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生命の花 改訂版  作者: 元精肉鮮魚店
第一章 世界の果てに咲く花

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第三話 終わりを待つ日々-3

 瞼が重い。

 この感覚はこれまでにも、数回感じた事があった。

 この感覚の中で目を覚ました時、彼女はいつも診療所の一番奥のベッドに寝かされていた事を覚えている。

 瞼の重さを感じると言う事は、肉体は覚醒しているのだが、意思がついてこない。

 何か理由があったと思うのだが、今は彼女は頭が働かず、また思い出そうとする事を拒んでいた。

(寝心地良いな。何か暖かいし)

 彼女は目を閉じたままそんな事を考えていた時、有り得ない違和感があった。

 何か考えられない事が起きているはずなのだが、それを追求しようとする思考が働かないのだ。

(まあ、いいか。私の戦いは終わったんだし)

 彼女はそう結論付ける。

(終わった? 戦いが? そもそも戦いって?)

 自分で出した結論に、すぐに別の意識が疑問を投げかけてくる。

 戦っていた。それは覚えている。それが終わった事も理解している。だが、満足感は無い。望む形で戦いが終わらなかったのか、そもそも戦いはまだ終わっていないのか。何と戦って、どう終わったのか。

 一つの疑問をきっかけに、彼女の脳裏に疑問が溢れてくる。

「ん? 何かピクピクしてんな。気付いたのか?」

 聞き覚えの無い声が聞こえたが、別に珍しい事ではない。

 彼女は収容所での生活の内、三分の一以上は診療所で過ごしていた。収容所にいた期間は半年から一年の間だが、その間に全ての亜人や職員に会った訳では無い。聞き覚えのない声を聞く事もあるだろう。

 それよりもっと大きな違和感がある。

 診療所のベッドの寝心地はこれほど良かったか。それ以前に、目を覚ますとして、それは診療所では無いはずでは無かったか。

 意識が覚醒に向かっていく。

(そうだ。私は負けたんだ。私はギリクと戦って、負けた。確か壁の向こうに放り投げられて、そのまま落ちたはず。なるほど、私は死んだんだ。それで寝心地もいいわけだ)

 彼女はそう思って寝返りを打つ。

「お、動いた。生きてるみたいだな」

(うるさいなー。死んだ後くらいゆっくりさせてよ)

 彼女は聞こえてくる声を無視して、横になったままになっている。

「あれ? 起きねーな。起きるかと思ったんだけどな」

(起きる? 私はもう死んでるんだから、放っておいてくれないかな)

 彼女はそう思うのだが、何かが顔を触って来る。

 頬を突いたり、唇を引っ張ったりする。

 彼女は面倒そうに手で、顔の前を払う。

「うおう。コイツ、寝ながら反撃してきやがったか。だが、これでも天空の騎士の一角を担うこのサラーマ。たかだか寝相ごときに破れはせぬ」

(うるさいな、何なのよ。天空の騎士の一角を担うなら、たかだか寝相ごときと戦うなよ)

 彼女は顔の前を手で払うが、「よっ」「はっ」と言う掛け声が聞こえてくるので、まだ近くにいるらしい。

 仕方が無いので、彼女は重い瞼を開き、ゆっくりと上体を起こす。

「よう。俺の相方は目を覚まさないかも、とか言っていたがその程度じゃねえよな」

 彼女の前には赤い髪の妖精がいた。

 収容所で見た小人とは違う。赤い髪の美形の妖精で、見た目には男か女か分からない。声も中性的なので、話し方は粗野だがそれで男性とは断じられない。

 妖精の中には性別の無いモノもいるという事だが、目の前の妖精はその種の妖精なのかもしれない。

「へえ、珍しい目をしてるんだな。名前は?」

 妖精は彼女に言うが、彼女は眉を寄せて妖精を睨むだけで答えずに、周囲の様子を確認する。

 一目見てここが収容所では無い事は分かる。

 収容所には診療所と所員用にしかベッドが無い。彼女は診療所はもちろん、スパードの監視下にあった時に所員用の部屋も見ているが、この部屋はどちらでもない。

 見た目には質素だが、部屋にある最低限の家具などは上品であり、贅沢とは少し違う安心出来る空間である。

 今も彼女が乗っているベッドや防寒用の毛布やシーツも、一見すると収容所のモノと同じに見えるが手触りの柔らかさや軽い暖か味はまったく別物だった。

 部屋に個性は見られないので、もしかすると宿の一室なのかもしれない。

 正式に宿泊した事などはないが、忍び込んだことは数回あるのでそう感じていた。

(死後の世界ってこんな感じなの? 本で読んだりイメージしてたのと結構違うわね)

「おーい、無視か? ひょっとして断崖の向こうでは言葉が違うのか?」

 彼女は目の前の赤い髪の妖精を見る。

(コレが死出の案内人? これもイメージと違うな)

