第二話 蜂起-6
六の少女は所員の前から一瞬のスキを突いて逃げてから、すぐに寮の裏に周り、他の亜人達とは逆方向に動いていた。
寮の中では、亜人達の一斉蜂起と所員達の怒号が響いているが、たたき出された所員達が逃げ惑い、中には窓から放り出される者もいた。
「派手にやってるわね」
六の少女は、大暴れしている亜人達の様子を物音から予想して苦笑いする。
亜人達の所員達に対する怨みは深く、所員の命を奪う事をためらう者はいない。逆に生け捕りにする事の方が遥かに至難である。
亜人達の中には好戦的な者もいるが、特に強制労働組に多く含まれる。しかも基本的に亜人達は虐げられてきたので、その立場が逆転するとなったら所員は武装していたとしても一瞬で命を奪われる事になる。
とはいえ同情の余地など無い。
もし六の少女が今の立場では無く、寮で使われる立場だったとしたら、目に付く所員は片っ端からその命を奪った事だろう。
戦力を削ぐと言う観点からもその必要性はあるのだが、この場合では戦略や戦術の話では無く、ただ感情面での優先順位が高まっているだけだ。
出来る事なら六の少女も暴れる側で活躍したかったのだが、彼女には彼女の役割がある。
混乱を招いた六の少女は、収容所の外壁を辿りながら外の戦力へ奇襲をかけるのだ。
一人の戦力が奇襲をかけたとしても、人的被害はたかが知れている。
そんな事は六の少女も言われるまでもなく分かっている。
戦ったところで勝てはしないのだが、勝利の条件は敵を倒すというだけでは無い。
要は相手を戦えなくすれば、それは勝利と言えるのだ。
その為に狙うのは、当然ながら戦う戦力である研究所の衛兵や所員達ではなく、急激に寒くなってきた事もあるため、防寒具の類の備品である。
食料や武具などであれば比較的狙われやすいのは分かっているだろうが、防寒具などの備品は狙われる危険性を正確に判断している者はそう多くない。
実戦慣れしている兵士ならともかく、研究所の研究員とそれを守るための衛兵はであれば、そのスキはあり得ると六の少女は考えていた。
寮の亜人達の攻勢は六の少女の予想より激しく、勢いもあった。
あの従順だったメルディスが全体の指揮を執っているとは思えないほど攻撃的で、寮の制圧はもうすぐ終わり、本校舎へと流れ込む予定になっている。
これは六の少女の計画にもあったのだが、その勢いが六の少女の予想を上回るペースで行われていた。
このままでも亜人側の方が有利であり、十中八九は亜人側の勝利に終わるだろう。
ただし、所長が出てこなければ、という条件付きでもある。
所長の戦力は六の少女も計算出来ていない。だが、六の少女の計画通りであれば、今は所長は研究所の面々から責任を問われている頃である。
何しろ今回は、六の少女が怪我で表に出せないどころの騒ぎではない。亜人の全てが牙を剥き、圧倒的な攻撃力で襲いかかって来ているのだ。
所長にどれほどの影響力があるかはわからないが、今回の事は監督不行届どころの騒ぎでは無く、確実に管理能力を問われる事態になっているはずである。
(そうだとすると、下手に備品を狙って窮鼠にするより、足を引っ張り合わせてそのスキを突いて正門を塞ぐ方が良いか? まあ、奇襲に向いたところに移動して状況に合わせて動く事にしよう)
六の少女は寮から離れて収容所の壁沿いに移動して行こうとする。
その時、六の少女の進行方向の雪が盛り上がり、巨大な人型になっていく。
主戦場とはかけ離れた場所に現れた雪の巨人は、顔の無い頭部を傾ける。
完全な人型では無く上半身だけではあるが、それでも雪の巨人は六の少女の三倍は有にあり、収容所の壁より少し低い程度である。
六の少女の動きに気付いた者がいるのか、あるいはせめて亜人側にも混乱を起こさせようとして奇襲を仕掛けようとしたのかはわからないが、六の少女にとって大きな問題として立ちはだかった。
六の少女は舌打ちすると、雪の巨人から逃げる様に壁へ移動するが、下半身の無い雪の巨人は雪の上を滑るように六の少女を追ってくる。
