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夜の闇を掻き消すように、瞬く光が街の隅々まで広がっていた。
高層ビルの壁面を彩るネオン、通りを横切るヘッドライト、看板から溢れ出す電子の映像――。
それらが都市の空を塗り替え、星のない夜に代わる新たな“光”として空間を支配していた。
人々の声が折り重なる。
笑い声、怒鳴り声、酔った叫び――あらゆる音が都市の鼓動として混ざり合い、昼とは別の命をこの街に与えている。
車が音もなく滑るように交差点を通り抜けるたび、ライトの残像がアスファルトに尾を引く。
遠くから眺めれば、人々の流れはまるでひとつの意思を持つ昆虫の群れのように、目的をもって規則的に動いているようにも見えた。
その喧騒のただ中。
ネオン溢れる繁華街の一角に、曲線を描いたガラス張りのビルが立ち並ぶ中、まるで時代に取り残されたかのように、ひとつの古びた雑居ビルが埋もれるように建っていた。
高さこそ控えめだが、外壁には時を重ねた雨染みがこびりつき、所々ヒビの入ったコンクリートが剥き出しになっている。
玄関口にある鉄製の門は赤茶けた錆を帯び、風が吹けば軋む音を立てそうなほどに傷んでいた。
レイは無言でポケットに手を突っ込み、軽く息をついたあと、錆びた門に手をかける。
ギィ、と音を立ててそれが開くと、彼はひとつも顔を歪めることなく、そのまま中へと足を踏み入れた。
夜もふけてきたこともあって、いつも受付でにこやかに声をかけてくれるサラはいないようだった。
「こんな時間に緊急招集って何事だ、一体」
レイがリセルにやってきてから二週間。
今日はリセルにやってきてから初めてのオフであった。
いや、実際にオフはあったのだが、街のを把握するために常にエリスやリュカに連れられ街中を回り、また一課をはじめとした安全保障課にも挨拶に伺う。
一週間の長旅を終え、リセルに到着し、初日からギャングの違法魔術の取引を抑え、そこからは常に新しい情報を入れ続けようやく身辺を整えることができる一日。
そんな中、初めて与えられた休日に日中から部屋を整える日用品などを買い出し、以前リュカから送られてきた観光ブックを元に街をまわっていたリュカから緊急招集と連絡があったのはつい半刻前であった。
不満げに口を尖らせながら彼は一人ごちながら階段をのぼっていく。
外壁とは打って変わって、中は綺麗な特別工作室のビルは明るく清潔感に溢れていた。
3階までのぼり、ドアの隙間から暖色の灯りが漏れ出ており、レイはそのままドアをあける。
「おかえり、レイ、早かったじゃん」
「早いって。リュカが緊急招集って言うから急いできたんだよ。」
レイと呼ばれた青年より頭ひとつ分背の低い赤髪の少年が明るい声で出迎える。
慣れた様子でそのまま室内に入っていくと、その中はワンフロアになった作戦会議室。
中央の円卓には雑多に食べかけの食べ物や飲み物が置かれており、郵便物や雑誌、あとは書類も置かれている。
部屋の奥にはコンピューターと共に宙に投影されたモニターには何かの文字や映像が変わるがわる映し出されている。
「ごめんごめん。急に一課から依頼があったもんでさ」
「ま、仕方ないか」
「仕方ない、四人だけの特務課なんだから」
笑いを交えながらリュカと呼ばれた少年は言った。
「そういえば四人っていうけど、俺まだもう一人会ってないけど」
「ジェフのことだね。もう少しで帰ってくる予定だけど、まだしばらくは不在かな」
リュカがそうモニターを見ながら返すと、レイはまだ見たことのないもう一人の仲間を思い浮かべる。エリスからもあまり話は聞かないので、レイの中で特別工作室はまだ三名だった。
「で、緊急招集ってのは?」
「違法魔術の取り締まり。ここしばらく続いていた行方不明の事件に関係してるって話」
リュカがモニターの前で操作をしながら、そう話す。
モニターの画面にはその瞬間に地図と人相の鋭い若い男の顔が映し出された。
短く刈り上げられた髪に耳ついたシルバーのピアス。タバコをふかしながらカウンターの中で話をしている様子だった。
見かけたならばあまり近づきたくないタイプの人間だ。
