笑い話に悪意を込めて
「そういえばこいつはさぁ」
その言葉を聞いて、サンドラはまた始まったと思った。
しかし周りにいる同世代の貴族たちは、その決まり文句に気が付いていない。今までしていた話も丁度区切りがついたところだったので、新しい話題に素直に視線を向けていた。
「この間、またこいつの姉上から聞いたんだが、昔は昆虫採取が趣味だったらしい」
「えー! 意外ですわ。サンドラ様、こんなにお淑やかですのに」
侯爵家跡取りであるアントンの話題を盛り上げようと、とある令嬢がそんなふうに声をあげる。
それにさらに彼の元に周りの貴族の視線が集まる。
パーティーなのだから彼の話など聞かなくとも楽しみ方は沢山あるだろうに、誰もが同世代の楽しい話題についていけなくなることが怖いのだ。
「そうだろ? 昆虫採集は昆虫採集でも、なんと庭園の小石の裏にいるダンゴムシやらミミズやらだったらしい!」
おどけるようにアントンが言って、彼を制止するようにサンドラは「ちょっと」と苛立った声をかけた。
しかし彼は「まあまあ」と言って話を続ける。
……まあまあじゃありませんわ。……毎度毎度。
彼はいつもそうなのだ、この婚約者はいつもいつも。
そう思うと腹が立って、手に持っているティーカップをバリンと割ってしまいそうだった。
「でもそんなものを集めてどうするんですの?」
彼の言葉に皆が驚いて、満を持して、一人の令嬢がまた聞く。
あたりには生演奏の美しい音色が流れている。
「それが聞いて驚け? 庭園に落ちていた野生の小鳥を拾ってその餌にしていたらしい!」
「あら、それは子供らしいというかなんというか……」
「少し、汚いわよね」
「だろ? こいつはさぁ、そういう見境のないやつなんだよ。誰にでも優しいっていうか?」
そう言ってチラリとこちらに視線を向けてアントンは含み笑いを浮かべる。
……褒めているつもりでしょうが、その言葉でわたくしが本当に喜ぶとでも??
彼の表情にさらに苛立って、サンドラは今ならドラゴンのように口から火を噴けそうだった。
「それにしたって単に虫を愛でるのが大好きな少女だったならまだしも、その虫を小鳥にわざわざ食べさせていたなんて、なんだか残酷な気がするだろ? 女の子としてその辺どうなんだ? サンドラ」
「…………小鳥が傷ついていたからわたくしが代わりに、餌をとってあげただけですわ」
話を振られて、なんだか悪意のあるような言葉につんとした態度で返す。
しかしアントンはサンドラの態度などまったく気にしていない様子で「でも、普通そんなことするか?」と笑みを浮かべる。
普通ではない事は承知している。傷ついた野鳥を拾うのなど自己満足だろう。しかしもう十年も前のことだ。今なら、癒しの魔法を持つ貴族の元にもって行ってちゃんと治療してあげられる。
「それで面白いのはここからなんだ。昆虫採集をしているサンドラが虫好きだと思った一番上の姉が、これはと思って、外国からとても珍しくエキゾチックな虫を購入してやったらしい、それはなんと大金貨二十枚!」
「おお、すごい、流石は公爵家だな!」
「下働きの平民を一年も雇っておけますわね」
「しかし! サンドラはそれを受け取って、どうしたと思う?」
すでにその答えなどわかり切っているオチだというのに、周りの貴族令息、令嬢たちはうーんと頭をひねらせているような態度を取って、それから的外れなことを言った。
「そこから今でも、珍しい昆虫好きになったとか?」
「不正解」
「では、可哀想なので野に返してしまったとか!」
「違う、違う」
「なら一体、サンドラ様はその昆虫をどうしてしまったのですか?」
最後に続きを促すような質問が出て、そこでアントンは待ってましたとばかりに、ソファーの背もたれから起き上がって前のめりになって言った。
「なんと! その珍しい昆虫も小鳥に全部、食べさせてしまったらしい!! 大金貨二十枚のシロモノだぞ?」
