第三話 終わりを待つ日々-1
第三話
これは夢だ、と彼は感じた。
ごく稀にだが、眠っている時に見る夢の中でも夢だと思う事がある。
昔の記憶。昔の自分。
夢の中だけの特殊な世界では無く、ただ過去の映像を見るだけの夢。
「よう、小僧。また来てるんだな」
赤い光りが彼の前に現れる。
赤い光りは柔らかく輝き、彼に話しかけてくる。
「よほどその剣が気に入ったのか?」
赤い光りは陽気に言うが、彼は首を振る。
この洞窟の奥にあった黒い剣。
黒い剣はかつて色々な呼び名があったらしい。その時代によって『勝利の剣』『退魔の剣』『復讐者の剣』などと呼ばれていたと言う。
しかし、この剣には正式名称は記されていない。
名前には力と意味を与えられる。
この黒い剣は名前を奪わないといけない程の武器だった。それは時に神の祝福であり、時に死に至る呪いであった。
「その剣を振れば、小僧も世界を破壊する魔王になれるぜ」
「あまり面白そうじゃないね」
彼は苦笑い気味に答える。
世界を破壊する魔王には興味も無い。生まれた時から呪いを受けた家系で、彼もそう長く生きられない事は約束されている。
生きた証。
それに魅力を感じる事は間違い無いが、だからといって世界を破壊する魔王と言うのはピンとこない。
「小僧は良い育てられ方したんだろうな」
赤い光りがそう言うが、彼はずっと隔離されているので他とは比べられないため、それが良いのか悪いのかはわからない。
ただ、自分の事をそこまで不幸と思わないのだから、良い育てられ方をしたのだろう。呪いによって長くは生きられない事も受け入れている。
「だとすると、この剣には用は無いんじゃないか?」
「見てるのが好きなんだよ」
彼は赤い光りに答える。
黒い剣は彼には無い存在だった。
手にするだけで異常な強さを得られる剣。だが、これ単体ではただの剣でしかない。
一方の彼はただ生きているだけの、一人の少年。一人で何もかもする事など出来ないが、黒い剣とは違い一人で行動出来る。
「そんな剣見てて面白いか? こう言うとなんだが、その剣って見栄えしないだろ?」
赤い光が言う通り、黒い剣は彼が聞いた武勇伝の割には見栄えがしない。
刀身から柄の先まで黒いが、艶は無く鈍い光りは剣を古臭く感じさせる。宝石などの飾りなどもなく、芸術品というより量産されている剣の刀身を長くして黒く塗っただけの珍しさのカケラも無い、ただ刃に当てて切るためだけの物。
だが彼は、だからこそこの黒い剣に見入っていた。
飾り付けた剣に、何の意味があるのか。
この剣は想像を絶する血を流させてきた。それはこの剣の意思では無く、この剣を手にした者の意思。
黒い剣は使う事をためらわせない。光り輝く宝剣では無く、切るためだけに作られた黒い剣は、手にした時に本来の目的を忘れさせない。
「かつてはそうかも知れないけどな。今じゃそいつは呪いの塊だ。そりゃそうだよな。どんな主義主張も、長年の修練もただその剣を持ったというだけで全て食い潰しているんだ。ソレに切られた連中は、さぞかし呪った事だろうな」
赤い光りは彼に言う。
武器に与えられる勝利の希薄さは、赤い光りの言う通りだと彼も思う。
強い武器を持つ理由。実力で及ばないから強い武器に縋る事になった事実。それでも勝たねばならない目的。
そのどれかを見失うだけで、使用される武器と使用者の立場は簡単に逆転される。使用者がいなければただあるだけの武器のはずが、武器に使われる側になる。使用者は自分が武器を使っているつもりだろうが、その武器を手にして戦いを求める様になっては武器に使われている。
固有名詞を与えられた伝説の武器などは、場合によっては使用者より力を持ち後世に影響を与える。
黒い剣もそのレベルの剣だった。
だからこそ名前を奪われた。
その存在を霞の中に封じられ、ただ持つだけで勝利を呼び込む呪いが伝わらない様に。剣がもたらす勝利は、目的が何であっても血を流させる事でしか得られない。その当たり前の事さえも忘れさせる事の無い様に。
