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沼落ち 2

 うっすら、目を開く。カーテンの隙間から、朝の光が差し込んで、辺りを照らし出している。もう一度、目を閉じる。意識は眠りに落ちていかず、起きてしまったと自覚する。

 床の上で半身を起こして、園子は周囲を見回した。硬い所で寝ていたせいで、関節が痛い。

 壁の大部分を支配する、プロジェクター用のスクリーン。対面のソファに、美理さんが丸まって眠っている。間に置かれたローテーブルに、食べたものの残骸が折り重なっている。二切れ残った、デリバリーのピザ。パーティ開けした、スナック菓子の袋。さきいかやチーズのかけら。それらの隙間に、ビールやコーラの缶が転がっている。空き缶のいくつかは、美理さんが灰皿に使ったせいで、吸殻がこびりついている。

 目を閉じると、瞼の裏側に、鮮やかな映像が蘇った。歌ったり、踊ったりする、トゥインクル・リトル・スターの篠原恒星である。

 バイトが終わった後、いつもとは逆方向の電車に乗って、美理さんの住む郊外の駅に来た。ピザでも取ろう、と美理さんが言うので、コンビニで飲み物やおつまみを買った。美理さんの家は、築年数は経過しているものの、広い庭のある一戸建てで、生活の余裕をうかがわせた。しかも、美理さんの部屋は、ふたつあるという。寝室と、趣味専用の部屋だ。趣味の部屋に通されると、まず、パソコンやプロジェクターが目に留まった。シンプルな棚には、CDやDVDが所狭しと並んでいる。よく見ると、それはすべて、トゥインクル・リトル・スターや、同じ事務所の男性アイドルのものなのだった。棚の残りのスペースには、スクラップ・ブックやクリアファイルが整然と並んでいる。そのうちのいくつかを、美理さんが見せてくれた。そこには、社割で買った雑誌の切り抜きが、年代順に綺麗に収納されていた。

「今日は、布教合宿だから」

と宣言され、園子は終電で帰れないことを悟った。途中で、寮に外泊の電話を入れさせてもらった。その時間を見つけることさえ、大変だった。まるで、試験の一夜漬けだ。

 駆け足で、園子はトゥインクル・リトル・スターの歴史を学んだ。現在、恒星が17歳、疾風が18歳。デビューは去年で、その前に何年かの下積み期間がある。同じ事務所の先輩のバック・ダンサーとして踊っていた時期だ。まだ、グループ名はついておらず、同年代の何人もの男の子の中のひとりだった。美理さんのコレクションは、その時代から既に始まっていた。

「青田買いが趣味なの」

そう言って、美理さんはにっこりと笑った。今も、トゥインクル・リトル・スターのバックで踊る、何人もの後輩たちを、「青田買い」しているらしい。園子には、恒星以外の男の子の顔と名前を覚えることはできなかった。

 恒星の姿だけは、自然と視界に飛び込んできた。少女漫画でよく、好きな男の子だけがクローズ・アップされて、視界に飛び込んでくるシーンがある。少し、あの気持ちがわかる気がした。雑誌の切り抜きを見ても、子供のころの恒星はすぐに見分けられたが、疾風のことはわからなかった。複数の男の子が踊っている映像を見せられても、恒星はすぐに見つけられるのに、疾風となるとてんで駄目だった。そんな園子を、

「筋がいい」

と言って、美理さんは喜んだ。

 「同担拒否」というのは、「同じ担当」、つまり同じアイドルのファンの人とは仲良くならない、という信条のことだという。園子には不思議だったが、ライバル意識のようなものが働くらしい。でも、好きなアイドルの話はしたい。だから、疾風ファンの美理さんは、恒星ファンの仲間はいるのだと言った。そして、その中に、園子を引き込もうという魂胆であるらしい。最初は戸惑ったが、「布教」されるにつれ、園子の気持ちは傾き始めた。

 男の子たちは、綺麗だった。「かっこいい」とも「かわいい」とも言えるけれど、「綺麗」というのが、一番しっくりくる気がした。大仰に言えば、美しかった。

 特に、園子から見て、恒星の美しさは群を抜いていた。中性的な顔の割に、恒星は長身だ。そのくせ、思春期に急に背が伸びた男子特有の、細く薄い体つきをしていた。ダンスはなめらかで、関節まで柔らかかった。そのくせ、彼の長身には、男性的な振りつけが映えた。にも関わらず、振りつけを間違えて、笑う顔はあどけない。男性にしては高音の歌声は、ハスキーな女の声のようでもある。恒星は絶えず、年齢や性別といったカテゴリーを、軽々と飛び越えていた。男性のようであり、女性のようであり、どちらでもない。大人のようであり、子供のようであり、どれでもない。何者にも所属しない、それはしなやかな美しさだ。

 羨ましかった。そして、同時に、眩しくもあった。

 髪型や服装を変えてみても、周囲は女の子として扱ってくる。それは、ある意味では、恵まれたことなのかもしれない。でも、同時に、女の子であることから逃れられない。サラダを取り分けることも、逆にただ、微笑んで座っている必要も、恒星にはない。なにもかもに、当事者として参加していく。バラエティの勝負事で、勝気さをむきだしにする。時に生意気と取られる言動をしても、それを笑いに変えていく。芸能人として、若くして第一線に躍り出たとあって、恒星はたくましい。そのすべてに、園子は憧れの気持ちを抱き始めていた。

 それは、恋とは違っていた。園子にとって、恒星は別世界の人間としか思えなかった。それでいて、かくありたい自分という、憧れの対象だった。自分にはできない姿や言動を、具現化した夢。その夢を、いつまでも見ていたい。

 園子は気がつくと、美理さんに差し出される映像や切り抜きを、食い入るように見つめていた。美理さんの思うつぼだ。園子はこの夜、トゥインクル・リトル・スターの篠原恒星に、「沼落ちした」のだった。

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