4話 緊急配信
午後の案件が終わった頃には、空はもう薄く橙に染まり始めていた。
都庁西ブロック外周。
危険度B。
ましな面子ではあったが、だからといって何かが劇的に変わるわけでもない。いつも通り蓮は後ろから支えて、閉域し、それで終わった。
報酬は入る。
だが、微々たるものだ。
リンク・ブレスに表示された入金予定額を見て、蓮は小さく息を吐いた。
病院の支払い。
生活費。
そこから逆算すれば、常に余裕がない。
駅前の雑踏を抜けながら、蓮は指先で端末画面を弾いた。
ジョインポートの案件一覧は、夕方以降の補助募集へ切り替わり始めている。だがこの時間帯のまともな案件は、もうだいたい埋まっていた。
ならどうするか。
やることは決まっている。
蓮は人通りの少ない方へ足を向けた。
監視ドローンの巡回ルートから少し外れた、古い倉庫街の方角。公認案件ではない。だが完全な違法でもない。こういう“半端な場所”は沢山ある。
正式な侵食区域に指定されるほどではない。
けれど、モブが湧く。
残滓が濃い場所がある。
下手をすれば死人も出る。
だが、そういう場所でしかレベルを積めない火力初心者は沢山いる。
言い換えれば初心者ごときで処理できる場でもあるということ。
公認の侵食区域扱いにされていないのは、その初心者達のレベリングで討伐がまかなえているからだ。
錆びついたシャッターが半分だけ開いた倉庫街の路地を抜けると、空気が少しだけ重くなった。黒い結晶の粉が地面の隙間にこびりつき、使われなくなったコンテナの側面に、うっすらと侵食の筋が走っている。
蓮はバッグを足元へ置き、ジャケットの袖を引いた。
リンク・ブレスと同期し、緑のラインが細く起動する。
蓮の現在レベルは七十八。
職全体で見れば、別に高くはない。
だが宝珠としてはかなり上の方だ。
それは蓮も知っている。
知っているが、実感は薄い。
宝珠のレベルが多少高かろうと、それだけで生活が変わるわけじゃないからだ。
案件の単価が急に上がるわけでもない。
妹の治療費が軽くなるわけでもない。
宝珠は、そもそもまともにレベリングしている人間が少ない。
単独効率が悪い。
だが付き合ってくれる火力職はいない。
大半は、案件で少しずつ伸びるだけで満足している。
そこから先を自分で積もうとする人間は見たことがない。
「……やるか」
小さく呟いて、路地の奥へ進む。
最初に出たのは低級の犬型侵食体だった。
数は二。午前や午後の案件なら、誰かが一瞬で片付ける程度の相手。けれど一人なら違う。
蓮は距離を取り、宝珠を構える。
「光弾」
緑の弾が一体目の眼窩を打ち抜く。
止まらない。
だから横へずれながら、もう一発。
前脚がもつれた。
その隙に距離を詰め、宝珠を叩き込む。衝撃は弱い。だが元々脆い部位に重ねれば倒れはする。
【経験値取得】
数字は小さい。
だがゼロではない。
蓮は息を整え、次へ進む。
こういう積み重ねしかない。
派手な必殺技もなければ、戦場を焼く火力もない。
できる事といえば地味な術を何度も正確に通すことと、死なないことだけだ。
少し奥へ入ると、残滓の濃い溜まりがあった。
床一面に薄く黒い膜が張りつき、コンテナの隙間から泡立つみたいに侵食体が生まれている。
ここは当たりだ。
蓮は小さく息を吐いた。
運が良ければ、今日の分でレベルが一つ上がるかもしれない。
一つだけ。
たった一つ。
でも宝珠にとって、その一つは重い。
術の精度がわずかに上がる。
出力が少しだけ増す。
消費がほんの少しだけ軽くなる。
蓮は侵食体の湧き口を見極め、手をかざした。
「光弾」
後退。回り込み。
近づかせすぎない。
多少傷を負っても、回復スキルを使えばいい。
地味だ。
地味で、面倒で、効率が悪い。
でも蓮は、この地味な積み重ねでここまで来た。
半時間ほど経った頃には、額から汗が伝っていた。
息も上がる。
グローブの内側が湿る。
最後の一体を追い詰めた時、足元の黒い膜がふいに大きく脈打った。
「……っ」
嫌な揺れだった。
ただの残滓溜まりじゃない。
下に、もう一段濃い核片が埋まっている。
次の瞬間、崩れたコンテナの影から、今までより一回り大きい侵食体が飛び出した。中級一歩手前。こんな半端地帯にいるには少し濃すぎる個体だった。
