10話:黒衣の使者たち
バートの工房を出て、二人は沈黙の中で王宮へと続く坂道を歩いていた。
下層街の薄暗い路地を抜ける間、ゼノはずっとミリアの半歩後ろを歩き、周囲を警戒するように視線を鋭くさせていた。
「……ゼノ、もういいわよ。ここまで来れば大丈夫」
ミリアが足を止めて振り返るが、ゼノは気まずそうに視線を逸らした。
カイルの家からの帰り道、泣きじゃくる彼女の頬を思わず打ってしまった手のひらの痺れが、まだ消えない。
「……腫れ、大丈夫か。…悪かった。ごめん。」
ぼそりと呟くように言ったゼノに、ミリアは小さく首を振った。
「ううん。あの時は、私も……。送ってくれてありがとう、ゼノ」
ミリアは微かに微笑んだ。だが、その平穏は、路地裏の影から染み出してきた「闇」によって唐突に引き裂かれた。
「――殿下。お迎えにあがりました」
街灯のエーテルが不自然に明滅し、屋根の上から、そして路地の先から、四人の**歴史管理員、いや黒衣の使者**が音もなく降り立った。
ミリアは心臓が跳ね上がるのを感じたが、努めて冷静を装い、言い訳するように言葉を紡いだ。
「……ご苦労様。部屋を抜け出したのは謝るわ。でも、見ての通り今からちゃんと帰るところよ。だから、そんなに大勢で来なくても大丈夫だわ」
だが、使者たちのフードの奥にある目は、一向に揺るがなかった。
「陛下より、殿下を『特別な保護下』に置くよう命を受けております。……貴女は、見てはならぬものを見すぎた」
ゼノが、その異様な殺気を感じ取り、ミリアの前に一歩踏み出し、立ち塞がった。
「へっ、保護だぁ? 随分と物騒なお迎えじゃねえか、黒衣のネズミども」
ゼノはニヤリと不敵な笑みを浮かべて悪態をついた。
「あいにくだがな、このお転婆姫をその檻にぶち込みたきゃ、俺の許可を取りな。……ミリア!逃げろ!」
ゼノが懐から自作の「火薬玉」をバラ撒こうとした、その時だった。
パンッ――!
空気を切り裂くような鋭い異音と共に、紫色の光軸が路地を走った。直後、ゼノの右足が大きく跳ね上がる。
ミリアの目には、何が起きたのか分からなかった。使者が手に持っていたのは、見たこともない形状の鉄の筒。そこから放たれたのは、この国で最も神聖とされるはずのエーテルを、極限まで圧縮し、殺傷のための「弾丸」として撃ち出す禍々しい光だった。
エーテルは人を救い、土地を潤すためのもの。それを直接、人体を破壊する兵器へと転用することは、この国では語ることも許されない最大の禁忌のはずだった。
「……ぐ、あぁっ!?」
ゼノが膝から崩れ落ちる。貫かれた足からどろりと血が溢れるのを見て、ミリアは息を呑んだ。人々の祈りの象徴であるはずのエーテルが、いま、獣のような冷酷さで幼馴染の肉体を焼き切った。
「ゼノ!!!!!!!!!」
ミリアの叫びを無視し、使者は冷酷にその銃口を固定した。
「警告は済んだ。殿下をこちらへ」
その瞬間、ミリアの中で何かが弾けた。
頭に、真っ赤な血が上がる。
恐怖なんて、どこかへ消えた。大切な幼馴染が傷つけられた怒りで、指先までが熱い。
「よくも……ゼノを!!」
ミリアはドレスの裾をひるがえし、使者に向かって突っ込んだ。
それは訓練された戦士の踏み込みではない。ただ、感情のままに地面を蹴り飛ばした、危ういほどの突進だった
「止まれ! さもなくば撃つ!」
放たれた紫の光軸が、ミリアの頬をかすめて背後の壁を砕く。
けれど、彼女は目を閉じなかった。身を低く沈め、風を切るように翻弄する。
「軽い」のだ。重厚な鎧も、澱んだ迷いもない彼女の体は、ただ一つの「怒り」だけを燃料にして、使者たちの照準を軽やかにすり抜けていく。
