22
どのようにして家路についたのか、レイには朧げだった。
彼はひとり、特別工作室のビルの共有部にある二階のリビングソファに座っていた。
窓の外では、いつの間にか朝日が昇り、明るい光が差し込んでいる。
レイの脳裏をよぎるのは先ほど出会った黒衣の男ーーゼオン。
幼い頃、共に故郷を過ごした幼馴染。
まだ引っ込み思案だった自分を連れまわし、村を共に遊びまわった思い出。
そして、村が襲撃されたあの日。自分を大木のウロの中へ隠し、緑の宝石を渡しそれ以来姿を消した。
あれから生死もわからず、行方不明となっていた幼馴染は今や黒衣のローブに身を包み、違法魔術に関わる事件の中心にいる。
また、一連の行方不明にも事件にもおそらく深く関わっており、今フィネストリアを覆う大きな陰謀の渦中にいることは疑いようがなかった。
また、あの時と違う銀髪の姿。やんちゃで快活だったあの時のゼオンとはまるで違う様子。
戸惑い、疑惑、ーーーだが生きていた。それに対する安堵感。
レイは複雑な気持ちを抱きながらも、自分の感情の置き処に悩む。
ただ、あの時のゼオンはどこか何か、重く苦しいものを抱えていた。
そして、だからこそ自分の元へやってきたのだった。
ーーーこれを持ってて。……ごめん。必ず助けるから
村の最後の日、ゼオンが去り際にレイへ口にした言葉が蘇る。
レイはただ静かに手首に光るブレスレットに視線を落とす。
あの時の言葉を、今も守っているとするならばーー
レイはブレスレットに手を触れる。
「悪いやつらは……全部、やっつけないとだな」
ぽつりと呟く。
それはゼオンが幼い頃、レイへ語った夢。
レイは何かを決めたように立ち上がり、リビングを後にするのだった。
ーーーーーーーーーー
安全保障局にある一室。そこに特別工作室のメンバーとブロウは集まっていた。
大掛かりな機械があり、レイは一つの部屋へ、ほかの四人はガラス越しにレイの姿を見守っている。
機械の台の上に立つと、リュカは機械を操作し始め、機械が動き始める。
「じゃあ、今からレイのマナの中の流れを見ていくね」
機械が上下に動き始め、「ピッ」という電子音とともにレイの身体をスキャンしていく。
同時に、リュカのデバイスにレイの体のシルエットとマナの循環経路が映し出された。
しばらくすると装置が停止し、スキャンの終了を告げる音が鳴る。
ガラス越しに、レイがリュカへ声をかけた。
「どうだった、リュカ」
モニターを見つめていたリュカが、しばらく黙り込んだ後に口を開く。
「生命反応に相当するマナ波形のスペクトラムは基準値内。全体の循環経路にも異常なし。それから……主要な導脈のエネルギーフローも過去の測定値と照合しても逸脱なし。少なくとも静的状態では、生体エネルギー的な異常値は出てないね」
リュカは少し考えた後、再びマイクを通して話しかける。
「レイ、一度風の魔術を少し出してもらうことってできるかな」
「わかった」
レイは手のひらに意識を集中する。
身体の中を何かが流れるような感覚。あのとき初めて感じた、不思議な力の感触。
すると、手のひらの上に小さな風の流れが生まれ、緑色のマナが彼の身体からふわりと漂い始めた。
包まれるような温かさを感じながら、レイは目を閉じる。
その瞬間、リュカのデバイスに映るマナの流れが急激に変化した。
「え、……これは……マナ粒子の波動密度が、変異してる?いや、これは変質か……。いや、でもそんなことは。普通人のマナの形状は完全で、それが突然変わるなんてことはあり得ないはず。だけど……これは……」
リュカが一人呟きながらデバイスを操作していく。
「ブロウさん、ナディさんのデータって残ってる?」
「ああ、年に一度、マナの状態検査することがあるから残っているはずだ」
過去のデータベースを開き、「ナディ・オルフェ」の名前を選択。
そのマナ構造のシルエットがモニターに表示された。
リュカはそれを現在のレイのマナ構造と重ね合わせる――
完全に一致した。
「こんなこと見たことない……。通常人のマナの粒子は一定で、完全に一致するなんてことはないはず……」
リュカが驚愕の表情を浮かべながらその画面を見つめる。
