17
四つの方向から拘束されたナディの影はもがこうとするが、強固に二人の魔術が絡み合った拘束からは抜け出せず、身体の動きが止まる。
リュカとブロウはマナを送り続け、ナディの四肢は完全に氷で覆われていく。
その瞬間、ナディの顔が四人を凝視するように動き、周囲を風と炎が舞う。
風や炎は二人の魔術を破ろうとするかのように激しく襲いかかるが、ひび割れた氷の表面からは新たにブロウの氷が張り直されていく。
「これ、このままじゃ持たないね……」
リュカが脂汗を滲ませながら魔力を送り続ける。
ブロウも同じく傷ついた肩を駆使しながら、執念で氷を保ち続けていた。
「ブロウさん、治療します!」
エリスが駆け寄り、聖魔術でブロウの肩を癒す。ふわりと優しい光がブロウの肩を包み、ゆっくりと、だが確実にその傷が塞がっていく。
「それにしてもあれがナディ先輩だなんて……」
「……ああ、私も今目の前のことが信じられない。ただナディは必ず助ける」
ブロウは強くそう言い放ち、レイに向き直る。
「レイ、頼めるか」
頷いたレイは、風と炎が舞う中心へと歩を進めた。
ナディの周囲を取り巻く炎と風の刃がレイを襲うが、レイの身体に触れた瞬間にかき消され、マナは霧散していく。
レイは拘束されたナディの前に立つと、もがくナディを前にゆっくりと右手を伸ばす。
レイの腕がナディの肩に触れた瞬間ーー黒が剥がれていくように見えた。
だがその瞬間、黒いマナがレイの周囲を覆うようにナディの身体から飛び出る。
「なっ……!」
レイは慌てて反対の手で振り払おうとするが、それは圧倒的な質量と速度でレイの身体を飲み込む。
黒いマナはレイとナディの周囲を丸く囲い、世界から切り離すように、隔離された領域を作り出した。
「レイッ!」
ブロウが駆け寄る。レイに伸ばした手が触れたその瞬間、黒いマナが反応した。
レイに触れようとしたブロウの手も、わずかにその闇に触れ、ブロウの腕へ伸びるように覆っていく。
「――っ……!」
今度はブロウの身体ごと、黒いマナに引きずり込まれた。
炎と風が一瞬にして鎮まり、中心にできた黒い球体が静かにそこには鎮座するのであった。
ーーーーーーーーーー
辺りは何もない空間だった。声を発しているがその声は反射せず自分が声を出しているのかどうかもわからない。
レイは腕を伸ばしてみた。だが、自分の手さえも闇に紛れ何も見えない。前後の感覚は次第に曖昧になり、天地さえもぐるりと反転していくようだった。
だが、どこか遠くから、やわらかな声が聞こえるのを感じた。
【聞いてブロウ!私特別工作室に配属になったわ!これで街のこともっと守れる!】
【私はね、この世の中で困ってる人をみんな助けたいの。だからブロウのこともとーっても尊敬してる。だってブロウ達がいないとこの街に安全な場所がなくなっちゃう】
【ブロウ!その年で一課に配属なんて凄いじゃない!】
明るい溌剌とした声だった。
【エリス、いい?まずは第一に自分の安全を守ること。そうじゃないと皆のことも守れないわ】
【私たちは特別工作室だもの。どれだけ苦しくても私たちが動かないと、苦しむ人達がいる】
決意を感じさせる声だった。
決意に満ちた声が続き、空間にはゆっくりと緑色のマナの奔流が漂いはじめる。
その途端、周囲が明るくなりすぐ自分の隣にブロウが同じように辺りを見渡しているのが見えた。
「ブロウさん!」
「レイ!よかった……」
安堵するかのようにブロウがレイへ駆け寄る。
周囲には優しく暖かい淡い緑の光が二人の周囲を照らしている。
「ここは一体……」
ブロウが周囲の淡く光る緑の奔流を見ながらそう呟く。
レイも同じように周囲を見渡すが、二人を護るように回る流れは何も答えない。
だが、次の瞬間、緑の奔流の中で霧の中から浮かびあがるように、映像が紡がれ始めた。
【ナディ、君はいつでも無鉄砲すぎる】
声と共に現れたのは、今より若いブロウ。どこかぎこちないが、彼なりに必死に伝えようとしていた。
【そう言っても、目の前で人が襲われようとしてたのよ? 誰かが止めないと】
【そうは言っても、こんなに怪我を負ってしまったら、こちらが冷や汗をかく。少しは、周りに心配する人がいることも知っててくれ】
【あら、それってブロウの話?】
ナディがからかうように笑い、ブロウが耳を赤くして視線を逸らす。
【いや、私ではなく……いや、そういうわけではないんだが】
【ふふ、ありがとう。ブロウ】
次第にその場面がゆっくりとフェードアウトしていくと、またマナの流れに戻る。
そして今度は二人の右側に緑色の光が一筋走ると、まだ幼さを見せる髪を下ろしたエリスと特別工作室の作戦室が写り始めた。
【ようこそ特別工作室へ!貴女の名前は?】
【エリスです。よろしくお願いします!】
エリスは緊張した面持ちで立ち、敬礼のポーズを取り挨拶をする。
【ふふ、緊張してる?】
【え、ええ。でも私、ナディ先輩に憧れていたんです。5年前、ネストリアであった大規模な違法魔術の事件で女性なのに活躍されてたのを見て……】
【え、本当に? それは嬉しいわ!】
その時視界が動き、オレンジのロングコートを着た背の高い男が映る。
【ありゃ、えらい可愛い子きたな!これはテンションあがるわ】
