強くなりたい 2
顎の下に、鏡を構える。顔の角度はそのままに、視線だけを下にずらして、鏡を見る。すると、自然と目を伏せる格好になり、アイラインが引きやすくなるのだと、あんなが教えてくれた。リキッドアイライナーを、目尻で跳ね上げる。すると、目が大きくなったように見え、強い視線が作れる。カラコンも勧められたが、やりすぎな気がして断った。眉を描いてから、アイシャドウを入れる。口紅を塗ってしまうと、チークも必要だと、あんなが言い出した。乗せてみると、確かに顔色が良くなった。ごく淡白な園子の顔は、メイクで驚くほど印象が変わった。一度メイクを始めてしまうと、目元だけではバランスが悪い。いくら引き算しても、頬も口紅も、ということになってしまう。あっという間にフルメイクを施され、園子は鏡の中の自分と目を合わせた。そこには、こころなしか強そうな自分が映っていて、新鮮な感動を覚えた。
あんなの部屋でメイクを終えてから、ふたりで買い物に出かけた。自分でメイクするために、ドラッグストアで安価なものをそろえた。いつにない高揚感が、園子を支配していた。
携帯で雑誌の裏表紙を写真に撮り、美容院に持って行く。勇気は必要だったが、髪はちょうど切りたかったところだ。モデルと同じ、前下がりのショートボブにし、襟足を刈りあげた。ショートヘアにするのは、子供のころ以来だ。それは、自分で思っていたよりもよく似合った。美容師は上機嫌で、カラーリングも勧めてきた。言われるがままに、髪色を明るくしても、メイクしていれば違和感はない。美容師が、
「イメチェンですね」
と言って笑った。
今の髪型なら絶対に似合う、とあんなに力説され、ピアスを開けた。あんなは自分で開けたがったが、園子は皮膚科の病院で開けることを選んだ。最初に、穴が定着するまでつけるピアスのことを、ファーストピアスというらしい。思い切って、ファーストピアスはゴールドにした。以前の園子なら、無難なシルバーを選んでいただろう。ピアスは効果てきめんで、自分で見ても、何割増しか世慣れているような気がした。
服装はカジュアルなままだが、パンツスタイルが多くなった。学校帰りにバイトへ行くので、最初からジーンズを穿いている。ふと、電車の窓に映った自分を見ると、中性的な少年のようにも見える。
外見を変えることで、周囲の反応は目に見えて変わった。学校で、話しかけられることが増えた。バイトのために断ったが、飲み会の誘いもあった。クレームはまだあったが、同じアルバイトでも、若い男の子たちが声をかけてくるようになった。授業は要領良くさぼり、バイトやサークルを器用にこなすタイプの男の子たちだ。彼らは、須藤のように、園子を困らせることはしなかった。どちらかというと、仕事の際には手助けしてくれ、園子は新しい業務を覚えた。ありがたくはあったが、同時に不思議でもあった。なぜ、髪型や化粧、服装で態度が変わるのだろう?園子自身は、以前と同じなのだ。
アルバイトの合間に、従業員休憩所へ行く。自動販売機でオレンジジュースを買い、並んだテーブルの一つに腰かける。ジュースを一口飲んでから、携帯に目を落とす。ふと、気配を感じて視線をあげると、向かいの席に美理さんがいた。
「ここ、いい?」
初日に助けてくれた女性は、斉藤美理という名前だった。勤続年数が長く、社員でも頭があがらないらしい。大学時代からこの書店に勤め、今もアルバイトとして実家から通っていると聞いた。園子と同じ、アルバイトの男子学生からの情報だ。
「煙草、吸っていい?」
園子が頷くと、美理さんはマルボロの箱を取り出した。正面から、かすかな香水の香りが漂ってくる。コーヒーを飲んでから、美理さんは煙草を口に咥えた。
「最近、雰囲気変わったね」
「はい」
「煙草は吸わないの?」
からかうように尋ねられ、園子は顔が熱くなった。
「煙草とか、お酒はやりません」
「真面目ねえ」
楽しそうに笑って、美理さんは煙を吐き出した。
「若いっていいわねえ」
懐かしそうに、美理さんが言う。
「私は、大人っぽくなりたいです」
園子が言うと、美理さんが声をたてて笑った。美理さんと話していると、外見を変えたところで、内面はなにも変化していないのだと、改めて思い知らされる。園子から見て、美理さんは完全に大人の女性だ。
「嫌でも、いつかなるわよ」
そう言って、美理さんがコーヒーを飲みほした。煙草の吸殻を灰皿に押しつけて、
「行こうか」
と、立ちあがる。時計を見ると、休憩時間が終わりかけていた。あわてて、オレンジジュースを飲み干し、園子も立ちあがる。紙コップをゴミ箱に放り込み、廊下に向かって速足で歩きだした。美理さんの歩いた後には、いつも煙草と香水の香りが漂っている。