「それはまぁ勿体ない」
「お姉さまはさぞがっかりされたことでしょうね」
「ああ、こいつは本当にお茶目というか……普通気が付きそうなものだろ? 公爵家で目も肥えているというのに、価値のあるものに気がつかないわけもない! 本当に小鳥に盲目になっていたんだな」
そう言って彼はサンドラの二の腕を少し小突いた。
そして締めのように言う。
「それで今は、俺のことも小鳥と同じように盲目に惚れてくれてるってわけだ」
そうすると周りにいた貴族たちは、あら素敵と、笑みを浮かべて口々に言う。
「サンドラ様のプライベートな部分を垣間見られる面白いお話でしたわ」
「二人はお熱いってことだな」
「うふふ、私もそんな婚約者様を早く見つけたいわ」
おおむね好評な反応が返ってきて、アントンはとても満足そうだ。
しかし、サンドラは最悪の気分である。盲目に惚れているだなんて彼は断言していたが、こういう部分がある故に盲目になどなれるはずもなく、さらには惚れようという気にもならない。
サンドラは、こういう話をされるのが大っ嫌いだ。
幼いころの痴態など、面白い話だとしても知られて喜ぶものか。
しかし彼はそんなこともわからない様子で、出された別の話題に乗って楽しそうだ。
「面白い話と言えば、例の辺境伯家のライネ様のお話、聞きました? 婚約者のマルガリータ様が大変嘆いていらっしゃったのよ」
「どうしたんだ、ぜひ聞きたい」
「それがですね━━━━」
サンドラはとてもそんな気分にならなくて、集まっている少年少女越しに、華やかなパーティー会場に目をやった。
きらびやかで何もかもがある美しい社交界、丁寧にいけられた花はきれいで、美しい音色も心を落ち着かせる。
しかし、そんなものよりも、なんて事のない森から聞こえてくる鳥の声や、道端に咲いた草花。
そういうものだって……いや、そういうものの方がサンドラは好きだと思うのだ。
パーティーが終わってちらほらと人が帰りだす。サンドラたちもエントランスに向かって歩き出した。
隣にはアントンがおり、彼は今日のパーティーがよほど楽しかったのか、満足げだ。
そんな彼の気分に水を差すのはいい気がしないが、今回のことをわざわざ次に会った時に話題に出して気分を悪くするのもそれはそれで面倒くさい。
それに何より、今、サンドラが憤っている気持ちを伝えたかったのだ。
「アントン、少しよろしくて?」
「ん? なんだ、そんな不機嫌な声を出して」
サンドラの言葉に少し視線をこちらに向けて、彼は聞いてくる。
彼はまったくサンドラを怒らせたことに心当たりがないらしい。話したら話しっぱなしでもう忘れているような態度もひどいものだと思う。
なんせサンドラは毎回、アントンがサンドラの過去の失敗談を話すたびに苦言を呈している。
そのはずなのに毎回毎回、性懲りもなく……。
そういう気持ちを込めてサンドラは普段から鋭い猫のような瞳をさらに鋭くしてアントンに言った。
「ああいう話……つまりはわたくしの失敗談ですが、それを話題にすることをやめてくださいませ。非常に不愉快ですわ」
「……」
「たしかに、わたくしは奔放な子供だったかもしれませんわ。けれど、皆そういう話の一つや二つはあるでしょう。それをわざわざ話すのなんて、話題のない親戚集まりぐらいなものですのよ」
この説明も毎回している。そんなに面白い失敗談を話したいのなら自分の話をすればいい。他人をダシに使って笑いを取るのは、自分は面白くない人間だと叫んでいるのに等しい。
恥を知れ、と口にしたい。
しかし実際、彼らは楽しんで聞いていた様子だったし、そこまでのことを言われたかというとまだ判断が難しい。
だからこそあまり強い言葉を使わないように心掛けた。
「それにわたくしはそういう話をされることが嫌いです。何度も言っているでしょう。羞恥心を感じます。だから━━━━」
だからもう二度とそういう話をしないと約束してほしい。
