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15

「……ナディ!」


ブロウは進んだ一歩から慌てて駆け寄るように椅子へと近づいた。

しゃがみこみ、うつむいた彼女の肩にかかった髪をそっとかき上げる。

白く少しやつれた頬に、閉じられた瞳。

それと首元には鈍く光る首輪がはめられており魔術紋が怪しくうっすらと脈打つように発光していた。

そこに眠るように掛けていたのは間違いなくナディであった。


「ナディ!」


肩に手を置いて呼びかけるが、反応はない。

ブロウは首筋に指を当て、口元に手をかざす。微かな呼吸を感じた瞬間、彼の顔に安堵の色が広がった。


「……ああ、良かったーー」


ブロウはその頬に手を添え、彼女の温もりを確かめるように目を細める。

じわりと浮かぶ涙が視界をにじませた。


「ブロウさん、その方が」とレイが言いかけた時、

「ああ、ナディだ。間違いない。」


ブロウはナディの顔を見つめながら呟いた。そして安堵するような吐息をもらす。


「……本当によかったーー」


レイは背筋にぞくりとした寒気を感じ、即座に短刀を抜いた。

まるで空間が一瞬、軋んだような感覚。

そこには、黒いローブに身を包んだ男が静かに立っていた。


「誰だ!」


レイの言葉にブロウも長剣を抜き、構えて男に対峙する。

その男はゆっくりと顔を上げる。

けれど、フードの奥は闇そのもので、目も鼻も何も見えない。


「おや……おやおや。まさかここが、見つかるとは」


声だけが響いた。

老いたような、けれど不自然に響く、まるで機械が模倣した人間の声。


「お前は何者だ」


ブロウが長剣を男に構え尋ねる。


「さあ、どうでしょうか。ただ私は処理をしにきただけ」


男の声は笑っているようで、どこか壊れた音を含んでいた。


「処理?どういうことだ」


ブロウがそう問いかけた瞬間、黒いローブの男はわずかに首を傾げる。その視線の先にはナディの姿。

その瞬間ナディの首元にはまっていた首輪がピキリと音立てて二つに割れ、カシャンと床に転がる。

次の瞬間、レイにははっきりと見えた。

ナディの体から黒く揺らめく禍々しいマナが溢れ出すのを。


ーーなんて禍々しいマナだ……


それは空気をゆっくりと侵食するように、ナディの体を覆っていく。次第にそれは周囲に広がり始めていく。


そして、ーーー


「あああああッ!!!」


ナディが突如、絶叫とともに崩れ落ちる。

椅子から転げ落ち、床の上をのたうち回る。

室内に響く絶叫にブロウは駆け寄るが、その絶叫は止むことはない。

レイは鋭く男を見る。


「何をした!」

「私はただ枷を外しただけ。それで私の仕事も終わりです」


そう言うと、男の体が歪み次の瞬間に時空が歪んだかのように男の姿が消える。


「待て!」


レイが駆け寄るがそこに男の気配はなく、ナディのもがき苦しむ声だけが響く。


「ナディ!しっかりしろ!」


ブロウが声をかけるがその声はナディには届かない。

