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バスに揺られて四十分ほど。ネストリアの町の中心部を抜け、郊外へと入ると、周囲は農地や草原が広がるのどかな風景へと変わっていった。近くの山からは川が流れ、自然豊かな場所だった。

そんな風景の中に、突如として現れたのは近代的な施設だった。


「見えたで。あれがマナテックの工場や」


ジェフがバスの窓の外を指さす。


「こんな場所にあの建物……さすがに違和感あるな」


レイが苦笑する。


「せやろ。エリスも言ってたけど、建設時には結構な反対運動があったみたいやわ」


自然の中にぽつんと立つ白い巨大建造物は、風景に馴染んでおらず、どこかちぐはぐだった。

バスが工場の手前で停車し、二人は降りて施設の正面へと歩いていく。入り口には守衛が立っており、ジェフがデバイスを操作して身分証を表示する。


「安全保障局、特別工作室の者や。工場長とアポイント取ってるんやけど、通してもろてええか?」


守衛は端末を確認し、うなずいた。


「はい、確かにお伺いしています。どうぞお通りください」


門をくぐると、右手に大きな倉庫が二棟、正面には小さな二階建ての建物が見える。おそらく事務所だろう。

その奥には、ひときわ大きな工場がそびえ立っていた。さらに奥には、近代的な作りとは場違いな石造りの教会が見えた。


「あれは……教会か」


レイが目を細める。


「ああ、修道士たちが使っとる教会や。聖水も、あそこで作られてるらしい」


二人は正面の建物へと入り、出迎えたのは四十代ほどの、穏やかな表情をした男性だった。


「ああ、ジェフ。わざわざすまないね」


「ルドルフさん、待たせてしもたな」


「いや、こちらは問題ない。そちらの青年は?」


「ああ、こっちは同僚のレイや。今回の件で協力要請して、特別工作室のメンバーを全員連れてきた。残りの二人は治療院の方へ行ってもろてる」


「そうか。レイ君だね、遠いところありがとう」


「いえ、とんでもありません。特別工作室のレイ・アルヴァです」


ルドルフは笑顔を見せたが、目の下には濃いクマがあり、疲労の色を隠せない様子だった。


「それじゃ、早速工場を見せてもらおか。ルドルフさん、最近なにか変わったことは?」


「今のところ大きな異変はない。ただ、修道士たちは七名が体調不良で、そのうち四名が入院している。今日も工場内で何人か体調を崩してね。おかげで残った人員に負担がかかっていて、悪循環だ」


「そりゃあ大変やな。体調不良になった人たちは?」


「今は自宅で休んでもらってる。どうにも風邪のような症状らしいが、原因ははっきりしていない。とにかく、歩きながら話そう」


三人は建物を出て、工場棟へと向かう。


「そういえば、ジェフはどうやってルドルフさんと知り合ったんだ?」


レイが尋ねる。


「町のパブで偶然会ってな」


ルドルフが笑いながら続ける。


「七年前の違法魔術の事件について調べてるって聞いてね。話していくうちに、うちの専務──ヴァルターに関係があるかもしれないということで、協力することにしたんだ」


「そんなこと話して大丈夫なんですか?」


思わずレイが問いかけると、ルドルフは真剣な顔で答えた。


「食えない男でね。私もこの工場の立ち上げから関わってるが、あまり良い噂は聞かないんだ」


少しうつむき気味に続ける。


「セラフィダの大聖堂が承認してるし、給料もよかったもので入ったんだが、忙しさのわりに労働環境は一向に良くならない。周囲もなんだか気味悪がって人が集まらん。専務もたまに来るが、何をしてるのかさっぱりでね」