南方の方言を話す男は笑顔でそうエリスへ向かって言う。
エリスは困惑したかのように男を見ると、声があがる。
【ジェフ!いきなりそんなこと言わないの】
【冗談や冗談。エリスちゃんね。これからよろしく頼むわ】
【は、はい!よろしくお願いします!】
【それにしても髪が長いと邪魔になっちゃいそうね。これ使って】
そう言ってエリスに青いリボンを手渡す。
【私が結んであげる】
目の前の映像はエリスの髪を結い、ポニーテルに結っていく。
【うん、これで大丈夫。さ、今日からよろしくね】
そこからは、ナディの記憶の断片が次々と流れていく。
街での事件を解決する特別工作室。ブロウと二人で街を歩くナディ。部屋でゆっくりとブロウと過ごす一日。幼い頃のナディが家族と笑い合う映像。どれも輝くような日々だった。
「これは……」
二人は不思議な光景に目を瞬かせる。
そのとき、背後から声がした。
「ブロウ、随分心配かけちゃってごめんね。」
後ろから声がし、振り向くと緑の奔流のその向こうに、艶のある深緑の髪を一つに括ったナディが立っていた。
「ナディ!」
「ふふ、自分の記憶が見られているのは恥ずかしいわね」
はにかむようにナディがそう言った。
「それに貴方は新しい特別工作室のメンバーね」
「レイです、あの、ここは……」
「レイ。よろしくね。……ここはおそらく私の記憶の中。と、言っても私自身もこんな不思議なこと初めてなのだけど……」
ナディがそう呟く。
「ナディ!本当に……良かった……、君に会えない日がどれだけ長かったか……」
ブロウが涙ぐむようにそう呟き、ナディへと近づこうとするが緑のマナの奔流に押し返されるように前へと進めない。
ナディが切なそうな表情を浮かべてブロウを見る。
「本当にごめんなさい、ブロウ。私もどうしてこうして話が出来てるかわからないの」
ただ……、とナディがレイに視線を送ると口を開く。
「彼のおかげ……かしら。彼の中のマナが私のマナと繋がっているのを感じる」
ナディは自身の胸に手をあて、レイを見つめる。
ブロウは立ち尽くし、ナディの姿を視界に収める。
一年前の事件から行方不明になり、ずっと探し続けていた。その彼女が今目の前に立っている。
「ナディ……、一体何があったんだ」
ブロウが絞り出すように問いかける。
ナディは悲痛な表情を浮かべながらブロウへ答える。
「……そうね。私は一年前のあの日、大聖堂の近くの違法魔術の現場へ一人で向かったわ。その日はいろんな場所で事件が起きててね、エリスやジェフは別行動。ブロウも心配してくれたけど、それを押し切って行ってしまった。
大聖堂の広場へ辿り着いた時に、黒いローブの男がいたの。それを追った先にこの場所を見つけて……。今思えば誘い込まれていたのね」
ナディの顔が後悔に滲んだように暗くなる。
「男の後を追って、部屋にたどり着いた時、多分襲われた。そこからの記憶は曖昧。ただどんどん私の中に何かが入ってくることだけは感じていた」
「何か…?」
ナディは悲しげに目を伏せると、突然ナディの後ろに倒れる人々が折り重なったように現れる。
それは人の山だった。
「なっ……!」
「おそらく、この人たちのマナ。命の力。それが私の中に流れ込んできて……そして消えていった」
黒く禍々しいマナが人の山から立ち上り、ナディの周囲を揺蕩う。
「もう、抑えるのも限界。ブロウもエリスも、貴方たちを……このままじゃ、私が殺してしまう」
ナディは苦悶の表情を浮かべた。
「……そんなこと、させるものか」
ブロウが絞り出すようにナディへ声をかける。
しかし、ナディは切ない表情を浮かべながら首を横に振る。
「私、一年前からもう何も食べてもいないし意識もほとんどないの。きっとこの人たちのマナ、生命エネルギーを与え続けられて生かされてるだけ。だからおそらくもう私は私でない。本能が人のマナを求めて身体が動いていくの」
「そんなことっ……!!」
ブロウが思わず叫ぶ。
「ううん、ダメなの。このままじゃ私は貴方達どころか、街に出て人々を殺してしまう。人のマナを求めて、それがないと生きられない怪物……」
悲痛な面持ちにナディが自分の左腕を掴み、ぐっと力が入るのが見える。
「だから、お願い。私を止めて。私、街を守りたいの。……壊したく、ない」
ナディがブロウとレイをを見つめそう言う。
「何か方法があるはずだ!」
ナディが首を横に振る。
その瞬間、ナディの背後にある人の山がどくどくと脈打ち始める。
肉のうねり、骨の軋みが空間に響き、人々の呻き声の残響が、まるでこの空間そのものから溢れ出すかのように響く。
それは次第にナディへ近づいていき、手が、指が、何人もの亡霊とも思える人がナディを足元から飲み込んでいく。
「ナディ!」
ブロウは必死に手を伸ばすが、緑の奔流の光がより明るくなりその行手を阻む。
明るくなる周囲とは逆に、ナディの周りはより闇が深くなるように黒くなっていく。
「ブロウ、最期に会えて本当に嬉しかった。……私を、必ず止めてね」
微笑むように飲み込まれていくナディにブロウの叫びが響く。
次第に闇が深くなっていき緑の奔流がより激しくなる。
白く視界が消えていく中、ブロウの叫びだけが虚しく木霊するのだった。