20
半ば強引にジェフに連れられる形で、四人は雑踏の中へと歩みを進めた。
西日もだいぶ傾いてきているがまだまだ周りは明るく、、喧騒の中にもどこか気の抜けた安らぎが漂っている。
西日に照らされた街路樹の影が石畳に長く伸び、店々のネオンが次第に存在感を増してきていた。
向かったのは、近場の繁華街にある小洒落たレストランだった。
開店間もないらしく、店内はまだまばらな客入り。
木製のカウンターや電球の柔らかな光が、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「ほな、レイの歓迎会もかねて乾杯やな、かんぱーい!」
ジェフが勢いよくグラスを掲げると、他の三人もそれに続き、グラスを軽くぶつけ合った。乾いた音が、静かな空間に小さく響いた。
ジェフとレイは麦酒を、エリスとリュカはそれぞれソフトドリンク。
テーブルの上には、注文したばかりの前菜が運ばれてくる。
「こんな時間からもう食事するなんて、久しぶりね」
エリスがグラスを傾けながらぽつりと漏らす。
「なんだかんだ言って、ずっとバタバタしてたしね。レイの歓迎会なんて、頭からすっぽり抜けてたよ」
リュカの言葉に、レイは肩をすくめて微笑んだ。
「いいんだよ。そんなことしてる暇なんて、本当に無かったしさ」
レイの声には遠慮と同時に、少しの照れも混じっている。任務の連続で、仲間とこうしてテーブルを囲む時間さえも貴重だった。
「アカンアカン。人間ちゃんと緩急つけて、やる時はやって、抜く時はちゃんと抜かんと」
「ジェフは抜きすぎなんじゃないかな」
「ちょっとリュカ、それは言い過ぎやで。俺ほどちゃんとやってる人間は、なかなかおらんやろ?」
「さぁ、どうだろうね」
肩肘張らない軽口の応酬に、テーブルに置かれた氷の音が微かに溶け込む。いつの間にか、硬さのあった空気が和らいでいた。
「に、してもサラちゃん来られへんのは残念やわ〜」
ジェフが言いながら、店の窓越しに沈みゆく夕陽を眺める。特別工作室の受付でいつも笑顔を絶やさない女性――サラの姿が頭に浮かぶ。
「ここ数日の捜査の資料まとめてくれてるんだよね。本当に頭が上がらないよ」
「そうね、サラがいるからこそ、捜査に集中もできるし。本当にありがたいわ」
誰かが口に出すたびに、あの穏やかな笑顔が思い出される。
あれはただの挨拶以上のものだ。帰る場所があるという安心感。それを、彼女は無意識に与えてくれていた。
「ここに帰ってくる度に、あの笑顔で迎えてくれるの、ほんまに癒しやもんな〜」
「はいはい。ジェフ、何か頼んで」
リュカが淡々とメニューを手渡す。その仕草にはどこか照れを隠すような硬さがあった。
「なんや、冷たいやっちゃな。リュカ、やきもちか?」
「バカ言ってないで早く頼む」
そう言って、リュカが横に座るジェフの足を軽く踏む。ジェフが大袈裟に痛がると、リュカはそっぽを向いたまま、口の端だけを上げて笑った。
「……何て言うか、仲いいんだな」
レイがぽつりと漏らすと、リュカが間髪入れずに否定する。
「良くないよ!」
ジェフが肩をすくめながら笑う。
「二人は同じ孤児院なんやったっけ?」
その言葉に、微かに過去の記憶がテーブルに影を落とす。賑やかだった空気に、ほんの少しだけ、沈黙の予感が差し込んだ。
「ああ、トレノスの孤児院で。俺が八歳の時から一緒だったな」
レイが懐かしむように呟く。
「お互い、初めはあんまりはしゃぐタイプじゃなかったからね。気づいたら一緒にいることが多くなって、そのまま僕が十四でオルトラム総合魔導工学大学に入るまで、ずっと一緒だった」
「そういえばリュカ、最年少で修了したんだったわね」
エリスの言葉に、ジェフが「うわ、そんな天才やったんか」と素で驚いたように声を上げる。
「そうそう、トレノス中がちょっとしたお祭り騒ぎだったよ」
