25
レイとジェフはネストリアに戻り、広場でバスを降りた。そのちょうど同じタイミングで、ジェフのデバイスが震え、音を立てた。
「お、リュカやわ。向こうも終わったんちゃうか」
そう言いながら、ジェフはレイに目をやり、通話に出る。
「もしもし、リュカか?」
『そっちはどう?』
「おー、こっちは終わって、今ネストリアに着いたとこや。そっちは?」
『こっちも大体確認できたよ。それと、エリスのお父さんが教会の空いてる部屋を使っていいって言ってくれてるから、一度ネストリアの教会に集まろうか?』
「おー、それは助かるな。ほな、そっち向かうわ」
通話を終えたジェフはレイに向き直る。
「向こうも終わったみたいや。それにエリスの父ちゃんが、教会の空いてる部屋を使ってええって言うてくれたみたいやわ」
「了解。なら、そっちに向かおう」
「せやな」
時刻は間もなく夕刻。 駅前の広場では、多くの人が家路へと急いでいた。
近くの通りは市場になっているらしく、賑やかな人だかりが見える。
二人は教会へ向かうバスを見つけると、そのまま乗り込んだ。
ーーーーーー
教会は町の奥へ進んだ先にあった。
古びた石畳の通りを抜け、開けた場所へ出ると、そこに石造りの重厚な建物が姿を現す。
ネストリアの中でもひときわ古い歴史を感じさせる、荘厳な佇まいだった。
二人が近づくと、教会の中からは神聖な気配が漂ってきた。
白く淡いマナの粒子が、空気中に光のヴェールのように浮かんでいるのが見える。
中へ入ると、静寂の中にかすかな祈りの声が響いていた。
高い天井、色褪せたステンドグラス、微かな香の匂い。
正面の祭壇にはマナの女神の像があり、町の住人だろうか。何名かが椅子に座り祈っている姿を抜ける。
二人が辺りを見渡すと、それに気づいて若い修道士が二人へと近づき話しかける。。
「もしかして、特別工作室の方ですか?」
「そうや。うちの連れも先に来てるはずなんやけど」
「エリス様のお連れ様ですね。隣の小部屋へ案内しますので、どうぞこちらへ」
修道士に案内され、礼拝堂を静かに抜ける。
時間が止まったような空間を通り抜け、奥の小部屋へと向かった。
部屋の中では、すでにエリスとリュカが座って待っていた。
「お疲れ様。こっちへ座って」
エリスに促され、レイとジェフも空いた椅子に腰を下ろす。
若い修道士は軽く礼をすると、扉を閉めて去っていった。
「すごいな……本物の教会だ。お父さんがここの司祭なんだっけ?」
「ええ。うちは代々、司祭を務める家系なの」
窓から差し込む夕陽が、白いマナの粒を金色に染めていた。
小さな部屋に漂う静かな空気が、どこか守られているような感覚を与える。
一息つくと、リュカが口を開いた。
「じゃあ、情報共有といこうか。工場の方はどうだった?」
リュカの視線を受け、レイが答える。
「ああ、工場そのものは特に問題なかった。ただ……中にある教会が少し怪しかったな」
「怪しい?」
リュカが身を乗り出す。
「工場の専務、ヴァルターって男に会ったんだけどな。そいつが教会に入った後、教会内のマナの量が不自然に減ったんだ」
「減った……?」
「ああ。最初に入ったときは、聖なる気で満ちてて白いマナが漂ってた。けど、ヴァルターが出てきた後、明らかに量が減ってた」
ジェフも肩をすくめる。
「それに、めっちゃ嫌なやつやったわ。あんな上司の下で働くんはごめんやな」
リュカが苦笑を漏らす。
続いてジェフが尋ねた。
「そっちの治療院は?」
「うん。体調不良は三ヶ月くらい前から発生してるみたい。今治療院にいる修道士は四人で、全員マナの流れが乱れてることが確認できた」
エリスが補足する。
「かなり弱ってる人もいて、ベッドから起き上がるのもやっと。話すのも精一杯な状態だったわ」