蓮は咄嗟に横へ飛ぶ。
アスファルトに肩を打ちつける。
痛みを堪えながら立ち上がり、呼吸を整えた。
まずい。
自分の火力では、真正面から削るのはきつい。
逃げるか。
いや、ここまで削った残滓を捨てるのは惜しい。
「……っ」
視界の輪郭が一瞬だけ鋭くなる。
侵食体の動きが、さっきよりもよく見えた。
踏み込み。
重心。
どこに隙があるか。
どこを裂けば崩れるか。
蓮は息を止める。
時間かかっても、やるしか無い。
*
何時間かかっただろう。
侵食体が飛び込んでくる。
蓮は半歩だけ引き、すれ違いざまに宝珠を振り抜いた。
侵食体が大きくのけぞった。
今だ、と、反射的に体が動いていた。
「光弾!」
緑の弾が、裂けた箇所へ一直線に吸い込まれる。
黒い体が、ぐらりと傾いた。
そのまま崩れる。
周囲の残滓も連鎖して薄くなっていく。
【経験値取得】
【レベルが上がりました】
表示を見た瞬間、蓮はその場に座り込んだ。
肩で息をする。
汗が頬を伝う。
肺が熱い。
それでも、視界の端に浮かぶ数字だけははっきり見えた。
【現在レベル:79】
「……上がった」
たった一つ。
たった一つだけ。
でも、確かに上がった。
蓮は荒い呼吸のまま、ぼんやりと端末を見つめる。
その時だった。
リンク・ブレスの表示が、もう一度だけ淡く切り替わる。
【宝珠クラス別・レベルランキング 更新】
【現在順位:2位】
蓮の呼吸が止まった。
「……は?」
見間違いかと思った。
もう一度表示を呼び出す。
だが何度見ても同じだ。
【宝珠クラス別・レベルランキング】
【1位 返品不可】
【2位 れん】
れん。
自分の通名。
蓮はしばらく、その文字を理解できなかった。
「二位……?」
何かの誤表示かと思う。
だが違う。
表示は安定している。
レベルが一つ上がっただけだ。
たった一つ。
なのに順位が、いきなりここまで跳ね上がった。
そして理解が追いつく。
――そうか。
他の宝珠が育っていないのだ。
案件だけで細々と伸びるか、途中で止まるか、そのどちらかがほとんどだ。
自分みたいに案件後まで一人で残滓を狩って、地味に経験値を積んでいる人間など聞いたこともない。
だから、一つ上がっただけで、順位がここまで動く。
「……それにしって」
笑いそうになる。
嬉しいのか、虚しいのか、自分でも分からない。
二位。
宝珠レベルランキング二位。
数字だけ見れば、とんでもない。
でも実感は薄い。
きっと、自分の生活は何も変わらないだう。
病院の会計が軽くなるわけでもない。
妹の病気が治るわけでもない。
明日から急に強い仲間ができるわけでもない。
しかも、一位との差がどれくらいあるのかも分からない。
返品不可。
バベルの宝珠。
一位。
自分が二位になったからといって、あれに近づいた実感はなかった。
むしろ、近づいたからこそ遠さが際立つ気さえする。
半端な宝珠のレベルが1上がっただけだ。
蓮はその考えに至ったところで、冷静に荷物を担ぎ上げた。
帰ろう。
蓮は倉庫街を抜け、薄暗くなった通りへ戻った。
アパートに着いた時には、空はすっかり群青だった。
階段を上がり、鍵を開け、静かに部屋へ入る。
「ただいま」
起こさないように小さな声を出した。
そのまま床に座り込み、端末を充電器へ繋ごうとした、その時だった。
画面が激しく点滅する。
【緊急配信】
【S級パーティー《バベル》】
【ライブ開始】
蓮の手が止まる。
急いでイヤホンをつけた。
「バベル?」
緊急配信なんて珍しい。
蓮はそのまま配信を開いた。
まず映ったのは、見たことのある顔触れの大剣、盾、杖。
配信越しでも、装具の質と立ち姿が違う。
そして、少し遅れて画面の端にもう一人が映り込んだ。
顔の上半分を隠す簡素な仮面をつけていた。
蓮の指先が止まる。
「……こいつ」
バベルの宝珠。
ランキング一位の。
返品不可。
仮面で顔が見えない。
コメント欄が一気に流れ始める。
『仮面だ』
『やっぱ顔出ししないんだ』
『返品不可きた』
『初めてまともに映った?』
『なんで急に配信?』
配信の空気がおかしい。
大剣が何か言う。
仮面の宝珠は答えない。
盾が間に入ろうとして、杖が露骨に苛立った顔をしている。