褒められるような口ぶりに、リュカは「そんなことないよ」と呟きながらも、少しだけ気恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「でも、そこまで行ったんなら研究職とか、他にもいろんな所から声がかかったんじゃない? なんでまた特別工作室に?」
そうエリスが問いかけると、リュカはグラスの縁を指でなぞりながら、少し考え込むような仕草を見せた。
「うーん……どちらかと言うと、レイの影響が大きかったかな」
「え?」
レイが思わず目を丸くする。
「研究も面白そうだったけど、レイがさ。昔からずっと『保安官になって街を平和にするんだ』って言っててさ。僕も……両親が違法魔術の事件に巻き込まれて死んだらしいんだ。だから、そんなことが起きないようにできる世の中を作れたらいいなって思って。それで十六でトレノスに戻って保安官になった」
「……初めて聞いた」
レイの声が、ぽつりと落ちる。
「僕も初めて言ったよ」
はにかみながら、リュカが笑う。その表情には、どこか清々しさも滲んでいた。
「なんや、二人めっちゃええ話やんか〜。泣かせにくるやつ?」
ジェフが口を挟むと、リュカは途端に話題を切り替えるように手を上げた。
「僕の話はいいの。とりあえず注文しよ。すみません、お姉さん、いいですかー!」
照れ隠しのように声を張り、リュカが近くの店員に声をかける。
その横顔の耳が少し赤くなっているのを見て、三人はどこか空気がやわらぐのを感じていた。
「あと、ジェフは南の出身?」
ふとしたタイミングで、レイが尋ねる。ジェフは笑いながら、グラスをテーブルに置いた。
「せやで」
「なんでわかったんや?」
「「「訛りが強すぎる」」」
三人の声がぴったりと揃って、思わず全員が吹き出す。ジェフは腹を抱えながら笑い出した。
「せやった、せやった。エル・オトロの出身や。ええとこやで」
「それはまた本当にいいとこだな」
レイが目を細めるように言うと、ジェフは嬉しそうにうなずいた。
「せやねん。海はめっちゃ綺麗やし、年中温かいし、人も陽気でなー。長期で休み取れたら案内したるわ」
「それはぜひお願いしたいな」
とレイが笑うと、エリスがふと思い出したように口を挟む。
「そういえば、ジェフって軍上がりよね?」
「え」
レイの驚きにジェフは苦笑交じりに応える。
「“一応”は余計や。ちゃんと軍学校も出て、所属もしとったんやで」
「意外な経歴だな……」
「よー言われるわ。実力買ってもろて、そのあと第一課にも行ったんやけどな。あまりにも素行が自由すぎるって理由で、特別工作室にまわされてもうたんや」
「うん……ジェフがあの制服着てるのは、確かに……似合わないな」
「それは言い過ぎちゃうか!? せめてもうちょっとオブラートに包んでや!」
一同がどっと笑いに包まれる。
「ブロウさんともその時に?」
エリスが尋ねると、ジェフは頷いた。
「ああ、せや。同じタイミングで第一課におったから、同期みたいなもんや」
「意外だよね。あの真面目なブロウさんと、ジェフが仲いいなんて」
「アイツな、真面目が服着て歩いてるようなヤツやからな。ナディに告白する時も、えらい時間かかっとったわ。もうこっちがヤキモキしてしゃあなかったで」
軽口のように言うジェフに、三人は一瞬、口をつぐむ。
「あー……すまん、しんみりさせてもうたな」
ジェフはグラスを少し掲げ、静かに言葉を続ける。
「……ま、俺も正直今回の件は、ほんまに悔しい。絶対に犯人見つけるまでは終わらせへんって決めてる」
「ジェフ……」
リュカの声が、静かに空気に溶けていく。
「せやからな、今日はしっかり食べて、飲んで、備えるんや。こうなったらこの後ブロウもサラちゃんも呼んで、全員で英気養うで!」
そう言って、ジェフは懐からデバイスを取り出し、軽快に指を動かす。メッセージを送る音が短く響いた。