どこか諦めたような声だった。


「愚痴を言ってしまってすまない。さあ、では工場の方から案内しよう。気になる点があったら遠慮なく言ってくれ」


工場棟に入ると、三人は白衣を手渡され、それを羽織った。帽子や消毒液も用意され、衛生管理は徹底されているようだった。

薬品製造のフロアには二十名ほどの作業員が働いており、流れ作業のラインで傷薬などが生産されている。


「これは……すごいですね」


レイが感嘆の声を漏らす。


「ああ、以前は手作業だった薬の精製が、自動化によって飛躍的に生産量が増えた。多くの人に届けられるようになってね」


ルドルフは誇らしげに語った。


「どうや、レイ?」


ジェフが声をかける。


レイは周囲を見渡しながら答える。


「特に変わったところはないけど……あの大きなタンク、うっすら白く光って見える」


大きな容器に入ったタンクがありその周囲が淡く白く発光しているのが見えた。

レイはルドルフの方を向き尋ねる。


「あのタンクは、聖水ですか?」

「ああ、よくわかったね。あの中に精製用の聖水が入っているんだよ」


「聖水の周りが白く光っているのが見えるけど、そ今のところ異常は感じないな」

「そうか、ほなここは特に問題なさそうやな」


ジェフがこっそりとレイに言った後、ルドルフへと声をかける。


「ルドルフさん、こっちは大丈夫そうや。次、見せてもろてもええか?」


「ああ、なら次は奥の教会へ案内しよう」


三人は工場を出て、背後に山を背負うように建つ石造りの教会へと向かう。地方の村にある教会と変わらぬ大きさの、素朴な建物だった。


「この教会も工場と一緒に建てられたんですか?」


「ええ。聖水を作るために必要でしてね。この奥の山中に小さな水源があって、そこから水を汲んでいるんです」


教会の中に入ると、天井の高い空間に、小さな祭壇が置かれていた。そこには教会の紋章とともに、マナの女神を模した銅像が立ち、その両脇には女神を守るように二体の小さな男の像が並んでいた。


レイの目には、祭壇の周囲に淡く白いマナが漂っているのが見える。聖なる気が満ちている証拠だった。両側には礼拝用の椅子が並び、見たところ特に変わった点はない。


「明朝、修道士が山へ水を汲みに行き、ここで祈りを捧げて聖水を作ります。信仰心の厚い信徒も毎朝祈りに参加しています」


「普通の教会に見えるな。さっきのタンクと同じく、マナが漂ってるのは見えるけど……今のところおかしい点は見当たらない」


「そうか」


ジェフがふと尋ねる。


「そういえば、体調不良になった人って、具体的にどんな症状があったんや?」


「ええ。最初は倦怠感を訴えるんだが、だんだんと酷くなり、最終的にはベッドから起き上がれなくなるほど衰弱してしまう。ただ、熱や痛みといった症状はない」


「ってことは、やっぱり普通の病気じゃなさそうやな。前に治療院で見た時も、体内のマナが乱れてるようやったし……なにか、触れたり摂取したりして発症する原因があるはずなんやけどな」


「……なるほど。とにかく、隈なく調べてくれて構わない」


三人は教会内を隅々まで確認したが、レイの目にも異常は見当たらなかった。


そのとき──教会の扉が開き、工場の従業員と思しき人物が駆け込んでくる。


「工場長、失礼します。専務がお越しになられました」


「……なんだと? 今日は来る予定ではなかったはずだが……」


「至急確認したいことがあるとのことで、お呼びです」


ルドルフは難しい顔を浮かべ、レイたち二人の方を振り返る。


「すまない、少し席を外す」


そう言って歩き出そうとするルドルフに、ジェフが声をかけた。


「ルドルフさん、俺らもついてってええか? ちょうど気になることあるし、なんなら新しい従業員ってことにでもしてくれたらええよ」


「……そうか。ああ、わかった。一緒に来てくれ」


三人は教会を出て、工場入口近くの事務棟へと戻る。

建物の二階、応接室のような部屋に通されると、そこには恰幅のいい男がソファに深くふんぞり返っていた。

指には大ぶりの金の指輪が光り、ネクタイは場違いなほど派手な色。スーツも高級な仕立てだが、どこか成金じみた嫌味が漂っている。


「ようやく来たか、ルドルフ。案内だなんだと……ずいぶんと気楽な職場なんだな、ここは」


ヴァルターは嘲るように口元を歪め、脚を組み直した。


「……で? その後ろの連中は誰だ? 君の趣味か?」


「新しい従業員です。ちょうど館内を案内していたところでして、専務がお越しとのことでご挨拶をと」


「ああ、そう。紹介なんてどうでもいい。……それよりもだ、聖水の生産量が落ちてると聞いたぞ。人が足りない? 体調不良? 君、それで責任者を名乗れるのかね」


一切目を合わせず、レイやジェフを完全に“空気”扱いするヴァルター。

そのままルドルフに視線を固定し、声を少し低くする。

声の調子も明らかに苛立ちを含んでいた。


「……修道士たちに体調を崩す者が出ており、現在も欠員が続いております。生産への影響は避けられず、補充もなかなか……」


「“避けられず”ねぇ……それが責任者の言葉か? やれやれ、君もすっかり“現場に甘い”管理職になったもんだな。ネストリアにも修道士はいるだろう。どうにか連れて来たらどうだ」


