強くなりたい
あんなに教えられた電話番号を、携帯に登録した。データはラインに反映され、友だちリストに「須藤」という人物が追加された。リストには、地元の大学に進んだ橋本の名前もある。でも、個人的に連絡してみたことはなかった。元美術部のグループラインも、最近はぱったり通知が鳴らない。皆、新しい生活に慣れてきたのだろう。そういうものだ、と思う反面、少し淋しかった。学校では、授業が同じ同級生と話すことはあるものの、一緒に遊ぶほど仲の良い友人はいない。その分、放課後はバイトに入ることが多い。寮に帰ってくればあんながいるし、最初のようなホームシックは治まっていた。
寝る前に、須藤とラインでメッセージを交わす。とはいっても、会話は弾まない。絵に描いたような自己紹介や、社交辞令のラリーが続く。正直、面倒になることも多く、園子の返信は途切れがちだった。それにも関わらず、須藤は会おうと言ってきた。意外に思ったが、話はまとまり、日曜に渋谷で遊ぶことになった。
蟻の群れに似た雑踏に巻き込まれると、眩暈が園子を襲う。人波を選り分けて、ようやくハチ公前にたどり着く。どうして、よりによって、こんなに混む場所にしたのだろう。確かに、地方出身の園子にはわかりやすいのだが、いささかうんざりした。須藤は奈良県の出身だと言っていた。もしかすると、関西弁の男の子が来るのだろうか。
周囲を見回しながら、
『ハチ公前に着きました』
と、メッセージを送った。すぐに、ぴろん、と携帯が鳴り、
『見つけました』
と返ってきて、園子は複雑な気分になった。自分の知らないところで、あの日見られていたのだ、と思う。こちらはむこうの顔を知らない。場違いだから、目立ったのだろうか。それとも、本当に「気に入った」のだろうか。どうしても、良い気持ちはしなかった。
「青山さん、おはようございます」
折り目正しく呼びかけられ、園子は顔をあげた。中肉中背の、顔色のあまりよくない青年が、目の前に立っていた。妙に四角い眼鏡をかけて、唇を固く引き結んでいる。
「須藤くん?」
園子が訊くと、ぎくしゃくした動きで頷いた。思わず、ロボットを連想する。どう話をつなげたものか迷っていると、みるみる須藤の顔が赤くなった。額に大量の汗をかいている。
「…あの、具合、悪いんですか?」
「すみません」
園子が声をかけると、須藤が謝った。
「女性と話すの、慣れてないんです。中高と男子校だったもので」
「はあ」
気の抜けた返事を、園子は返した。
「あの、女性といっても、同じ人間ですし」
「はい」
「普通でいいですよ」
「はい」
四角四面な返事をして、須藤が顔の汗を拭う。なんだか、妙なことになったと思った。話が弾むことを期待していたわけではないが、想像以上に面倒だ。やっぱり、来るんじゃなかった。早く切り上げよう、と思いながら、
「とりあえず、お昼にしますか?」
と、園子は提案した。
マクドナルドでいいと言ったのだが、須藤は聞き入れなかった。「そんな所に女性を連れて行くわけには行かない」のだそうだ。事前に調べてあったらしく、ごくカジュアルなイタリアンに入った。ちゃんと、予約もしてあった。
須藤は関西弁ではなかった。どちらかというと、NHKのニュースのような、固い敬語を使った。園子が期待していたような、アニメや漫画の話はなかった。最近、授業が難しくなり、勉強に追われているのだという。本当のことを言うと、園子もそういった話題に疎くなっていた。新作アニメをチェックしたくても、勉強やバイトに時間を取られる。実家にいる時と違って、生活必需品の買い物や、掃除に洗濯もある。漫画は社割で新刊を買っていたが、読まずに積んであった。
思い切って、園子は言ってみた。
「よく、私の顔なんて覚えてましたね。他に綺麗な人、たくさんいたのに」
須藤が引き締まった顔つきになる。
「あのような人たちは、水商売と一緒です」
「はあ」
呆気に取られて、園子は口を開けた。
「水商売、ですか」
園子が復唱すると、須藤は重々しく頷いた。
「青山さんは、あのような人たちとは違う」
「違いませんよ」
思わず、園子は言った。
「それに、あんなは友達です」
「優しいんですね」
独り言のように呟くと、須藤が額の汗を拭く。できれば、おしぼりは使わないでほしかった。そう思いながら、園子は空になったコップに気づく。お冷やのおかわりをしようと、手をあげて店員に呼びかけた。
「すみません」
「そんなこと、しなくていいんですよ!」
慌てたように、須藤が遮った。驚いて、園子は手を引っ込める。
「あなたは、座っていればいいんです!