ちょうどその頃、テーブルには香ばしい香りと共に次々と料理が届き始める。
明るい笑い声と、美味しそうな湯気が、さっきまでの空気を少しずつ、温めていった。
「そういえばエリスはどうして特別工作室に入ったの?」
リュカがふと尋ねると、エリスは少し考え込みながら、軽く笑った。
エリスは手に持ったグラスをストローで軽く氷を混ぜながら何かを思い出すような表情を浮かべる。
「私?……そうね。」
エリスが答えながら、少し視線を遠くに向ける。
「私がネストリアの教会の司祭の娘って話は知ってるでしょ?もちろん教会に属してシスターになる道もあったんだけど、それこそ七年前にあったネストリアの大規模な違法魔術の事件で、ナディ先輩がそれを解決してね」
エリスはその話をするたび、胸の内に残る憧れの気持ちを隠しきれないようだった。
ふと手を動かし、氷の音がカランと音を鳴らす。
「……あんなかっこいい女性になれたらな、って思って、父さんを説得して保安官の養成所に入ったのが十五歳の時。聖魔術が少し使えることもあって、運良く特別工作室に入れた形ね。」
言葉に詰まりながらも、エリスはその時の決意を忘れずに話す。少し笑みを浮かべたものの、どこか寂しげな表情を見せていた。
その言葉を受けて、レイの頭の中にはブロウと共に見たナディの回想が鮮明に蘇る。あの日の戦い、ナディの力強い言葉、そしてあのリボンが彼の目に浮かぶ。
「そのリボン、ナディ先輩から貰ったものなんだな」
レイが言うと、エリスは驚いたように目を見開いた。
「え、そうだけど。どうしてレイが知ってるの?」
レイは静かに、そして少し戸惑いながら答える。
「実は、あの戦いの時、黒いマナに包まれただろ?その時、ナディさんと話をしたんだけど……その時にナディさんの記憶みたいなのが見えて、そこにエリスにリボンを渡すのを見てた」
レイがその出来事を話すと、三人が不思議そうに顔を見合わせる。
すぐにはその説明が信じられなかったのだろう。空気が少し重く、静寂が広がる。
「そんなこと、あるのね……。」
エリスが呟くように言うと、リュカも驚いたように眉をひそめた。
「にしても、レイってやっぱり不思議だね。特異体質って言っても、そんな不思議なこと聞いたことないよ」
レイは軽く肩をすくめる。
「どうだろうな……、ナディ先輩にもあの時、俺のマナとナディ先輩のマナが繋がってるって言ってたけども」
その言葉を受け、エリスがちょっと考え込む様子を見せた。
「そういえば、レイが魔術を使えるようになったのもその時だったわね」
エリスがふと思い出したように言うと、レイも頷く。
「ああ、ナディ先輩のマナが俺の中に流れ込んでくるのを感じて、そこから突然使えるようになったんだ。今まで魔術は弾くだけで使えることはなかったけど。」
リュカが興味深そうに顔を近づけた。
「明日、一度レイのマナ調べてみよっか。そういえば、このことも気になってたけど、全然調べる時間もとれなかったね。」
その言葉にジェフも少し不思議そうに目を細める。
「なんや、ほんまに不思議やな。レイ、なんか特別な生まれとかなんか?」
ジェフが問いかけると、レイは肩をすくめ笑った。
「いや、特にそんな変わったことはないよ。ただ、マナが色づいて見えるってのは、みんなそうだったかも」
その言葉に、ジェフが少し首をかしげる。
「マナが色づいて見える?」
ジェフが興味津々に尋ねると、レイはうなずきながら話し始める。
「そう、俺も気づかなかったんだけどさ、マナが出る時って周りが色づいてるんだよ。
あまりにも当たり前だったから俺も誰にも言ったことなかったんだけど、今回行方不明者に紫色のマナが出ていることをみんなに伝えたらそれがわかってさ」
レイがそう言うと、ジェフは頷きながら興味深く聞き入った。