元々の六の少女であればこの雪の巨人からも逃げられたかもしれないが、今では片足がまともに動かないので運動能力で言えば半分以下である。
真っ直ぐ逃げても逃げ切る事は出来ない。
この雪の巨人は、ここで撃退しておかなければならない様だ。
六の少女がそう思って雪の巨人の方を向いた時、雪の巨人は拳を振り上げているところだった。
スピードはそれほどでもないが、拳の大きさでもすでに六の少女の身長と大差無い。それだけの質量を持った拳であれば、防ぐ事さえ許されない。
六の少女は雪の巨人の拳を避けると、その腕を駆け上がる。
二本の足で走れれば良かったが、足場の事を考えると片足が木の杖である六の少女が駆け上がるには四つん這いに近い格好になるが、ここでは人の目などを気にしなくて済む。手足に魔力を集めて雪の上を走り、頭の横まで移動する。
壁沿いと言う場所も良いが、高さも悪くない。
六の少女が防壁の方へ移ろうとした時、雪の巨人は自らの頭を破壊してまで攻撃してきたのは、さすがに予想外だった。
六の少女は肩の後ろへ行き、滑り落ちそうになりながらもかろうじて雪で出来た巨大な拳を避ける。
(なるほど。こいつは召喚獣とかじゃなくて、ゴーレムの類か。だから自傷行為もなんのそのって訳ね)
そうと分かると、対処は急がなければならない。
二度の雪の巨人の攻撃を見る限り、六の少女を生け捕りにしようと言う意思は感じられない。まったく手加減の無い攻撃だったので、いかに見た目より頑丈で回復力に優れる六の少女といえども、直撃したら原形を留めていないだろう。
(という事は、私の情報を持ってるヤツか。所長が喋ったな)
有り得ない話ではない。
間違いなくこの騒ぎの中心にいるのが六の少女だと言う事は、今さら誰に確認するまでもなく、収容所の関係者なら知っている。本当の中心はメルディスなのだが、まず警戒されるのは六の少女だろう。
戦力として考える場合、六の少女の打たれ強さや尋常じゃない体力などは無視出来ない。その情報を持っていれば、この雪の巨人の様に一撃で致命傷を与えられる戦力をぶつけてくるのも当然と言える。
(当然、なのかな?)
反逆を企てた亜人に対してと言うのであれば、当然と言えば当然である。
だが、所長としては潰された顔を立てるには生け捕りにする必要があったのではないか?
その余裕が無いのであれば、それは悪い事ではない。
六の少女は命の危険は跳ね上がったものの、所長に余裕が無くなっていれば、その分外の戦力は烏合の衆になる。
元々外の戦力は収容所の所員と、複数の研究機関の職員とその衛兵なので、集団としてのまとまりは皆無と言って良い。それでも収容所内の情報に詳しいので所長が中心になっていたのだが、そこが機能しなくなればいよいよ数が揃っただけの役立たずの集団だ。
(だとすると、コイツにも派手に退場してもらうかな)
六の少女は雪の巨人の肩に登り直し、自らの頭を破壊した雪の巨人の腕を駆け上がって収容所の防壁の方へ飛ぶ。
このままではまだ届かなかったが、六の少女は雪の巨人に魔力の塊を放つ。
出来ればギリギリまで隠しておきたかったが、出し惜しみして失敗していては話にならない。
図書室には、無造作に販売されていない類の魔導書も入っていた。その書物があれば単純な攻撃魔術という条件付きだが、身に付ける事が出来る。
魔力の流れは初日しか参加しなかった授業の中で学んでいる。その時には熱を加える魔術だったが、攻撃魔術もおおよそ同じである。
六の少女が放った魔力の塊は、雪の巨人の上半身を吹き飛ばす。
その爆風は空中にいる六の少女の小柄な体をさらに飛ばし、有刺鉄線の張られた収容所の防壁の上まで運ぶ。
勢いがつき過ぎていたので、六の少女は木の杖となった片足を有刺鉄線の巻かれた柱に突き刺す様に蹴り出す。
生身の足でやったら足の裏が血塗れになっているところだが、こう言う時には役に立つ。もちろん付け根の部分や股関節にはダメージを受ける事になるが、有刺鉄線に直撃よりはダメージは小さい。
破壊力の割に爆音は無いので、亜人達の起こしている蜂起の騒ぎに水を差す様な事も無い。