「場所はおそらく繁華街のバーの中だね。Fifty Milsって名前。店もグルになってるね。安全保障課が先に包囲を張ってるけど、隠すのがうまくて尻尾が捕まえられないみたい。
違法魔術の種類はおそらく、幻覚系かな?ここ最近の行方不明者の多くがここの常連だったみたい」
「なるほどな」
リュカがモニターに次々とバーの中の写真を映し出していく。
薄暗く、若い男女が多い流行っているバーだ。
バーというよりもクラブに近いかもしれない。
「で、俺はどうしたらいい?このバーに行けばいい?」
「出所はこの男の魔術だから、こいつさえ捕まえればどうにかなるんじゃないかな。ただ、安全保障課も中々尻尾掴めないみたいでさ、油断させないと現れてすらくれなさそう」
「なるほどね。どうにかこっちも違法魔術を求めるフリをしないといけないってか」
「そーいうこと。こっちまで幻覚かかっちゃうわけはいかないし、証拠もないから踏み出せない。
ただそんな囮捜査を安全保障課では出来ないから、それで緊急招集で依頼がきたってわけ」
そうリュカが言い終えた瞬間に、リュカの指先から閃光が瞬き、レイの方へ指先を向ける。
その時、微弱な青い電流がレイの身体へと放たれるが、その電流がレイのすぐ手前で音もなく消失していく。
「おい、やめろよ」
「ほんっとーにいつ見ても不思議だよね。魔術を消しちゃうなんてさ」
リュカが不思議そうな表情でレイを見る。
リュカの指先にはチチチ、と音を慣らしながら青い電流が揺れている。
またリュカの指先を青白くマナが纏っているのが見えた。
レイの特異体質である魔術を打ち消す力。
受け付けない、ではなく掻き消すと言った方が正しいのかもしれない。
そんな中、レイはマナの影響を一切掻き消す存在だった。
その反面、自分でマナの取り扱いを一切できないため、一部の生活に関しては不便を強いられる。
「ったく。ま、とりあえず行ってくるよ。で、この男の行動パターンは?」
「デバイスに送っておくよ。詳しいことはそっちで。今は店にいるだろうから、出来たら店終わりの時間で接触するのが1番だろうね。近くにエリスと一課も控えてるから、エリスと協力して安全保障課に引き渡ししてもらえれば」
「了解」
「一応僕もリアルで追っているから、その時は連絡する。受信機はしといてね」
リュカがモニターに向かって操作を始めると、レイはそのまま背を向けて部屋を後にした。
階段を下りる足音が響き、建物を出るとレイは大通りに出た。
夜の空気は冷たいが、街の喧騒は全く冷めていない。
路地を抜けて大通りに出ると、そこにはネオンの光が乱れ飛び、まるで昼間のように街が生きていることを感じさせる。漏れ出す歓声や音楽、足音とともに響くサイレンの音。それらが混じり合い、まるで一つの大きな音の渦のようにレイの耳に流れ込んでくる。
携帯を取り出し、目的地を確認する。
歓楽街までは数キロの距離だ。レイは周囲を見渡し、無人タクシーが通りかかるのを待つ。
タクシーが通り過ぎると同時に手を挙げ、そのまま無人の車両を止めた。
ドアがスムーズに開くと、無言で乗り込み、行き先を入力する。
タクシーは音もなく走り出し、窓から外の景色が流れ始める。
光の帯が街を横切る中、ネオンの色とりどりの光がまるで巨大なアートのようにレイの目の前に映し出される。
頭上にはマナを街中へ運ぶ魔術管が魔術紋を浮かべ、発色をしながら流れている。
輝くビルの窓、通りの先に続くランプの明かり、どこからともなく漂う香りが混じり、レイの意識はその美しさに一瞬引き寄せられる。
道を行くと、目の前には清掃用の電動ロボットが静かに通りを掃除している。車道に目を向けると、周囲の車も静かに流れていき、どこもかしこも整然としているように感じられた。
まるで完璧に作られた街のようだが、それでも人々は歩き、会話し、手を振る者もいる。
レイが今まで住んでいた場所とは全く違う、この街の雰囲気にレイはひときわ目を引かれる。
窓の外に視線を移すと、道は街路樹が続く通りに入り鮮やかな緑を広げ、夜の闇の中でもその生命力を感じさせてくれる。
ビル群の間に枝を伸ばし、冷たい風がそれを揺らすと、葉っぱがざわりと音を立てる。
その光景に、まるで自然の中にいるかのような不思議な安堵感を覚えた。