レストランの温かな空気の中、テーブルの上にはおいしそうな料理が並び、周りの雑談の声が微かに響いている。店内は木製のテーブルが並び、古びた壁に掛けられたランプが、優しい光を放っていた。窓の外からは、ほんのりと夕暮れの光が差し込んでいる。
「はー、ますます不思議やわ、ちなみにトレノスなんか?」
ジェフがさらにが質問すると、レイは少しだけ黙ってから答えた。
「いや、ミレナ村っていうトレノスから少し離れた村だ。」
その名前を口にすると、周囲の空気が一瞬だけ沈んだような気がした。
エリスも黙り込み、ジェフも真剣な表情になる。
「……地図から消えた村、か」
ジェフが低い声で呟く。レイは頷き、静かに話を続ける。
「十二年前に村が黒衣の集団に襲われてから村が全滅して、俺がそこの生き残り。その後はトレノスの孤児院に引き取られてからずっとトレノスだな。」
その言葉には、過去の痛みが滲んでいた。ジェフが少し顔をしかめ、言葉を選ぶように話した。
「そうなんか、それは聞きづらいこと聞いてしもたな、すまん。」
レイは少し驚いたように顔を上げて、ゆっくりと笑う。
「いや、いいんだ。でも今考えると、マナが見えることと村が襲われたことが関係あるかもしれないな。」
その言葉に、リュカも考え込んだように視線を落とす。
「その魔術を無効化する力も、その村の人はあるの?」
リュカが再び尋ねると、レイは少し首をかしげた。
「いや、どうだろう。俺自身、魔術が無効化になることに気づいたのはトレノスに行ってからだし、昔はそうじゃなかったと思う。小さい頃は魔術を使うなんてこともなかったし、気づかなかっただけかもしれないけど。」
その話を聞いていたリュカが、ふと思い出すように口を開く。
「そういえば、そのブレスレットで地下への道がわかったのも、何かレイが関係があるのかな?」
リュカがレイの手元に目を寄せると、レイは手首に輝く緑の宝石のネックレスを掲げる。
ライトに照らされ輝く宝石は一見特段変わったことがないようにレイの手首に収まっている。
そのブレスレットを目にしながらドリンクを少し飲んだ後にエリスが口を開いた。
「そうね、あの時は思わず貴方が何か事件に関係しているんじゃないかって思ったぐらいよ。」
エリスは少し首をかしげ、考えるように言った。
「エリス」
レイが慌てるように声をかけると、エリスはすぐに微笑みながら続けた。
「もちろんその時だけよ。あの時の戦いを通じて、貴方がブロウさんを、……いえ、私たちとナディ先輩も救ってくれたのを間近で見たもの。貴方がいないと、きっとナディ先輩は今も苦しんでた。だから今はちゃんと仲間として信頼してるわ。」
エリスの真剣な声に、レイは思わず黙り込んだ。心の中で、彼女の言葉がゆっくりと響いていく。
「……ありがとう。」
その一言が、自然と口をついて出た。エリスは笑みを浮かべながら、ほんの少し目を細めた。
「ナディ先輩が貴方に託したその力も、きっと信頼してだわ。それを疑うと、ナディ先輩に怒られちゃう。」
何かを思い出すように、エリスは笑顔で言った。その表情は、少しだけ懐かしさを含んでいる。
少しの沈黙が訪れ、場が静かになりかけた所でジェフがフォークを手に持ち声をあげた。
「まぁ、気になるところはようけあるけど、その辺は追々にして、料理も冷めてまうし、食べてまおか!」
ジェフが元気よく言うと、空気が少し軽くなり、エリスもレイもほっとしたように微笑んだ。
「ちょっとジェフ、こぼしてる!」
リュカが諌めるように声をかけると、思わずレイとエリスが笑い声をあげる。
ジェフも笑いながら、「あ、すまんすまん!」と慌てて拭き取る。
怒涛の日々に一区切りをつけるように、四人はテーブルを囲み、賑やかな食事を楽しむ。
料理の香りが食欲をそそり、時間が流れていく。
これまであった喧騒を忘れさせるような時間が来たことを感じながら食事の時間は過ぎていくのだった。