後ろに立っていたブロウがリュカへ声をかける。
「すまない、リュカ、どういういうことだ」
「普通、個体間のマナの粒子には最小でもプラスマイナス3.8%の偏差があるんだよ。遺伝的に極めて近い双子ですら完全一致はしないってのが理論上の常識。それなのに、この一致率は100%に限りなく近い。
もはやこれは、二つの存在が“同一位相存在体”として観測されてるレベルだよ」
早口に話すリュカにジェフが思わず口を挟む。
「ど、どういつい……。すまん、リュカ。わかりやすく言ってくれ」
「つまり、レイとナディさんのマナの粒子の形が今、完全に一致しているってこと。
魔術の使用時に限ってだけど、まるでレイの中にナディさんがそのまま移ったみたいだ。
普通は人によって体内を流れるマナの粒子は違っていて、全く一致するなんてことはないんだ。それで得意な魔術も不得意な魔術も分かれるんだけど……ごめん、……レイ一度風の魔術を止めてもらえるかな」
リュカの言葉にレイは手のひらの上に起こした風の流れを止めると、レイをまとっていた緑色のマナも霧散するようになくなった。
「粒子の形が元に戻った……。こんなことあり得るなんて……。でもそうでもしないとあの時レイが風の魔術が使用できるようにならないか……」
リュカは呆然としたまま呟く。
「……レイのマナは“ナディさんのものと完全に同調している。理論的には、これは“位相重複”か、“霊的継承”に類する現象だとしか説明がつかない。でも、生体マナ構造が変容する例なんて、文献上でも確認されてない……けど、今この現象は………」
一人呟くようにリュカがデバイスを見ながら言う姿にジェフが口を開く。
「リュカ、一人の世界に入ってたらわからんわ!つまりはどういうことや」
「あ、ごめん……僕もちょっとあまりに初めての検証でびっくりしちゃって。……要するにレイは魔術を使用するとナディさんと全く同じマナ粒子の構造になるんだ。普通はそんなことあり得ないんだけど、今目の前で起こされると……なんとも言えないね……」
リュカが神妙な顔をしてガラス越しにいるレイを見つめる。
「……やはり、あの時のものはナディがレイに力を渡したと言うことか」
ブロウがそうリュカに問いかける。
「そうとしか説明がつかないね。……でも、個体のマナ粒子が構造的に変異する現象なんて、これまで観測例ゼロだったはず。もしこの事象を提出したら、既存のマナ理論――特に“素核不変性仮説”が根底から覆る可能性がある。マジで、学術界隈に激震が走るよ」
「そんなに?」
エリスが問いかけた。
「それこそ、実際、“固有魔素形態理論”に基づいた研究はずっと行われてるよ。つまり、生得的に定義されたマナ構造――通称“アーキマナパターン”を再構成して、不得意な系統術式を適用可能にしようって分野ね。だけど、過去すべての臨床・実験データでは、粒子形状の動的変化――いわゆる“マナ結晶構造転換”は理論上不可能ってされてる。
それが今、目の前で現実になってる……。ありえない話だよ」
「要するに人のマナの粒子は生まれながら決まっていてそれを変えることは出来ないってことね。……まるで教典に出てくる女神様みたい」
エリスがぽつりと呟く。
「女神様?」
リュカが首をかしげる。
「マナの女神様はそれこそ自然に存在するあらゆる力を扱えたって言うわ。自然の中のもの、生きとし生けるものの力を借りて、時代ごとにさまざまな姿に変わって世界を守り続けてきたって」
エリスが驚いた表情を浮かべて、ガラス越しに礼を見つめる。
「……女神様か……」
リュカがぽつりと呟く。
場に沈黙が訪れ、しばしの静寂が訪れる。
「ごめん、もういいか?」
その沈黙を破ったのはレイだった。
「ああ、ごめんレイ。もう大丈夫だよ」
レイは機械の台から降りると皆がいる部屋への扉を開けて合流する。
「何にせよ、ナディのマナがレイに宿ったということは間違いなさそうだな」
ブロウがレイを見つめそう言った。
「……風の魔術を使う時、何か温かさを感じるんです。多分、ナディさんの力だと思います」
「ナディの思いはまだ生きてるんだな……」