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タクシーはしばらく走り続け、15分ほどで賑やかなエリアに差し掛かる。
道行く人々が、まるで夜が昼のように活発に歩き回っている。
背の高いヒールを履いた女性たちが通り過ぎ、派手な装飾をした男性たちがグループで笑い合っている。
何人かは明らかにあまり健全な商売をしていない様子で、やけに目立つ服装と鋭い目つきが気になった。
街の華やかさに反して、その周囲には少し影が差し込んでいるようにも見えた。
このエリアに足を踏み入れると、街の顔が一変したように感じる。華やかで、どこか裏社会の匂いが漂うこの場所は、レイがこれから足を踏み入れようとしている世界そのものであるかのようだ。
「お兄さん、ちょっと遊んでいこーよ」
丈が短く、胸元が強調されたワンピースを着た2人組の女がレイに声をかける。
おそらくレイより上だが、同年代の若い女だった。
気候とは合わず、レイは思わず寒そうだな、と思う。
「悪い悪い、今から行くとかあんだ」
「えー、どこ?」
「Fifty Mils、だっけな」
「えー、意外とヤンチャなとこ行くんだね。」
「そうなのか?」
「初めて?賑わってるし、人も多いけどなんかギラギラしすぎてるっていうか、ちょっと危ない感じなんだよねー」
「そっか。ありがと。友達呼ばれてるからさ、次会った時はお姉さんとこ行くよ」
「ほんと?待ってるよー!」
さらっと返しながら手を振りながらレイは進んでいく。おそらくこの先を行った先の角を曲がったところだ。
酒とやけに甘い匂いが漂う人混みを抜けながらレイは進んでいく。
200mほど進んだ先の角を曲がったところにオープンテラスになったバーがあり、看板にはFifty Milsの文字が。
「ここだな。とりあえず入ってみるか」
入り口が大きく開放されているのと、入り口近くにカウンターがあるショットバーの形式になっているバーだった。
建物は3階建て。2階も開放されていてテラスからは人の笑い声が聞こえる。音楽は流行りの曲が大音量が流れており、確かに賑やかであった。
「さ、とりあえずは一杯飲んでからっと、」
そう呟いてレイが店に入ろうとした際、左腕をくいっと引っ張られ後ろを振り向くと明るいブロンドを青いリボンで一つに括り、気の強そう瞳が印象的な女性が声をかけた。
「レイ」
「お、エリス」
お、じゃないわよ。とエリスが返すと、そのままレイの腕をひき、店の向かいにある路地の方へ進んでいく。
辺りは隠れ家といったバーのネオンが光り、表通りと打って変わって人の気配はほとんどない。
はぁ、とエリスがため息をつくとキっとレイを見つめる。
「いきなり店に入ってどうすんのよ。店が終わるにはまだ時間があるのよ」
「とりあえず店の様子見て、どんな感じかと思ってさ」
「バカ。リュカから行動パターンも送られてるんだからそこに合わせて動くの。余計なことはしないで。まだ表沙汰には出てないけどけっこうな被害出てるのよ」
ふぅ、と声をつくとエリスはポケットから取り出し受信機を左耳につけるとデバイスを取り出し操作をする。
「リュカ?こっちはレイと合流したわ」
そうエリスが声をかけると、レイもポケットから受信機を取り出し左耳に装着した。
『合流できたんだね。よかった』
リュカの穏やかな声がイヤホン越しに響く。
「そっちはどう?」
エリスが手短に尋ねると、少しの間を置いてから返答があった。
『うん。例の男、二時間ほど前に店内奥のカウンターで確認できた。どうやら常連みたいで、怪しい動きは今のところない。ただ、さっき店員と何かをやり取りして、何かを渡してた。道路からの監視カメラの画質じゃ、それが何かまではわからない』
「渡してた? 魔術の元か?」
レイがすかさず反応する。
『どうだろうね。マナの感知はできなかった。ただ、エリス、君の感知ではどう?』
「今はちょっと距離があるから、はっきりとは分からない。でも、あの手の魔術なら接触型か拡散型。拡散タイプなら、多少の残留反応があるはずだけど……ここからじゃ感知できないわ」
リュカの声が少し低くなる。
『うーん、……中に入らないとわからないか……。』
レイは腕を組み、店の明かりが反射するガラス越しに中を見やる。
「なら、現物を確認して動いた方がいいな。俺が中に入って様子を見てくるよ」