そう言おうとした。
しかし、突然腕を引かれて、ぐっと抱き寄せられてサンドラは身の毛がよだつ思いだった。
「すまない! サンドラ、俺はまたつい、お前の可愛く幼い失敗談をつい皆に知ってほしくて、口にしてしまった。そうだった、お前はそういう話が嫌いだったのに!」
「っ、離してくださいませ、こんな公共の場でっ」
「いいや放さないっ、俺はただお前が愛おしくて話さずにはいられないんだ、ごめんな、サンドラ」
耳元で大きな声で言われて、周りを歩いていた貴族たちは、若い二人が抱き合っているのを見て、あらあらと微笑ましいような表情を浮かべている。
……こういう行為も常々、きらいだと言っていますのに。
そう思うが、愛おしくて愛情から口にしたくなってしまうと言われると、今のサンドラには反論するすべがない。
婚約者であり、将来を約束された仲で、二人でお互いを尊重し合って生きていかなければならないのだから。
それに否定的なことを言っていても放してくれそうもない。
とにかく今は、すぐにでも離れたくなって、サンドラは渋々「わかりました」と言う。
「わかったから……そういう事なら、わかりました。ただ離してくださいませ」
「ああ……わかってくれたか、サンドラ。嫌な思いをさせてすまなかった」
謝罪も口にされて、これ以上責めることは出来ない。
しかしまた、数日後にはサンドラの別の失敗談が広まっていてサンドラはどうしようもない気持ちになったのだった。
そんな日々が続いているとある日の事、アントンは珍しく、話題の中心になることがなく影を潜めてパーティーを楽しんでいる時があった。
そんな様子にやっとサンドラは常々言っていた思いが通じたのかと少し彼を見直した。
しかしいつの間にか、アントンはいつもの貴族たちの輪からいなくなっていて、探しに出たがどこにもいない。なにかトラブルに見舞われたのではないかと心配した直後。
本当に偶然、人ごみの向こう側にアントンの後姿を見つけて、サンドラは高いヒールを履いていることを忘れて走り出した。
ドレスの裾をもって、人の間を縫っていく。
今にも見失ってしまいそうな彼を追いかけて息が上がるのも気にせず足を動かす。
すると追いつくことができて、彼とその隣にいた、彼女が人の目から忍ぶように庭園を鑑賞することができるバルコニーへと隠れた。
息を整えて、いくつも解放されているバルコニーのある廊下をゆっくりと歩く。外には小さな半円上のスペースがあって、今はこのあたりに人は多くない様子だ。
人ごみに疲れてしまった人、何か事情がある人、そういう人が落ち着けるスペースではあるが、夜の闇に紛れて他人から見えないのをいいことに、秘密の逢瀬を重ねることができる場所でもある。
呼吸が落ち着いてから、そっとアントンが入っていったバルコニーの外で息をひそめる。カーテンの向こうを見なくとも声ですぐに彼だとわかる。
「ここなら安心だ、マルガリータ。まずは抱きしめさせてくれ。ああ、あいつのそばよりよっぽど落ち着く」
「んふふっ、あらもう。アントンったら甘えん坊なんだから」
「許してくれ、俺が甘えられるのはお前だけなんだ」
「あっ、ダメよ。こんなところで。でも、なんだかドキドキしちゃう、こうしてよそで会わないって決めていたから余計に」
「そうだろ、マルガリータ。んっ」
アントンとともにいるのはマルガリータという令嬢だ。たしかカルペラ伯爵家の長女のはずだが跡取りではない。
サンドラの頭の中には彼女の顔が思い浮かんだ。
そして外で行われている行為にもすぐに察しがつく。
つまりは、浮気されていたという事だろう。サンドラがアントンと向き合おうと考えている矢先に彼は、こんなことをしていたと。
嫌な気持ちになってすぐさまここから離れようかと考えた。
しかしふと、頭の中に別の事がよぎって、サンドラをそこにとどめさせた。
「はぁ、っ、久しぶり過ぎて私泣いちゃいそう」