あなたのような女性は、この場の花なんだから!」
あっはっはっは、と、大きな声であんなが笑った。園子は、眉間に皺を寄せて、
「そんなに笑わないで」
と不貞腐れる。
「ごめんごめん」
顔の前で手を合わせ、あんなが謝った。
「でも、ね?悪い人じゃなかったでしょ?」
「悪い人では、ないかもしれない、けど」
頭を抱えた園子に、あんなが水玉模様のカップを差し出す。どうやら、紅茶を淹れてくれたらしい。
早々にランチを終え、逃げるように帰ってきた園子を、あんなは待ち構えていた。帰りが早すぎることには落胆していたが、報告を聞きたがった。園子はあんなの部屋へ行き、手短に一部始終を話して聞かせたのだった。
紅茶を一口飲んで、園子は呻いた。
「女性、女性って、わからない。同じ人間じゃん」
「じゃあ、つきあうとかは無理?」
ぎょっとして、紅茶を零しそうになり、園子は声をあげた。
「勘弁して!」
「ごめんごめん。でも、須藤くんからライン入ってて。脈ありかどうか、訊いてみてほしいって」
「脈もなにも、どうしてきょうの態度でわからないの?」
驚くのを通り越して、不思議な気持ちになり、園子は尋ねた。
「期待してるからだよ」
あっさりと、あんなが言った。
「須藤くん、感激してたよ。想像通り、優しくて清純な女性だったって」
「気を使っただけだし、すっぴんってだけじゃん」
弱々しく反論した時、ふと、机の上に置かれた雑誌が目に入った。
あんなと友達になってから、園子も女性誌を見るようになった。自分で買うことはないし、あんなの部屋で見るだけだ。一緒にテレビを観ながら、時々めくってみる。自分では着ない、可愛らしい洋服のブランドと、化粧品のブランドに少し詳しくなった。
「私も化粧しようかな」
園子が言うと、あんなが目を輝かせた。
「あたしの使ってみる?貸すよ?」
「でも、あんなみたいなメイクじゃなくて」
机の上の雑誌を裏返して、園子は言った。
「こういうのがしたい」
雑誌の裏表紙には、ブルーのアイラインをひいたモデルの姿があった。最初に、この部屋で見た時から気になっていた。男か女か、わからない。年齢もわからない。それでも、客観的に見て、そのモデルは美しかった。凛とした、強さがあった。
「強くなりたい」
園子が言うと、あんながきょとんとした。
「わかってきた。私って多分、舐められやすいんだよね。バイトでも、私にクレーム言う人が多いの。メイクしてて、気の強そうなバイトは、何も言われない。男の人も、もちろん言われない。
須藤くんに会って、ちょっとわかったんだ。彼、女の人が怖いんでしょ。私なら怖くないっていうのは、つまり舐められてるんだと思う」
あんなが、何事か考えこんでいる。
「優しそう、ってことだと思うけど…」
「あんまり、いいことだと思えない」
今日何度目かの溜息をついて、園子は呟く。わかった、とひとりごちて、あんなが立ちあがった。
「須藤くんには、あたしから断っとく。
で、メイクしてみよ?強く見えるアイラインの入れ方、教えるよ?」