「ただ、時間が経てば少しずつ回復はするみたい。でも、普通に食事をしてるだけなら、あそこまでマナが枯渇することはない。まるで、体内のマナを直接吸い取られたみたいなんだ」
レイは少し黙り込み、考え込んだ。
「ちなみに……体調不良になったタイミングは分かるか?」
問いかけにリュカがデバイスを操作し、ホログラムを浮かび上がらせる。
「大体午前中に症状を訴える人が多い。……で、よく見ると、教会で祈祷を受けた後に倒れたって人が二人いる」
レイとジェフが顔を見合わせる。
「なあ、教会の祈祷って、そんなに気力を消耗するもんなんか?」
ジェフがエリスに尋ねる。
「もちろん、女神様に祈りを捧げる以上、多少はマナを消費するわ。でも、普通は倒れるなんてあり得ない」
「なら、やっぱり教会が怪しいな。明日、祈祷の時間に合わせてもう一度見に行こうか」
「了解」
四人が頷き合ったその時、ノックの音とともに部屋の扉が開く。
白いローブを纏い、ブロンドの髪を下ろした中年の男性が入ってきた。
「エリス、皆さん、ようこそお越しくださいました」
エリスが男の方を見て思わず微笑む。
「お父さん」
三人はその言葉と共に慌てて立ち上がると、ジェフが軽く頭を下げて挨拶をする。
「すみません、お邪魔します。安全保障局・特別工作室のジェフリー・ジェームズです。そして、こちらは同じく特別工作室のリュカとレイです」
二人は紹介と共に頭を下げた。オルベルトは穏やかな笑みを浮かべながら応える。
「いつもエリスがお世話になっているね。オルベルト・ファーレンハイトです。遠いところ、よく来てくださった」
「そんな、こちらこそお世話になっておりますわ。それに、修道院の部屋も使わせていただけるみたいで」
「いいんだよ。こちらも治療院で倒れる修道士たちのことが気になっていたんだ。原因がわかるなら、こちらこそありがたい」
オルベルトはふと、レイに目を向けた。
「君は……何か不思議な力を持っているようだね」
その声には、にわかには隠しきれない驚きと――祈るような静けさが宿っていた。
年輪を重ねたまなざしが、じっとレイを映す。
「君の中から、何かを守るようなマナを感じる。……いや、それだけではない」
オルベルトは目を細め、まるで神殿に捧げるときのように胸に手を当てた。
その仕草に、レイは思わず身じろぎする。
「清らかで、温かくて……まるで、女神様の御手が直接触れたかのような」
何かを見透かすようなその視線に、レイは戸惑いながら体を硬くした。
すぐにエリスが助け舟を出す。
「お父さん、レイは特異体質なの」
「特異体質?」
オルベルトがゆっくりと問い返す。
だが、彼の声は先ほどよりもずっと低く、柔らかかった。
祈る者が、奇跡に触れたときの声音だった。
「近づく魔術をすべて消してしまうの。私も初めて見たわ」
「……なるほど」
オルベルトは静かに頷く。
そして目を伏せ、小さく胸の前で手を組んで祈るようにレイを向く。
「まるで女神様の御心が、君を守っているかのようだね」
その言葉には、ひとときの疑念も、打算もなかった。
ただ純粋に、レイの存在を畏敬し、祝福する気持ちだけが満ちていた。
ふむ、と静かに息をつくオルベルトを見ながら、レイはそっと自分の手を見つめた。
その小さな掌に――本当に、そんなものが宿っているのだろうか。
少しの間訪れる沈黙にオルベルトが気づいたように口を開く。
「……水を差してしまってすまないね。私にできることがあれば、何でも協力したい」
「ああ、それなら――ヴァルター・ノヘイルについて、少し教えてもらえへんか?」
ジェフの問いに、オルベルトは頷く。
「マナテック工場の専務だね。昔は気弱な人だったが、まるで別人のように横暴になり始めた。四年前、工場の立ち上げの際には、教会の修道士を無理に連れて行こうとして少し揉めたんだ」
「気弱?信じられへんな……」
