26
「これから水を汲みに行きます。汲んだ水を祭壇に捧げ、祈りを捧げ、聖水を精製します。
その後、工場へ届けて、朝食をとって一日を始めます」
夜明け前の冷たい空気の中、四人は工場の敷地内にある教会へ来ていた。
昨晩ルドルフに連絡し、教会へ朝を伺う旨を伝えた際に、集合時刻が早朝どこから夜明け前の出発だとわかったのが昨日の夕食時。その時間を聞いてジェフとリュカが項垂れたのがおおよそ数刻前。
今、まだ辺りが暗い中修道士が淡々と説明しているが――
「……ふわぁ……」
あくびをするジェフに目をこするリュカの姿。
「……寝てるわけじゃないよ……」
ジェフとリュカは、目をこすりながら半分夢の中。
早朝スタートに、完全に体が追いついていない様子だった。
修道士たちの朝は、とにかく早い。
それに付き合う羽目になった特別工作室のメンバー――特にジェフとリュカの二人は、まるで抜け殻だ。
「ほら、ジェフ、リュカ。シャキッとしなさい。それにジェフが昨日言ったんでしょ」
エリスが呆れたように注意する。
「いや、こんな朝早いのは想定してたけど、さすがに無理やて……」
「この時間、普通は寝る前だよ……」
リュカとジェフは揃ってうなだれる。
あまりに弱々しいその姿に、レイが思わず苦笑した。
「エリスは平気そうだな」
「まあね。ネストリアにいた頃は、毎朝父の仕事を手伝ってたし。朝は得意なの」
エリスは胸を張る。
レイも軽く頷きながら応じた。
「俺も、まあ……朝は平気だ」
「朝ってレベルちゃうでこれ。ほぼ真夜中やん。次の日休みやったらまだ飲んでるわ。」
「ジェフは不健康すぎるんだよ」
「それはリュカもやろ!」
お互いツッコミ合いながら、ぐでぐでと立ち尽くす二人。
エリスは呆れたように肩をすくめた。
そこへ、修道士が棒に吊るした木樽を持って現れる。
「では、これから奥の山へ水を汲みに向かいます。皆さんにもぜひ、お手伝いを」
ニコリと微笑みながら樽を差し出す修道士。
その瞬間――
「ええっ!? 力仕事は聞いてないって!」
リュカが目を見開いて絶叫した。
「リュカ、私も一緒にやるから。大丈夫」
エリスがフォローすると、リュカはしょんぼりと木樽を受け取る。
レイも手に持ってみると、予想以上にずっしり重い。
「うわ、地味にきついなこれ……」
「帰りはこれ、満タンの水入りよ? 覚悟してね」
エリスの笑顔が、妙に悪魔的に見えた。
リュカはさらに肩を落とし、ジェフは無言で遠い目をする。
苦笑するレイとエリスを目に、リュカとジェフの二人は、よろよろと木樽を担ぎ、教会裏手の森へと入っていった。
ーーーーーーーーー
「ほんっとうに疲れた……」
戻る頃には、東の空が白み始め、教会の敷地にもやわらかな朝日が差し込んでいた。
リュカは木桶を地面に置くなり、その場にぺたりと座り込む。
「リュカも少しは動かなあかんってことやな」
ジェフがにやりと笑って肩を叩く。
「僕はインドア派なの。筋肉バカのジェフと一緒にしないでよ」
「誰が筋肉バカやねん!」
息の合った二人のやり取りに、レイは小さく笑いながら汲んだ水を運び始めた。
工場の裏手に佇む教会へ、木桶を慎重に運び入れる。
祭壇前には、すでにいくつかの桶が並べられ、周囲では修道士たちが祈祷の準備を進めていた。
「助かりました。最近は人手が減って、何往復もしなければならなかったのです。今日は一度で済みました」
礼を述べる修道士は、どこか疲れた顔をしていたが、それでも柔らかい笑みを見せた。
レイたちは案内されるままに、並べられた木製の椅子に腰掛ける。
教会内は、静かな朝の光に満たされていた。
壁には古びた聖句が刻まれた石板が並び、天井から吊るされた燭台には無数の蝋燭が灯され始めている。
修道士たちは、手慣れた様子で祭壇の掃除をし、香炉に香を焚き、一本一本慎重に蝋燭へ火を灯していった。
ぽう、と柔らかく立ち昇る白煙が、朝の冷たい空気に混ざる。
工場勤務の信徒らしき数名も、ひっそりと席に着き、静かに手を組んで祈りの準備をしていた。
「では、これより朝の祈りを行います。皆様もご一緒にお願いいたします」
祭壇前に立つ修道士の静かな声が教会に響き、朝の儀式が始まった。
最初に読まれたのは、マナ信仰の経典だった。
低く、歌うような調子で朗読される声が教会の天井に反響し、レイにはその声とともに、空気中にふわりと漂う白いマナが見えた。
教会全体が、徐々に聖なる光に満たされていく――。
空気が震え、肌に触れる感覚すら変わるのを、レイははっきりと感じた。
(……これが、この場所の「力」か)
隣でエリスも目を閉じ、そっと両手を組んで祈っている。
リュカとジェフも、眠そうながらも真面目に手を合わせていた。
「では、最後にマナの女神へ祈りをお願いいたします」
朗読が終わり、修道士の言葉とともに、場に深い沈黙が落ちた。
参列者たちは目を閉じ、静かに祈りに集中している。
その時だった。
レイの目に、祈る人々の胸元からふわりと白いマナが立ち上るのが見えた。
それらのマナはやがて一本の細い流れとなり、祭壇の女神像──だけでなく、その両隣に立つ男神像へと吸い寄せられていく。