雪の巨人の上半身だったモノはただの雪の塊になり、今では不自然な積雪状態が出来ただけである。いかに魔力で生成されたとはいえ、こうなっては動きようがない。
六の少女は防壁の上から西の大地に目を向ける。
そこは生命が生きる事を許さない、呪われた大地。
確かにそう聞いていたし、図書室にあった大量の本からもそういう情報を得ていた。
しかし、実際に防壁の上から西の大地を見ると、同じ様に雪に覆われた穏やかな大地が広がっている。
防壁の西は断崖になっているので、六の少女の予想以上に高さがある。不自然極まる断崖なので、何かしらの魔術の結果なのだろう。
下は森の様だが、とても飛び降りれる様な高さではない。森は北にも南にも広がっているが、西の方に行くと森は途切れて街の様なモノも見える。
(人が住んでるのかな? でも、壁を壊しただけじゃこの断崖は降りれないし、今はこの戦いに集中しよう。冬の間にこの断崖を降りる方法を考えれば、西に逃げれそうね。呪われた大地じゃなければ、だけど)
足元に広がる未知の世界を見ながら、六の少女はそう考えていた。
すでに亜人達は寮では無く本校舎の方へ移動しているようなので、六の少女も防壁の上から正門へ向かおうとした。
その瞬間、六の少女は背中に強く鋭い衝撃を受けた。
危うく防壁から落ちそうになるが、六の少女はかろうじて踏みとどまる。が、その直後、六の少女の背中に焼き付く様な想像を絶する痛みが走り、余りの激痛に意識が飛びそうになって防壁の上に倒れこむ。
何が起きたか理解出来ない上に、冷静に考えようとすると背中から来る激痛がそれ以外の情報を遮断してしまう。
とにかく痛みが酷かったが、状況を確認しようと無理に目を開く。
雪のせいか痛みのせいか、視界は白くぼやけてフラッシュバックしているが、そんな中で自分の周りだけが白ではない色が雪を染めている。赤く染まる雪の原因が、自分の身の回りにあるようだ。
(何コレ。血? もしかして私の血? 切られた?)
雪の舞う冷たい外気の中で、それでも背中だけが焼かれているかの様に痛む。それを意識してからは痛みだけでなく、自分の脈拍に合わせて血液が背中から流れ出していくのも分かる。
「おや、切断出来ると思ったんですが。さすがに頑丈ですね」
空からふわりと防壁の上に現れた人物が、外気に負けない冷たい声で悠然と近付いてくる。
この場に現れるはずの無い男が、六の少女の背後にいる。
「しょ、ちょう……?」
「おやおや、切断できなかったどころか、まだ状況を把握出来る余裕がありますか。これは私の予想を超えていますね」
所長は警戒した様子も無く、無防備かつ無造作に六の少女に近付いてくる。
この収容所の一斉蜂起で、所長は管理能力を問われているはずだった。監督不行届で吊るし上げられているはずだと思っていた。
研究機関の面々を危険に晒した事で怒鳴り散らされているところ、それを取り返す為に六の少女に雪の巨人をぶつけてきたのでは無かったのか。
六の少女はそう思ったのだが、所長はいつも通り悠然としている。
いつも会っていた所長室との違いがあるとすれば、ここが外で所長も厚手のコートを着ているくらいである。
「しょ、ちょう、どうして」
「それはご挨拶ですね。これは貴女が主催した祭りで、私は主賓では無いのですか?」
所長はむしろ笑顔を浮かべて、六の少女に尋ねてくる。
確かに六の少女の計画では、その通りだった。所長はこの一斉蜂起では、最重要の役割だった。
それはあくまでも責任を取らされる立場の話であり、混乱の中心にいるべき人物が六の少女が用意した、所長の役割だったはずだ。
その人物が笑顔さえ浮かべて、悠然と六の少女の前に現れる事など有り得ない。まして今六の少女がいるのは主戦場や最前線では無く、奇襲の前段階のところに現れる事など考えられない人物が、目の前にいる。
「いや、正直心配したんですよ。もしかしたら、気持ちが折れて反逆自体を諦めてしまうのではないかと思いました。良かったですよ、ちゃんと暴れてくれて。これでここの亜人共を皆殺しに出来るわけですからね」