彼女の瞳がゆっくりと開かれ、その奥にあったのは理性のかけらもない、空虚と狂気が入り混じった光だった。


「……ブ、ロウ……?」


かすれた声で名前を呼んだかと思えば、次の瞬間、ナディは信じられない速さで手を振るい、その腕から黒い風刃が放たれる。


「ッ!?」


間一髪、ブロウが身を引いたことで風刃は彼の肩を掠め服が裂け血が垂れる、そして背後の壁を深く抉った。


「やめろ、ナディ!俺だ、ブロウだ!」


しかし、ナディはまるで何かに怯えるように身を縮め、次には叫ぶように声を上げながら再び腕を振るった。

まるで見えない“何か”に怯え、攻撃し、排除しようとしているようだった。

悲鳴とともに、今度は空間を引き裂くような衝撃波が放たれる。


「苦しい……!痛い……助けてええ……ああああっ!!」


まるで何かに怯えて逃げようとするような、そして同時に“敵”を排除しようとするような錯乱。


ナディは身体をよじらせながら、床を転げ回っている。

そのたびに風が舞い、部屋の中は小さな嵐のようになっていく。


レイはブロウの様子を一瞥し、言う。


「ナディさんの周りを黒いマナが覆っています……!俺が近づいて、なんとか抑えます!」


そう言って、彼は突風の中を突き進み、ナディへと手を伸ばした。

だが、それは許されず、膨大なマナから溢れる圧にレイの体が吹き飛ぶ。

だが、次から次へとあふれ出す禍々しいマナは止まる気配を見せなかった。


「痛いッ……!熱い、冷たい、うるさい、うるさいッ!!」


彼女は床を転がりながら、自身の頭を両手でかきむしる。


ブロウが叫ぶ。


「ナディ!しっかりしろ、俺だ、ブロウだ!」


だがナディの目は、もう見えていなかった。

いや──“ナディ自身のものではない”何かが、そこから覗いていた。


「……黙れ……うるさい、黙れ黙れ……っ!」


ナディは立ち上がり、二人を空虚な瞳で捉える。

彼女の口から漏れた声は、まるで複数の声が重なっているかのように歪んでいた。

悲鳴、呪詛、怒り、恐怖──それらが渦巻いて、ナディの喉から絞り出される。


「みんな、私を見ていた……でも誰も助けてくれなかった……!」

若い女の苦悩に満ちた声。

「生きるのが辛い……なのに死ぬことも許されない……!」

絶望的な老年の男を感じさせるような声。

「どうして私だけ……どうして……どうして、どうしてぇぇぇぇッ!!」

歳を感じさせる女の執念のような声。


どれも発しているのはナディの声であるはずなのに、まるで違った人物が憑依したかのようにその度にナディの仕草が変わる。


ナディが一歩、こちらに踏み出す。

それに合わせて、黒いマナが地を這うように広がった。


「ナディ!正気に戻るんだ!」


ブロウの叫びに、ナディは一瞬だけ顔を上げる。

だが、次の瞬間──その眼に、紅い光が灯った。


「……わたしは、もう……」


その言葉と同時に、彼女の周囲の空気が震える。

吹き荒れる突風が渦を巻き、周囲を巻き上げる。


「来るッ!」


レイがとっさにブロウを引き寄せた瞬間、風が牙を剥いた。

巨大な風刃が、直線状に床を引き裂きながら突進してくる!