「あん? どうしたよ。腹でも減ったか?」

 赤い髪の妖精はニヤニヤしながら言う。

 彼女は自身の体の様子を確認する。

 最後の状況を考えると、彼女は原形など留めていないはずだった。死後の世界で元の人型になったと言うのなら、失われた右足も戻っていても良さそうなものだが、右足は相変わらず膝上から先は無くなったままである。

 また、衣服なども無く、今は全裸で右足の義足すら失われている。

 それでも寒さを感じていないのは、やはり現実では無いからだろう。

「すっかり顔色も良くなってるじゃないか。どうだ、具合は悪くないか?」

「具合?」

 彼女は眉を寄せて、赤い髪の妖精に尋ねる。

「言葉は通じるみたいだな。具合ってのはだな、気持ち悪いところは無いかとか、痛いところは無いかとかそういう事だ」

「それは分かるけど、具合ってどう言う事? 私、死んだんでしょ?」

「ああ? んなわけねーだろ。俺、死んでねーし。ウチのウェンディーの回復魔術ナメんなよ」

(生き、てる?)

 その言葉の意味が、彼女にはよくわからなかった。

 これまでにも何度も死を覚悟した事はあった。その都度生き延びては来たものの、それはルーディールと言う名医のお陰もあり、また外傷のみだった事もある。

 だが、今回は違う。

 外傷だけでも今回はギリクの魔術によって、背中に致命傷を負った。あの一撃は彼女を分断するつもりで放ったとギリクは言い放ち、事実それに近いダメージを受けた。

 それだけでもこれまでと同様の生命の危機だったが、今回はその上で恐ろしく高いところから投げ落とされた。その途中で意識を失ってしまったので、重力に身を任せる事になった。もっとも、意識を保てたとしても彼女には落下を押さえる術は無いので、結果は何も変わらない。

 その二つで十分過ぎる程に死に至る。

 その上、壁の上から足元に広がるのは森である事も確認していた。

 仮に背中の傷が雪で急激に冷やされて収縮して、それが止血されたとする。森の木々と降り積もった雪がクッション替わりとなって、落下の衝撃を吸収したとする。だが、そんな森の中に落下した彼女に誰が気付く事があるだろう。

 雪の中で意識を失えば、驚く程短時間で体温を奪われ、死に至る。

 死因を考えた時に、それだけ簡単に三つも思いつく状態で生きていると言われても、それが現実として認識出来ない。

「どうした? 固まってるぞ?」

 赤い髪の妖精が、目の前で手を振っている。

 うっとうしいので、彼女は赤い髪の妖精を手で払おうとするが、赤い髪の妖精はニヤニヤ笑って彼女の手を避ける。

「何を悩む事があるんだ? 助かった事を喜べよ」

「助かった? どう言う事?」

「どうも何も、そのままの意味で説明のしようもないんだが」

 赤い髪の妖精は、ニヤニヤ笑ったまま言う。

「私、死んだんじゃないの?」

「よし、じゃあ一つずつ解決させていこうか。まずは死に至る背中の傷だが、俺の相方のウェンディーが魔術で回復させた。傷跡は残るが、まあそれは大した問題では無いだろ? 断崖の上から落ちてきたみたいだが、何故だか周囲の精霊が庇い立てしてな。精霊がお前さんを支えて、落下死しなくて済んだ訳だ。納得したか?」

「あんた、誰よ」

 彼女は、目の前でしたり顔で説明している赤い髪の妖精に言う。

「そもそも、ここは何処? 私、死んだんじゃないの?」

「死んでねーっての。ここは森の中だよ。訳あって森に住んでるんだ。で、あの朝、精霊が騒いでるから見に行ったら、お前が落ちてきたって訳だ」

 赤い髪の妖精が説明するのを、彼女は眉を寄せて聞いていた。

「分かった。やっぱりここは雪の中で、私は何か得体の知れない幻覚を見てるのね。そんな都合良く助けが現れるはずが無いわ」

「疑り深いのは、まあ悪い事じゃないんだが」

 赤い髪の妖精は腕を組む。

「だが、そうなると現実を信じさせるのも難しいな」

 赤い髪の妖精はそう言うと、窓の方へ飛んで窓を開ける。

 暖かい部屋の中に、身を切る様な冷気が入ってくる。

「寒!」

 彼女は裸の上半身を毛布でくるんで、ベッドに横になる。

「な?」

「何が?」

 妖精が何を確認しているのかわからず、彼女は睨む様に妖精を見る。

「現実を受け入れる気になったか? ぶっちゃけ俺は構わないんだが、ここの家主がお前の事を心配してるんだよ」

「家主?」

「おう。俺達のマスターってところだ。ちょっと前に買い物に行ったみたいだが、もうすぐ帰ってくるんじゃないか?」

「ほ、本当に、私、生きてるの?」

「自分が生きている事にそこまで疑問を持つ奴も珍しいな。俺がこれ以上言葉を重ねても意味が無いから、信じたいものを信じればいいんじゃねーの?」

 赤い髪の妖精に言われ、本来明晰なはずの彼女の頭脳もようやく働き始める。

「え? じゃあ、何? 私は生き延びたって言う事?」

「何度もそう言ってきたつもりだが、難しかったか?」

 言っている事が難しいというより、信じる事が難しいのだ。

「だとしたら、戻らないと。私にはまだ出来る事があるはずだから」

「戻るって、どこにだよ」

「どこにって……」

 何処に?