レイの言葉に返事したブロウはどこか寂しそうで、しかし慈しむような表情を浮かべる。
「そういうこっちゃやな。に、しても結局詳しいことはわからず仕舞いやな」
「僕の方でも少し調べてみるよ。ただ、あまり大っぴらにしない方がいいだろうね。僕の大学時代の教授なんかに捕まると、きっと一生閉じ込められてモルモットにされかねないよ」
リュカの冗談めかした言葉に、レイは思わず苦笑いを浮かべた。
「ま、それにエリスが話してくれた女神様の話も、調べてみると何か参考になるかもしれないしね」
リュカが軽く笑いながら言うと、レイは小さく頷いた。
「ああ、ありがとう」
レイは短く礼を告げ、視線を床に落とした。
その間にブロウが口を開いた。
「それで、皆は明日ネストリアへ向かうのか?」
立ち上がりながら尋ねると、ジェフがうんと頷く。
「せやな。明日の朝出発してそのまま現場へ向かうつもりや」
「良かったら私の父に話を聞いてもいいかもしれないわ」
エリスが立ち上がりつつ提案する。
「ネストリアの教会の司祭でもあるから、何か知ってるかもしれないわ」
その言葉にジェフが軽く眉を上げて頷いた。
「なら、戻ってきたらまた情報交換で集まろう」
ブロウは腕を組み、視線をレイたちに巡らせる。
「私も可能な限りこちらで追えるものは追っていくつもりだ。……それに、昨日は行けなかったしな。また食事でもどうだ?」
「はい、ぜひ」
レイが微笑んで応じると、ブロウも口元を緩めた。
「ほな、俺らは明日の準備やな。リュカも行くか?」
「……いや、僕はもう少し調べてみるよ」
リュカは椅子の背にもたれたままスクリーンを指先で撫でる。
「ちょっと気になる所もあるし、皆は先に行ってて」
「オッケー。ほな、行こか」
ジェフが軽く手を振って扉へ向かう。それに続いてエリス、ブロウも後に続く。
レイは少しだけその背中を見送った後、振り返ってリュカに声をかける。
「リュカ、悪いな。俺のことで時間取ってしまって」
「ううん、逆にワクワクしてるよ。こんなこと初めてだから。それに、何が起こってるか知っておかないと、いざって時にレイが困るかもしれないでしょ?」
「ありがとう、リュカ。……何か、まだ手伝えることは?」
「いや、大丈夫」
リュカはスクリーンを見つめながら首を横に振る。
「ちょっとデータを元に色んな関連を確認してみるつもりだから。レイも明日の準備してきて」
「わかった。じゃあまた」
レイはそう言い残して部屋を出た。
扉が静かに閉まり、室内は再び静寂に包まれる。
リュカは一人、薄暗くなりかけた室内でデバイスのスクリーンに向き合っていた。青白い光が彼の顔を照らし、その目は真剣そのものだった。
データの羅列が次々と切り替わる中、彼の指先は止まることなく動き続けていた。
「……ナディさんのマナが“宿った”……か」
彼は自分の考えを整理するように呟くと、スクリーンに映し出されたマナ構造のデータを何度もスクロールし直した。レイのマナ構造。ナディのマナ構造。そして、そこに含まれていたはずの共通点。
「マナの同調ってレベルじゃない……重なってる……?」
小さく息を吐き、思わず椅子にもたれかかる。あり得ない。理論上は存在しないはずの現象。だが現に、レイの体内には別の誰かの“記憶”のような温もりが残っている。
「これは、ただの理論じゃない。何か……もっと根源的な、感情に近い力……」
リュカは再びデバイスに手を伸ばし、今度は“古代マナ理論”と分類された論文群へとアクセスした。
マナの女神、記憶を受け継ぐ力、生と死の境界……そんなキーワードを打ち込みながら、彼は微かに震える指先を止められなかった。
画面に浮かんだ、ひとつの古文書の抜粋が目に留まる。
それは古いマナ信仰の教典だった。
“選ばれし魂は、時に輪廻の外に立ち、女神の力を宿す器となる。器はかつての記憶を抱き、導きを与える。”
リュカはそれを読み、眉をひそめた。
「器……レイが、そうだっていうのか?」
ぽつりと呟くその声はただ室内に消えていくのみだった。
「確証がない……レイにはまだ、言わない方がいいな。今は、僕だけで確かめよう」
そして再び、リュカの指先がデバイスに触れた。