ジェフがレイと顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべる。
「もともとはネストリアにある商店の息子だった。七年前に店を閉め、しばらく消息不明だったが、四年前に工場の立ち上げと共に戻ってきた。それからは羽振りも良くなったみたいだ」
「確かに、いかにも成金って感じだったな」
オルベルトは苦笑いを浮かべる。
「正直なところ、工場で薬品が作られ、多くの人に届けられるようになったのはいいことだと思っている。ただ、どうにも商売っ気が強くてね。信徒としても、あまり信頼できる人物とは言えない」
「なるほど……。ちなみに、彼の普段の様子についてはご存知ですか?」
ジェフがさらに尋ねる。
「普段の動向まではわからないな。ただ、最近は定期的に郊外へ向かう姿をよく見かけるよ」
ジェフは何かを考えるように黙り込み、やがて口を開く。
「……まあ、何にせよ明日、もう一度工場へ行って調査する必要がありそうやな」
「それなら、今日はもうゆっくり休むといい。長旅で疲れているだろう。部屋の準備もできているから、いつでも使ってくれて構わない。都会暮らしの方には不便かもしれないが」
「いえ、助かります。な?」
ジェフがレイとリュカの方を見て同意を求めると二人も頷いた。
「私は実家の方で過ごすわ。それに、良かったら母も食事を用意しているから、よければ一緒にどうかしら」
「お、それはありがたいな」
「エリスの同僚の方が来るなんて滅多にないことだからな。ぜひ、ゆっくりしていってくれ」
オルベルトの言葉に、三人は揃って頷き、それぞれ荷物をまとめ始めた。
教会を出ると、空は茜色に染まり、遠くの山の稜線が柔らかく霞んで見えた。
石畳の道に伸びる影は長く、町全体が穏やかな静けさに包まれつつある。
エリスは懐かしそうに小道を指差した。
「こっちよ。実家は教会からすぐなの」
レイとジェフはそれぞれ小さな鞄を手に、エリスの後について歩き出す。
教会裏の小道を抜けると、そこには古びたが手入れの行き届いた一軒家があった。
白壁に葡萄の蔦が絡まり、小さな庭にはハーブや花が植えられている。
「これは……いい家だな」
「落ち着く感じやなぁ」
レイとジェフが声を漏らすと、エリスは少し照れたように笑った。
「ありがとう。古い家だけど、母がずっと大事にしてきたの」
玄関の扉を開けると、温かい香りがふわりと鼻をくすぐった。
焼きたてのパンと、香草のスープの匂いだった。
「おかえり、エリス!」
キッチンから出てきたのは、優しげな笑みをたたえた女性だった。
栗色の髪にエプロン姿で、エリスと同じ青みがかった灰色の瞳をしている。
「お母さん、ただいま!こっちはジェフとリュカ、それにレイ。特別工作室の仲間よ」
「まあまあ、遠いところをよく来てくださいました。さあ、どうぞ上がって」
促されるまま靴を脱ぎ、家に上がると、木造の床の軋む音すら心地よく感じた。
リビングには古びた暖炉があり、壁には家族写真が飾られている。
テーブルの上にはすでに夕食の支度が整えられ、湯気の立つスープと焼き立てパン、素朴な煮込み料理、あとはテーブルには数品が並んでいた。
「どうぞ、遠慮しないで」
そう言われ、レイとジェフは席に着く。
温かな食卓に、自然と表情も緩んでいった。
「……こういうの、久しぶりかもな」
レイがぽつりとつぶやくと、ジェフも頷いた。
「うん……。家族の温もり、ってやつやな」
エリスの母はニコニコしながら、パンを手渡してくれた。
「明日からまた大変でしょう?今夜はしっかり食べて、ゆっくり休んでね」
エリスの家族に囲まれながら、レイたちはしばしの安らぎを得るのだった。
外では、茜色だった空が少しずつ群青へと変わり、星が一つ、また一つと瞬き始めていた。