12
4人は店を出て、ブロウの車へ乗り込む。
歓楽街は先ほどの騒ぎが嘘のようにすでに収まり、だが、それでも通りにはネオンと音楽と喧騒が溢れていた。
通りには店と、道路を占領するかのように屋台が軒を連ね、酒に酔った男女の笑い声が響いている。
空気は熱を帯び、スパイスの香りと香水と汗が混じったような、夜にしか存在しない独特の匂いを感じさせた。
「遅くまで賑わってるんだな」
後部座席から窓の外を眺めながらレイが呟く。
「そりゃ、フィネストリア連邦でも一番夜が長い場所だからね。夜が明けてもやってるお店もあるぐらいだよ」
「その分、犯罪の温床にもなってるがな」
ブロウが運転席で苦々しげにそうこぼす。バックミラーには、眩しく点滅する看板と、通りの影で密やかに何かをやり取りする人影が小さく映っていた。
「さて、このまま大聖堂の方へ向かうが大丈夫か?」
「うん、大丈夫。このまま向かおう」
ブロウの車は歓楽街を抜け、徐々に街の喧騒が遠のいていく。
高層ビルや近代的な建築物が立ち並ぶエリアを抜けると、風景は一変する。
街灯の数も少なくなり、石畳の道沿いに中世を思わせる石造りの家々が静かに並ぶ。重厚な屋根瓦、鉄格子のはまった窓、教会の鐘楼の影。すべてが夜に沈み、まるで時間そのものが止まってしまったかのようだった。
街並みはしん、と静まり返っていた。
さっきまでの熱気と光の渦が嘘のように、ここでは夜そのものが深く降りてきていた。古びた街路樹の間からは、遠くの山影と、黒いシルエットとなった大聖堂が見えはじめる。
山の麓に聳えるその建物は、月明かりに照らされながらも、なお夜に溶け込むようで、静かさと同時に、得体の知れぬ威圧感を放っていた。
4人は言葉少なく、車は黙々と進む。
やがて大聖堂前の広場に差しかかる。広場には誰の姿もなく、空には星が瞬いている。巨大な聖堂は闇の中でも、信仰と歴史の重みを静かに主張していた。
車は広場を横切り、側道へと進む。道は次第に木々に囲まれていき、アスファルトの舗装もざらついた石道に変わっていく。
傾斜は緩やかに、しかし確かに登りへと転じていた。
車のヘッドライトが濃い影を押しのけるように道を照らし、その先に、森の中へぽっかりと広がるような開けた場所が現れる。
「夜の墓地ってのはぞっとしねえな」
レイがそう呟くと、他の3人も同意するかのように無言で頷く。
車はやがて緩やかに減速し、鉄製の柵で囲まれた墓地の前で静かに停まった。
外に出ると、ひやりとした空気が肌に突き刺さる。夜明けにはまだ少し時間があるらしく、空は藍色のまま、冷たい夜の気配を纏っていた。
「冷えるな……」
レイが肩をすくめながら呟く。
ブロウは車のトランクから懐中電灯を取り出し、スイッチを入れる。黄色味の光が周囲をぼんやりと照らし出すが、街灯は一切なく、頼りになるのはそれと、遠くで瞬く街の光と、わずかな月明かりだけだった。
「こっちだ」
ブロウが静かに言い、墓地の鉄門を押し開ける。ぎぃ……と重たい軋みが夜の静寂に溶けていく。
中は思った以上に整然としていた。古い墓地ではあるが、草は刈られ、墓標は丁寧に並べられている。手入れがされている証だろう。
一つ一つの墓は小ぶりな個人用で、記された名前や祈りの言葉は風雨にさらされてか、掠れて判読しにくいものも多い。
「うーん、やっぱり現地に来てもこの周辺はマナが遮断されるね。教会独自のセキュリティもあるのかな……?」
リュカがデバイスを弄りながらぼそりと呟いた。彼の眉間にはわずかに皺が寄っている。
「教会関係はあまり触れない方がいいわよ」
「わかってるよ。さすがにそこまで面倒なことはしない」
リュカが軽く肩をすくめて応えると、エリスはため息まじりに言葉を続けた。
「面倒って?」
レイが不思議そうに訊ねると、エリスの目が少しだけ鋭くなる。
「教会はそれこそ、マナ信仰を礎とした女神様の教えを軸にしてるわ。今でも広く信仰されてるし、フィネストリア連邦の成立にも教会の力が深く関わってる。政治と宗教が密接に絡んでるのよ。だから、教会関連の調査はとにかく慎重にしないといけない」
「そうだな。違法魔術の調査がこの区域で難航しているのもそのせいだ。一つ一つ司教の許可が必要になる。何をするにも時間がかかる」
ブロウが低く答える。
「それって……もし教会が悪いことしてたら、誰にもバレないってことじゃないか?」