「どいてっ!!」
一番近くにいた使者の懐へ、ミリアは自ら飛び込んだ。
相手が引き金を引くよりも速く、奪い取るようにその腕を掴む。
力でねじ伏せるのではない。体重のすべてを預け、しがみつくようにして、その勢いのまま石壁へと叩きつけた。
「ぐ、はっ……!」
男が苦悶の声を上げる。
ミリアはよろめきながらも、すぐに次の男へと視線を向けた。
乱れた栗色の髪が顔にかかり、引きちぎられたドレスのレースが夜風に舞う。
ミリアはそのまま、地面に落ちていた銀色の杖を奪い取り、横から迫る別の男の足を払った。それは優雅な王女の姿ではなく、泥まみれで街を駆け抜けてきた一人の少女の、剥き出しの怒りだった。
だが、使者たちはすぐに冷徹な計算を取り戻した。
一人が、倒れ込んでいるゼノの頭に、あの不気味に光る銃口を突きつけた。
「――そこまでだ。……次の一歩を踏み出せば、この男の脳を焼き切る」
ミリアの動きが、凍りついたように止まる。
「くそ……ミリア、逃げろ……っ!」
足を押さえ、顔を歪めて叫ぶゼノ。だが、彼のこめかみに冷たい光の銃口が押し付けられる。
「杖を捨て、こちらへ来い。さもなくば、この男はここで『廃棄』だ」
ミリアは握りしめていた杖を、震える手で地面に落とした。使者たちの冷たい瞳が、勝利を確信して細められる。
「……わかったわ。行く……行くから。だから、彼にもう乱暴しないで」
震える声で告げ、ふらふらと使者たちの方へ歩み出した。
血を流し、石畳に伏せるゼノが、掠れた声で必死に手を伸ばす。
「待て……ミリア……っ!」
ミリアは振り返らなかった。だが、歴史管理員たちははじめから約束を守るつもりなどなかった。
一人の使者が、ゼノの頭に銃口を押し付けたまま、冷酷に指をかけた。
「――不確定要素は、ここで摘み取っておくべきだ」
「……っ!? やめて、約束したじゃない!!」
ミリアが叫んだが、銃口のエーテルは無慈悲に輝きを増していく。
カイルを奪われ、今また、たった一人の幼馴染が自分の目の前で消されようとしている。
「やめて……やめてよ!! やめてええええええっ!!!」
ミリアの悲痛な叫びが路地に響き渡った、その瞬間。
鼓膜を破らんばかりの轟音が大気を震わせ、足元の石畳が生き物のように跳ね上がった。
「な、なんだ……!? 爆発か!?」
「いや、違う……地下からだ! 地脈が逆流している!」
使者たちが驚愕して空を見上げる。まるでミリアの怒りに呼応したかのように、地下から突き上げたエーテルの触手が、ゼノに銃口を向けていた使者だけを狙い、その障壁を粉砕して吹き飛ばした。
付近のエーテル施設が火を噴き、過負荷の警報が街中に鳴り響く。
それは広範囲の破壊ではない。だが、明らかに「ミリアに危害を加える者」を排除しようとする、ラームの意思が介在した暴走だった。
「マズい……『共鳴』が限界を超えている! 殿下を早く拘束しろ!」
慌てふためいた使者たちが、倒れているミリアに群がった。
彼らは無理やりミリアの両腕を掴み、強制的に意識を遮断する銀色の拘束具を嵌め込む。
「……あ、……ゼ、ノ……」
ミリアの視界が急速に遠のいていく。
薄れゆく意識の端で見えたのは、煙の中に置き去りにされた、血まみれで手を伸ばすゼノの姿。
「ミリアァァァ!!」
届かない叫び声を残して、ミリアは強引に抱え上げられ、闇の中へと消えていった。
震動が収まった後の路地には、ただ一人、動かなくなった足を引きずりながら、虚空を掴もうとするゼノだけが取り残された。