けれど、異様だったのは――
右側に立つ男神の像へ、異様なほど多くのマナが吸い込まれている。
しかも、祭壇前に立つ修道士自身の身体からも、大量のマナが引き寄せられていた。
(……あれは、明らかにおかしい)
冷や汗が背を伝う。
レイは椅子から勢いよく立ち上がった。
「ちょっと、レイ!」
エリスが小声で呼び止めるが、レイは構わず祭壇へと向かって進んだ。
目を閉じていた信徒たちが、次々と顔を上げ、不安そうにざわめき始める。
隣同士でひそひそと囁き合う声が、次第に大きくなり、異変を感じ取った修道士たちが、慌ててレイを制止しようとする。
「祈りの時間ですよ。どうかお座りください!」
「そこだ。あの像が……異常にマナを吸ってる。それに、あなたのマナもだ」
「そんな……ありえない!」
レイは静止の声も無視し、男神の像の前に立つ。
胸元のあたり――そこに、マナを異様に吸い込む一点があった。
像の表面が、かすかに揺れている。
まるで水面に触れたかのように、波紋のように、静かに、しかし確実に。
レイは揺れる表面に手を伸ばし、そっと触れた。
――パキッ。
小さな、しかし乾いた音が教会中に響き、マナの流れが一瞬にして乱れた。
漂っていた白いマナが、まるで水面に石を投げたかのように揺らめき、教会内に不思議な波紋を描き出す。
「レイ、もしかして……それか?」
ジェフが驚きに目を見開き、リュカとエリスも身を乗り出した。
レイは祭壇の前に立ち尽くしながら、ゆっくりとうなずく。
「この男神の像へマナが集まっていくのが見えた。どちらかと言うと、吸収しているようだったな」
「吸収?」
リュカが問い返す。
レイは小さく頷き、説明を続けた。
「ああ。祈祷が始まったとき、教会の中にマナが満ちたのが見えたんだ。でも最後の祈りのタイミングで、右側の像が空気中だけじゃなく人からもマナを吸い上げているように見えた。今俺が触れたら、その流れが止まった」
「その男神の像に、何か……?」
控えめな声で、修道士がレイに尋ねる。
「いや、正直言ってわからない。ただ、あんた、大丈夫か? さっきかなりマナを吸われてたみたいだが」
修道士は少し顔をしかめ、胸に手を当てた。
「……確かに、身体が少し重いような気がします」
レイはジェフと視線を交わし、互いに頷いた。
「ちなみにこの像、前からここに?」
「……確か四ヶ月ほど前に、ヴァルター氏がセラフィダの大聖堂から送ってきたと聞いております」
その言葉に、リュカが声を上げた。
「体調不良が出始めた時期と一致するね」
「ってことは、ヴァルターが何か細工してるって考えてよさそうやな」
ジェフの言葉に、レイは男神の像の背後に回り込み、細かく観察する。
ローブのように彫られた裾の一部に、小さな穴があるのを見つけた。
「……鍵穴か?」
「ちょっと見せて」
リュカが身を乗り出し、穴を覗き込む。
「うん、鍵穴みたいだね。ここに鍵を差し込むと開く構造になってる。一体中に何が?」
「開けてみるか?」
ジェフが提案すると、リュカは少し考え込んだ。
「うーん、鍵の形状がわかればいいんだけど……。一度中をスキャンしてみようか」
リュカがデバイスを取り出し、ジェフに目配せする。 ジェフは力強く頷いた。
「頼むわ、リュカ」
すると、祭壇の奥からこちらの様子を伺っていた修道士が、やや慌てた様子で声をかけた。
「……あの、よろしければ、隣の小部屋へ運びましょうか? こちらは聖堂ですので……」
周囲の信徒たちも、不安そうにざわつきはじめていた。
空気が徐々に張り詰めるのを感じながら、レイたちは顔を見合わせた。
「ああ、すまんな。祈りの場を騒がせて悪かった。ちょっと借りるで」
ジェフが修道士に軽く頭を下げ、レイと二人で像を慎重に持ち上げる。
信徒たちは道をあけながらも、興味と恐れが入り混じった視線を向けてきた。
──こうして、レイたちは男神の像を隣の小部屋へと運び入れた。
部屋に入ると、リュカがすぐさまデバイスをかざす。
足元に小さな魔術紋が浮かび、やがてホログラムに像の内部構造が映し出された。
「中は空洞だな……。でも、鍵穴のあたりに何かある」
リュカが指をさす。
「これは?」
エリスが問いかけると、リュカは眉を寄せてホログラムを睨みつけた。
「……これ、小さいけど、マナの結晶だと思う」
「結晶って……相当なマナを凝縮しないとできないものよ」
エリスが息を呑む。 リュカは小さく頷いた。
「たぶん、この像はマナを吸い取り、内部で結晶化させる仕組みが施されてる」
「……なら、昨日ヴァルターはここに溜まった結晶を回収していったってことか」
ジェフが苦々しげに言うと、レイも表情を引き締めた。
「ああ。マナの流れを見た限り、間違いない」
「でも……ヴァルターは、何のためにマナを集めてるんや?」
「それは、ヴァルター本人に聞くしかないな」
レイが短く答えた。
「なら、ルドルフさんにも相談しよう。ヴァルターについて何か知ってるかもしれん」
三人がうなずき合い、四人は小部屋を後にし、事務所へと向かっていった。