「俺もだ。それにあいつと過ごす時間が長かったからなおさら、お前の柔らかな空気が心地いい」
「もう、そんなふうに言って。あの人だって、社交界では美人だって有名よ?」
「そういう問題じゃない。見てみろ、人を視線だけで射殺すことが出来そうな鋭い目線、それから気位ばかりが高い態度」
「んふふっ、まぁたしかに、あなたのタイプじゃないわね」
「そうだ、笑い話のフリをして、恥でも欠かせてやらなきゃ俺の気持ちが治まらない」
「あの人の話、いろんなところで聞くわ。目の前で広めてあの人怒ったりしないの?」
サンドラの名前は出てこないが、彼らが言っているのはまさしくサンドラだろう。
頭の中によぎっていた疑問に対する答えがすぐに見つかってサンドラは、悲しむ気持ちよりも怒りが湧いた。
「ちょうどいい塩梅で、褒めてやってるからな。その時のあいつの顔と来たら、ははっ、その時のあいつだけは俺は好いていると言っていい。心の底から笑いが出そうになる」
「あら、やだ性格悪い」
「そう言うなって、そのぐらいの楽しみがなきゃあんな女と婚約者をやってる価値なんかないだろ。親の決めた婚約なんて本当にくだらない」
「ホントよね。私も……あなたに倣って色々、吹聴してみたけれどちょっとスカッとして楽しいわ。でも金づるとしては必要だから、結局婚約破棄なんてできないけれど」
「ああ、骨の髄まで利用しきってやろう。それで良いんだ、賢く生きれば俺らの勝ちだ。マルガリータ」
「んふふっ、あなたって本当に悪い人」
彼らは、サンドラが聞きたかったことを端から端まで言ってくれて、どういうつもりなのかすべてが理解できた。
恋の力というものはすごく、ここまで盲目的に周りへ対する配慮を忘れてしまうものらしい。
彼らは愛し合っている仲で、サンドラは端から蚊帳の外。それなのにアントンが過去の笑い話を愛しているからゆえに言っている……なんて言葉に惑わされて、多くの人に笑われて。
まるでこれでは、舞台上のピエロだ。
盛り上がって愛を重ねる彼らをしり目に、サンドラは決意した。
ただの笑い話、されど笑い話だ。それに悪意があったのならもはや攻撃といっても過言ではない。
……良いでしょう。そういうことなら、わたくしも笑い返してあげますわ。
そう決意して歩き出す。
幸い彼らには、こんなところで睦み会ってしまう不用心さを持っていて、サンドラが知っている限り、二人して似たようなことをしている。
そこを利用しない手はないだろう。
サンドラは家に帰って翌日の朝、三人いる姉を全員叩き起こして朝食を取りながら鋭い視線を向けた。
「それで、お姉さまたちが教えてしまった、わたくしの過去の失敗談。それを使ってアントンはわたくしを笑いものにしていますのよ。それも悪意を以て、どうしてくれますの?」
今までは誰にも悪意がないことだと信じていたので責めなかったが、元凶と言えば彼女たちだ。
おしゃべりが好きで、サンドラのことを何でもかんでも話してしまう。
それが三人もいるのだから、片っ端から口をふさいでも意味がなく、どこからともなくサンドラの幼い日の思い出は漏れ出ていくのである。
「……ふわぁ……サンドラ、わたくしまだ眠たいわ」
サンドラの真剣さは伝わっていない様子で、三番目の姉であるラウラはあくびをしながらサンドイッチをもそもそと食べる。
ほかの姉たちも似たようなものだ。
彼女たちは基本的に夜型で、こんな時間には眠っているかぼんやりしている。
しかしこんなことでは困るのだ。サンドラは日が昇った時からきびきびと行動したい。
それが正しい生活というものだろう。
……それに。
「お姉さまたちのせいでわたくしは恥ずかしい思いをしているというのに、お姉さまたちはわたくしの味方をしてくださらないの?」
そう問いかけて、サンドラはぐっと目を細めて、彼女たちも悪意なのかと敵対的な視線を向けた。