彼は黒い剣を見る。
黒い剣はただ、洞窟の中にある。
その刀身は黒く鈍く、呪いの剣にありそうな雰囲気と言うモノは無い。剣自体が店売りの剣のフォルムと変わらない。
「貴方は使わないの?」
彼は赤い光りに尋ねる。
「俺? 俺は監視者だからな。剣や使い手を見る事や記す事が仕事で、剣を使う事が仕事じゃないからな。小僧が剣を使うんなら、俺が監視してやるよ」
「監視はちょっと勘弁してほしいな」
「まあ、俺もどうせなら美少女の方が良いもんな」
「それは申し訳無い。今度は女装して来る事にするよ」
「案外似合うかもな。色も白いし、華奢だしな」
彼は苦笑いすると立ち上がる。
「帰るのか?」
「長居すると、乳母が心配するからね」
「そうだな。こんなところには長居するもんじゃない。大体、面白いモノが無い」
「君がいるよ」
「そりゃどうも。俺も話し相手が出来るのは悪くないから、また来いよ」
洞窟から去る彼を、赤い光りは優しく送り出した。
「今朝は落ち着きませんね」
朝食を摂っていた時、青い髪の妖精が心配そうに呟いた。
彼女は彼の身の回りを世話する妖精で、名前はウェンディー。愛らしい顔立ちに、何故かエプロンドレスのお仕着せを好んで着ていると言う、特徴的な外見の妖精である。
「早朝から東の方で魔力の流れが活発です」
「何かの祭りか?」
そう言ったのは赤い髪の妖精で、名前はサラーマ。顔立ちはよく似ているが、青い髪の妖精が美少女に対し、赤い髪の妖精は意思の強そうな美少年である。
服装もエプロンドレスでは無く、防寒には気をつけていない様でカジュアルな服装をしている。
「祭りって感じじゃなくて、何だか争ってるみたい」
「へえ。向こうって世界の端の断崖しか無いよな?」
サラーマが、彼に尋ねる。
「ちょっと気になるね。行ってみようか」
「さすがイリーズだ。そう来なくっちゃな」
サラーマは、喜んでいる。
「ちょっと。昨日から雪が降ってて、外は寒いわよ? イリーズ様が体調を崩したらどうするの?」
ウェンディーが、サラーマを批難する。
ウェンディーが心配してくれているのは有難かったが、彼、イリーズも朝から妙にソワソワしていた。
昔の夢を見たため、と言う訳では無い。
何か予感めいたモノを感じていたのかもしれない。
「東に様子を見に行ってみようか。断崖の向こうだったらどうしようも無いけど、その手前なら、もしかしたら雪で遭難した人かもしれない」
「争ってるみたいですから、近付かない方が良くないですか?」
「それなら逆に急いだ方が良いかもしれませんね。問題が早く解消出来れば、無益な争いを続けなくて済むでしょうから」
「ホント、お前って良い奴だよな。心配すんな、俺もウェンディーも超ツエーから」
「そこは心配してませんけど、その時にはお願いしますよ」
イリーズはそう言うと、防寒具を手に取る。
「イリーズ様、食事はどうしますか?」
「まあ、長くはかからないでしょうから、戻ってからまた食べましょう」
「冷めたら俺が温めてやるよ。行こうぜ」
サラーマは飛び上がるとイリーズの周りを飛び、ウェンディーは眉を寄せるがこれ以上は止めようとしない。
イリーズは二人の妖精を連れて家から出ると、東へ向かう。
「ウェンディー、場所はわかるのか?」
「あんたもわかるでしょ」
サラーマに尋ねられて、ウェンディーはムッとして答える。
「俺よりお前の方がそう言うの得意だろ? ナビ頼むわ」
「あんたがサボってるだけよ。イリーズ様、北東の方向です。そんなに遠くはないみたいですけど」
「行ってみましょう」
雪は降り続き、時々強い風が吹いているが、吹雪いているという事はない。冬の初めにしては積雪量も多いく気温も低いが、今は日の光りも雲間から溢れているところもある。
まもなく雪も止む事だろう。
