが置いてある。
図書室の中央にはスペースが作られていて、そこには立派なテーブルや椅子も用意されている。
この収容所を作った人物か、歴代の所長の誰かは図書室に特別な思い入れでもあったのか、集められる限りの本をここに集めたかの様な品揃えである。
これ以上の規模の図書館となると、少なくとも地方の図書館では追いつかないだろう。
「すっごい」
六の少女は圧倒された様に呟くのが限界だった。
上を見てキョロキョロしている六の少女をメルディスはスパードの所まで引っ張っていく。
スパードは中央にある立派なテーブルでは無く、窓際に置かれた簡素なテーブルと椅子に付くと軽く足を組んで、さっそく本を読んでいた。
「本は好きか?」
スパードは本から顔を上げず、六の少女に尋ねる。
「ええ、大好きよ」
「そうか、俺のジャマはするな」
スパードはそれだけ言うと、話は終わりだとばかりに本のページをめくっている。
「ここで騒いだり走り回ったりしてスパードさんに迷惑をかけなければ、基本的には自由に行動して良いって事よ」
言葉足らずどころではないスパードの説明にキョトンとしている六の少女に、メルディスが正しく言葉を補っている。
それを聞いた六の少女は黄金の瞳を輝かせて無言で大きく頷くと、まったく足音を立てずに走り、さっそく脚立を一つ確保すると大きな本棚の一つに張り付いて本を読み始める。
読書している、と言うよりパラパラとページをめくって挿絵が無いかを確認すると別の本に移るという行動だったので、メルディスの目には奇妙に映ったが咎める様な事でも無かったので、特に気に留める事もしなかった。
時折メルディスは図書室から消えていたが、夜までこれといった動きは無く、メルディスが迎えに来るまで、スパードも六の少女も一言も話さずに図書室で本を読んでいた。