プロローグ
目の前に広がっていたのは炎だった。
燃える家々。倒れた木々に潰された家畜の鳴き声。空気を裂くような悲鳴と、轟音を立てる爆発。
硝煙と血の匂い、土埃に混じって漂う焼け焦げた肉と木材の臭い。
つい昨日までは、ここはのどかな村だった。
緑があふれ、風は穏やかにそよぎ、家々の煙突からは夕餉の煙が上がっていた。
どこかからパンの焼ける香ばしい匂いがし、犬が吠え、子どもたちの笑い声が響いていた。
争いとは無縁だった。永遠に続く日常が、疑いもなく明日も来ると信じていた。
だが、その"明日"は訪れなかった。
空が赤く染まり、家が焼け、あらゆるものが壊されていく。
どこからともなく現れた黒衣の影が、人々を襲い、火を放ち、魔術を用いて破壊の限りを尽くしていた。
「お母さん!お父さん!」
泣き叫ぶ声が響く。逃げ惑う村人。子を抱えて倒れる母親。助けを呼ぶ声が、次第に消えていく。
その中で、自分の手を強く引いたのは小さな手だった。
黒髪の少年。村の中では見かけない、でもどこか気になる存在だった少年が、自分を森へと連れていった。
何度も遊んだ、大きな木の根元にある隠し場所──太古の木の空洞。
「ここに隠れて」
そう言って、少年は自分を押し込み、小さな袋を手渡してきた。
中には、青い紐に通された緑色の宝石。
「これを持ってて。……ごめん。必ず助けるから」
その顔は、やけに哀しそうで、でも決意が宿っていた。
次の瞬間、爆音が響いた。少年の姿は、火の粉に紛れて消えていった。
袋を抱きしめるようにして、目を閉じた。
耳をふさいでも届いてくる悲鳴と怒号、獣の吠えるような唸り声。
時間の感覚はなく、ただ震えながら、必死に息を潜めていた。
──その日から、すべてが変わった。
記憶は朧げで、細部は思い出せない。
だが、あの少年の声と目だけは、今でもはっきりと残っている。
レイ・アルヴァの遠く、だが消えない記憶はここにあった。