昨日のことがありサンドラは非常に気が立っていた。
その様子に一番上の姉のレイラが気が付いて、すぐに隣にいた二番目の姉ユスティーナにラウラをしゃっきりさせるように指示をした。
ユスティーナはラウラを大きくゆすって、その間にレイラが言った。
「いえいえそんなこと無いわ。サンドラ、わたくし、サンドラが可愛くて仕方ないんだもの」
「その通りですわ。サンドラはわたくしたちの可愛い妹!」
「わたくしまだ……眠たいですわ」
「起きなさい! ラウラ、サンドラが怒ってるわ。これはわたくしたちがサンドラを揶揄って泣かせた時以来の有事よ!」
ユスティーナが声を大にして言うと、ラウラは、ぼんやりとした目をこすって、サンドラを見る。
サンドラはギラギラとした瞳を向けていて、これはまずいと頭がしゃっきり冴えた。
「嘘ですわ。眠くないわ。サンドラはわたくしの可愛い天使ですもの」
ラウラはあくびを即座にかみつぶし、拳を握ってそう宣言する。
その様子を見てからサンドラはしばらく睨んでそれからひと息ついて、お姉さまたちに、少し不服な声で言った。
「なら、お姉さまたち、わたくしのお願いを聞いてくださる?」
ぽつりと聞くと、彼女たちは、三者三様に反応する。
「もちろん! お金の事ならこのレイラに任せなさい! サンドラ」
「実務の事ならわたくしですわ、なんでも言ってサンドラ」
「知恵が必要ならばどんなことでも答えるわ、サンドラ」
彼女たちは、まったくかぶりのない自分たちの得意なことを主張してきたが、そうではない。
サンドラが使いたいのは彼女たち全員についている、そのおしゃべりなお口だ。
「ありがとうお姉さまたち。では一つ、噂を流してくださいませんこと?」
アントンとマルガリータの浮気について姉たちに噂をながしてもらうと、案の定、彼らの密会を見たという実体験が混じった話になった。
その話は妙にリアリティのある噂なのか真実なのか微妙といった具合の話に変化し、次のパーティーの時に周りにいる貴族令息、令嬢たちが向ける視線は疑念を孕んでいた。
しかしそれを知ってか知らずかアントンは、意気揚々といつもの言葉を言った。
「そういえば、こいつはさぁ」
切り出した彼に、サンドラはすかさず言った。
「また、わたくしの失敗談を話題にするつもりなら、よしてくださる? その話はもう何度も嫌いだと言っているのに、どうして話題にするのかしら?」
待ち構えていたように厳しく言われてアントンも、周りにいた彼らもいつもとは違う様子に、おや? っと表情を変える。
しかし彼は、少しぎこちなく笑って続けた。
「恥ずかしがるなって、お前の可愛い話を皆に共有したいだけなんだ」
「恥ずかしがっているわけではありません。不愉快だと言っているんです」
「不愉快っておいおい、随分ご機嫌斜めだな?」
「言いましたからね。アントン」
「な、なんだよ」
「それでも話をするならお好きにどうぞ。わたくしはもう、何も言いませんわ」
アントンに対して返答をしながら周りにいる貴族たちに、視線を向けていく。この表情も言葉も嘘ではないことに気が付くだろう。
今までも一度だってサンドラはこの話を喜んだことなどない、そう覚えておいて欲しい。
そしてここで話をしないなら、まだサンドラは何もしない。
けれども彼は、サンドラのつんとした態度に腹を立てたのか意気揚々とサンドラの話をし始める。
しかし、サンドラの様子にか、それとも噂のことがあったからか、周りの貴族たちは微妙な反応を返す。
さすがに本人が嫌がっている話を面白おかしく聞けるほど神経が図太くないらしい。
話をしている彼だけが浮いているような状態だった。
そして失敗談が終わると、盛り上がるわけでもなく次の話題を誰も提供せずに、あたりには生演奏のワルツだけが響いている。
そこで、誰かが沈黙に耐えかねて話し出す前に、サンドラは口を開いた。
「じゃあ、わたくしからも可笑しな話を一つ、させてくださいませ」