即座に、エリスが首を振った。
「ダメ。それはさっきも言ったはず。まだ早いわ。今の時点じゃ証拠が不十分。安全保障課が踏み込めない理由も、そこにあるんだから」
レイは渋々ながらも頷いた。
「わかったよ……じゃあ、どうする?」
エリスがリュカの言葉を引き取るように口を開く。
「まずは、周囲に接触者がいないかを確認して。店員に何か渡してたなら、その物が見つかるかもしれない。バーの外に張り付き役がいる可能性もあるわ。あと、例の男がトイレや裏に下がるタイミングを狙って追尾できれば、その時に動く。目立たないように」
通信越しに、リュカがモニターを操作する微かな音が聞こえた。
『裏口の構造を今送る。逃走経路も割り出しておくから、もし奴が動いたらすぐに追えるようにしておいて』
レイはイヤホンを軽く押さえながら、肩の力を抜く。
「まったく……こういう“待ち”の時間が一番疲れるんだよな」
「文句言わないの」
エリスがレイの肩を軽く叩いた。
バーの向かいの路地裏。騒がしい繁華街の只中にあるその一角で、ふたりの影がひっそりと身を潜める。人の流れが作る喧騒の波の中、そこだけが静かに時間を止めているかのようだった。
『よし、こっちは準備完了。ただ、Fifty Milsの一角で、マナの動きが不自然に濃くなってる。通常のマナの反応じゃない。おそらく、違法魔術だ』
リュカの緊迫した声がイヤホンを通じて二人の耳に流れる。
「オーケー。じゃあエリスはそのまま外から見張っててくれ。どうせ誰かが中に入らないといけないんだし、幻覚魔術なら魔術が効かない俺が入った方が得策だ」
「そうだけど……やっぱり危ないわ」
『……そうだね。どちらにせよ今なら現行犯で捕まえられるかもしれない。チャンスかもね』
リュカの声にエリスはでも……と声をかけるがその様子を見てレイが口を開く。
「なんだ? エリス、心配してくれてるのか?」
「バカ。茶化さないで。影の住人が絡んでる可能性があるのよ。ひとりじゃダメ」
エリスは真剣な眼差しでレイを見つめた。
しかし、レイはその視線から逃げるように背を向け、ゆっくりと歩を進める。
背中越しに、軽くピースをして見せながら。
「だからこそ、エリスとリュカ、一課もいるんだろ。何かあれば前に教えてもらった合図送るし、何事もなけりゃ、サクッと一杯飲んで戻ってくるからさ」
エリスは複雑な表情を浮かべながらも、それ以上何も言えなかった。
レイは路地を抜け、表通りに出る。人通りは相変わらず多く、Fifty Milsにも、さっきより多くの客が入っているようだった。
若い男女が中心で、特に目立つのは10代後半から20代前半のグループ。入り口すぐには横長のバーカウンター。さらに奥にはオープンテラスが広がっており、そこにはハイテーブルが4卓。グラスを傾け、声を上げて笑い合う男女たち。ナンパ目的の男グループと、誘われ待ちの女子たちの姿もちらほら見える。
――ヤンチャな店ってのは、たしかにその通りだな。
そう思いながら、レイは先ほどのキャッチの女の言葉を思い出していた。
人混みをすり抜け、レイは店内へと足を踏み入れる。
「エールを一つ」
カウンターで一つ注文し、持っている携帯で支払いを済ませるとエールを飲みながら店内をぶらつく。
大音量の音楽で薄暗い照明では人との距離も自然近くなり、よく見てみると男女の距離もかなり近いようだった。
思ったよりも奥行きがあるようで奥はより一層照明が落とされており、奥のモニターでは流行りのミュージックビデオが流されていた。
レイは一通り辺りを見渡すが、おそらくこの1階部分には特に異変は見受けられない。
またターゲットになっている男の姿もない。
不自然にならないよう、女性を物色するように見えるように辺り時々アイコンタクトなどを送りながらレイはフロアを歩き、奥の階段へと向かう。
階段をのぼり、途中の階段の踊り場では酒に酔ったのか若い男女が密着して壁にいる女がレイを見てニッと笑う。
レイは肩をすくめながら笑みを返すとそのまま2階へとあがり、三階へと続く階段を見ると、異様なマナが蠢いているのが見えた。
紫とグレーが混じり合ったような異様なグラデーション。
通常の生活では見ない、おそらくこの上が異常の原因であることは明らかだった。