 ここは壁の向こうであり、空でも飛べなければ収容所に戻る事など出来ない。目の前の妖精は空を飛んでいるが、この妖精はいかに彼女が小柄だからといって彼女を持ち上げて飛べると言う事は無いだろう。

 今が冬である事を考えなくても、壁を登り続ける事は常識から考えても不可能である。

「それに戻って何か出来るのか?」

 赤い髪の妖精の一言は、彼女の胸に突き刺さり背中の痛みを刺激する。

 確かに戻ったところで出来る事はほとんどない。

 彼女はギリクと戦い、敗れたのだ。

 単純な一騎打ちでも完膚無きまでに叩きのめされたが、それ以前に知恵を絞って考え慎重に慎重を重ねて計画していた一斉蜂起ですら、ギリクに誘導されていた。

 戦略でも戦術でも戦力でも、彼女はギリクに敗れたのだ。

 そんな彼女が今すぐ収容所に戻ったところで、出来る事は皆無と言えなくもない。

 しかし、だからと言ってここでのんびりは出来ない。彼女一人ではギリクには勝てないかもしれないが、一人の戦力として亜人側に協力する事は出来る。

 戦いが続いているのであれば、戦力は一人でも多い方が良い。

 彼女はそう思うと、毛布を体に巻きつける。

「おーい、何するつもりだ?」

「助けてくれて、ありがと。でも私にはやる事があるの」

「そうか。だったら止めるのも申し訳無いんだが、断崖の向こうに戻るんだろ? 部屋の中では毛布で良いかもしれないが、裸足で外に出るのか? それに断崖を登るのにも、片足でか?」

 妖精は責める訳ではなく、単純に疑問に思っているようだ。

 しかし、その通りでもある。

 室内ではこれで行動出来たとして、これで外に出て行動するのは余りにも非常識である。

 毛布は乾いていれば暖かいが、これで外に出て雪に降られたらまったく役に立たない。裸足で外に出て行動も少しの間なら可能かも知れないが、長時間の行動は凍傷となり行動出来なくなる。

「これが望んだ情報かは分からないが、断崖の向こうで起きていた騒ぎなら終わってるぜ。お前さんが急いで行っても、もう祭りは終わった後だよ」

「終わった? 分かるの?」

 彼女は妖精に尋ねる。

「詳細は分からねーよ。ただ、お前さんが降ってきた後、しばらくして忙しい動きは無くなったな。今もある程度の人数が残っているみたいではあるが、そこまで大々的に何か行動している感じは無いところを見ると、もう終わっていると考えるのが自然だろ?」

 それはそうかも知れない。

 口調や言動はともかく、この妖精は意外なくらい頭の回転が早いようだ。

「どうなの? 亜人側はちゃんと勝てたの? メルディス達は無事?」

「だから知らねーっての! そもそも状況が分かんねーよ。まずはそれを説明しろよ」

 迫ってくる彼女から逃げながら、赤い髪の妖精が怒鳴る。

「片足でよく動けるもんだな、お前」

 妖精は器用に追ってくる彼女から逃げながら、感心した様に言う。

「とはいえ、それでは俺は捕らえられないだろう。大体意識が戻ったばっかりのくせに、お前元気有り過ぎだろ。大人しく寝てろ。寝てても話くらい出来るだろ?」

 妖精に言われてそれを自覚すると、急激に体が重く感じられ、ベッドに倒れこむ。

「ほら見ろ。大人しくしてないからだ」

「うるさい奴ね、あんたも。それより収容所の事を教えてよ」

「だから知らねーって言ってんだろ! 人の話聞けよ! 教える前にそっちの状況を教えてくれないと俺も話ようがねーだろーが」

 また体を起こして迫ってきそうだった彼女を、赤い髪の妖精は彼女の額に飛び蹴りを食らわせて無理矢理寝かせる。

「むぎゃ」

「まずは寝てろ。横になって、大人しくして、それから話だ」

 彼女は仰向けに横になると、赤い髪の妖精は彼女の胸の上に座る。

「そこ苦しいんだけど」

「そんな事はないだろう。俺、超軽いし」

 そう宣言すると言う事は、この場から動く気は無いという事だろう。

「断崖の向こうってどうなってるんだ? 収容所とか言ってたが」

 赤い髪の妖精が尋ねてくるので、彼女は収容所の事を話す事にした。

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