いつもは自分から話題を振ることがないサンドラの言葉に、必然的に誰も口を挟まずに視線を向ける。
朗らかなパーティーの雰囲気とは違って、この場だけは妙な緊張感が走っていた。
「とある、男の話ですわ。親の決めた婚約がある貴族の彼は、婚約者を不満に思っていたんですの」
彼らは合いの手を入れることなく話に耳を傾ける。
しかし、サンドラはアントンと同じように笑みを浮かべて、さもそれが面白可笑しいことかのように少しテンションを高く続ける。
「やれ、目つきがきつい所が嫌いだの。プライドが高い所が腹立たしいだの。陰では悪口放題。ついには良い仲の別の令嬢と浮気を始めたわ」
「……浮気……ですか」
「ええ、そう。もちろん、親の決めた婚約だものそういうことだってあるでしょう。わたくしだってそれほど心の狭い女ではありませんわ」
「まぁ、そうだよな」
「仕方ない事ですわ」
彼らは、段々とサンドラの話に反応を示す。
おおむねここまでの話は納得感があることで多くの場合、たくさんの貴族が当たる問題だ。
そして浮気ぐらいはと許すことが多い。
しかし、問題の本質はそこではない。
「でもその男、親の決めた婚約は金銭的に得があるから良い関係のフリをするにしても、婚約者の女に腹が立って、陰湿で滑稽なことをし始めたんですの。どんなことだと思います?」
「……婚約者に出す食事をまずくしたり?」
「それは、陰湿ですね。でも違いますわ」
「では、陰でドレスを汚してほくそ笑んでいたとか」
「それも、陰湿ですが、不正解ですのよ」
「なら、何をしていたんですの?」
彼らの出した答えにサンドラは、それはそれですごく嫌だなと思ったが、それは置いておいて、やっと来た質問に満を持して答えた。
「それが何と、婚約者の失敗談をみんなの前で執拗に披露することでしたわ」
「……えっと……それって……」
「まさか……」
彼らの視線はアントンに向き、彼は動揺して隣で小さく身じろぎした。
「笑い話のフリをして、心の中では悪意を込めて……しかし婚約者にはバレないように褒めたりしながら、せこせこ貶す。なんとも滑稽で可笑しな話でしょう? わたくしはもうその男の小ささが可笑しくて、可笑しくて」
「でも、ひどいですわ。そこまでされたらわたくし許せない」
「……それも、そうね」
「たしかに、随分小さい男だ」
この話が誰のことかわかっていない察しの悪い令嬢が、話の中の女に同情するようなことを言うと、それに続いて同意が集まる。
そして話の中の男に対するヘイトも集まる。
すると、貴族令嬢、令息たちの中から、最後にぽつりと声が上がった。
「それで、面白いお話は終わりですか? そうするとあまりにも婚約者が可哀想ですね」
たしかにこれでは、ただのひどい話で面白いことなど何もない。
まだこの話には続きがある。
「終わりではありませんわ。まだ続きがありますの」
サンドラは優しげな笑みを浮かべて、聞いてきた彼に視線を向ける。
「その男は、浮気をしていると言ったでしょう。その浮気相手も、男に倣って親に決められた婚約者を悪く言ってストレスを発散することにしたの。婚約者の容姿をなじったり、悲しんでいるフリをして悪い噂を流したり」
そこまで言うと、事前に流されていた、マルガリータとアントンの噂が頭の中でつながったらしく、彼らはハッとした顔をする。
「二人して婚約者を貶しているものだから、きっとすぐに世間にその浮気な関係がばれますわ。そして貶していた人物から施しを受ける、しょうもない男と女、そんなふうに思われる」
「自業自得ですわね」
「ええ、そうよ。それが嫌なら筋を通して、婚約破棄をすればいい。むしろそうするべきですわ。だってそうでなければあまりに滑稽で、間抜けで可笑しいでしょう? その男は」
サンドラが言うと「っ、このっ!」っと隣からアントンが堪えられなかったような声を出して手をあげようとする。