「……ネストリアはファーレンハイト家の管轄ですので、こちらからは……」


エリスの家名が出た瞬間、レイとジェフが思わず目を合わせる。


「ファーレンハイト、か。……面倒な名前だな。だが君の仕事だろう? 私に口を出させるようでは困るよ。少しは自分の責任を果たしてくれたまえ」


言葉の最後には、乾いた笑いすら混じっていた。

そう言い終えると、ヴァルターは重々しく立ち上がる。


「もうお帰りになるのですか?」


「ん? ああ、もう十分だ。ネストリアで会食があるんでね。神の前に顔を出してから向かうとするよ、“敬虔な信徒”としてね?」


ニヤリと笑い、誰にともなく皮肉を飛ばしてから部屋を出ていく。

最後まで、レイとジェフには一瞥すら寄越さなかった。


扉が閉まった瞬間、ルドルフが大きくため息をついた。


「……あんなに嫌味なやつ、久しぶりに見たわ」


「数字と保身しか興味ないんだろう。こっちがどうなろうと知ったこっちゃないってことだ」


ルドルフの心労を察し、レイも思わず胃が少し痛むのを感じた。

レイは無言で窓際へ歩き、外を覗く。

ヴァルターがゆっくりと教会の方へ向かっているのが見えた。


「あんな信心深くもなさそうな男が、教会には寄るんだな」


「ああ、彼はここに来ると必ず教会へ顔を出す。……ただの習慣か、それとも何か理由があるのかは分からないが」


レイの視線が鋭くなる。


「やっぱり……教会に何かあるのか?」


「俺もそう思うわ。あんな趣味の悪い成金みたいな格好したおっさんが熱心な信者ってのは無理があるやろ」


「この後、もう一度見てみよう」


「せやな。何か変わったところがあるかもしれん。ルドルフさん、ええか?」


「ああ、もちろんだ」


しばらくして、ヴァルターが教会から出てくるのが見えた。 彼はそのまま、建物前に停まっていた黒塗りの車に乗り込み、門を抜けてネストリアの町の方へと向かっていく。


「出たな。行こか」


ジェフの一言に、三人は再び教会へと向かう。

扉を開け、レイが入るとまず感じたのは違和感だった。


「……減ってる?」


レイが、何かに気づいたようにぽつりとつぶやく。


「どうした、レイ?」


「いや……さっき来た時は、この辺り、もっとマナが満ちてたように感じたんだけど。今は……明らかに薄い気がして……」


祭壇の周囲に漂っていた白く輝くマナの粒子が、先ほどよりも明らかに少なくなっているように見えた。


「……ヴァルターが何かしたのか?」


「特に残滓があるわけでもない。痕跡らしい痕跡はないな。ただ、単純に……減った感じや」


ジェフが祭壇のあたりを見つめながら、思案に沈む。


「よし、とりあえず今日のところはここまでにしとこうか」


「ジェフ、もう調べなくていいのか?」


「ああ。今度は治療院の方を見てくる。……また何か気になることがあったら連絡するわ」


「ありがとう。こちらも何か分かったら連絡する」


レイとジェフはルドルフと簡単に別れの挨拶を交わし、工場を後にした。


道すがら、ジェフが口を開く。


「その、マナが減ったって話。やっぱ気になるな」


「ああ。普通は自然とゆっくり溶けていくものだけど……あれは、不自然だった」


「とりあえず今日はここまでやな。町に戻って治療院の様子と、ヴァルターの動きも確認しよか。に、してもほんまに嫌味なおっさんやったな」


そう吐き捨てるように言うジェフにレイも同意して頷く。

二人は再び来た道を戻り、ネストリアの町へと向かっていった。

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