二人は飛び退きながら、バラバラと降り注ぐ破片をかわす。


「クソ……これは本当にナディが……!?」


ブロウの瞳に、苦悩と迷いが浮かぶ。

長剣を手にかけ、ナディに向けるがその手は迷いで照準があっていない。


その瞬間にナディがブロウへ向かって黒い風の刃を飛ばし、ブロウは瞬間的に氷の壁を作り出し防ぐ。

氷が割れるガラスのような音が周囲に響く。


「誰も、救ってくれなかった……!!!どうして私だけが!!!!」


その声は狂乱する女だった。ナディの手のひらには炎が浮かび腕をふる。

その瞬間、炎の柱が地面を裂いた。

ブロウが襲いくる炎を氷の壁で防ぐと、蒸発した空気が辺りに漂う。


「なっ、?炎、どういうことだ!」

「どういうことですかブロウさん?」


「ナディは元々風の魔術を操るのが得意だが、炎は不得意なはずだ。なのにこんな練度の高い炎の魔術は……」


呆然としたブロウの言葉に、レイが叫ぶ。


「考えてる暇はないです!来ます──!」


次の瞬間、雷光が空を裂いた。レイが飛び退き、すれすれで避ける。すかさずナディが距離を詰め、風の刃をまとった脚がレイの腹部を捉えた。


「──ッぐあっ!」


吹き飛ばされたレイが転がる。重力が反転したかのような感覚に襲われ、視界がぐらつく。

それでも、レイは歯を食いしばって立ち上がった。

そして、レイが前に出る。

風が再び牙を剥き、視界が切り裂かれる。


「俺が囮になります。ブロウさんは……ナディさんを、呼び戻してください!」


言い終える前に、レイの体が前へ弾かれた。

拳を握りしめて跳び上がり短刀を向ける──だが次の瞬間、レイの腕は空を切った。


ナディはレイをとらえ、容赦なく膝をその腹部へと打ち込んだ。


「——ぐっ……!」


苦悶の声を漏らすレイに、さらに肘打ち。

その勢いのまま、レイの身体が壁に叩きつけられる。


「ぐ、ぅあ……!」

「レイ!!!くそっ……ナディ、すまない!」


ブロウが叫び、長剣を抜いてナディへと突進する。

だがナディはその一撃を軽やかにかわし、地面に魔術紋が現れると、足元から石が隆起し——長剣となってその手に収まる。

カン、と金属音。ナディの剣がブロウの得物をはじいた。


「なっ……!」


そこからは、一進一退の応酬。

剣と剣が激しくぶつかり合い、火花が散る。

錯乱した目をしているナディの動きは、だが——恐ろしく正確だった。

風のマナが左腕に集まり、刃が風の軌跡を引きながらブロウの頬をかすめる。


ブロウは身をかわし、剣を受け流す。


「頼む、ナディ……目を覚ましてくれ!」


悲痛な声が、剣戟の合間に響く。


「うるさいッ!!」


ナディの叫びが空気を裂いた。


「もう全て終わったんだ!!!何もかも道連れにてしてやる!!!」


その声は、まるで絶望に飲まれた男のようだった。

そして——ナディの剣が、ブロウの剣をはじく。

次の瞬間、鋭い蹴りがブロウの腹に叩き込まれ、彼の身体が宙に浮く。

鈍い音を立てて、地面に転がった。

「——ハッ……!」

ブロウの口から血の混ざった胃液が漏れる。

倒れるブロウに視界をあげると、ゆっくりとナディが長剣を携え進むのが見えた。

まるで、処刑台へ歩む死神のように。


レイの脳裏に、ナディを見つけたときのブロウの顔。

浮かんだ涙と、かすかに安堵したような笑みが過ぎる。

レイは倒れたままポケットに入ったエリスより託された赤色の魔術珠マナジェムをぐっと握り締めるとそれを取り出して腕をふりかぶった。


「……ッ」


迷いが喉をつかえる。


撃てばーーナディさんが……

でもーーブロウさんが─ーー


「ッ、ごめんなさい……!」


放り投げるように、それを投擲する。

珠は地面に落ちると光を放ちながら、火柱があがった。

激しい炎がナディを包み、もがき苦しむ姿が見える。またブロウもその様子に呆然とした様子であった。

だが、次の瞬間。


「……ッ、……ぁ……あああ……ッ!」


その炎の中心から、黒い靄が再び渦巻く。

周囲のマナを、まるで飢えた獣のように吸い込むそれは──


──ナディだった。


髪は乱れ、衣服も焦げ、足元はふらついている。

だがその両目には、紅い光が戻っていた。


「ブロウ……ごめん、なさい。私を止めて……」


ナディの頬を一筋の涙が伝った。

立ち上がる彼女の足元に、ひとひらの紅い光が宿る。

それは瞬く間に、空気を焼き、突如、空間が軋んだ。風が逆流し始める。


「ナディ……っ!」


ブロウの叫びが、風と炎の轟音にかき消される。

彼女の掌から弾けたのは、炎と風の混ざり合ったマナによる魔術だった。

風と火の属性が衝突するように一体化し、爆ぜるような閃光と共に爆風が部屋を貫いた。


「くっ……!」


レイが咄嗟にブロウへ駆け寄り周囲の魔術を無効化するが、爆風から発生された瓦礫や熱風は容赦無く二人へと襲い掛かる。

爆発の中心にいたナディの姿は、黒煙に包まれて見えない。


「ブロウさん、下がってください!」

「……だめだ、俺は……! もう、二度と……見失わない……っ!」


震える声。

立ち上がったブロウは、あふれ続ける黒いマナに怯むことなく一歩、また一歩と彼女に向かって進む。


「ナディ、お前は……!俺は、お前を、助ける……!」


その瞬間――


「やめろ!!」


ナディの声が、明確に響いた。

だがそれは、もはや彼女一人の声ではない。


「近寄るな……見ないで……私を、見るなあああああッ!!」


風と火が渦巻く。

ナディの姿がその中心に浮かび上がる。

赤く染まった目、禍々しいマナの奔流。

その奥で、確かにナディは泣いていた。

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