「精霊達が随分興奮してます。やっぱり断崖の東の端で何か戦闘が起きているみたいです。一人二人では無いそうですよ」
「戦争でもしてるのか?」
サラーマが尋ねると、ウェンディーは溜息を付く。
「私には分からないけど、戦争と言うより暴動みたい。詳細は分からないんだけど、随分と怒ってるって言うか恨んでるって言うか。何かの呪いじみた力が働いてるみたいで、精霊の言葉も興奮状態なのよ」
「それは物騒ですね」
イリーズは北東を見て言う。
世界を区切る断崖は、イリーズの住む家のすぐ近くに切り立っている。近くまで行けば物音も聞こえるかもしれないが、何しろ森の中であるため視界は悪い。
例年ならまだ獣も行動している時期ではあるが、今年はもう冬眠を始めている様で、森の中に動く気配は無い。
「断崖の向こうか。じゃ、行っても意味ねぇな。寒いし戻るか?」
「そうですね。断崖を越える方法も無いですし、暴動の流矢の恐れは無いでしょうけど」
「待って下さい。精霊が騒いでます」
ウェンディーが、イリーズとサラーマを引き止める。
「何だか、助けてって騒いでます。もう少し北の方です」
「行ってみようぜ。面白そうだし」
「精霊に見込まれるとは、余程の人みたいですね」
「いえ、それが、その声も何だか支離滅裂で。こんな事初めてなんです」
戸惑いをそのまま言葉にして、ウェンディーが伝えてくる。
イリーズにはその精霊の声は聞けない上に、ウェンディー程正確に魔力の流れを感じる事は出来ない。
だが、何かある事だけは誰よりも分かる。
良くも悪くも、これまでの人生を一変させるような何か。
それは引き返す事の出来ない道。
「どうした、イリーズ」
イリーズの戸惑いに気付いたサラーマが、目の前を飛びながら尋ねる。
「いや、どう言えばいいか。何か逃しちゃいけない気がしてるんだ」
「そういう事なら北の方に行ってみようぜ。ウェンディー、ナビ頼む」
「だから自分でやりなさいって」
ウェンディーは呆れながらも、先頭を飛びながら案内する。
しかし、案内はすぐに必要無くなった。
北の方からベキベキと、木々の枝が折れる音が聞こえてきた。
雪の積もった日にはそれほど珍しい音では無い。
だが、状況が状況なだけに、その物音がウェンディーの言う精霊が助けを求めた存在が起こしたモノだという予想は付く。
「ぃよっしゃ、ちょっと行ってくるぜい」
そう言うとサラーマが、凄い勢いで飛んでいく。
「ちょっと、サラーマ!」
飛んでいったサラーマにウェンディーは怒鳴るが、すでに飛び去った後であった。
「それじゃ、僕達も負けない様に追いかけましょうか」
「まったくサラーマはいっつもあんなだから、イリーズ様も怒っていいんですよ?」
「怒るような事じゃありませんから」
イリーズは怒っているウェンディーに、苦笑いしながら宥める様に言う。
「おーい、コッチだ、コッチ! ちょっと妙だぜ?」
北へ歩くイリーズ達を見つけたサラーマが、大声で呼ぶ。
「妙? 何かありましたか?」
「ちょっと見てくれよ」
サラーマが呼ぶところに行くと、不自然に雪が盛り上がったところがあった。
「さすがに雪の中に入れたままじゃ死んじまうと思ったから掘り出したんだが、コレってどう思う?」
サラーマがそう言って、足元を見る。
そこには、美しいが外出するには薄過ぎる服装の、十代中頃の少女が倒れていた。
服装だけでも十分奇妙なのだが、この少女には右足が無く、義足と思われる杖も折れてしまっている。
また、おそらく断崖の向こうから落下してきたのだろうが、意識を失っていては浮遊の魔術を使う事も出来ないはずだが、彼女は落下のダメージは最低限しか受けていない。
「精霊の加護です。精霊達が彼女を救おうとしたみたいなんですけど、精霊達はしきりに彼女の事を『敵の敵』と伝えています」
「なんじゃそりゃ」
サラーマが呆れて言う。
精霊の言葉と言うのは、聞ける者にしか聞く事が出来ず、またその意味を正確に読み取る事の出来る者はさらに少ない。