しかし、激情に駆られていたとしても周りの目を気にする余裕はあったらしく、拳を握って、ぶるぶると震えながら何か言葉を考えている様子だった。
「あら、何を怒っているのかしら。誰とも知れない男の話よ? それとも、もしかしてこれはあなたの話?」
「なっ、そ、そんなわけないだろう。俺は、そんなもの知るわけ」
「そうでしょうね。こんなに無様で滑稽な失敗談、大勢の前で話されたら当人は恥ずかしくてたまら無いはずですもの。きっと赤の他人の話ですわ、だから皆さま、遠慮なく笑ってくださいませ。しょうもない男のくだらない笑い話を」
アントンに向けてサンドラは言う。
この状況で、彼はこの話を否定することができない。否定することは自分の話だということも同然で、意地でもこんな話を認めたくないだろう。
しかし顔を真っ赤にして怒っている彼は、当事者そのものですと言っているようなものだ。否定せずとも隠せてなどいないのに堪えるその様子、その間抜けさがさらに可笑しくてサンドラはくすくすと笑った。
するとつられたように、一人、また一人と、嘲笑するような空気が生まれる。
「っ、浮気ぐらいなんだ! 誰だってそのぐらいしてるだろう!」
「ふふっ、そうは言っても、ねぇ?」
「そうだな、くくっ、誰のこととは言っていないし」
自分のこととは言わず、しかし馬鹿にされないようにアントンは言葉を紡ぐ。
しかしそんな言葉は、届かない。
「俺は、ただサンドラも喜んでいると思って、こいつの話をだなっ」
「あら、数十分前の記憶もないみたい、ふふふっ」
「呆れてしまうな……ははっ」
いつの間にか普段いる貴族令嬢、令息ではなく、それ以外の同世代の貴族たちも話を聞いていたようで、口々に彼を笑う。
「っ、っ~、どいつもこいつも! もういい! 俺は先に帰らせてもらう」
これ以上自分に出来ることがないと気が付いたアントンは、勢いよく立ち上がって、彼らを自分から見切ったような言葉を放って急ぎ足で去っていく。
焦っているせいか彼はソファーの角に当たって少しふらつき「見世物じゃないぞ!」と捨て台詞を吐いて、バタバタと去っていく。
その様子を見てサンドラは、満足げに笑みを浮かべて、いつ耐え切れなくなって婚約破棄を申し込んでくるかと楽しみにしたのだった。
結局一ヶ月も持たずに婚約破棄を申し込んできた。もちろん彼の一方的な婚約破棄であり、責はあちら側になる。
サンドラの珍しい昆虫を小鳥に食べさせてしまった話の何十倍もの金額を彼の家は支払うことになり、恋に盲目になってそんな金額を損した彼は、サンドラよりもよっぽどドジで、物の真価を見極められない阿呆だろう。
心のそこからそう思えた。
しかし、随分と話題の人物になってしまったサンドラは、良くも悪くも人に注目される。
ことが収まるまでは王都ではなく領地のマナーハウスへと住まいを移した。
お姉さまたちは寂しいと駄々をこねていたけれど彼女たちも、少しは反省してほしいものだ。
もとはと言えば彼女たちのおしゃべりが生んだ面倒なのだから。
しばらく静かに自然豊かな土地でリフレッシュして過ごし、やる気が出たら婚活しようとそんなふうに思っていた。
そんな矢先、アントンの浮気相手であったマルガリータも婚約者と別れたらしいと言ううわさが舞い込んだ。
それから、その当事者であるマルガリータの元婚約者、ライネがサンドラの住まうマナーハウスへとやってきた。
「自分の婚約者が大変なご迷惑をかけてしまって、大変申し訳ありませんでした。謝罪で許されることではないと思いますが、当事者のサンドラ様に直接お詫び申し上げるべくこうして参ったのです」
彼はそう言って、対応したサンドラにエントランスで深々と頭を下げた。
彼の後ろには、トランクを持った侍女が控えていて、彼が示すと厳かな態度で、サンドラの侍女にそれを渡す。
