15話:祈る暇があるなら働きなさい
荒野に集まる人々が増え、活気ある集落ができつつあったある日の夕暮れ。
アグナが食料の調達から戻ると、広場の中央で人々が跪き、異様な静寂の中で手を合わせていた。
その視線の先にいたのは、急造された石積みの壇の上に、しぶしぶ座らされているラームだった。
「ラーム様……我らに豊かな実りと、慈悲深き秩序を…」
人々がうっとりと祈りを捧げる中、ラームは困惑した表情で固まっていた。断り方も分からず、ただ神として「座らされて」いたのだ。そこへ、アグナが火のついた導火線のような勢いで突っ込んできた。
「ちょっと! 何やってんのよ、あんたたち!!」
静寂を叩き割る怒声。アグナは跪く民を突き飛ばさんばかりの勢いでかき分け、壇上のラームの前に立ちはだかった。
「アグナさん、静かに! 今はラーム様への祈りの時間…」「祈りだぁ!? ふざけないでよ! 祈ってるだけで腹が満たされるわけがないでしょ!!」
アグナの叫びに、広場が凍りついた。
「あんたたち、神様に縋れば明日から楽ができるとでも思ってんの? 甘えるんじゃないわよ! 祈る暇があるなら、一回でも多く鍬を振りなさい! 土をいじりなさい! そうやって自分で動かなきゃ、明日食べるパンも焼けないのよ!」
「で、でも、ラーム様は神様で……」
「神様じゃないわよ、この国の仲間よ! 勝手に祭り上げて遠くへ追いやるんじゃないわよ!!」
アグナは壇上のラームの腕を力一杯掴み、強引に立ち上がらせた。
「ほら、アンタもよ! なんでそんなとこで神様みたいな顔して座ってんのよ! 居心地悪そうな顔してんじゃないわよ! あんたの居場所は、ここじゃないでしょ!!」
ラームは、魂を揺さぶられたように目を見開いた。
神として崇められる「正しい孤独」に戻されそうになっていた自分を、彼女の怒声が強引に、けれど温かい「地べた」へと引きずり戻してくれた。
「……すまない。その通りだ、アグナ」
ラームは自ら壇を飛び降りた。人々は驚愕したが、アグナは構わずラームの背中をバシッと叩いた。
「わかったらさっさと来なさい! 祈るより、あんたの光で少しでも暗くなるのを遅らせる方が、みんなの仕事が捗るんだから! ほら、あんたたちも! 手が止まってるわよ! 働きなさい!!」
アグナのあまりの勢いに、人々は顔を見合わせ、やがて苦笑いしながらも立ち上がり、再び仕事へと戻っていった。
その夜。焚き火の傍で。
ラームは、アグナに叩かれた背中をさすりながら、静かに笑った。
「……君は本当に、遠慮がないな。せっかくの神殿の候補地だったのに」
「神殿なんて、あんたが死んでから誰かが勝手に建てればいいわよ。今は生きてるんだから、私の隣でせいぜい泥まみれになりなさい」
アグナは不機嫌そうに鼻を鳴らし、焚き火に薪を放り込んだ。
ラームは、その言葉に一瞬だけ言葉を失った。
(……私が、死ぬ?)
自分は、世界の理を司る不滅の神だ。死など訪れない。
それを知っているはずなのに、彼女は自分を「いつか死にゆく一人の人間」と同じ箱に放り込んで、当たり前のように明日を語っている。
(困った娘だ……)
彼女の無遠慮な言葉に困惑しながらも、ラームの胸には、天界での数千年にはなかった「温もり」が広がっていた。神として崇められるよりも、死を前提とした儚い命の仲間として扱われることが、今の彼にはこれほどまでに誇らしい。
だが、その喜びのすぐ裏側で、微かな痛みが胸を刺した。
彼女が当たり前のように語る「死」は、ラームには訪れない。けれど、彼女にはいつか必ず訪れる。
自分は彼女の死を見届けた後も、この地べたで泥にまみれ続けるのだろうか。
ラームはその苦しさを悟られないよう、静かに心の中にしまい込んだ。
「……ああ。そうするよ。……祈りの声よりも、君の怒鳴り声の方が、私にはずっと救いに聞こえる」
ラームは、彼女の泥だらけの手に、自分の指を絡めた。
自分はこの先、永遠を生きる。けれど今、この一瞬だけは、彼女と同じ「いつか死にゆく人間」として、この熱を分かち合っていたかった。
二人の手のひらには、共に汗を流した者だけが持つ、同じ「熱」が宿っていた。