レイの言葉に、エリスはぴしゃりと言い切った。
「それはないわ」
その声には、少なからず個人的な実感が滲んでいた。
「マナ信仰の戒律はとても厳格。私の家も熱心な信徒だったから、家の中では工業製品なんて使わせてもらえなかったわ。リセルの街中には一応、マナのエネルギーを元にした電気や水道は通ってるけど、この辺りの住民はそれすら使わない人も多い。違法魔術なんてもってのほか。戒律違反になる」
「“マナは自然であれ”、だな」
レイが口にした教義に、エリスは頷いた。
「エネルギー化されたマナは便利だけど、自然の流れを強制的に操作することになる。それが長く続けば、自然の均衡が崩れる。……実際、オルディナ王国では、マナの過剰抽出とエネルギー化が原因で異常気象が起きているわ」
「そういうものか……」
レイが小さく呟く。
その時、視界の先に大きな影が現れた。墓標の列を抜けた先、森の木々の間に、まるで眠るように佇む石造りの建物。
「――これが旧王家の墓所ね」
エリスが低く呟いたその言葉に、自然と一同の足が止まる。
月の光が雲間から差し、古びた石壁と朽ちかけたレリーフを浮かび上がらせた。かつて栄えた王家の名残。その重みが、沈黙と共にそこにあった。
重厚な石造の建物は、時の流れを物ともせずそこに在った。墓所の周囲は守るように石の塀が積まれており、まるで王家の眠りを護るかのように荘厳な雰囲気を醸し出している。
入り口は固く扉に閉ざされており、周囲にも塀がつらなり、先には見えるが中には入れないようになっている。
「うーん、特に変わった様子はなさそうだね。入り口は魔術でしっかりと封じられてる。墓荒らし対策かな」
リュカがデバイスを覗き込みながら呟く。
その声も、静まり返った墓所の中ではやけに響いて聞こえた。
「裏手にもまわってみよう」
ブロウの短い提案に、四人はそれぞれ警戒を保ったまま、墓所の石塀に沿って歩き出す。
風が木々を揺らし、どこか湿った土の匂いが漂ってくる。
「――待て」
唐突に、ブロウが立ち止まり、声を低く絞り出す。
その目は鋭く地面を捉えていた。
「……この辺り、足跡があるな。しかも、新しい」
レイたちも歩みを止め、視線をブロウの指差す先へと移す。
そこには、確かに草が不自然に倒れていた。風ではなく、人の足によって踏み分けられた跡だった。
「確かに……」
レイは静かに膝をつき、両手で草をかき分けながら注意深く周囲を探る。
リュカが少し離れた位置に視線を移す。
「こっちにも、似たような踏み跡がある。……ただ靴の種類がいくつかある?」
「そうだな。普通の靴以外にも、ピンヒールのような跡もあるな」
ブロウが懐中電灯を地面に照らしながら低く呟く。
レイは地面に膝をつき、周囲を探るように目を走らせる。しかし、それ以上の痕跡は見当たらない。
ただ、踏み分けられた草の先を辿っていく。
木々の影に差し掛かった瞬間だった。
ふいにキラリとレイのブレスレットの宝石が緑色の光が淡く光り、レイの肌を照らすように輝いた。
その瞬間、地面に静かに魔術紋が浮かび上がる。
「なっ」
それはレイのブレスレットと呼応するようにより強く光を放ち、その後、光の輪が地面を這うように広がり、やがて中央が音もなく消え、階段が現れた。
「どういうことだ……?」
ブロウが呆然と呟く。
「いや、俺にもわからない。ただ、宝石が突然光り出して……気づいたら紋様が浮かんで、入り口が……」
「さっきの魔術紋、あのメモに記されていたものと一致してるね」
リュカが確認するように言葉を重ねる。
「と、なると鍵はそのブレスレット?偶然……にしては出来過ぎてるわね」
エリスが警戒を滲ませながら、レイの手元に目を向ける。
「それにしても……これはすごい隠匿魔術だよ。全くマナの気配がなかった」
「どちらかというと、教会の“聖魔術”に近いわね。元素の操作ではなくて……マナそのものを束ねた、祈りにも似た魔術」
エリスの言葉に皆が息を呑む。
「……とにかく、中に入ってみよう」
レイの提案に、ブロウが眉をひそめる。
「何があるかわからないぞ。本当に大丈夫か?」
「……そのつもりだ」
レイの静かな決意に、ブロウが小さく笑みを浮かべる。
「頼りになるな」
月光に照らされた階段へ、4人は慎重に、しかし確かな足取りで足を踏み入れていった。