「こちらはお詫びの気持ちです。受け取ってください。いつも、カルティア公爵家の方々には良くしていただいているのに、恩をあだで返すことになり言葉もありません」
「……」
「突然来訪しお時間を取らせるわけにはまいりませんから今日はこれにて失礼いたします。この度は大変申し訳ありませんでした」
それだけ言って彼は帰ろうとする。
もちろん約束もなしにこうしてやってきて、長居するのは常識的な行動とは言えないので、早く帰るべきではある。
しかし約束もなしにやってきたのはサンドラが、マルガリータの婚約破棄について聞いたすぐ後のことだった。
ライネは事情をしって婚約破棄をし、腰を落ち着けることなくすぐさま謝罪をするために急いでやってきたということだろうと納得がいく。なので彼は誠意を尽くしてくれているように見える。
それに彼だって被害者だ。マルガリータの流していた噂はどれもこれも聞くに堪えないようなものばかりだ。
例えば、彼が長くしている前髪で隠している部分には、呪いの痣があるとか。突然人が変わったようになってマルガリータに暴力をふるって来たとか。
そういう彼を酷く貶める様なものだった。もちろん、婚約破棄をしたのはマルガリータからだったろうから、きっと彼女も相当な慰謝料を払う羽目になっていると思う。
でも、それで得だったと言えないほどに、彼のうわさは割と浸透していて、多数存在している。
「……ご丁寧な謝罪をありがとうございますわ。ライネ」
「いえ、当然のことです。僕に魅力がないばかりにこんなことになってしまいました」
「マルガリータとの婚約はやはり両親が?」
「はい。僕は、醜いものですから、両親が良い人を。けれど、自覚がないまま彼女にひどく当たっていたのかもしれません。そうでもなければ、あんなふうに言うはずありませんから」
自信がないようなうつろな瞳が悲しげに揺れている。
「別の方に気持ちを向けていようとも、構わないと思ったのですが、お相手の婚約者もそうとは限らないと言うことに気がつかず。サンドラ様のお手を煩わせることになってしまいました」
「そうですわね……」
「自分は本当に至らない所ばかりなのだと日々痛感しています。ほかの貴族たちが僕に向ける軽蔑の目線も、僕の失態の結果なのだと受け止めて精進していきたいです」
「……」
さらりと揺れる前髪の隙間から、目元から額にかけて青いような紫のような痣が見受けられる。
たしかに他人とは違う特徴だが、別に何かの病気だとか呪いだとかそういうまがまがしいものという様子はない。
彼が卑屈になる必要もないだろうし、噂は総じて嘘八百そうだとわかるが、彼がそれを示すつもりはないらしい。
そして今、サンドラは暇だ。
野鳥の観察も、昆虫採集も楽しいが、たまには人と話もしたい。
「そうねぇ……ライネ。あなたこれから忙しいんですの?」
「いえ、詳細な事情説明が必要でしたら、出来るほどの時間は取ってあります」
「違うわ。良いのよそんなこと、それよりわたくし、思うのよ」
丁寧に言う彼に数歩近づいて、サンドラは強気に笑う。
「あんな過去の男の話、笑い話にしてしまいたいの。けれど、このことで本当に傷ついて、苦しい思いをしている人がいたらそうはいかないでしょう?」
「……はい」
「だから、被害者は報われて楽しく過ごさないと。少し寄って行って、婚約者を失った者同士、仲を深めてもバチは当たらないはずですわ」
「気を使ってくださっているのですか? 自分が不憫だから」
「そうともいうわね。ま、なんでもいいのよ。そんなことほらほら、謝りに来たのでしょう、それならわたくしのお願いを聞いてくださいませ」
「は、はい。……よろしくお願いします」
サンドラが適当に押し通すと彼はすんなり受け入れて、二人は不思議な縁で仲良くなった。
そしてこの浮気に関する騒動を笑い話に出来るのは案外遠くないのだった。
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