やがて、音声がはっきり拾えるくらいに空気が荒れた。
『……だから、次もそのやり方で行くって言ってるだろ』
大剣の声。
『それは俺が決める』
低く、押し殺した別の声が返る。
宝珠だ。
蓮はわずかに目を見開いた。
思っていたより若い。
『お前に決める権利はない』
『なら抜ける』
その一言で、配信の空気が凍った。
コメント欄が一瞬止まり、それから爆発したみたいに流れ出す。
『は?』
『今なんて?』
『抜ける?』
『喧嘩?』
『バベル崩壊?』
蓮の鼓動が、一気に速くなる。
仮面の宝珠は、そのままカメラの方すら見ずに言った。
『俺は、もうお前らとはやらない』
大剣が何か怒鳴り返す。
盾が制そうとする。
杖も何か言う。
だがもう、宝珠は聞いていないようだった。
画面が揺れる。
誰かが慌てて配信を切ろうとしているのか、コメント欄だけが異様な速度で流れ続ける。
その最後の瞬間、仮面の宝珠がほんの少しだけこちらへ顔を向けた気がした。
そして配信は、そこで唐突に落ちた。
部屋に、静寂が戻る。
バベルの宝珠。
その正体不明のヒーラーが、今、バベルを抜けた。
しかも今日、自分は二位になったばかりだ。
「……Sパーティーの、宝珠の席が……」
ようやく声にすると、自分でも驚くくらい喉が乾いていた。
心臓の奥が、妙にざわついている。
蓮は無意識に、手首のリンク・ブレスを押さえた。
緑の表示は静かだ。
けれど、その静けさの下で、何かがゆっくり動き始めた気がした。
【宝珠クラスのスキル一覧】※初期設定
※本作における宝珠クラスは、回復・支援だけでなく、生命干渉系の補助攻撃も扱います。
【スキル到達レベルの目安】
通常スキル:Lv1〜
上位通常スキル:Lv20〜
高位通常スキル:Lv40〜
SSスキル:Lv100〜
最上位治療系統:Lv300〜
完全実用域:Lv700〜
SSSスキル:Lv1000到達+習得条件達成
覚醒SSSスキル:SSS習得後、さらに特殊条件達成
【通常スキル】
ヒール
ランク:通常
到達目安レベル:Lv1
効果:単体回復。最も基本的な回復術。
リジェネ
ランク:通常
到達目安レベル:Lv10
効果:時間経過で回復する継続回復。
キュア
ランク:通常
到達目安レベル:Lv15
効果:毒・麻痺などの状態異常を解除。
バリア
ランク:通常
到達目安レベル:Lv20
効果:小規模防護膜を張る。即死回避補助。
エンハンス
ランク:通常
到達目安レベル:Lv25
効果:味方1人の攻撃力または防御力を上昇。
光弾
ランク:通常
到達目安レベル:Lv5
効果:低威力の光属性弾。牽制やとどめ補助。
祓撃
ランク:上位通常
到達目安レベル:Lv30
効果:穢れ・侵食を帯びた敵に追加ダメージ。
断命波
ランク:上位通常
到達目安レベル:Lv45
効果:敵の自然回復・再生を一時停止。
命脈探知
ランク:高位通常
到達目安レベル:Lv60
効果:敵の核・急所・弱点を見抜く。
【SSスキル】
グレートヒール
ランク:SS
到達目安レベル:Lv100
効果:大回復。回復量特化。
ピュリファイ
ランク:SS
到達目安レベル:Lv130
効果:広域浄化。複数人の状態異常解除。
リンクヒール
ランク:SS
到達目安レベル:Lv160
効果:複数人へ連動回復を行う。
生命鼓動
ランク:SS
到達目安レベル:Lv200
効果:一定時間、致命傷耐性を付与。
逆流
ランク:SS
到達目安レベル:Lv240
効果:敵の回復・治癒効果を乱す生命干渉上位技。
【最上位治療系統】
生命再記述
ランク:最上位治療系統
到達目安レベル:Lv300〜
完全実用域:Lv700〜
効果:侵食によって損なわれた生命情報や神経系を、本来あるべき状態へ書き戻す治療術。
補足:妹の病を治すために蓮が目指している本命スキル。
【SSSスキル】
天命再起・死線超越回帰法
ランク:SSS
到達目安レベル:Lv1000+条件達成
効果:戦闘死した1名を蘇生。世界に一人。
【覚醒SSSスキル】
万命帰還・全霊全快再生奇跡
ランク:覚醒SSS
到達目安レベル:SSS習得後+特殊条件
効果:自分以外の3人を同時蘇生+全回復。