ウェンディーはかなり正確に読み取る事が出来るのだが、精霊の言う『敵の敵』という意味は分からないらしい。
ただ、その言葉からこの少女は何かと戦っていた事はイメージ出来る。
その時、右足代わりの杖は折れたのだろう。
「でもこんな服装で、外で戦ってたのかよ」
「私は知らないけど、血塗れだからそうなんじゃないの?」
ウェンディーは意識を失っている少女を見ながら、サラーマに答える。
「うおっ! 確かに血塗れだ!」
「いや、あんたこの子を掘り出したんじゃなかったの?」
「あー、正確にいえば掘り出したと言うよりは、上にこんもり盛られてた雪をドカンと吹き飛ばしたんだが」
「あんた、この子ごとドカンといったらどうしたつもりなの?」
「まあ、そん時はそん時だな」
見事に無責任な発言のサラーマである。
「とは言え、このままでは凍死しそうですね。ウチに連れて帰って介抱しましょう」
「イリーズ様、良いんですか? まったく正体の分からない人ですけど」
「空から降ってきた女の子に悪い奴はいねーよ」
「サラーマには聞いてないから、喋らないでくれる?」
「お前、冷たいよな。でも、そうだよな、イリーズ?」
「まあ、それの確認も込みで介抱しましょう。まだ息があるわけですから」
イリーズは改めて少女を見る。
身に纏う衣服はどう考えても外を出歩くには向いていないが、一般人というわけではなさそうなドレスである。
ただ、右足は中程から折れた木の杖の様な義足というのも、妙ではある。裕福な家の生まれなら、こんな取って付けた様な義足では無くもっと良い物も用意出来そうなものだ。
さらに彼女を抱き起こした時に気付いたのだが、背中に大きく深い傷があった。普通ならこれは致命傷であり、精霊の加護で落下死は免れたとしてもこの傷だけで命を落としていてもおかしくない。
イリーズの予想では、彼女は断崖の向こうに住む貴族の娘なのだろう。朝からその貴族の館で何か争いが起き、彼女はそれに巻き込まれた。逃げようとしているところを背後から襲われ、断崖から落ちてここへ落下してきた。
と、いったところではないかと思っている。
「ウェンディー、治癒魔術を頼みます」
「分かりました。でも、再生魔術の方が良くないですか?」
「それはお任せしますよ。ウェンディーが専門家ですから、専門家の意見を尊重します」
「向こうで何があったんだろうな」
サラーマは断崖を見上げる。
「僕にも分かりません。こんな女の子が背後から切られて、断崖から落ちる事になるんでしょうか」
「確かに切られたみたいな傷だがな、これは物理的なモノじゃない。かなり強力な魔術によるダメージだな」
サラーマは少女の背中の傷を見て言う。
「明らかに殺意を持った一撃だ。コイツには殺意を向けられる理由があるって事だ。イリーズ、それでも助けるのか?」
「助けない理由にはならないでしょう。何故命を狙われる事になったのか、本人に聞いてみるのが一番です。精霊の『敵の敵』と言うのも気になりますし、どうにも彼女には気になるところがあるんです」
イリーズは意識を失っている少女を見る。
衣服も大怪我もそうだが、直感的に彼女には何かあると感じていた。
(僕は多分、この人に会う為に生きてきたんだろう。この人がどんな人かは分からないけど、だからこそ助けたい。どういう人か知るためにも)
「移動しようぜ。ここにいつまでもいたら、俺は構わないがイリーズは風邪ひかないか? それにその女は下手すりゃ凍死するぜ?」
「そうですね。ウチに帰りましょう」
イリーズは少女を背負う。
イリーズ自身華奢な少年だが、それでもこの少女の軽さには驚いた。
それともう一つ。
彼女には何かあると感じた理由もわかった。
運命の出会いと思いたかったが、必ずしもそうとは言えない。運命的ではあるものの、あまり美しくもなく良いものではない。
(そう言う事、か。『敵の敵』ね)




