13話:天よりの孤独、地よりの野望
それは、アグナ=レイムという国が産声を上げるよりずっと前。人間がこの世に生まれてから、もう何千年も経った頃の話だ。
かつて豊かだった大地は、人々によって食い荒らされ、同族同士の殺し合いによって赤茶けた砂漠へと姿を変えていた。
土地は枯渇し、水は濁り、星そのものが息絶えようとしている。しかし、人間の生命力というのは恐ろしいほどに強欲だった。
何も残っていない荒野に立ってなお、人々はわずかな利権を奪い合い、戦争の火を絶やすことはなかった。
その頃、遥か高みの天界に座す「調律者」たちの間では、この死にゆく星の処遇が議論されていた。
数千年にわたって貪り、傷つけ、枯らし尽くされた星。
もはや自浄作用すら失ったその地を、宇宙の塵として消し去るべきか。それとも、再生の機会を与えるべきか。
冷徹な議論が交わされる中、若き調律者であったラームだけは、滅びを待つばかりのその星に、微かな生命の鼓動を感じ取っていた。
「私が行きましょう。彼らに知恵を授け、大地の巡りを正せば、まだやり直せるはずです」
秩序なき混沌を正し、世界の調律を戻すために。
彼は自ら志願し、同胞たちの懸念を背に、光り輝く「星の残骸」を抱いて地上へと舞い降りた。それが、すべてのはじまりだった。
しかし、降り立った彼を待ち受けていたのは、天から夢見たような再生のドラマではなかった。
ラームは最初、その強大な力で大地を癒そうとした。
だが、彼が砂漠に緑を、泥水に清流を蘇らせた端から、生き残りの人間たちはその資源を独占しようと、新たな殺戮を始めたのである。
癒やしを与えれば、それが争いの種になる。
ラームは、突きつけられた現実に深く打ちのめされた。問題はこの星の資源不足にあるのではなく、そこに住まう人間という種そのものの業にあるのだと、彼はあまりにも早く悟ってしまった。
それでも彼は諦めきれず、人間に「秩序」と「自立」を説くため、人里に混じって暮らし始めた。
しかし、結果は同じだった。
彼の力を知るや否や、人々は彼を神と崇めて思考を放棄するか、あるいはその力を恐れ、出し抜いて利用しようと牙を剥くか。
(やはり、この種を滅ぼすべきなのか……)
冷徹な結論が胸をかすめる。
だが、彼はあまりに慈悲深かった。自分を縋り、離れない弱き者たちを見捨てることができず、ラームは人里離れた地に、小さな農村を築いた。
そこは彼がひっそりと無限の恵みを与えることで、死にゆく人々を辛うじて生かし続ける、かりそめの平穏の地。……しかし、それは彼にとって、緩やかな絶望を先延ばしにするだけの「終わりの場所」に過ぎなかった。
そんなある日のことだ。地平線の彼方から砂塵が巻き上がり、鉄の匂いを孕んだ一団の影が農村を包囲した。
村人たちの悲鳴を聞きながら、ラームは静かに立ち上がった。
(またか。結局、誰もが私の力を欲しがる。誰かの犠牲の上に座ろうとする……)
底知れぬ嫌気と絶望が、彼の黄金の瞳を暗く濁らせる。
救う価値などない。この略奪者たちも、自分に依存するだけの村人たちも、いっそこの手ですべて焼き払ってしまおう。彼がその漆黒の指先に、破滅の光を灯そうとしたその時だった。
「――あんたが『無限の恵み』のラームね! 探したわよ!」
飛び込んできたのは、一人の少女だった。
返り血を浴びた革の鎧に、身の丈ほどもある無骨な大剣を背負っている。年齢はせいぜい十四、五歳といったところか。ラームの黄金の瞳が、驚きにわずかを見開かれた。
(子供……? この幼い娘が、あの一団を率いてきたというのか)
戸惑うラームの耳に、外の様子が届く。だが、聞こえてくるのは略奪の咆哮ではなく、困惑する村人たちの声だった。
彼女の連れてきた兵たちは、村人を殺すどころか、怯える彼らに自分たちの食料を分け与え、傷の手当を始めていたのだ。
「……何が目的だ。私の力を奪いに来たのか。それとも、私を殺しに来たのか」
ラームが冷徹に問いかけると、少女は呆れたように鼻で笑った。
「はぁ? 何言ってんの! あんた、そんなすごーい力があるくせに、しけたツラしてこんなところで引きこもってんじゃないわよ!」
「……何だと?」
「つべこべ言わずに手を貸しなさい! こんな最低な世界、あんたの力と私の腕っぷしがあれば、一緒に建て直せるわ!」
少女は叫ぶなり、あろうことか「神」であるラームに向かって猛然と走り込み、その頬に全力の拳を叩き込んだ。
ゴッ、という鈍い音。
殴られた衝撃で、ラームの視界には火花が散った。
痛みそのものよりも、**「神である自分を、ただの人間が拳で殴った」**という理解不能な事実に、ラームの思考は完全に停止した。
呆然と顔を上げると、そこには銀色の瞳を爛々と輝かせた少女が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「……君は、何者だ!?何故、私を殴った!」
「私はアグナ! このクソったれな世界をひっくり返して、誰もが腹一杯食える国を作る女よ!」
アグナ。
彼女が名乗ったその瞬間、ラームには彼女の瞳が、漆黒の夜空に輝く無数の星々のように見えた。
絶望に支配されたこの世界で、まだ仲間を……そして自分も含めた人間の未来を信じ、諦めずに戦い抜こうとする意志。
天から降ってきた自分さえ「道具」として使いこなそうとする、強烈なまでの生への野心。
(……この少女は、何なんだ)
ラームの心に灯ったのは、数百年ぶりの戸惑いと、言葉にできないほどの衝撃だった。
それは、彼が天から持ってきたどんな奇跡よりも眩しい、「人間に残された、本物の希望」の輝きに見えた。




